太田 幸司 (おおた こうじ)
いよいよ、第89回全国高校野球選手権大会が開幕した。試合を見れぬとも熱戦の火蓋が切られただけで否応なしにテンションが上がる。さて、何を書こうと考えた末 つい先日 三沢の方に出張して来たので、それにちなみ一人の選手を取上げる事に決めた。今や伝説となっている“甲子園のアイドル”である。
1952年(昭和27年)、青森県三沢市生まれ。三沢高校時代、エースとして1968年(昭和43年)夏、翌年の春・夏と3度甲子園に出場。最後の夏には東北勢としては戦後初の決勝進出を果たし、松山商業との2日間に及ぶ戦いも一人で投げ抜くが、夢叶わず準優勝に終わった。
投手としての資質も去るながらスター性を高く評価され、同年 ドラフト1位でバファローズに入団。当初、実力よりも人気が先行し1軍に定着できずにいたが、徐々に力をつけ1973年(昭和48年)に6勝を挙げると翌年に10勝、更に翌年には自身最多となる12勝をマークするなど、チームの勝利に貢献する。
しかし、1980年(昭和55年)から3年間無勝利が続くと金銭トレードでジャイアンツへ。僅か1年で鈴木弘規とのトレードでタイガースへ移籍するが、いずれも1軍のマウンドを死守できず、1984年(昭和59年)のシーズン終了後にユニホームを脱いだ。引退後は解説者やスポーツキャスターとして活躍している。
【 生涯通算成績 】(実働15年) 318試合登板、58勝85敗、4S、防御率4.05
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いよいよ、第89回全国高校野球選手権大会が開幕した。試合を見れぬとも熱戦の火蓋が切られただけで否応なしにテンションが上がる。さて、何を書こうと考えた末 つい先日 三沢の方に出張して来たので、それにちなみ一人の選手を取上げる事に決めた。今や伝説となっている“甲子園のアイドル”である。

投手としての資質も去るながらスター性を高く評価され、同年 ドラフト1位でバファローズに入団。当初、実力よりも人気が先行し1軍に定着できずにいたが、徐々に力をつけ1973年(昭和48年)に6勝を挙げると翌年に10勝、更に翌年には自身最多となる12勝をマークするなど、チームの勝利に貢献する。
しかし、1980年(昭和55年)から3年間無勝利が続くと金銭トレードでジャイアンツへ。僅か1年で鈴木弘規とのトレードでタイガースへ移籍するが、いずれも1軍のマウンドを死守できず、1984年(昭和59年)のシーズン終了後にユニホームを脱いだ。引退後は解説者やスポーツキャスターとして活躍している。
【 生涯通算成績 】(実働15年) 318試合登板、58勝85敗、4S、防御率4.05
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