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この年の瀬にボクの周辺環境が激変しようとしている。詳しくは書けないけど、世間に吹き荒れるリストラなる風に呑まれかねない状況になってきたのだ。結構楽観的な性格、且つ自分にある程度自信があるとは言え、改めて否応なしに年齢やスキルを考えさせられては冷や汗をかき重ねる日々を送っている。

メジャーを目指す三井そんな状況だからこそ尚更、ライオンズの三井がポスティングシステムを利用してメジャーに挑もうとする様が己を見つめていない行為に映った。あげくにここに来てマイナー契約なら米国に行かないことを示唆しているというのだから、まったく“身の丈知らず”にも程がある。

何も夢を叶えようとしている姿勢をバカにしている訳ではない。実力や実績の乏しさを充分知りながらも「是が非でも憧れのメジャーリーガーになりたい」といった志がない言動に失望しているのである。ましてや三井は道産子選手、高校時代から応援している分その想いは他の選手よりも大きかったりするのだ。

高3時、ドラフト会議でホークス(当時ダイエー)から4位指名された際に「3位以上でなければ嫌だ」と入団を拒否して社会人野球新日鐵室蘭へ進んだ過去を持つだけに、元々自分の評価を過信する性分かもしれないが「チミは三井であって松坂ではない」。入札がなくても単身でアメリカへ渡るくらいの気概を示せ、おいそれライオンズに残留するのはカッチョ悪すぎるぞ。

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広瀬 宰 (ひろせ おさむ)

何度も書くが、ボクがリアルタイムで観ているドラゴンズの歴史の中で最も印象深いのはジャイアンツのV10を阻んだ与那嶺政権時代である。優勝するのは決まって巨人、巨人、といった頃だけにそりゃもーッ衝撃だった。今回は当時のナインの一人で、一瞬だけ輝きを放った感の強い選手を取り上げようと思う。

広瀬宰1947年(昭和22年)、大分県生まれ。佐伯豊南高から東京農業大学に進み、シュアなバッティングと堅実な守備が認められ、1968年(昭和43年)のドラフト会議でのちに同チームの中軸を長く担い監督にも就いた有藤の1位に続き2位で指名されオリオンズ(ロッテ)に入団する。

入団1年目こそ打率.177ながら守備固めの起用も多く113試合に出場できたものの、以降1、2軍を行き来する状況を重ね、1972年(昭和47年)のオフに江島との交換トレードでドラゴンズに移籍した。新天地で迎える1年目こそ振るわず控えに回る機会が多かったが、2年目の1974年(昭和49年)には遊撃手に定着し自己最多の125試合に出場、優勝にも大きく貢献する。

しかし、翌年オフに梅田との交換トレードでライオンズ(太平洋クラブ)に再び移籍し、目立った数字を残さずも陰ながらチームを支えたが1981年(昭和56年)限りで現役を退く。引退後は同チームのコーチや編成担当を歴任。球界を離れた後、1999年(平成11年)に腎不全のため52歳という若さでこの世を去った。

【 生涯通算成績 】(実働13年) 1090試合出場、564安打、247本塁打、35打点、打率.224

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何度見ても新人選手の入団会見ちゅーのは微笑ましく眩しい。希望に胸を膨らませ、たまに身の丈に合わないビッグマウスが飛び出たりするあたりも初々しく映る。袖を通した真新しいユニホームは学生服を初めて着た時の感覚のように、どこか緊張したりするのだろうか。ぎこちない笑顔が妙に印象的である。

ファイターズ、新入団会見

昨日、ファイターズが札幌市内のホテルで、昨年の多田野に続き今年も海外遠征中でまだ契約を交わしていないドラフト1位指名選手(大野〈東洋大・捕手〉)を欠いての発表を行った。残りの6選手の晴れがましい姿に目を細め、「将来、何人モノになってるのだ?」と考えながら一人一人のコメントに耳を傾けた。

気になる背番号は2位の榊原〈関西国際大・投手〉=「15」、3位の矢貫〈三菱ふそう川崎・投手〉=「33」、4位の土屋〈横浜高・投手〉=「37」、5位の中島(福岡工高・内野手)=〈56〉、6位の杉谷(帝京高・内野手)=〈61〉、7位の谷元(バイタルネット・投手)=〈48〉にそれぞれ決まった。1位の大野は球団から未発表だが、歌藤が付けていた「12」が有力だと思う。

榊原と矢貫には八木や武田勝、宮西のように1年目から戦力としてバリバリ活躍して欲しい。土屋本人はピッチャーとして大成したいようだが、打者として非凡なものがあるので数年の状況を見て転向も充分考えられる。将来振り返った時に「この年は豊作だったなぁ」と思えたら最高だが。さて、結果はいかに。

