しばらくドラゴンズに関することを書いていないので、ユニホームフェチ(何度も言いますが、野球だけですよ、ホントに)の視点から、ちょっと触れてみよーと思う。
ボクの印象に残るドラゴンズのユニホームと言えば、ジャイアンツのV10を阻んだ年から使用され始めた肩やスボンに太くブルーのラインが引かれていたユニホームである。ビジター用はそのラインが赤になり、当時はなかなかカッチョイイと思っていた。その前に使用されていた巨人の星のオズマが着ていたモデルのユニホームはあまり記憶にない。
その後、変更された紛れもなくドジャーズ“パクリ”のシンプルなものなど、一度デザインを変えると10年以上に亘って長く使用するというイメージがあるが、その昔は1~3年周期でやたらコロコロと変えていた。しかも、今ではドラゴンズのイメージカラーになっているブルーも、赤やエビ茶色を使用していた時代があったのだから意外だ。
その“落ち着きない時代”の代表とも言えるのが1968年(昭和43年)の夏用として登場した写真のノースリーブユニホームである。決して工事現場で使われていたランニングシャツではない。この年は2度目の就任となった杉下政権でスタートするが、成績低迷で開幕から僅か80日で監督が休業、急遽後任に本多2軍コーチが代理監督として昇格し悪戦苦闘するも、結局最下位に甘んじたシーズンだった。
おまけに球団創設以来初めて全球団に負け越しを喫してしまう “縁起の悪さ”と「ムダ毛の処理が大変だ」(もちろんウソです)と選手にウケも悪く、この年限りでこのユニホームは廃止となった。それから30年後の1998年(平成10年)に日曜のホームゲーム限定のユニフォームとしてノースリーブタイプが再度登場するがこれまたこの年限りとなったのは記憶に新しい。
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ボクの印象に残るドラゴンズのユニホームと言えば、ジャイアンツのV10を阻んだ年から使用され始めた肩やスボンに太くブルーのラインが引かれていたユニホームである。ビジター用はそのラインが赤になり、当時はなかなかカッチョイイと思っていた。その前に使用されていた巨人の星のオズマが着ていたモデルのユニホームはあまり記憶にない。

その“落ち着きない時代”の代表とも言えるのが1968年(昭和43年)の夏用として登場した写真のノースリーブユニホームである。決して工事現場で使われていたランニングシャツではない。この年は2度目の就任となった杉下政権でスタートするが、成績低迷で開幕から僅か80日で監督が休業、急遽後任に本多2軍コーチが代理監督として昇格し悪戦苦闘するも、結局最下位に甘んじたシーズンだった。
おまけに球団創設以来初めて全球団に負け越しを喫してしまう “縁起の悪さ”と「ムダ毛の処理が大変だ」(もちろんウソです)と選手にウケも悪く、この年限りでこのユニホームは廃止となった。それから30年後の1998年(平成10年)に日曜のホームゲーム限定のユニフォームとしてノースリーブタイプが再度登場するがこれまたこの年限りとなったのは記憶に新しい。
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この記事へのコメント
2005.12/08(木)
ドラゴンズのユニホーム[DRAGONS★VICTORY]2005.12/08(木) ごぶさたしてます。[ごえもん]
2005.12/10(土) to奥ヒダさんへ[kane]
2005.12/10(土) toごえもん さんへ[kane]
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