プロ野球に関することを中心に勝手気ままに感想・意見・思い出話などを綴るサイトです。
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今日で7月が終わるというのに、窓を閉め布団にすっぽり包まって床に就いている。何だか肩透かしをくらったようなに未だ充分に夏を感じないのは気温のせいばかりじゃなく 「夏の甲子園」が始まっていないからに他ならない。いかなる気候であってもボクにとっての“夏本番”はやはり8月8日からなのである。

中田、最後の夏散る各地でぞくぞくと代表校が決まっているが、昨夏の覇者 早実に代表されるようにその一方で涙を呑むチームも存在する。そしてまた、注目の的、中田を擁する大阪桐蔭が3年連続出場を懸け決勝の大一番に挑んだが、金光大阪に3-4と敗れ夢の舞台に上がる権利を失った。

100本という目標を掲げた高校通算本塁打も87本で終焉。第89回大会の主役になるはずの表情には涙が溢れ、ナインと共に泣き崩れる姿ばかりが映し出される。冷静さを取り戻し今後について触れ、「プロ野球以外は考えていない。打者、投手、両方でやっていきたい」と真っ赤な目で将来を見据えた。

今からドラフトの話をするのも何だけど、その日は10月3日に訪れる。1巡目のみ入札方式でそれ以降はウエーバー方式が取られ、裏金問題が発覚したライオンズは上位2選手の指名権がない。最多9球団が競合するものと見られ今秋に再び過熱するのは火を見るように明らか。どこの球団であろうともためらう事なく飛び込んで欲しい、中田の野球人生はこれからが本番だ。

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寝床のスペースをキープするのがやっとで とてもじゃないがPCを使えるような状況ではなかった我家のリファームがようやく昨日終了した。途中荷物の山からPCを引っ張り出して更新を試みようとしたが「こんな時に何やってんのよ、もー」とかみさんから軽く叱責され、やむなく5日ぶりの更新となったのである。

野球グラウンドおかげでTVや新聞をじっくり見る時間がなく、ファイターズがホークスの6連勝の追い上げに1差まで詰め寄られている事だけは しかとおさえているものの、選挙の経過や結果はもちろん ここ数日の情報量がめっきり薄い。てな事で、ちょいと前にあった話題を今になって一つ。

先日、日本中学校体育連盟の軟式野球競技部長が中学への入学段階で既に野球特待制度が存在しており、高校進学も見据えた小学生の“青田買い”が行われている実態を明らかにした。また、重ねて具体的な特待生を抱えている例を挙げながらも、制度容認が中学サイドの総意である事も付け加えた。

昨今、小学生の運動会で「1位でも参加賞」的な順位をつけないバカげた対応をしている学校があると聞く。争わない環境づくりこそ“いじめを排除する近道”だと思い込み指導しているというから驚きだ。物事に優劣をつけようとしない そんな教育の方がむしろ問題だと思わないのだろうか、全く理解できない。

高校・大学生は野球憲章で学費、生活費やその他の金品を受け取ることが禁じられているが、中学生にはこの規定が適用されない。強い者が勝つ、優れた能力を持っている者が優遇される、至極 自然な事。家族や本人を狂わすような“黒い物”が動かない限り、小学生野球からの青田買い、大いに結構じゃないの。日本独特の横並び主義はここら辺から是正すべきだ。

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牛島 和彦 (うしじま かずひこ)

感動や歓喜に包まれる幾多の名勝負を繰り広げてきた夏の風物詩「甲子園」が近づいている。この時期、プロ野球のペナントレースがいくら盛り上がりを見せようとも気持ちの大半を坊主頭の球児たちに持っていかれるのを例年常としている。今回はその熱き戦いを大いに盛り上げた選手の一人を取り上げよう。

牛島和彦1961年(昭和36年)、大阪府大東市生まれ。浪商高時代は香川とバッテリーを組み、1978年(昭和53年)の春、翌年も春夏連続して甲子園に出場し、春には準優勝に輝いた。そのタフなピッチングがプロに高く評価され1980年(昭和55年)、ドラフト1位指名でドラゴンズに入団する。

1年目は僅か9試合の登板に止まるも、2年目には中継ぎとして一軍に定着。翌年から守護神に転身するとリーグ優勝に貢献し、1984年(昭和59年)には自己最高の29セーブを挙げ最優秀救援投手になる等の活躍を見せた。しかし、1986年(昭和61年)に落合との間で電撃トレードが発表され星野監督の説得の下、泣く泣く上川・平沼・桑田らと共にオリオンズに移籍した。

移籍1年目に24セーブ、翌年も25セーブの成績を残し2年連続通算3度目のセーブ王を獲得。1989年(昭和64年)には先発に転向し12勝5敗をマークするが、右肩を痛めその後2年間はリハビリの生活を余儀なくされる。一時は復帰したものの1993年(平成5年)に2勝に終わると現役を引退、2005年からベイスターズの監督に就任し現在は解説者に復帰している。

【 生涯通算成績 】(実働14年) 395試合登板、53勝64敗、126S、防御率3.26、最優秀救援投手1回、最多セーブ王3回

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長期予報で猛暑が予測されていたにも関わらず、夜なんかは特に窓辺で揺れる風鈴の音や扇風機なども必要ないくらい札幌は未だに過ごしやすい。しかーし、そんな中でも本格的な夏の到来を知らせる「宴」の準備が全国各地で刻々と進められている。言うまでもなく、ボクの大好きな「夏の甲子園」である。

駒苫、5年連続夏の甲子園出場その夢の舞台に立つ北海道の代表2校が晴れて決まった。奇しくも北北海道は駒大岩見沢、南北海道は駒大苫小牧、と両代表とも駒沢大学付属勢力。特に南の駒大苫小牧は見事 北海道の地区予選史上初となる5年連続出場となり、その快挙にただただ唸るばかりだ。

