東映から日拓ホームが球団経営権を買い取り、1973年(昭和48年) 日拓ホームフライヤーズが誕生した。この頃パリーグは人気獲得のため前後期制を導入しており、前期5位の成績で終わった球団は何を思ったか、後期に奇策とも言える“レインボーユニホーム”を採用した。名付けて「カラー作戦」なるものだ。当時の記事には〈7種類のハデなユニホームで対戦相手を翻弄しようという新アイデア〉とある。(下の写真は5種類しかないけど) うわさでは「今日、どのユニホーム着るんだっけ?」などと確認する会話が選手間であったようだ。
「フフッ、まんまと翻弄されやがって」てなこともないだろうけど後期はこの「カラー作戦」の効果(?)もあってか土橋監督のもと一応3位をキープした。
しかし、そこそこの成績を修めたにも関わらず「球団をオモチャにした」などの理由もあってたった1年で現在の日本ハムへ身売りとなってしまう。それにしても、発想はユニークだけど突飛なことを考えたものだ。ユニホーム代も高くついただろうに。
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しかし、そこそこの成績を修めたにも関わらず「球団をオモチャにした」などの理由もあってたった1年で現在の日本ハムへ身売りとなってしまう。それにしても、発想はユニークだけど突飛なことを考えたものだ。ユニホーム代も高くついただろうに。
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