大会開幕前に行われる組み合わせ抽選を観る度に、かつて北海道の代表に当たったチームから沸いた歓喜にも似た声や拍手が苦い記憶として蘇る。鼻から対戦相手に舐められ、雪による練習不足や暑さを理由に“善戦・惜敗”扱いを繰り返す地元のニュースに辟易し、何度うな垂れた事か数え切れない。
「生きている間に優勝旗が津軽海峡を渡りゃしないわなぁ」などと半ば本気で話していたけど、それを見事に覆してくれたのが駒大苫小牧ナインであり、香田監督だった。一度ならず二度までも、そして三度目の期待さえ持たせてくれたのだからその功績はホント計り知れない。
夢を一途に追い求めた常勝チーム育成への重荷や部員の飲酒・喫煙の発覚なども併せ予てから心身共に疲れ果てていた事が原因での退任。道内外のライバル校や関係者、イーグルスに進んだ田中などから驚きや惜しむ声が広がっている。後任監督には同校野球部のOBでもある茂木氏が就任するようだ。
自身、選手として佐賀商で春夏3度甲子園に出場。1994年(平成6年)には母校のコーチに就き全国制覇も経験している。その蓄積された財産は甲子園出場はおろか優勝の二文字を信じて疑わない強いメンタリティを形成した事は想像に容易い。高校野球史に初めて“北海道野球”の強さを植え付けてくれた功労者。またいつの日か檜舞台に返り咲いて欲しいものである。
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夢を一途に追い求めた常勝チーム育成への重荷や部員の飲酒・喫煙の発覚なども併せ予てから心身共に疲れ果てていた事が原因での退任。道内外のライバル校や関係者、イーグルスに進んだ田中などから驚きや惜しむ声が広がっている。後任監督には同校野球部のOBでもある茂木氏が就任するようだ。
自身、選手として佐賀商で春夏3度甲子園に出場。1994年(平成6年)には母校のコーチに就き全国制覇も経験している。その蓄積された財産は甲子園出場はおろか優勝の二文字を信じて疑わない強いメンタリティを形成した事は想像に容易い。高校野球史に初めて“北海道野球”の強さを植え付けてくれた功労者。またいつの日か檜舞台に返り咲いて欲しいものである。
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この記事へのコメント
2007.08/21(火)
本当に…[タイタン]2007.08/22(水) toタイタンさんへ[kane]
2007.08/22(水) [素朴な疑問]
2007.08/26(日) [素朴な疑問]
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2007.08/22(水)
香田監督退任 正式発表2007.09/06(木) 裏々人気ブログランキングサイト