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球史に残る名選手 ― (6) 【 特別編 】

仰木 彬 (おおぎ あきら)

あまりのショックでコメントできずにいるイチローの様子、TVカメラを前に目を真っ赤にしてインタビューに答える田口、ハンカチで涙を抑える吉井の姿、その他には各界の人から寄せられたメッセージなどが昨夜からの今朝にかけも各媒体で伝えられている。現役時代、輝かしい記録こそないものの今日は周りに愛されてやまないその仰木氏の現役時代について。

選手・仰木福岡県東筑高時代、夏の甲子園に4番・投手として出場。初戦で浪商に敗れるもその素質を買われ1954年(昭和29年)、「超大物」投手として西鉄ライオンズに入団する。しかし島原のキャンプ中、フリーバッティングで不運なヒットを打たれるルーキーの仰木の姿を見て、当時の三原監督が「投手として運がない」と判断、その場で瞬時に野手への転向を命じ二塁手・仰木が誕生したという。

マスコミから「野獣の群れに貴公子が紛れ込んだ」と評するほど端正な顔立ちだったため女性に人気が高く、“グラウンド外で何をしようが、試合で結果を出せば良し”としていた三原監督にさえも「仰木と豊田だけは遊びに制限をかけんといかん」と言わしめたほどの遊び人だったらしい。

チームの若返りを策すため1年目から1番・二塁に抜擢され、翌年からは主に7番を打ち続けた。1試合で6安打記録するなど、状況に応じた器用なバッティングと堅実な守備で1960年(昭和35年)にはベストナインに選ばれている。決して目立ちはしないが、西鉄黄金時代になくてはならないユーティリティープレイヤーだった。

【 生涯通算成績 】(実働14年) 1328試合出場、800安打、70本塁打、326打点、打率.229

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2005.12/18(日) [ごえもん]
2005.12/18(日) toごえもんさんへ[kane]
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