今年、全てのタイトルを獲得する強さを見せたマリーンズ。そのマリーンズがオリオンズからニックネームを変更し新たに生まれ変わった頃の話。
1978年(昭和53年)から使用続けていた川崎球場から千葉マリンスタジアムにフランチャイズを変更すると1991年(平成3年)球団から発表された。それを機に新たなニックネームの公募が行われ結果、20万通を超える応募の中から9000通と3番目に多く寄せられた“マリーンズ”が選ばれた。
翌年の1992年(平成4年)のシーズンから採用されたのが写真のユニホームである。色々なご意見もありましょうが、ボクの第一印象は「ピ、ピンクって、カッチョ悪っ」だった。胸の書体や帽子のマークなど「何てセンスがないのだ」とファンでもないのにガッカリした覚えがある。
この新ユニホームで八木沢監督のもと船出したもののチーム成績は当時の定位置Bクラスをキープ。1995年(平成7年)にはチーム再建のためGMに広岡達朗、監督にボビー・バレンタインを招き体制を一新し、ついでにユニホームも現在も使用されている縦縞のユニホームに変更されることで、結局3年間という短い期間で“ピンクユニホーム”は姿を消してしまった。
今年、10年ぶりに帽子のつばの部分とユニホームの一部にピンクが復活した。「ピ、ピンクって、カッチョ悪っ」とまた同じ感想をもったのも束の間、いつにない快進撃で「悪くないかな?」と思えてしまったからホント不思議だ。
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1978年(昭和53年)から使用続けていた川崎球場から千葉マリンスタジアムにフランチャイズを変更すると1991年(平成3年)球団から発表された。それを機に新たなニックネームの公募が行われ結果、20万通を超える応募の中から9000通と3番目に多く寄せられた“マリーンズ”が選ばれた。

この新ユニホームで八木沢監督のもと船出したもののチーム成績は当時の定位置Bクラスをキープ。1995年(平成7年)にはチーム再建のためGMに広岡達朗、監督にボビー・バレンタインを招き体制を一新し、ついでにユニホームも現在も使用されている縦縞のユニホームに変更されることで、結局3年間という短い期間で“ピンクユニホーム”は姿を消してしまった。
今年、10年ぶりに帽子のつばの部分とユニホームの一部にピンクが復活した。「ピ、ピンクって、カッチョ悪っ」とまた同じ感想をもったのも束の間、いつにない快進撃で「悪くないかな?」と思えてしまったからホント不思議だ。
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2005.11/21(月)
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