ジョン・シピン (John Sipin)
昨日書いたオレンジユニホーム時代の印象に残る選手としてシピンの名前をあげるコメントをもらい「おおっ、そうかぁ」てなことで取り上げることにした。髭面がトレードマークの容貌からホエールズ在籍中は「ライオン丸」と呼ばれてたっけ。
1946年8月29日、米国 カリフォルニア州出身。1969年パドレスで68試合出場しただけの25歳と若い無名の選手だったが、同年入団するもう一人の助っ人ボイヤーに連れられて来日した。1972年(昭和47年)、1年目から120試合に出場し打率.279、22本塁打の成績を残す。
2年目以降は更に日本の野球に順応し、常に3割・30本・70~80打点を記録する安定した活躍を見せクリーンアップの一角を勤めた。打撃もさることながら、今ではありえないヘルメットを被ったまま二塁に着いた守備もそこそこで、ダイヤモンドグラブを獲得したこともある。
しかし、活躍の裏でお目付け役のボイヤーが退団したのを機に元来の暴走癖が出てしまい球団から解雇を言い渡される。その後直ぐに実績を買われジャイアンツに入団し、1978年(昭和53年)から同じ二塁手として起用されるが、成長著しい篠塚がいたために慣れない外野に回される機会もあった。
髪を切り、髭をそって見た目の荒々しさは無くなったものの性格までは改まらず、移籍1年目に、元同僚のホエールズ門田、スワローズ鈴木の死球を巡っての乱闘事件を起こし首脳陣やナインの人望を落としたこともあってか3年目にケガなどで数字が下降すると“また”あっさり解雇されてしまった。
【 通算成績 】(実働9年) 1036試合出場、1124安打、218本塁打、625打点、打率.297
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昨日書いたオレンジユニホーム時代の印象に残る選手としてシピンの名前をあげるコメントをもらい「おおっ、そうかぁ」てなことで取り上げることにした。髭面がトレードマークの容貌からホエールズ在籍中は「ライオン丸」と呼ばれてたっけ。

2年目以降は更に日本の野球に順応し、常に3割・30本・70~80打点を記録する安定した活躍を見せクリーンアップの一角を勤めた。打撃もさることながら、今ではありえないヘルメットを被ったまま二塁に着いた守備もそこそこで、ダイヤモンドグラブを獲得したこともある。
しかし、活躍の裏でお目付け役のボイヤーが退団したのを機に元来の暴走癖が出てしまい球団から解雇を言い渡される。その後直ぐに実績を買われジャイアンツに入団し、1978年(昭和53年)から同じ二塁手として起用されるが、成長著しい篠塚がいたために慣れない外野に回される機会もあった。
髪を切り、髭をそって見た目の荒々しさは無くなったものの性格までは改まらず、移籍1年目に、元同僚のホエールズ門田、スワローズ鈴木の死球を巡っての乱闘事件を起こし首脳陣やナインの人望を落としたこともあってか3年目にケガなどで数字が下降すると“また”あっさり解雇されてしまった。
【 通算成績 】(実働9年) 1036試合出場、1124安打、218本塁打、625打点、打率.297
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この記事へのコメント
2006.01/23(月)
[baysam00]2006.01/23(月) to baysam00さんへ[kane]
2006.01/24(火) 続・大洋ネタですね。[ごえもん]
2006.01/27(金) toごえもんさんへ[kane]
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2006.02/03(金)
なつかしの選手!ジョン・シピン