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60%の減額提示に憤慨し「病院に誰も顔を出さない」「球団から愛を感じない」と本筋からいささか離れた感情的な意見まで発し今年の1月にバファローズを退団したノリ。浪人も覚悟していた最中、落合監督からの誘いに救われテスト生から始まった波瀾万丈の2007年が昨日満面の笑みのまま締めくくられた。

ノリ、一発サインレギュラーシーズンに130試合出場し打率.293、20本塁打、79打点をマーク、日本シリーズでも18打数8安打、打率.444、4打点でMVPに輝くなど、「拾ってもらった恩は必ず返すのだ!」と言わんばかりの活躍を見せ、計り知れない充実感と自信に満ちた表情も覗かせた。

金髪に染めた頭に口の周りに蓄えた髭、真摯に取り組んでいるようには採られにくい以前の損なイメージも「契約して頂けるだけで、ありがたい」と丸刈り頭で答えられてはすっかり印象も変わってしまう。金額には特に拘らないという謙虚な姿勢も“純粋に野球ができている”喜びから来るものに他ならない。

指導者になりうる将来を見据えた時、今年の成功は後に大きな財産になるだろう。挫折を味わってこそ体験できた喜びは、あのまま高額年棒を引き出す交渉を繰り返していた環境では感じる事ができなかったものだ。原点を忘れなければ、むしろこれからの野球人生の方が価値あるものになるように思うが。

そんな意思の表れか、背番号「99」は来季も変わらない。

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以前も書いたけどユニホーム同様、背番号には特別な想い入れがある。選手のもう一つの顔であり、ボクにとっては時代を映す鏡のようなものだ。そこから球団の期待度も窺い知る事ができ、この時期になるとフロント目線で「あいつにはそろそろ○番をやろう」などと子供の頃から独り楽しむのを習慣としている。

中田、背番号「6」を継承予想していた通り、先のドラフトでファイターズの一員になった中田翔が名球会入りを果たし今季限りで引退するミスターの背番号「6」を引き継ぐことになった。「ガンガン打って凄い記録をつくって行って欲しい」と幸雄から自分越えを願うかのような温かいエールも送られている。

ファイターズが誕生以来、「6」を背負った歴代選手を調べてみるってーと、1974年:八重沢、1975年~77年:小田、1978年~85年:柏原、1986年~87年:パットナム、1988年~89年:イースラー、1990年:空番号、1991年~2007年:田中幸雄、と結果はともかく打線の中軸を担う選手が付けて来た事が解る。

先日、とある場所で開かれた「トークショー&サイン会」に出席した稀哲から「4番を打って欲しい気持ちがある」と中田に対し長打力不足と言われた打線の救世主として期待を寄せる発言があったが、単なる夢物語ではなく土井正博や清原のように“18歳の4番打者”もあながち不可能ではないチーム状態にある。新たな歴史を刻み始める様が今から楽しみでならない。

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結局、最後までファイターズの「ファンフェスティバル」の入場券が届かなかった。往復ハガキによる応募で抽選後の招待となるが、ハズレたとしても返信切手を貼っている以上戻してもらう権利を有するものだ。郵便局側の不手際なのか知る由もないが、“ファンへの感謝の気持ち”がこれでは何とも嘆かわしい。

幸雄を労うヒルマンほんの少しへそが曲がってしまい石井一久や浜中の移籍など、他の情報を書こうと一瞬思ったが、イベントに参加できなかったモンモンとした感情にめげず、やはりファイターズの話題について触れる事にした。夢と感動を与えてくれた功労者との別れとあらば無視はできない。

久しく不毛地帯と揶揄された地に野球文化を広め道民にその楽しさを教えてくれたヒルマンと、22年間ファイターズ一筋にファンから愛され続けた幸雄。札幌ドームで目の当たりにしていたら人目を憚らず鼻水交じりに嗚咽していたに違いないので「行けなくて良かったのだ ハッハハ」などと強がったりもした。

気を紛らわすため家族総出で「続・三丁目の夕日」を観に行くが、前作に続き何度も肩を震わす程泣いてしまい“いい歳して涙は見せんぞ大作戦”はどのみち失敗に終わった。2人にはありきたりな言葉では埋め尽くせない感謝の気持ちが募るが、今は再開の日を楽しみにぎこちない笑顔でも無理に送り出そう。

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川口 和久 (かわぐち かずひさ)

昨日、札幌アンビシャスが福岡ドンタクズに14-1と快勝した。この試合で先発を務め勝利投手となり、過去には投打の柱、黒田・新井が相次いでFA宣言したチームにあって初めて制度を利用した選手である。「和久」の名は当人の父が先日亡くなられた稲尾氏の大ファンであった事から付けられたものらしい。

