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NPBが国際試合を意識し飛距離を抑える等を目的に2011年から導入した統一球を今季から「微調整」したことを認めた。個々の選手はもちろん球団サイドに一切伝えられていなかった事実が発覚し球界に大きな衝撃が走る中、今日 駐米大使まで務めプライドだけ必要以上に高い爺さんが会見に臨んだ。

開き直る加藤コミッショナーあ然、ぼう然の釈明である。コミッショナーと称する加藤くんから「仕様の変更を知らなかった」と逆ギレにも見える驚きの発言。混乱を招いたことへの謝罪の言葉は口にしたが、「これは不祥事ではない」と開き直り、説明責任はおろか誠意すら見せず辞意を否定した。

そもそも「知らなかった」では済まされる問題ではない。相談もなく事務局だけで決めたことを主張して何になる??プロ野球の最高責任者であり、統一球を自ら主導して導入したにも関わらず、変更の事実を知らなかったとすれば、それこそが大問題だ。NPB自体が統括機関として機能を失っていることになる。

部下に責任を丸投げし自分の保身を考えるような人物が頂点にいるとは言葉を失う。これで加藤くんの球界での求心力が一層低下したのは間違いない。選手はそれこそ命がけでプレーしている。常に選手の立場に立ちファンを大切にする機構であって欲しいと思うが、ホントーに情けないったらありゃしない。

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斉藤 明夫 (さいとう あきお)

戦前の予想を裏切りここまで首位を快走するマリーンズ。今季からその好調のチームを支える一旦となる投手陣の指導にあたっているのが今回紹介する人物である。大洋・横浜大洋・横浜すべての時代で公式戦出場した唯一の選手で、低迷を続ける中でストレートとスローカーブを武器に長きに亘り活躍した。

斉藤明夫1955年(昭和30年)京都府生まれ。花園高校では中堅手として選抜大会に出場。その後阪商業大に進み本格的に投手に転向すると通算30勝17敗、防御率1.70、324奪三振の成績を残し、その評価から1976年(昭和51年)のドラフトでホエールズから1位指名され入団する。

開幕から一軍に登録されローテーションの一角を担い8勝をマークし、梶間、西本らを押し退け見事新人王を獲得。1981年(昭和56年)から抑えに転向し5勝15敗10セーブを挙げ、翌年には当時リーグ最多記録となる30セーブを達成、その後も最優秀救援投手を2度獲得するなど下位に沈むチームを支え続けた。

1988年(昭和63年)には右膝半月板を損傷し先発に再転向し史上3人目の通算100勝100セーブを達成。1993年(平成5年)から投手兼任コーチに就任するも持病の右膝痛が悪化し現役から退いた。引退後は解説者・ベイスターズの投手コーチ等を歴任、今季よりマリーンズの一軍投手コーチに就いている。

【 生涯通算成績 】(実働17年) 601試合登板、128勝125敗、133S、防御率3.52、最優秀防御率1回、最優秀救援投手2回

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我がファイターズには主力選手が抜けると翌シーズンに優勝するというジンクスがある。それを象徴していたのが'07年。前年、44年振りに日本一に輝いたが、オフに新庄・小笠原・岡島が退団しても連覇し、'09年もマイケル中村、そして昨年はダルビッシュを放出しながらもしっかりペナントレースを制している。

悩める栗山監督3度に渡る驚異の再生力は決して偶然ではない。例年いたら使わざるを得ない一軍半クラスの選手を大幅にリストラし、若手を一気に使って一気に育てることを断行。主力が穴を嘆くよりも、若手を思い切って使える環境を優先して整えたからこそ成し得た結果のように思う。

昨年オフ、今度は糸井と賢介がチームを去った。二人共、打撃・守りの両面で中心的な存在だっただけに致命傷になりかねない状況だけど今回も計算尽くで大丈夫なのだ!と無理に前向きでいた。糸井がいれば大谷や谷口らの出場機会が減るし、賢介の後釜は西川である程度いけるはずだ、、と。

ただ、思惑と外れ実際は予想以上にカバーできずにいる。大谷は二刀流の影響で中途半端な起用、期待の谷口は結果を残せず早々に二軍落ち、今まで守りの野球の要として支えてきた投手陣は崩壊寸前、最下位に沈む原因を挙げたら両手でも足りない。4度目のジンクス達成とは言わない、まずは「らしさ」を取り戻し、少しでも希望を持たせる戦いをして欲しい。

大谷くんがプロ初勝利を飾った今日をきっかけに、頼みます。

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