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関本 四十四 (せきもと しとし)

更新が滞っているせいもあるけど、このカテゴリーの記事を書くのは ほぼ5ヶ月ぶりになる。「さて誰にしよう?」と考えていたところ昨日 会社の同僚が“44”歳の誕生日を迎えたということである選手を思い出した。もの凄い強引ながら「44」の数字で連想する選手と言えばこの人、一時期光を放った投手である。

関本四十四1949年(昭和24年)、新潟県糸魚川市生まれ。糸魚川商工時代から伸びのあるストレートの評価が高く1968年(昭和43年)、ドラフト10位でジャイアンツに入団するが、3年間は打撃投手同然の扱いを受け一軍登坂のない日々を重ねた。(同期にはスワローズの高田監督らがいる)

4年目の1971年(昭和46年)に川上監督の目に留まり背番号を「53」から「20」に変更されローテーションに定着すると10勝、防御率2.28をマーク。最優秀防御率を獲得し若松との新人王争いを制する。しかし、1976年(昭和51年)には加藤初、伊原とのトレードで太平洋に移籍。1977年(昭和52年)にはホエールズへ再び舞台を移すも未勝利のまま翌年ユニホームを脱いだ。

引退後は野球解説者を経て1986年(昭和61年)から6年間ジャイアンツの1軍投手コーチに就き一度退団し現場を離れる。その後、2004年に今度は2軍の投手コーチとして復帰。2006年からは3度目の評論活動を開始し現在に至るが小気味の良い解説で個性を発揮、人気を博している。名前の「四十四」は、関本の父が44歳の時に生まれたことに由来しているらしい。

【 生涯通算成績 】(実働11年) 166試合登板、27勝41敗、1S、防御率3.14、新人王、最優秀防御率1回

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