川口和久1959年(昭和34年)、鳥取県鳥取市生まれ。甲子園への出場経験はないものの城北高時代から速球派投手として知られ、1977年(昭和52年)にオリオンズから下位で誘われるも拒否し、その後デュプロを経て1980年(昭和55年)のドラフト会議でカープに1位指名され入団する。

1年目は未勝利、2年目も4勝と精彩を欠いたが、3年目に15勝を挙げ一気に左のエースに成長。北別府、大野らと共に1980年代の「投手王国」を支える。通算暴投数79個というセ・リーグ3位の記録を残す荒れ球ながら1987、1989、1991年と最多奪三振のタイトルを3度獲得、「巨人キラー」としても活躍した。

1995年(平成7年)、FA権を行使しジャイアンツへ入団するが、全盛期の投球はできずファーム暮らしも経験する。リリーフに転向し一時輝きを放つも移籍4年目の1998年(平成10年)のシーズンを最後にユニホームを脱いだ。引退後は解説者を務める傍らマスターズ・リーグの札幌アンビシャスに参加している。

【 生涯通算成績 】(実働18年) 435試合登板、139勝135敗、4S、防御率3.38

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マット・ウインタース
(Matthew Littleton Winters)


「おっと、このカテゴリー、7月から全然手つけてないじゃん」てなことで久しぶりに触れてみたいと思う。ファイターズファンのボクとしてはセギノールの後釜が大いに気になっているのだが、「過去、我がチームにはどんな助っ人が在籍してたかなぁ?」と思いを巡らせ頭に浮かんだ一人が今回紹介する選手だった。

ウインタース1960年、ニューヨーク州生まれ。1978年ドラフト1位でヤンキースに入団するが、守備力が足かせとなりヤンキースやホワイトソックスの傘下でマイナー生活を送る。一時はロイヤルズでメジャー昇格を果たすがそれも長く続かず1990年、新天地を求めファイターズに入団した。

オープン戦で結果を残せず早くも進退の岐路に立たされるが、なんとか開幕1軍を死守すると127試合に出場、35本塁打をマークしチームの勝利に大きく貢献する。その後も持ち前の長打力を発揮し4年連続で30本塁打以上の成績を重ね、プレー以外でもユーモア溢れるパフォーマンスでファンを魅了した。

しかし、5年目のシーズンとなった1994年に130試合にフル出場し打率.260、22本塁打、81打点と、中軸としての期待に応えるまずまずの記録を残しながら退団し、そのまま現役生活にピリオドを打った。引退後は帰国しマイナーリーグのコーチ、スカウトを歴任。現在はファイターズの駐米スカウトに就いている。

【 生涯通算成績 】(実働5年) 637試合出場、612安打、160本塁打、428打点、打率.267

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ライオンズの裏金問題などから端を発し、不正の温床とされた“希望枠を廃止した”大学・社会人ドラフト会議が今日開かれた。1992年以来、実に15年ぶりに1巡目候補であっても高校生同様抽選で行われるという至極自然なカタチに戻り、最後まで結果を待ちわびる緊張感を得、その瞬間を迎えたのだった。

ハズレ1位は多田野我がファイターズは先発不足に悩む台所事情から注目度No.1の東洋大・大場を6球団競合の中 果敢に獲得に乗り出すも撃沈、更にトヨタ自動車の服部もはずし代わりに今季アスレチックス傘下3Aサクラメント・リバーキャッツでプレーしていた多田野数人(投手)を指名した。

多田野は立大時代に通算20勝を挙げ卒業後にインディアンスとマイナー契約し2004年にはメジャー初先発初勝利を挙げている右腕。松坂世代の遅咲きルーキーだが、メジャーに15試合登板した経験を活かし開幕から“即”ローテーション入りの期待が高まる。3巡目の関学大・宮西(投手)、4巡目の中大・村田(外野手)も大いに楽しみで、まあまあ補強と言えるだろう。

また、全体を見渡すと大場を含め「ビック3」と呼ばれていた愛知工大の長谷部は5球団の争奪戦の末イーグルスへ、慶大の加藤は単独指名でスワローズにそれぞれ決まった。即戦力と呼ばれる“大社出選手”、この中からどの選手が早々に1軍のキップを手にしファンを沸かせるのか、高卒ルーキーとはまた違った意味で非常に気になるところである。 (詳細はこちら)

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簑田 浩二 (みのだ こうじ)

