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工藤 幹夫 (くどう みきお)

昨季とは打って変わって打線は好調なれど、投手陣の不安を拭えないファイターズ。ダルビッシュを除くと先発陣の防御率が6.06になってしまう有様で、「あと一人計算できる柱がいれば」と思いつつ昔購入した特集号をめくる中に今回紹介する選手を見つけた。ほんの一瞬大きな輝きを放った投手だったなぁ。

工藤幹夫1960年(昭和35年)、秋田県生まれ。本荘高校から1978年(昭和53年)にドラフト2位でファイターズに入団しフォームを改造。米国留学で落ちるカーブを習得すると1980年(昭和55年)にイースタンリーグで最多勝に輝き、翌年から1軍に定着し日本シリーズでも見事に2勝を挙げる。

1982年(昭和57年)には先発として20勝4敗、防御率2.10で最多勝・最高勝率・ベストナインに輝く。この年の9月に右手小指を骨折するも前期覇者のライオンズとのプレーオフに登板し唯一の勝利をもたらし、翌年もシーズン途中まで8勝を挙げていたものの9月に右肩を痛めその後1軍から遠ざかってしまう。

1986年(昭和61年)に軟骨摘出のため右肩にメスを入れることを決断、野手に転向し再起を賭けるも1軍へ上がることなく10年間の現役生活に別れを告げた。現在は故郷でスポーツ店を経営しながら少年野球の指導にあたり、社会人野球チームの「由利本荘ベースボールクラブ」の監督兼投手を務めている。

【 生涯通算成績 】(実働5年) 78試合登板、30勝22敗、防御率3.74、最多勝1回、最高勝率1回

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最後まで諦めない粘りがある。ノッテいるチームはこんなもんだと客観的に思っていたところに仙台に住むイーグルスファンのSくんから「さすがですね、うちとは違います」といった電話が入った。「いやいや、まだ4月だからさぁ~」などと応えながらも、おかげですっかり調子づいてしまい以来頬の緩みが直らない。

5連勝で単独首位ファイターズがライオンズを3タテし、5連勝で貯金を「4」とし梨田監督就任後初の単独首位に躍り出た。このカードも11、10、14本を放ち今季14試合目にして11度目の2ケタ安打を記録、これでチームのトータル安打が164本となり、昨年4月の174本を早くも抜きそうな勢いだ。

そんな好調打線の中でも前回も触れた金子誠がやはり一際目を引く。昨日も9回に逆転の適時打を含む3本の二塁打をマック、いやマーク。今季26安打中 実に約半分の12本目を数える活躍からスポーツ新聞各紙に「ミスターダブル」とさえ命名され、未だ12球団でただ1人打率5割台をキープしている。

稲葉、小谷野、高橋も打率10傑入りし、2軍で本塁打を量産する中田と鵜久森の昇格話がかき消される程の状態。加えて宮西、菊池、谷元らの中継ぎ陣も安定感を見せ始めており、ここまでは及第点の戦いぶりだ。GWに入らなければ楽しめない札幌の桜、まずはそこまで満開に咲き続けて欲しいものである。

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マックこと金子誠が絶好調だ。開幕から10試合連続安打、打率は両リーグトップの.528、打点14、出塁率.514、長打率は実に.944という圧倒的な数字を残し一度も譲ることなく首位打者の席に座り続けている。3割超えがズラリと並ぶ12球団No.1の打線はマックの牽引力によるものと言っても過言ではない。

金子誠、日本新達成左足股関節痛に悩まされ苦しいシーズンとなり、96試合に出場し打率.216、本塁打2本と本来の力を発揮できなかった昨季と比べると雲泥の差だ。痛みが緩和していると聞くが俄かに信じられない成績、そこにもってきて今度はサラリと“日本新記録”をやってのけてしまった。

 「周囲が二塁打とうるさいのでどうしても打席で意識してしまったけど、無死満塁だから考える余裕がなかった」と絶好のチャンスが邪念を消したようで、逆転適時打のおまけが付いたプロ野球新記録となる『7戦連続二塁打』を達成。本塁打とは違いいささか地味だけど素晴らしい達成だったらありゃしない。

二岡の加入が決定した際、「金子と小谷野に与える影響力は計り知れない」なーんて偉そうなことを書いたが、小谷野も負けじと打ちまくり 今のところ正にその通りになっている。刺激され奮い立った16年目のベテランは“恐怖の9番打者”として暫く君臨しそうな勢いである。大きく沈まず、ある程度コンスタントにこの調子を維持できれば、4月の月間MVPも見えてきそうだ。

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真弓 明信 (まゆみ あきのぶ)

開幕後、4番に座わるアニキが好調を維持し牽引しても今ひとつ調子に乗れないタイガース。今回はそのタイガースの監督に今季より就任した人物の現役時代について書いてみる。1番打者でありながらクリーンナップを凌ぐ成績を残し「史上最強の1番打者」や「脅威の核弾頭」等と呼ばれた選手であった。

真弓明信1953年(昭和28年)、福岡県大牟田市生まれ。柳川商高では若菜(のちにライオンズ・タイガースでチームメイト)と同期であり、若菜が西鉄に入団する中 電電九州に進み1972年(昭和47年)のドラフトで西鉄改め太平洋クラブに3位で指名され、晴れてプロの世界に飛び込んだ。

