ボクのような立派なおっさんでもさすがに西鉄時代の記憶が殆どない。もちろん、黄金期など知る由もなくライオンズに対する入り口は太平洋クラブ時代からだ。子供心に持っていたのは「見かけは派手だけど暗く冴えない球団」というイメージ。「江川に入団を拒否されても当然」と納得させるような有様だった。
振り返れば、主力数選手が野球賭博に絡み八百長を行ったことが発覚した「黒い霧事件」に端を発し、西鉄が球団を手放す意向を示したのが1972年(昭和47年)のこと。そこで買い手が見つからない最悪の境地で手を差し伸べたのが当時のロッテのオーナー中村長芳だった。
「誰も買わないなら、俺が買う!」と個人の資産で買収。「太平洋クラブ」をスポンサーとし新たに船出するが、やはり経営は逼迫し今度は「クラウンライター」に支援を依頼した。しかしあえなく2年でサポートをバンザイしてしまい、中村が奔走のうえ堤氏に働きかけ発足したのが現在に至る西武ライオンズである。
この中村の決断と行動に対して6年間何の支援もしなかった地元福岡の政財界は「九州の外に売るなんて裏切者だ」と非難したが、 今思えばなんちゅー身勝手な意見だ。集客効果の他に「例えチームが沈みかけようとも明るく前を向いて頑張ろう」という思いも込められていたと想像すると、コロコロ変わった当時の奇抜なユニホームの数々が妙にいじらしく見えてくる。
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「誰も買わないなら、俺が買う!」と個人の資産で買収。「太平洋クラブ」をスポンサーとし新たに船出するが、やはり経営は逼迫し今度は「クラウンライター」に支援を依頼した。しかしあえなく2年でサポートをバンザイしてしまい、中村が奔走のうえ堤氏に働きかけ発足したのが現在に至る西武ライオンズである。
この中村の決断と行動に対して6年間何の支援もしなかった地元福岡の政財界は「九州の外に売るなんて裏切者だ」と非難したが、 今思えばなんちゅー身勝手な意見だ。集客効果の他に「例えチームが沈みかけようとも明るく前を向いて頑張ろう」という思いも込められていたと想像すると、コロコロ変わった当時の奇抜なユニホームの数々が妙にいじらしく見えてくる。
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この記事へのコメント
2010.06/04(金)
[nino]2010.06/06(日) [昭和野球小僧]
2010.06/10(木) to ninoさんへ[kane]
2010.06/10(木) to昭和野球小僧さんへ[kane]
2010.07/20(火) リアルタイムではないけど[ユタカ]
2010.07/24(土) toユタカさんへ[kane]
2011.04/08(金) プロ野球同好会(名前検討中[オズマ&村石太マン]
2011.04/10(日) toオズマ&村石太マンさんへ[kane]
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