3割、30本、30盗塁、俗に言う「トリプルスリー」を達成した選手の一人である。打撃3部門のタイトルには縁がなかったが、ゴールデングラブ賞8回・ベストナイン3回に輝いた鉄壁な守備とチャンスに強い広角なバッティングは目を見張るものがあり、「攻守走三拍子揃った」を絵に描いたようなプレーヤーだった。

簑田浩二1952年(昭和27年)、広島県佐伯郡廿日市町生まれ。1970年(昭和45年)、野球では全くの無名校だった大竹高校でプレーしていながらもホークス(南海)からドラフト4位指名を受けるが、これを拒否し三菱重工三原を経て1975年(昭和50年)、ドラフト2位でブレーブスに入団する。

1年目から1軍に定着し、22試合の出場ながら打率.333をマーク。3年目の1978年(昭和53年)には、打率.308、61盗塁の記録を残し、レギュラーの座を獲得した。その後もチームの中心選手として活躍し続けるが、後半は怪我や故障に泣かされ、1988年(昭和63年)に金銭トレードでジャイアンツに移籍する。

全盛期の「らしい」プレーは披露出来なかったがチームの勝利や優勝に貢献。しかし、1990年(平成2年)のシーズン中に現役引退を表明し残り試合は打撃コーチ補佐や一塁ベースコーチを務めた。翌年から5年間、正式に1軍打撃コーチや守備走塁コーチを歴任、退団後は解説者・評論家として活躍している。

【 生涯通算成績 】(実働15年) 1420試合出場、1286安打、204本塁打、678打点、打率.279

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寝ボケ眼で見たテレビの中に躍動する若き日の稲尾氏がいた。「朝からスーパースター列伝かい、良いじゃないの」と一瞬思ったものの直ぐに訃報と理解でき唖然とする。つい先月のファイターズvsマリーンズのクライマックスシリーズで解説していたのに「…」、にわかに信じ難く驚きの声を隠せなかった。

稲尾氏逝く通算276勝、シーズン最多の42勝を挙げ“神様、仏様”に肩を並べる「鉄腕」の異名をとった稲尾氏が福岡市内の病院で亡くなられた。10月下旬から検査のために入院していたようで、病状が急変し帰らぬ人に。また歴史を彩った星が一つ消え、やるせない気分である。

昨年の1月、気分転換に書く大好きな「球史に残る名選手」のカテゴリーでアップした。 (記事はこちらから)。 今まで90人を超える選手に触れてきたけど、現役時代の記憶がないにも関わらず早々に取り上げる程、その存在は大きなものだった。プレー以外にも(心温まる)エピソードが数知れず人柄を偲ばせる。

時代の流れと言えばそれまでだけど、どんな著名人より往年の大スターだった元プロ野球選手の死がボクには一番堪える。「どうして人は歳を重ね老いて行くのだろう、いやんなっちゃうなぁ」などと最近妙に哲学的且つおセンチな気分になる機会が増えてきたのが何とも悲しい。心からご冥福をお祈りいたします。

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現有戦力の活躍はもちろん、“谷、小笠原”らの補強の甲斐もあって5年ぶりのリーグ優勝を飾ったジャイアンツ。しかし、日本シリーズへの出場権を逃してしまったがために計画していた優勝パレードをキャンセルする等、選手を始めファンにとっても茫然自失、且つ何とも消化不良なシーズンになってしまった。

気になる福留のFA動向クライマックスシリーズという新たな制度の犠牲になった感もあっのだろう「勝つためなら何をやって良い」とちょいとトンチンカンなナベ○ネくんの言葉を受けてか、今年もFA選手の争奪戦に目がないようだ。「何でも欲しい病」は未だ一向にその進行の勢いを弱める気配がない。

国内かメジャーか、本人の目線がどこを捉えているか解らないが、福留がFA宣言した場合、真っ先に4年総額17億円とされているドラゴンズの提示額を上回る条件で獲得に乗り出すのだと云う。「自前で育てるよりさ、そっちの方がてっとり早いじゃん」と言わんばかりに更に“寄せ集め”編成を推進しそうである。

もはや生え抜きよりも外様の方が多くなったジャイアンツの先発メンバー。苦虫を噛み潰したような表情を見せているG党も少なくないはずだ。カープの新井獲りが噂されているタイガースもこれに参戦しそうで、豊富な資金源で有力選手をかき集める正にヤンキース&レッドソックス状態に。いくら同じ歴史のある人気球団とは言え、そこは一緒じゃなくても良いんじゃない…?

