プロ野球に関することを中心に勝手気ままに感想・意見・思い出話などを綴るサイトです。
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故障者が相次ぐ中、最後まで優勝争いを演じ14勝10敗で交流戦を終えたファイターズ。勝てば連覇という甲子園決戦の当日奇しくもボクは関西にいた。滋賀、京都、神戸と移動している最中にTVやラジオで応援、「こっちで上げる祝杯も悪くないんじゃないのぉ」と色めき立つもその計画は結局叶わなかった。

ボッツ後半戦に弾みをつける意味でも最終戦の白星は欲しかったが、チームの状況を考えれば貯金4の3位とは充分な戦いぶりと言えよう。しかし、ある程度の結果を残しながらもチーム打率だけは相変わらず低迷状態、.245とパ・リーグ最下位のままで不安が残る折り返しとなった。

今後、故障している稀哲の復活などがあるものの稲葉が五輪参戦で不在となれば尚厳しい状況になるのは火を見るように明らか。そこで打線の強化を目論みシーズン半ばにして新外国人ジェイソン・ボッツの獲得と相成った訳だ。27歳と若く、身長198cm・体重113kg、右投・両打、メジャー通算93試合で282打数65安打5本塁打 打率.230を残した選手である。

レンジャーズから4月に戦力外になり傘下の3Aでプレーしていたところで本格交渉、本人も俄然やる気のようでチームの構想ではDHで7番あたりを予定しているらしい。率も気になるが、ここ一番で“長いもの”が打てる期待感を抱かせてくる戦力になれば嬉しいなぁ…。蓋を開けて見なければ解らない助っ人だけど、意外に打線を活性化させる働きを見せるかもしれない。

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日本のプロ野球、アメリカのメジャー、共にそこそこの知識があると思っている。こと日本のプロ野球に関してはカルト的ないらない情報まで押さえており、呆れられる事もしばしばだ。しかし、韓国、台湾はからっきし。未だに両国の球団を全て理解しておらず、ましてやどのチームに誰がいるなど皆目??である。

高津、舞台を韓国へそんな知識が覚束ない舞台に高津が挑むことになった。スワローズから自由契約となりその後カブスとマイナー契約を結び3年ぶりにメジャーへの返り咲きを目指していたが、残念ながら開幕前にバサッと解雇通告。野球を続けたい一心で模索しようやく辿り着いた新天地なのだ。

入団したのはウニ、いや、もといウリ・ヒーローズなる球団。「聞いた事ないぞ」と思いきや1998年以降“4度韓国シリーズを制覇”という華麗なる実績を残すあの現代ユニコーンズの後、民間タバコ会社であるウリ・タバコちゅー企業が3年300億ウォンで命名権を取得し今年から創設されたチームであるらしい。

野村ID野球の申し子の一人、スワローズの黄金期を支えた絶対的ストッパーも今や39歳。個人のスキルを別に「もう戦力として計算できませんッ!」とみくだり半を突きつけられそうな年齢になってしまったが、老け込むにはまだまだ早い。緩急自在のテクニックを駆使しもう一花パッと咲かせて欲しいものである。

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クラブチームに所属する訳でもなく三角ベースに興じるか親父とのキャッチボールに汗する程度にすぎなかったが、ボクが野球を始めたのは小学2年の時である。本格的に野球の道に誘ってくれたのはクラスのリーダー的存在だったDくん。今でも飲んではその話で盛り上がり感謝の気持ちを再確認している。

軟式ボール子供の頃の夢はもちろんプロ野球選手。当時は晩年ながらミスターが人気を独占しており、憧れの眼でその姿に釘付け状態だった。「大人になったら胸毛を生やすぞッ」と真剣に思い、まずはミスターの身長を追い越せとばかりに牛乳をガブガブ飲みまくっていたものである。

効果てき面、勢いあまって身長こそ中学3年でミスターを軽々越せたものの、成長するにつけ客観的に現実を理解しプロ野球選手の夢は自然とフェードダウン、果ては消滅してしまった。「絶対になったる、なれる!」と信じていた気持ちはどこへ、ようはそんな中途半端な想いと実力しかなかったという事なのだ。

