池田 純一 (いけだ じゅんいち)
あと1勝届かず9連覇を目指す常勝ジャイアンツに敗れたタイガース。このシーズン、そのせいもあって78試合目の直接対決の舞台で起きた“事故”は、優勝争いの佳境に入る前の出来事であるにも関わらず後に「世紀の落球」と揶揄された。今回はそんなV逸の責任を一身に背負わされた選手を紹介する。
1946年(昭和21年)、熊本県荒尾市生まれ。八代東高校3年時には4番・投手として夏の甲子園に出場し開会式直後の掛川西高戦で延長18回まで投げ合って引き分けるが、再試合で敗れた。その後、ジャイアンツからも誘われるが、1965年(昭和40年)にタイガースへ入団する。
2年間は1軍に定着する事ができなかったが、3年目の1967年(昭和42年) に飛躍、116試合に出場し、以後外野の一角を獲得した。1973年(昭和48年)の8月には先に記したように九回表二死一塁三塁の場面で黒江の放った打球を落球し逆転負けを許してしまい、最終的に0.5ゲーム差で優勝を逃す。
翌年、トレードの噂話が流れる中プレーを続けるが、1976年(昭和51年)には池辺、東田、ラインバックらの加入の他に桑野らの台頭と自身の精神的不安定な状態も相まって大幅な出場減を強いられ、2年後の1978年(昭和53年)限りでユニホームを脱いだ。引退後は球界を離れ洋品店「ラッキーゾーン」を経営していたが、一昨年、くも膜下出血で亡くなった。(享年59)
【 生涯通算成績 】(実働13年) 1092試合出場、686安打、80本塁打、295打点、打率.241
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あと1勝届かず9連覇を目指す常勝ジャイアンツに敗れたタイガース。このシーズン、そのせいもあって78試合目の直接対決の舞台で起きた“事故”は、優勝争いの佳境に入る前の出来事であるにも関わらず後に「世紀の落球」と揶揄された。今回はそんなV逸の責任を一身に背負わされた選手を紹介する。

2年間は1軍に定着する事ができなかったが、3年目の1967年(昭和42年) に飛躍、116試合に出場し、以後外野の一角を獲得した。1973年(昭和48年)の8月には先に記したように九回表二死一塁三塁の場面で黒江の放った打球を落球し逆転負けを許してしまい、最終的に0.5ゲーム差で優勝を逃す。
翌年、トレードの噂話が流れる中プレーを続けるが、1976年(昭和51年)には池辺、東田、ラインバックらの加入の他に桑野らの台頭と自身の精神的不安定な状態も相まって大幅な出場減を強いられ、2年後の1978年(昭和53年)限りでユニホームを脱いだ。引退後は球界を離れ洋品店「ラッキーゾーン」を経営していたが、一昨年、くも膜下出血で亡くなった。(享年59)
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この記事へのコメント
2007.09/06(木)
[-]2007.09/07(金) to無名さんへ[kane]
2007.09/07(金) [シルク]
2007.09/09(日) toシルクさんへ[kane]
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