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上田 二郎 (うえだ じろう)

すこぶるタイガースの調子がよろしい。投打が噛み合いここまで隙がない見事な戦いを繰り広げている。そこで今日は地味ながら一時代投手陣の柱として活躍したOBを紹介しようと思う。アンダースローから投じるストレートのキレとコーナーを突くカーブに定評があり、ドラゴンズ戦にめっぽう強い選手であった。

上田二郎1947年(昭和22年)、和歌山県田辺市生まれ。南部高時代からエースとして活躍し卒業後東海大学に進学。1年生の時から早くも頭角を表し、4年間で1試合17奪三振を2度記録するなど即戦力として注目を浴び、1969年(昭和44年) ドラフト1位で指名されタイガースに入団する。

当時、甲子園のアイドルと騒がれ人気を博した太田幸治を回避してまで獲得した策が功を奏し1年目から先発ローテーションに定着。27試合に登板し9勝をマークすると4年目の1973年(昭和48年)には22勝14敗の好成績を残しオールスターにも出場、江夏の24勝と共にチームの勝利に大きく貢献した。

その後も先発の一角を担いマウンドに上がり続けるも下降線をたどり、1980年(昭和55年)に金銭トレードでホークス(南海)へ移籍する。しかし在籍2年間で勝ち星に恵まれず1982年(昭和57年)に再び金銭トレードで古巣のタイガース復帰したが、この年限りで現役を引退。投手コーチを経てフロント入りした。

【 生涯通算成績 】(実働13年) 361試合登板、92勝101敗、3S、防御率3.95

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いやいや、もの凄く久しぶりの更新である。「おまえもこれまでか」などという声が聞こえてきそうな妄想に囚われながら憂いしき日々を送っていた。更新したくても仕事の都合で手を付けられず「よぉし、来週からできるぞッ」と気負ったところPCが不具合をきたし工場へ入院するという有様だったのだ。トホホ…。

2008交流戦相次ぎ覆い被さる「障害」という名の波状攻撃に耐える事ができなかった結果とは言え、こうしてタラタラと言い訳まがいな話を綴っているのもちょいとばかり情けない気がするので、ここは無理やり娘のPCを借りてでも、できるだけ更新して行こう決意を新たにするボクであった。

さて、いよいよ明後日から交流戦が始まる。開幕当初、我がファイターズの梨田監督が「交流戦まで5割で行ければねぇ…」と、謙虚(?)にコメントしたとおりの結果で残念ながら推移しているが、なかなかどーしてここまでは善戦してる方じゃないだろうか。故障者が相次ぐ中、代わりに登録された若手の台頭も眩しく充分に及第点をあげられる内容と言えよう。よしよし。

去年のような18勝5敗1分という成績はさすがに望めやしないが、ここでの貯金が後々大きく影響するのは明らか。なんせ昨シーズンは同一リーグ内での対戦成績だけを見れば5割に毛が生えた程度の数字で終わっているのだから。今季も逃切りのための「貯金獲得大作戦」を決行したいものである。

チケットもゲットできているし、今からホント楽しみだ。

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