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今季のセパ交流戦も終盤を迎えている。昨日(6/9)までの戦績はパの71勝47敗4分、実に貯金「24」と例年以上にセ・リーグを大きく上回っており、おかげで少ないながらも懸命に貯金をつくるファイターズの状況はちーっとも変わらない。同一リーグのチームがこれだけ上位を独占してはそりゃ無理もない話しだ。

勝ち続けるパの各球団ご存知の通り、過去5年間 マリーンズ×2回、ファイターズ×1回、ホークス×2回、と全てパ・リーグが交流戦を制している。ボクの子供の頃はオールスターゲームの対戦成績から「人気のセ・実力のパ」と言われていたが、数十年経っても未だにそれを否定できない状態だ。

いや、人気の面だってジャイアンツ中心とした一頃の時代からファイターズ(=北海道)、マリーンズ(=千葉)、ホークス(=福岡)を中心とした地域に根づく“分散成功”によって、その差は限りなく接近している。「セ・リーグと比較してパ・リーグの方が個々の力をぶつけ合うメジャーに近い」と評価するファンも少なくなく、その辺も魅了している要因になっているかもしれない。

また、そう考えると「交流戦でのパ優位の原因はセの各チームが柔軟性に乏しいデータ野球に固執し過ぎている」という一部の解説者の意見とも合致する。なにはともあれ、ファイターズファンのボクにとってはパ・リーグが強いのは嬉しいことだが、さすがに今年のようでは困る。「うち以外はしっかり叩いてくれよぉ、セの皆さん!」てな感じである。あぁ、浮かべない…。

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ボクのような立派なおっさんでもさすがに西鉄時代の記憶が殆どない。もちろん、黄金期など知る由もなくライオンズに対する入り口は太平洋クラブ時代からだ。子供心に持っていたのは「見かけは派手だけど暗く冴えない球団」というイメージ。「江川に入団を拒否されても当然」と納得させるような有様だった。

ライオンズ迷走時代ユニホーム振り返れば、主力数選手が野球賭博に絡み八百長を行ったことが発覚した「黒い霧事件」に端を発し、西鉄が球団を手放す意向を示したのが1972年(昭和47年)のこと。そこで買い手が見つからない最悪の境地で手を差し伸べたのが当時のロッテのオーナー中村長芳だった。

「誰も買わないなら、俺が買う!」と個人の資産で買収。「太平洋クラブ」をスポンサーとし新たに船出するが、やはり経営は逼迫し今度は「クラウンライター」に支援を依頼した。しかしあえなく2年でサポートをバンザイしてしまい、中村が奔走のうえ堤氏に働きかけ発足したのが現在に至る西武ライオンズである。

この中村の決断と行動に対して6年間何の支援もしなかった地元福岡の政財界は「九州の外に売るなんて裏切者だ」と非難したが、 今思えばなんちゅー身勝手な意見だ。集客効果の他に「例えチームが沈みかけようとも明るく前を向いて頑張ろう」という思いも込められていたと想像すると、コロコロ変わった当時の奇抜なユニホームの数々が妙にいじらしく見えてくる。

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