牛島 和彦 (うしじま かずひこ)
感動や歓喜に包まれる幾多の名勝負を繰り広げてきた夏の風物詩「甲子園」が近づいている。この時期、プロ野球のペナントレースがいくら盛り上がりを見せようとも気持ちの大半を坊主頭の球児たちに持っていかれるのを例年常としている。今回はその熱き戦いを大いに盛り上げた選手の一人を取り上げよう。
1961年(昭和36年)、大阪府大東市生まれ。浪商高時代は香川とバッテリーを組み、1978年(昭和53年)の春、翌年も春夏連続して甲子園に出場し、春には準優勝に輝いた。そのタフなピッチングがプロに高く評価され1980年(昭和55年)、ドラフト1位指名でドラゴンズに入団する。
1年目は僅か9試合の登板に止まるも、2年目には中継ぎとして一軍に定着。翌年から守護神に転身するとリーグ優勝に貢献し、1984年(昭和59年)には自己最高の29セーブを挙げ最優秀救援投手になる等の活躍を見せた。しかし、1986年(昭和61年)に落合との間で電撃トレードが発表され星野監督の説得の下、泣く泣く上川・平沼・桑田らと共にオリオンズに移籍した。
移籍1年目に24セーブ、翌年も25セーブの成績を残し2年連続通算3度目のセーブ王を獲得。1989年(昭和64年)には先発に転向し12勝5敗をマークするが、右肩を痛めその後2年間はリハビリの生活を余儀なくされる。一時は復帰したものの1993年(平成5年)に2勝に終わると現役を引退、2005年からベイスターズの監督に就任し現在は解説者に復帰している。
【 生涯通算成績 】(実働14年) 395試合登板、53勝64敗、126S、防御率3.26、最優秀救援投手1回、最多セーブ王3回
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感動や歓喜に包まれる幾多の名勝負を繰り広げてきた夏の風物詩「甲子園」が近づいている。この時期、プロ野球のペナントレースがいくら盛り上がりを見せようとも気持ちの大半を坊主頭の球児たちに持っていかれるのを例年常としている。今回はその熱き戦いを大いに盛り上げた選手の一人を取り上げよう。

1年目は僅か9試合の登板に止まるも、2年目には中継ぎとして一軍に定着。翌年から守護神に転身するとリーグ優勝に貢献し、1984年(昭和59年)には自己最高の29セーブを挙げ最優秀救援投手になる等の活躍を見せた。しかし、1986年(昭和61年)に落合との間で電撃トレードが発表され星野監督の説得の下、泣く泣く上川・平沼・桑田らと共にオリオンズに移籍した。
移籍1年目に24セーブ、翌年も25セーブの成績を残し2年連続通算3度目のセーブ王を獲得。1989年(昭和64年)には先発に転向し12勝5敗をマークするが、右肩を痛めその後2年間はリハビリの生活を余儀なくされる。一時は復帰したものの1993年(平成5年)に2勝に終わると現役を引退、2005年からベイスターズの監督に就任し現在は解説者に復帰している。
【 生涯通算成績 】(実働14年) 395試合登板、53勝64敗、126S、防御率3.26、最優秀救援投手1回、最多セーブ王3回
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