米国の教育リーグに留学後の1975年(昭和50年)に当時の江藤監督に才能を見出され一軍へ定着し、1977年(昭和52年)からは遊撃手のレギュラーを獲得。翌年ベストナインにも選出されたが、1979年(昭和54年)に田淵・古沢との交換トレード要員の一人として若菜・竹之内・竹田と共にタイガースに移籍する。

新天地でも1年目から活躍し、1983年(昭和58年)には岡田の故障に伴い二塁手に転向し打率.353で首位打者に輝く。1985年(昭和60年)には外野手に移り打率.322、34本塁打、84打点の好成績でリーグ優勝・日本一に貢献。1995年(平成7年)には現役を引退した。解説者を経て大阪近鉄の打撃コーチ・ヘッドコーチを経験し今季より古巣タイガースで采配を振るっている。

【 生涯通算成績 】(実働23年) 2051試合出場、1888安打、292本塁打、886打点、打率.285、首位打者1回

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おかげ様で打ちひしがれ涙で枕を濡らした3連敗のショックから多少立ち直ってきた。ゲンキンなものでマリーンズに連勝したことで「おっ、こりゃ今季もそこそこいけるんじゃないの、エエッ!」などと180℃違った明るい気持ちが湧き上がってくる。やはり「勝利」は沈んだ心を癒す何よりの“特効薬”なのである。 

稲葉、3アーチ準本拠地である東京ドームにマリーンズを迎えた2連戦、一昨日は二岡の今シーズン初本塁打を含む3打数3安打の活躍もあって9-1と快勝。そして昨日は稲葉のプロ15年目にして自身初となる3打席連発&1試合3本塁打と小谷野の2本塁打などでで8-7と接戦を制した。

たった5試合の消化ながら ちょいと各チームの状況と見比べると、チーム打率は.313と12球団でトップ、本塁打数9本はドラゴンズの10本に次ぎ2位の成績。一方、防御率は触れたくないトホホ…な数字で典型的な「打高投低」状態だが、貧打に喘いだここ数年来の戦いを思えば嬉しい誤算というものである。

あとはダルビッシュを中心とした投手陣の奮起が待たれる。拮抗したリーグの中から抜け出すのは本来の“らしさ”も必要だ。

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本格的な球春の到来に胸を躍らせ3日間とも札幌ドームに足を運んだ。一度は諦めたチケットだったけど、Wさん、Nさん、Mさんのおかげで全てゲットでき、ほぼ半年ぶりのうっぷんを晴らし堪能するはずが過剰なストレスに苛まれる結果になってしまった。本当はとても更新できるテンションではないのである。(涙)

ファンの声援届かず初戦からダルビッシュ、藤井、スウィーニー共に揃って初回に先制点を与え劣勢状態を繰り返し05年以来4年ぶりの開幕3連敗を喫した。2試合連続2桁安打を放ち珍しくチーム打率が3割を超える状態でありながら繋がりを欠き、不安視していた中継ぎ・抑えは早くも崩壊状態だ。

個人的には札幌ドームで通算23勝8敗と相性の良い相手に2勝1敗を目論んでいたが、ちょいと甘かった。開幕前の順位予想で何人かの解説者から最下位に位置づけられたことに対し「くぬやろーッ」と思ってはみたものの、確かにこんな内容の悪い試合を続けていては「仰るとおりです」と認めざるを得ない。

熱心なファンの声援は最後まで届かず…。「たかだか、3/144を消化しただけじゃないのぉ」と簡単にわりきれない程ボクにとって開幕ゲームの意味は大きかったが、いつまでもウジウジしていても仕方がない。明日からのマリーンズ戦では気持ちを入れ替え、強く残りかねない“ダメージを一掃”して欲しいものだ。

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大石 大二郎 (おおいし だいじろう)

長く寒い冬も終わり、いよいよ明日からセ・パ両リーグ同時にペナントレースが開幕する。昨季の成績ですっかり評価を高めたうえ戦力補強にも成功したせいか、順位予想では上位に押す解説者が少なくないバファローズ。そこで今回はそのチームを率いて2年目となる監督の現役時代に触れてみたいと思う。

大石大二郎1958年(昭和33年)、静岡県静岡市生まれ。静岡商業高では久保寺(後に南海ホークス・急逝)らと共に2度甲子園に出場し1974年(昭和49年)のセンバツではベスト8に進出。卒業後、亜大に進み1980年(昭和55年)のドラフト会議で2位指名され近鉄バファローズに入団する。

1年目は代走や守備固めの機会が多かったが、翌年129試合に出場し打率.274、12本塁打、47盗塁の成績を残し見事新人王を獲得すると、更に翌年には60盗塁をマークし13年間続いていた盗塁王の座を福本から奪取。以降3度の同タイトルに輝き、ファンから「近鉄史上最高の一番打者」と謳われた。

近鉄で日本人初の1億円プレーヤーとなったが、1997年(平成9年)デビュー以来16年続けてきた2桁盗塁が途切れたのを潮時としユニホームを脱いだ。引退後は解説者を経て守備走塁コーチとして古巣の近鉄に復帰。サーパスの2軍総合チーフコーチ、監督と経験を重ね2007年から一軍のヘッドコーチに就き、昨年5月からコリンズ監督の辞任に伴い指揮を執っている。

【 生涯通算成績 】(実働17年) 1892試合出場、1824安打、148本塁打、654打点、打率.274、新人王、盗塁王4回

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