球史に残る名選手 ― (11) 【特別編】
藤田 元司 (ふじた もとし)
昨年12月の仰木氏に続いてジャイアンツの一時代を築くエースだった亡き藤田氏の現役時代の足跡を振り返る。
1931年(昭和6年)愛媛県生まれ。西条北高等学校から慶應大、日本石油を経て1957年(昭和32年)
慶應大の大先輩でもあった水原監督に半ば強引に誘われて入団する。
大学時代はエースとして通算31勝を記録したが、1956年(昭和31年)都市対抗で優勝するまで1度も優勝経験がなかったため「悲劇のエース」と呼ばれた。
プロでは1年目から水原監督の期待に応えて17勝を挙げ新人王に輝くと2年目、3年目も29、27勝をマークし2年連続MVPを獲得する。第3期黄金時代のエースとして自他共に認める存在でありながら、西鉄の稲尾、南海の杉浦の力投に屈し日本一を逃す苦い経験を持つ。
入団4年目の1960年(昭和35年)にはオーバーワークから肩を痛め、キャッチボールも満足に出来ないほどの状態になり治療後に復帰。翌年から川上監督の下プレーイングコーチとしてマウンドに立つがかつてのピッチングはできず8年目の1964年(昭和39年)のシーズンを最後に33歳の若さで太く短い現役を終える。平成8年に殿堂入り。
【 生涯通算成績 】(実働8年) 364試合登板、119勝88敗、防御率2.20、最多勝1回、最高勝率2回、新人王、MVP 2回
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藤田 元司 (ふじた もとし)
昨年12月の仰木氏に続いてジャイアンツの一時代を築くエースだった亡き藤田氏の現役時代の足跡を振り返る。

慶應大の大先輩でもあった水原監督に半ば強引に誘われて入団する。
大学時代はエースとして通算31勝を記録したが、1956年(昭和31年)都市対抗で優勝するまで1度も優勝経験がなかったため「悲劇のエース」と呼ばれた。
プロでは1年目から水原監督の期待に応えて17勝を挙げ新人王に輝くと2年目、3年目も29、27勝をマークし2年連続MVPを獲得する。第3期黄金時代のエースとして自他共に認める存在でありながら、西鉄の稲尾、南海の杉浦の力投に屈し日本一を逃す苦い経験を持つ。
入団4年目の1960年(昭和35年)にはオーバーワークから肩を痛め、キャッチボールも満足に出来ないほどの状態になり治療後に復帰。翌年から川上監督の下プレーイングコーチとしてマウンドに立つがかつてのピッチングはできず8年目の1964年(昭和39年)のシーズンを最後に33歳の若さで太く短い現役を終える。平成8年に殿堂入り。
【 生涯通算成績 】(実働8年) 364試合登板、119勝88敗、防御率2.20、最多勝1回、最高勝率2回、新人王、MVP 2回
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この記事へのコメント
2006.02/11(土)
ぬりかべ~[ぬりかべ]2006.02/11(土) [さよならんなー]
2006.02/11(土) 藤田監督のトリビア?[破壊王子]
2006.02/11(土) toさよならんなさんへ[kane]
2006.02/11(土) to破壊王子さんへ[kane]
2006.02/11(土) 藤田さん[妃垣俊吾]
2006.02/12(日) to妃垣俊吾さんへ[kane]
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2006.02/12(日)
藤田元司死去