稲葉 光雄 (いなば みつお)
川上と同じく一昔前にドラゴンズの投手陣の柱がブレーブスに移籍したことがある。もっともこちらは海の向こうのメジャーではなく“阪急”に、だけど…。前々回触れた広瀬らと共にジャイアンツのV10を阻んだ一人で、小柄且つ華奢な体ながらスタミナがあり、落差の大きなカーブを武器に活躍した選手であった。
1948年(昭和23年)、静岡県静岡市生まれ。清水工業高校から日本軽金属へ進み頭角を現し、1968年(昭和43年)に一度カープから6位で指名されるが断り、2年後の1970年(昭和45年)のドラフト会議で今度はドラゴンズから2位指名され晴れてプロの世界に足を踏み入れた。
1年目から1軍に定着し21試合に登板、無傷の6勝を挙げローテーション入りを果たすと、翌年には20勝11敗の好成績を残す。しかし、その後はチームの優勝に貢献する力投を見せるも1桁勝利が続き、1977年(昭和52年)に森本・戸田・大石・小松との交換トレードで島谷・大隅らとブレーブスへ移籍する。
同年17勝6敗と覚醒、最高勝率のタイトルも獲得し以降3年連続を含む4度の2桁勝利をマーク。ブレーブスの黄金時代を支えたが、1984年(昭和59年)に金銭トレードでタイガースに移るも1軍での登板がないままユニホームを脱いだ。引退後はドラゴンズ、ファイターズで投手コーチを歴任、解説者を経て今季より11年ぶりに古巣のドラゴンズへ投手コーチとして復帰する。
【 生涯通算成績 】(実働14年) 331試合登板、104勝80敗、2S、防御率3.44、最高勝率1回
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川上と同じく一昔前にドラゴンズの投手陣の柱がブレーブスに移籍したことがある。もっともこちらは海の向こうのメジャーではなく“阪急”に、だけど…。前々回触れた広瀬らと共にジャイアンツのV10を阻んだ一人で、小柄且つ華奢な体ながらスタミナがあり、落差の大きなカーブを武器に活躍した選手であった。

1年目から1軍に定着し21試合に登板、無傷の6勝を挙げローテーション入りを果たすと、翌年には20勝11敗の好成績を残す。しかし、その後はチームの優勝に貢献する力投を見せるも1桁勝利が続き、1977年(昭和52年)に森本・戸田・大石・小松との交換トレードで島谷・大隅らとブレーブスへ移籍する。
同年17勝6敗と覚醒、最高勝率のタイトルも獲得し以降3年連続を含む4度の2桁勝利をマーク。ブレーブスの黄金時代を支えたが、1984年(昭和59年)に金銭トレードでタイガースに移るも1軍での登板がないままユニホームを脱いだ。引退後はドラゴンズ、ファイターズで投手コーチを歴任、解説者を経て今季より11年ぶりに古巣のドラゴンズへ投手コーチとして復帰する。
【 生涯通算成績 】(実働14年) 331試合登板、104勝80敗、2S、防御率3.44、最高勝率1回
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