急にこんな事を振り返ったのはNくんの息子の話を聞いたからに他ならない。何でも小学1年にして多くの先輩たちを差し置いて試合に出るレベルらしい。寝ても冷めても「野球、野球」、誠に頼もしいったらありゃしない。周りの話しを聞くと正に本物、他人の子供ながら勝手に大いなる期待を寄せたりしている。

「脇目も振らない今の情熱がある限り、将来はファイターズの一員として活躍できるかもしれないぞッ!」などとボクの妄想は膨らむばかりだ。大好きだし楽しい、そんな単純な気持ちを忘れず頑張れよYくん!今のうちサインもらっておこうかなぁ…。

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安田 猛 (やすだ たけし)

一昔前、映画化され人気を博した『がんばれ!!タブチくん!!』という漫画があった。その中で数々の珍妙な魔球を披露する主役顔負けのキャラクターとして大活躍(?)していた選手でもある。プロらしからぬ超スローボールで打者のタイミングを外すピッチングが代名詞となり、多くのファンから親しまれていたなぁ。

安田猛1947年(昭和22年)、福岡県北九州市生まれ。小倉高から早稲田大に進み卒業後に入部した大昭和製紙では都市対抗野球にも出場し橋戸賞を獲得するなどの活躍を見せ、それが目に留まり1971年(昭46年)のドラフト会議でアトムズから6位指名されプロの世界に飛び込んだ。

入団1年目から抜群のコントロールと緩急自在の投球術を擁し50試合に登板、7勝5敗の成績を残し防御率2.08の成績で新人王と最優秀防御率の両タイトルを獲得する。翌年も50試合を超える登板をこなし10勝12敗と負けが先行する結果でありながらも、防御率2.02で2年連続最優秀防御率を獲得した。

1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)まで4年連続2桁勝利をマークし松岡らと共にチームの勝利に貢献する。しかしその後1勝、4勝、と精彩を欠き、勝星を挙げられずに終えた1981年(昭和56年)限りで現役生活に別れを告げた。引退後は投手コーチ、スカウトを経て現在は編成部長の職に就いている。

【 生涯通算成績 】(実働10年) 358試合登板、93勝80敗、17S、防御率3.26、新人王、最優秀防御率2回

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ここ数日の肌寒さで、すっかり体調を崩してしまった。扁桃腺が腫れ体のあちこちの節々が軽く痛むような微熱がある中、「負けてたまるかッ!」とばかり決死の更新である。(んなオーバーな) 「そんな気力があるならもっとマメにアップせーよ」という声が聞こえてきそうだけど、その辺は深く詮索しないで頂きたい。

中田、イースタンで7号アーチさて、更新がままならない環境であれ 札幌ドームへ足を運ぶことはだけは忘れていないボクだが、今シーズンも巡り合わせ良く観戦試合無傷の8連勝中と絶好調だ。しかし、パで2位、交流戦1位という結果にも関わらず、ここに来て表情も強張り焦燥感に覆われ始めている。

原因は武田勝、マイケル、金子、稀哲、に続く信二の戦線離脱。ここまで45試合に出場し打率.295、4本塁打、24打点と貧打に喘ぐ打線の中でも気を吐いていただけに痛いったらありゃしない。代わりに道産子の渡部を1軍に昇格させるも、さすがに穴埋めできる力量ではなく、一層厳しい戦いが予想できる。

こーいった状況になると囁かれるのが中田の1軍昇格待望論だが、梨田監督は「全く考えていない」と断言。更に「稲葉が抜ける北京五輪の頃に上がってきてくれれば…」という前言も撤回し、当面1軍戦力と考えていないことも示唆した。中田にとっては予想だにしていなかった厳しい1年になりそうな雲行きだ。

焦らず、腐らず、めげず、持ち前の打撃力に磨きをかけ、しっかり守備・走塁面もレベルアップして欲しい。上げる時は中途半端な状態ではなく、二度と下に落とさないという首脳陣の「強い想い」の表れだろう。期待があっての叱咤激励と真摯に捉え頑張れ、中田! 故障者の代理では真の評価と言えないし…。

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