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毎朝、新聞を広げる度に目に飛び込んでくる「雇用不安」を綴る記事。例外なく大手上場企業もリストラや希望退職者を募るといった具合に厳しい現実を突きつけられる内容があちこちに掲載されているせいか、野球界で断行される戦力外通告がいつになく身近なものに感じてしまう方も少なくないかもしれない。

野口、晴れて入団会見40歳近くになれば本人の意志をよそに尚更その対象になる選手が多い中、来季で20年目のシーズンを迎える37歳のベテラン野口がFAからベイスターズに入団するという快挙(?)を成し遂げた。それも2年総額1億6000万円プラス出来高払いという好条件での契約で、である。

相川のメジャー挑戦が空席を生み、球団との思惑が一致した結果とは言え、正直予想以上の厚遇であるように感じた。年齢、実績を考えると野口にとっては正に渡りに船、失礼な話だが本来ならばFA権を行使しても難しいと言わざるを得ない選手だ。ただ、「活躍する場所さえあればおじさんだってまだまだやれるッ」という励みにもなったりするので当然悪い気はしない。

ドラフト外で入団しスワローズ時代は古田の控え。移籍したファイターズでは一時「ビッグバン打線の恐怖の8番」と謳われたが実松にポジションを奪われ、タイガースに移っても矢野の陰に回った苦労人。ここ数年は若い投手とバッテリーを組むことが多く、ベイスターズでも育成の期待が寄せられている。

必要とされる環境に身を置くことがどれだけ励みになるか、野口ならそれが痛い程解るはず。粋に感じ最後のひと花をパッと咲かせてくれそうで楽しみである。ぜひ、頑張って欲しいなぁ。

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目標はプロの世界で大成することであって希望球団に入ることではないと思うのだが、長野が2年前のファイターズに続きマリーンズの入団もまた拒否する構えらしい。チャンスを与えてくれる球団に感謝し今度こそ迷わず飛び込んで欲しかったが、やはりジャイアンツへの想いはそう簡単に捨て切れないようだ。

長野、再び入団拒否ボクの子供の頃の夢はドラフト会議でパンチョ伊藤氏に名前を読み上げてもらうことだった。当時はミスターがいるジャイアンツを応援していたけど「プロになれるならどこでも良いッ」と思い、各球団のユニホームをまとう自分の姿を思い浮かべては独り悦に入っていたものである。

もちろんプロの世界に手が届くレベルまで行き着いた訳じゃないので当人の気持ちを理解できるはずもないが、「この球団じゃないと入団しないもんね!」と頑なな態度を取り続けるケースを見ると何だか憂鬱な気分になる。自分の置かれている立場がどれだけ恵まれたものなのか客観的に考えられないのだろう、同時に一抹の寂しさを感じてしまうのを常としている。

まだ若いとはいえプロでの生活は短い、ましてや比較的豊作と言われている来年の有望選手が弊害となりジャイアンツに指名されるとも限らない。一念を貫く姿勢に共感を抱く声も少なくないが、長野に対するボクの興味は益々失せて行くばかりだ。三度目の正直はなるか、二度ある事は三度あるとも言うが…。

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屋敷 要 (やしき かなめ)

FA宣言した三浦大輔が条件面で上回っていたタイガースの誘いを断り、結局ベイスターズへの残留を決めた。球団から必要以上に丁重に扱われる一連の動きを見続けたのを機に、過去同チームに長年主力として活躍していたにも関わらず、それとは対極的な処遇を受けた選手がいたことをふと思い出した。

屋敷要1959年(昭和34年)、兵庫県生まれ。三田学園高時代は甲子園出場を果たせなかったものの持ち前の脚力が目に留まり、1977年 (昭和52年)のドラフト会議で6位指名されホエールズに入団する。1年目は1軍出場が僅か9試合ながら、Jr.オールスターでMVPを獲得した。

2年目は主に守備・代走要員として82試合に出場し、翌年の1980年(昭和55年)には転向したスイッチヒッターも板につき中堅のポジションに定着。その後は長打も狙えるアベレージヒッターとして活躍し、1986年(昭和61年)から3年連続で盗塁王にも輝いた。しかし、1993年(平成5年)オフに突然 高木豊らと共に自由契約の対象となり、翌年ジャイアンツに移籍する。

移籍1年目で初めて日本シリーズを経験、ゴールデングラブ賞を5度受賞した堅守などで長嶋監督初の日本一に貢献するも、翌年のシーズン限りでユニホームを脱いだ。引退後はジャイアンツで守備走塁コーチを2度務め、現在は再び解説者に就く傍ら、マスターズ・リーグの東京ドリームスに所属している。

【 生涯通算成績 】(実働18年) 1628試合出場、1146安打、58本塁打、375打点、打率.269、盗塁王3回

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