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ボクにとっての“夏の風物詩”のひとつ「オールスター」が終わり、いよいよ明日から折り返しの後半戦が始まる。既にどのチームも概ね90試合前後を消化しており、残り50~60試合といったところだが、我がファイターズにおいては46勝46敗2分とまったくの五分の状態にあり、正にゼロからの再スタートとなる。

セ6球団・復刻ユニシリーズ

もちろん個人的には「パ」の方が気になるけど、ここにきて「セ」も違った意味で注目せざるを得ない強力な揺さぶり策を講じてきた。それは「ユニフェチ(野球だけです)魂」にメラメラと火を点す誠に喜ばしいアイディアで、今後毎年続けて行く予定の「グレートセントラル」なる6球団合同イベントの企画なのである。

題して「オールド・ユニホーム・シリーズ」!8月17~19日と同24~26日の各3連戦、計6カード18試合で行われ、ジャイアンツはリーグが誕生した当時のもの、タイガースは戦後早々の「大阪」期のものを、スワローズは4度リーグ優勝した験の良い90年代のものを採用する等、選択されたスタイルは様々だ。

遊び心があって素晴らしいったらありゃしないので、できれば敢えて趣向を凝らさず当面「復刻ユニシリーズ」をお願いしたい。リアルタイムで見たことのない古きデザインにもう少し触れてみたいし、「運営される皆々様方、ぜひ ご検討下さいまし」。

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先日、東京六大学野球の立大監督を務め、ミスターら名選手を数々育てたことで知られる砂押邦信氏が腎臓がんで亡くなられた。87歳だった。ボクが敬愛するミスターが言う「大きな野球の師」であり、夜間になってからも硬球に石灰をまぶし、選手を鍛え上げたという「月夜の1000本ノック」でも有名な方である。

砂押氏を囲むミスターと杉浦水戸商業から立大に進み、1950年(昭和25年)に27歳の若さで監督に就任。「鬼の砂押」と恐れられるスパルタ指導で3年後の春にチームを20年ぶりとなるリーグ優勝に導くと、翌年のちにプロ野球で活躍した長嶋、杉浦、本屋敷の入学を機に黄金時代の礎を築き上げた。

しかし、あまりに厳し過ぎたためか部員による“監督排斥運動”が起き退任を余儀なくされ、その後日鉱日立の監督を務め都市対抗野球大会に出場。1961、62年(昭和36、37年)には国鉄スワローズの監督に就き160勝220敗11分というプロでの成績を残し、以後球界を離れ実業界で活躍されていたと云う。

リアルタイムでその勇姿を見たことがないけど、ミスター関連の書籍や再現VTR等に度々登場していたせいでボクの中では大きな存在だった。まったく世代が違うと言うのに杉浦氏の訃報が届いた時と同じくらい寂しい。選手育成の「名伯楽」とも呼ばれていた砂押氏の最高傑作が長嶋茂雄であることに異論を唱える人はいないだろう。また伝説となる人が生まれてしまった。

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遠藤 一彦 (えんどう かずひこ)

今日、ベイスターズの若林オーナーが最下位に沈む状況でありながらも尾花監督の来季以降の続投を明言した。期待された投手陣の再建も三浦の不調や寺原の故障などもあって厳しい状況にあり、「もう一人計算できるピッチャーがいたらなぁ…」と思い、ふと頭に浮かんだのが今回紹介するOB選手だった。

遠藤一彦1955年(昭和30年)、福島県生まれ。学法石川高校から東海大学に進み通算28勝5敗、防御率1.11、200奪三振という非凡な数字を記録。1977年 (昭和52年)のドラフト会議で3位指名を受け翌春より本拠地を移転し新たなスタートを切る横浜大洋ホエールズに入団する。

1年目にシーズン終盤にプロ初勝利を挙げると、翌年ドラゴンズの藤沢に新人王を奪われるも12勝12敗8Sの成績をマーク。その後、1983・84年(昭和58・59年)と2年連続最多勝を飾る等、 2桁勝利を6度記録し、平松の201勝、秋山の193勝に次いで生え抜き投手としては球団歴代3位となる134勝を残した。

1992年(平成4年)、「ホエールズと共に去るのも絵になる」と言い残し“横浜大洋”の終幕と共に現役を引退。一度退団し解説者を経験し、2軍の湘南シーレックスと1軍投手コーチを歴任、現在は再び解説者に就いている。「解っていても打てない」と恐れられていた全盛期のフォークボールはホント圧巻だった。

【 生涯通算成績 】(実働15年) 460試合登板、134勝128敗、58S、防御率3.49、沢村賞1回、最多賞2回

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