原 辰徳 (はら たつのり)
物議を醸したが、結局、若さ、勢いに加え監督経験5年間でAクラス4回、リーグ優勝3回、日本一1回という実績が高く評価され、ジャイアンツの原監督のWBC監督就任が正式に決定した。そこで今回はONの去った後、過大な期待と重責を一身に背負い続けた同氏の現役時代について触れてみようと思う。
1958年(昭和33年)、福岡県大牟田市生まれ。父の東海大相模高監督就任に伴い神奈川県へ転居し自身も同校に入学。春のセンバツに1回、夏に3年連続の計4回甲子園に出場し、通算43本塁打をマークし、東海大に進学後も「長嶋の再来」を期待させるような活躍を見せた。
1980年(昭和55年)のドラフト会議で4球団競合の末ジャイアンツに入団。1年目から開幕スタメンを果たし打率.268、22本塁打、67打点を残し新人王を獲得する。以後4度の3割、12年連続20本塁打以上を記録するなど、「巨人の4番」として物足りないと言われながらも幾度となくチームの勝利に貢献した。
しかし、相次ぐ故障もあって下降線を辿り、1995年 (平成7年)限りで現役を引退。一度退団し解説者を経てコーチとして復帰すると、2001年 よりミスターの後を継ぎ監督に就く。翌年采配1年目にしていきなり日本一を飾るも “人事異動”の名目により2年で解任されるが、2005年 堀内監督の引責辞任に伴い再任され、昨季・今季と見事リーグ連覇を成し遂げている。
【 生涯通算成績 】(実働15年) 1697試合出場、1675安打、382本塁打、1093打点、打率.279、新人王、MVP 1回、打点王1回
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物議を醸したが、結局、若さ、勢いに加え監督経験5年間でAクラス4回、リーグ優勝3回、日本一1回という実績が高く評価され、ジャイアンツの原監督のWBC監督就任が正式に決定した。そこで今回はONの去った後、過大な期待と重責を一身に背負い続けた同氏の現役時代について触れてみようと思う。

1980年(昭和55年)のドラフト会議で4球団競合の末ジャイアンツに入団。1年目から開幕スタメンを果たし打率.268、22本塁打、67打点を残し新人王を獲得する。以後4度の3割、12年連続20本塁打以上を記録するなど、「巨人の4番」として物足りないと言われながらも幾度となくチームの勝利に貢献した。
しかし、相次ぐ故障もあって下降線を辿り、1995年 (平成7年)限りで現役を引退。一度退団し解説者を経てコーチとして復帰すると、2001年 よりミスターの後を継ぎ監督に就く。翌年采配1年目にしていきなり日本一を飾るも “人事異動”の名目により2年で解任されるが、2005年 堀内監督の引責辞任に伴い再任され、昨季・今季と見事リーグ連覇を成し遂げている。
【 生涯通算成績 】(実働15年) 1697試合出場、1675安打、382本塁打、1093打点、打率.279、新人王、MVP 1回、打点王1回
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