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松本 匡史 (まつもと ただし)

ファイターズの絶不調から一時目を逸らし、約4ヶ月ぶりに「球史に―」なのだ。昨日、左太腿裏を痛めて1軍登録を抹消された松本だが、ボクの中では「巨人の松本」と言えば走塁の際砂が入るのを防ぐために上下が一体になった特注ユニホームをまといグラウンドを駆け巡っていた「青い稲妻」の方なのである。

松本匡史1954年(昭和29年)兵庫県尼崎市生まれ。報徳学園から早稲田大学に進み持ち前の脚力でリーグの盗塁記録を塗り替える活躍を見せチームの優勝に貢献。卒業後は日本生命に進む予定だったが1976年(昭51年)のドラフト会議でジャイアンツから5位で指名され入団する。

入団当初は右打だったが、1980年(昭和55年)よりスイッチヒッターに転向し翌年から俊足の外野手として柴田の中堅と1番打者を共に引き継いだ。1982、83年(昭和57、58年)には盗塁王を獲得。特に83年には金山次郎(ロビンス)の持つ記録を実に33年ぶりに破るリーグ最多の76盗塁をマーク。70盗塁を残したカープの高橋慶彦と最後までハイレベルな争いを演じた。

1981年(昭和56年)から3年連続ゴールデングラブ賞を受賞するが、その後ドーム球場の完成に伴う強肩外野手の補強策から事実上戦力外となり1987年(昭和55年)限りでユニホームを脱いだ。引退後は解説者を経てジャイアンツの守備走塁コーチ・2軍監督・スカウトを歴任、2006年には野村監督の下イーグルスでヘッドコーチを務めたが現在は再び解説者に就いている。

【 生涯通算成績 】(実働10年) 1016試合出場、902安打、29本塁打、195打点、打率.278、盗塁王2回

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すっかり月に一度だけ更新する月刊コラムばりのペースになってしまった。改めて記事を下にスクロールして見るってーと未だに小谷野の年賀状画像が、「…」。近年稀に見る仕事の忙しさが何たって一番の原因だけど、加えてファイターズの予想以上の不調がテンションを下げさせているのは言うまでもない。

チーム今季初のマルチ本塁打26試合を消化して7勝18敗1分の借金「11」で首位マリーンズとのゲーム差は2桁開きの「10.5」。浮き沈みの激しい打線、中継ぎ・抑えの大不振、故障者の相次ぐ離脱、首をうな垂れ何度ため息をついたことか解ったもんじゃない。暫しなかった感覚を嫌と言う程味わっている。

ただ、以前梨田監督も強気に発言していたように、シーズンが始まってまだ30試合足らずであることがせめてもの救いだ。シーズンの中盤、終盤にこんな状態が続いたのでは目も当てられない。もっとも北海道に来る前のファイターズなら決して珍しくない光景なのに、寄せ抱く期待も贅沢になったものである。

今夜、13安打11得点で今季初めてバファローズを撃破。今季12球団で最も遅い「マルチ本塁打」も飛び出す快勝だった。「孤軍奮闘する賢介に続き不振の中アーチを描いた小谷野、稲葉あたりが覚醒し、投手陣がもう少し整備されれば充分反攻に転じられる!」と、四十肩の痛みを忘れ高々と拳を掲げてた。

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