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琥珀色をした首筋に♪~俺のイニシャルのペンダント~♪。この時期になると ちょいと懐かしいシャネルズのヒット曲「街角トワイライト」が耳元に流れ始める。理由は何て事ない、オフに戦力外通告を受けた選手の一部が集う“トライアウト”と曲名の“トワイライト”の響きが単に似ているからである。(なんのこっちゃ)

黒田、メジャーに挑戦必死に“再就職”を賭けた戦いに挑む立場とは対極的に、更なる高いレベルを目指す者がいる。「活躍し続けてナンボの世界」、この時期になると嫌でもその厳しさを強く感じさせられてしまうのだが、光があたる側の中に、また一人夢の舞台に上がろうとする選手の姿があった。

チームでは川口、江藤、金本に次いでFA権を行使したカープの黒田である。今は14日の交渉解禁日以降に届くオファーを待つ身だが、早くも年俸1000万ドル以上の契約を用意するというカブスやレッドソックス、ここに来て新たにメッツ、フィリーズ、ドジャースの3球団も名乗りを上げ誠に嬉しい状態にある。

メッツのスカウトからも「もし岡島がメッツのユニホームを着ていたら優勝していたかもしれない。日本人投手のインパクトはそれ程大きい」などと獲得への強い決意が示されている。最近多少故障しがちなところが気になるが、持ち前の制球力とタテの変化球を駆使すれば充分通用するだろう。争奪戦の末、最終的にどこのユニホームに袖を通すのか気になるところだ。

追記:ついに新井もFA宣言、カープファンは辛いだろうなぁ…。

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来る日も来る日もファイターズのネタばかりだ。ファンであるが故に どーして目に留まり、ついつい書き綴ってしまうのだが、今回の情報はプロ野球ファンなら誰もが触れたくなるような ちょいとした話題ではないだろうか。4球団競合のうえ見事残りクジでゲットした中田が昨日、晴れて仮契約を結んだのである。

中田、仮契約ここ数日、何だかマイナスの報道ばかりでイライラ、モンモン、ムラムラ(?)していたが、こいつは久しぶりに楽しい気分にさせてくれる明るいニュースだ。新生ファイターズの象徴にも成りうる人材だけに「一挙手一投足から目が離せん」と風邪ぎみと錯覚する程ボクの鼻息は荒い。

契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円とダルビッシュに肩を並べる高条件での入団。「中田の加入で今季12球団最少のチーム本塁打数73本が楽々100本超えちゃったりして、ウフッ」などと思ったりするが、内角に苦しい弱点もあるし正直“清原の再来”と言うまで過度な期待は寄せていない。

早くも梨田監督が来年2月から始まる春季キャンプで1軍スタートを明言し俄然注目が集まりそうだけど、周囲の環境に押し潰されず自分を見失わないよう邁進して欲しいなぁ。冗談か本気か解らない捕手にコンバートするという仰天プランは改めてもらい、本人が希望するホットコーナーを守らせてはいかがか。

ミスター信者のボクが持つ偏ったイメージかもしれないが、今後チームを背負って立つ華のある看板選手に育てるためにも。

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前回触れた佐藤コーチの後任にマリーンズを退団した吉井の就任が決定する中、ダルビッシュが球団サイドに今後のビジョンなどを問い質すという姿勢を見せている。新体制で臨む秋季キャンプを目の前に慌しい状況が続いているが、今度は選手の方に動きがあった。予想はしていたが金村の放出である。

金村・中村交換トレード

相手の球団がタイガースと聞いて、てっきり予てからスポーツ新聞紙面で取り沙汰されていた浜中とのトレードが成立したかと思ったが、そーではなかった。岡島の退団後からた左の救援陣不足が解消されず、経験は浅いも伸びしろのある中村泰の獲得に踏み切ったようだ。まぁ、適正な判断かもしれない。

武田勝が頭にまわり、須永や宮本などが伸び悩み最後まで上がって来ず、ルーキーの山本一人で何とか凌いでいたようなもの。「もうちょっと良い左はいなかったの?」と多少実績のバランスの悪さが気になったが入ってくる限りは2軍にくすぶる事なく1年通じ戦力として計算できる活躍を期待したいところだ。

昨年、2桁10勝を賭けたマウンドを降ろされた際に監督批判をした金村だが、ボクにはその瞬間からエースの光を失ったように映った。冷たいようだけど高額年俸のうえに故障も伴い思うような成績を上げられない状態では致し方なしだろう。とは言え一度はファイターズの勝ち頭だった投手。タイガースも評価も高いし、新天地でまた大きな花を咲かせて欲しいものである。

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日本シリーズを制してしたら一体どうなっていたのだろうか? 2年連続日本一の栄冠に輝きながら同じ結果になっていたとは考えにくく、何を評価して下された決断なのかさっぱり理解できない。触れれば愚痴めいたものになるので書かないつもりだったけど、チームを愛するが故に敢えて苦言を呈する事にした。

