河埜 和正 (こうの かずまさ)
ボクが憧れていたプレーヤーの一人だ。V9メンバーの補強要員第1号として1軍に引き上げられ、黒江、広岡ら歴代の名手を凌ぎ、地味ながら16年間の長きに亘りジャイアンツのショートを守り抜いた選手である。首を突き出すような独特な格好からプレーする事から「カメ」というニックネームで呼ばれていた。
1951年(昭和26年)、愛媛県八幡浜市生まれ。中学時代はバレーの名アタッカーとして鳴らし愛媛大会で優勝も経験するが、八幡浜工に進んだ2年の時に野球部に転部。短期の実動に関わらず高い素質を開花させ1969年(昭和44年)にドラフト6位でジャイアンツに入団する。
入団1、2年目は数試合だけ1軍を経験するが、3年目の1973年(昭和48年)に持ち前の「鉄砲肩」がファームで注目を集め再昇格。翌年より引退した黒江の後釜としてショートのポジションを獲得し、1974年(昭和49年)にはダイヤモンドグラブ賞を受賞、自己最高打率.294を記録した1977年(昭和52年)にはチームのリーグ優勝に大きく貢献しベストナインにも選ばれている。
1986年(昭和61年)、故障や若手の台頭などもあり僅か43試合の出場に終わると、この年限りでユニホームを脱ぎ退団。野球解説者を経て1990年(平成2年)よりジャイアンツの2軍コーチに就任し、一度解説者に復帰するも、2004年より再び2軍の守備・走塁コーチに就いている。通算115本塁打はジャイアンツの歴代遊撃手として広岡の残した117本に次ぐ記録である。
【 生涯通算成績 】(実働16年) 1430試合出場、1051安打、115本塁打、416打点、打率.251
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ボクが憧れていたプレーヤーの一人だ。V9メンバーの補強要員第1号として1軍に引き上げられ、黒江、広岡ら歴代の名手を凌ぎ、地味ながら16年間の長きに亘りジャイアンツのショートを守り抜いた選手である。首を突き出すような独特な格好からプレーする事から「カメ」というニックネームで呼ばれていた。

入団1、2年目は数試合だけ1軍を経験するが、3年目の1973年(昭和48年)に持ち前の「鉄砲肩」がファームで注目を集め再昇格。翌年より引退した黒江の後釜としてショートのポジションを獲得し、1974年(昭和49年)にはダイヤモンドグラブ賞を受賞、自己最高打率.294を記録した1977年(昭和52年)にはチームのリーグ優勝に大きく貢献しベストナインにも選ばれている。
1986年(昭和61年)、故障や若手の台頭などもあり僅か43試合の出場に終わると、この年限りでユニホームを脱ぎ退団。野球解説者を経て1990年(平成2年)よりジャイアンツの2軍コーチに就任し、一度解説者に復帰するも、2004年より再び2軍の守備・走塁コーチに就いている。通算115本塁打はジャイアンツの歴代遊撃手として広岡の残した117本に次ぐ記録である。
【 生涯通算成績 】(実働16年) 1430試合出場、1051安打、115本塁打、416打点、打率.251
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この記事へのコメント
2007.08/19(日)
カメさん。[Shin]2007.08/19(日) to Shinさんへ[kane]
2007.08/20(月) 河埜さん[シルク]
2007.08/21(火) toシルクさんへ[kane]
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