長池 徳二 (ながいけ とくじ)
低迷するチームを変貌させた一人で自身9度のリーグ優勝を経験、山田、足立、山口といった好投手を擁す阪急ブレーブスの黄金期にあって4番を務め続けた打者である。左肩に無理やりアゴを乗せ大きく腕を後ろに引く独特の構えを見る度に「首、おかしくするぞっ」と何とも言えない違和感を覚えたものだった。
1944年(昭和19年)、徳島県鳴門市生まれ。撫養高校時代に甲子園出場し、卒業時ホークス入りを切望するが叶わず法政大に進学。3年生の秋に首位打者を獲得する等の活躍を見せ、1966年(昭和41年)の第1回目のドラフト会議で1位指名され阪急ブレーブスに入団する。
1年目こそ僅か7本塁打に終わるも青田昇コーチの指導の下めきめきと力をつけ、2年目に27本塁打、3年目に30本塁打の大台に乗せ主力打者に成長。4年目の1969年(昭和44年)には打率.316、41本塁打、101打点で本塁打王、打点王の二冠に輝きチームの優勝に大きく貢献、シーズンMVPにも選ばれた。
またこのシーズン、当時の日本新記録となる32試合連続安打も記録。打率3割以上・本塁打40本以上・打点100以上をそれぞれ4度マークした主砲もヒザ痛に悩まされ代打の機会が増えるようになり、1979年(昭和54年)限りで引退した。その後はブレーブス・ライオンズ、ホークス、ベイスターズ、マリーンズで打撃・ヘッドコーチを歴任。現在は解説者として活躍している。
【 生涯通算成績 】(実働14年) 1449試合出場、1390安打、338本塁打、969打点、打率.285、MVP 2回、本塁打王3回、打点王3回
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低迷するチームを変貌させた一人で自身9度のリーグ優勝を経験、山田、足立、山口といった好投手を擁す阪急ブレーブスの黄金期にあって4番を務め続けた打者である。左肩に無理やりアゴを乗せ大きく腕を後ろに引く独特の構えを見る度に「首、おかしくするぞっ」と何とも言えない違和感を覚えたものだった。

1年目こそ僅か7本塁打に終わるも青田昇コーチの指導の下めきめきと力をつけ、2年目に27本塁打、3年目に30本塁打の大台に乗せ主力打者に成長。4年目の1969年(昭和44年)には打率.316、41本塁打、101打点で本塁打王、打点王の二冠に輝きチームの優勝に大きく貢献、シーズンMVPにも選ばれた。
またこのシーズン、当時の日本新記録となる32試合連続安打も記録。打率3割以上・本塁打40本以上・打点100以上をそれぞれ4度マークした主砲もヒザ痛に悩まされ代打の機会が増えるようになり、1979年(昭和54年)限りで引退した。その後はブレーブス・ライオンズ、ホークス、ベイスターズ、マリーンズで打撃・ヘッドコーチを歴任。現在は解説者として活躍している。
【 生涯通算成績 】(実働14年) 1449試合出場、1390安打、338本塁打、969打点、打率.285、MVP 2回、本塁打王3回、打点王3回
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