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大下 弘 (おおした ひろし)

ここまで時代を遡る記事を数日綴り続けるとボク自身も更に輪をかけて耳年寄りなること請け合いである。世代的にはこれまた現役時代の記憶がない“歴史上の人物”、「♪リンゴの歌」の歌詞をヒントに戦後川上の赤バットに対抗して自前で青ペンキを吹き付け「青バット」を作ったという逸話を持つ人物だ。

大下 弘1922年(大正11年)、台湾生まれ。台湾の高雄商から明治大学に進学しそこで召集を受け陸軍航空隊員となる。1945年(昭和20年)、終戦によって復員するといち早くセネタースから声がかかり入団、2ヶ月後の11月には東西対抗戦でデビューを果すといきなり6打数3安打と活躍、翌年には当時の日本記録となる20本塁打を放つ。

1947年(昭和22年)には新しく誕生した球団、東急で打率.315、17本塁打で二冠王に、1949年(昭和24年)の大陽戦では7打席連続安打を達成しゲーム最多安打の日本記録を樹立、また翌年からは2年連続首位打者に輝くなど非凡な打撃センスを見せ続けた。1952年(昭和27年)には先日書いた三原監督率いる西鉄に移籍し2年後の1954年(昭和29年)に打率.321、22本塁打、88打点の活躍で初優勝に大きく貢献しMVPに選ばれる。

1959年(昭和34年)、打率.303を残すも余力を持って現役を引退。阪急のコーチを経て1968年(昭和43年)、「ノーサイン、ノー罰金、ノー門限」の三無主義を唱え、東映の監督に就任したがシーズン途中の80試合で退任する。

「日本の打撃人を五人挙げるとすれば、川上、大下、中西、長島、王。三人に絞るとすれば、大下、中西、長嶋。そして、たった一人を選ぶとすれば、大下弘」。西鉄時代の恩師でもある三原脩がその天才ぶりを認め残した言葉である。

【 生涯通算成績 】(実働14年) 1547試合出場、1667安打、201本塁打、861打点、打率.303、首位打者3回、本塁打王3回、最多安打1回、MVP 1回

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この記事へのコメント
2006.04/07(金) 球道徒然草~大下弘日記[破壊王子]
2006.04/08(土) to破壊王子さんへ[kane]
2006.04/10(月) はじめまして[ブレイズ4]
2006.04/11(火) toブレイズ4さんへ[kane]
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2006.04/06(木) ファイターズ ダルビッシュ有! プロ初完封勝利!!