ダルを一人前にした佐藤コーチの功績今更ながらファイターズファンに限らず方々から物議を醸し出している佐藤・淡口両コーチの解任劇についてである。既に他球団の組閣が固まりつつある今になって飛び出した寝耳に水の通告。“リーグ連覇”の評価はどこへやら、首を傾げながら唸る人も少なくないはずだ。

終始振るわなかった打線の責任を問われ、淡口コーチが解任を迫られるのは百歩譲って「あり」とも思えるが、他のチームならローテはおろかベンチ入りも難しい発展途上の顔ぶれを12球団でもトップクラスの成績に押し上げた佐藤コーチのそれは納得できない。「監督が辞めるよりもショックかも、…なんで?」と口にしたダルビッシュのコメントが全てを物語っている。

「歯に衣を着せぬもの言いが使いずらい」という醜い政治的判断なのか。サラリーマン社会で言えば業績を伸ばした管理職に就く社員が何の理由もなく不当に解雇されるようなもの。不誠実と思える配慮のない対応に失望したが、選手個々に与える影響が心配だ。フロント主導も良いけれど、こんな事を続けてちゃ低迷した頃のファイターズに逆戻りしてしまうぞ、ホント。

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神部 年男 (かんべ としお)

2年連続リーグ優勝に輝きながら、ファイターズの佐藤・淡口両コーチが解任通告を受ける異例の事態が発生した。不信感を露にする選手も少なくないようだが、球団は違えど同じ退団でも自ら身を退くコーチもいる。現役時代は先頃古巣に指導者として復帰した荒木大輔に背番号「11」を譲った選手でもある。

神部年男1943年(昭和18年)、兵庫県高砂市生まれ。高砂高校から三菱製紙を経て富士鉄広畑に進み、1968年(昭和43年)の都市対抗野球ではチーム優勝を導く活躍を見せた。翌年それが評価に繋がり、脚光を浴びる太田幸司の陰に隠れるようにドラフト2位でバファローズに入団する。

1年目から8勝をマークし翌年も自己最多となる51試合に登板し10勝、更に13勝と勝ち星を重ねた。4度目の2桁勝利を飾った1975年(昭和50年)のホークス(南海)戦ではノーヒットノーランを達成するも、3年後の1978年(昭和53年)に佐藤・寺田と共にマニエル・永尾との交換トレードでスワローズに移籍する。

しかし、新天地で思うように力を発揮できず、3年目の1981年(昭和56年)に僅か1勝に終わると現役を引退した。翌年よりスワローズに残り投手コーチ、1986年(昭和61年)からバファローズ・ブルーウェーブの投手コーチを務め一度退団するも、一昨年から再び1軍の投手コーチとして復帰し指導にあたっていたが、先日退団の申し入れを受理されユニホームを脱いだ。

【 生涯通算成績 】(実働12年) 370試合登板、90勝89敗、16S、防御率3.15

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「む、無念だ…」。 (「白い巨塔」:財前五郎〈唐沢寿明版〉風に)

いくらダルビッシュが好投しようとも、送り出す打者が27人では勝てるはずがない。就任4年目にして3度目のチャレンジとなった執念漲る落合ドラゴンズの前に手も足も出ない完敗を喫した。球界史上最長のブランクとなる53年ぶりの劇的な日本一を拍手で称え、5年間に及ぶヒルマン政権の幕が降ろされた。

健闘を称え合う両監督ファイターズの真骨頂、少ないチャンスをものにする繋ぎの野球。その本来の力を出せずに終わったという意見が多いが、“出させてくれなかった”感が非常に強い。中村ノリが涙でMVPを獲得したけど、陰のMVPはリードが冴え渡った谷繁だろう。「守りの要」の差の敗戦だ。

明日、Mさんと札幌ドームに足を運ぶ予定だったが、払い戻しとなるチケットを肴(?)に「残念会」を開く事にした。歓喜に沸くドラゴンズナインの姿を呆然と見つめ悔しさを噛みしめた選手たちの更なる飛躍に期待しながらグラスを傾けるとしよう。1勝4敗…、敵ながらアッパレだったドラゴンズの優勝も祝いながら。

フロント・コーチ陣が刷新され4番セギノールの退団、田中幸雄の引退、中田翔の入団と、来季から装いも新たに船出するファイターズ。手の届かなかった日本一への道のりはゼロからの再出発になるが、変わらず温かく見守りたい。最後にドラゴンズファンの皆々さま本当におめでとうございます。アジアシリーズでもこのまま「日本野球」の強さをぜひ誇示してください。

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