OBのマーくんが駆けつけた決勝戦でも函館工を15-0と圧倒的な強さで破り存在感は相変わらず。1年前に綴った記事を再掲載するような感覚に陥る。昨夏のマーくんや主将だった本間のような突出した柱はいないが、経験者の対馬と菊地、不動の二遊間コンビの小鹿・本多などバランスの取れた選手が多い。

過去のチームと比較され、昨秋の室蘭地区の戦いでコールド負けを喫したところからの復活劇。優勝、優勝、準優勝と3年連続甲子園を沸かせた強豪が史上初の4年連続決勝進出へ挑む。「さすがに、今回は無理だろうよぉ」という声を三度覆し続けた駒苫ナイン。今年も最後までハラハラドキドキさせて欲しいものである。少しでも長く“暑くて熱い”夏を感じられるように。

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トニー・ソレイタ
(Tolia Solaita )


今一つ盛り上がりに欠けた球宴も終わり、来週から後半戦が始まる。49勝34敗4分、貯金15で2位マリーンズに3ゲーム差をつけて9年ぶりの首位ターンを果たし、益々期待が高まる我がファイターズ。今回はそのファイターズに過去在籍し「サモアの怪人」と呼ばれていた助っ人強打者について綴ってみる。

ソレイタ1947年、アメリカ領サモア諸島生まれ。ミラコスタ大を経てヤンキースやブルージェイズなどメジャー5球団を渡り歩きプレーするが、実績がありながら32歳にしてわざわざ日本球界へ“コネなし”で単身テスト入団を受けに来日し、1980年に晴れてファイターズへ入団する。

1年目は打率こそ.239と振るわなかったものの45本塁打を放つなど活躍。翌1981年には打率.300、44本塁打、108打点と秀でた成績を残し本塁打と打点の二冠に輝き、同期入団のクルーズと共に19年ぶりとなるリーグ優勝の立役者となるが、シーズンMVPはチームメイトの江夏に僅差で敗れ涙を流した。

1983年にも4年連続30本塁打以上をマークするなど大きな戦力だったが、酒に酔いホテルで暴れた事がきっかけとなり解雇されてしまう。退団するのと同時に現役を引退し故郷へ帰国、政府の教育局体育部で働いていたが1990年、土地の取引をめぐるトラブルに巻き込まれ路上で射殺された(享年43)。

【 生涯通算成績 】(実働4年) 510試合出場、479安打、155本塁打、371打点、打率.268、本塁打王1回、打点王1回、最多勝利打点1回

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更新がままならない。仕事が忙しいうえに我家のリフォーム準備のために引越にも似た作業に毎日追われているからだ。チケットがありながらも足を運ぶ事ができずにいた札幌ドームへ昨日 なんとか乗り込んだというのに好機に打てない“ジョーンズ扇風機”に3度も涼んで帰ってくる結果になってしまった。

苦戦の続く野村監督テンションが下がるので話題を変えよう。先日イーグルスの山崎がスポーツニュースで「今までは漠然と球を打っていたけど監督の教えで“球種を読む”術を身に付けられたのが大きい」などと目下2冠王をひた走る好調の理由について満面の笑みでインタビューに応えていた。

以前、カープからスワローズに移籍した小早川も「監督がこのバッターはここを狙っていると話すと殆どその通りになる。考える大切さを教わった」と同じような話しをしていた事がある。山崎にしろ小早川にしろ前の球団を解雇されたリストラ組。厳しい立場に立たされ初めて知識の吸収に貪欲になるのだろうか、野村監督の“野球理論”から開眼した再生選手は多い。

球団創設初年度は勝率.281、2年目は.356、現在は35勝45敗2分、勝率.438の5位ながら過去2年とは明らかに戦い方が変わった。更に意識改革が進み、マーくんを筆頭に球宴の舞台に立つ多くの選手が活躍し後半戦に弾みをつければ、1391勝1391敗72分、勝率.500となってしまった野村監督の通算成績の貯金を再び復活させられると思うが、さぁーてどうだろうか。

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定岡 智秋 (さだおか ちあき)

ボクとって“定岡”と言えば長男の智秋である。弱くて冴えないホークスが何故か好きで、その頃の主力選手であった事がそう思わせている。ジャイアンツにいた正二、カープにいた徹久と共に3兄弟揃ってプロ野球選手、挙句に自身の息子が今季ホークスからマリーンズに移籍した卓摩というから驚きである。

定岡智秋1953年(昭和28年)、鹿児島県生まれ。鹿児島実業高校より1972年(昭和47年)にドラフト3位でホークス(南海)に入団する。野村兼任監督の下、ジャイアンツに兄を持つ河埜と共に鉄砲肩と呼ばれる強肩の遊撃手として二遊間を形成し、万年Bクラスのチームを支え続けた。

話題性もあった定岡・河埜兄弟。当時、両球団間でまことしやかにトレード話が囁かれる事もあった。1983年(昭和58年)に初めてフル出場を果たしシーズン自己最多となる107本の安打を記録するが、翌年故障などで僅か33試合の出場に止まると以降精彩を欠き、1987年(昭和62年)限りで現役を引退する。

その後はホークス(南海、ダイエー)のコーチに就任し、1991年(平成3年)にはスカウトに転身。1993年(平成5年)より二軍コーチとして現場復帰し、1997年(平成9年)には一軍コーチに昇格、2003年に二軍監督に就任後、翌年からフロント入りするも昨年限りで退団した。現在は解説者を務める傍らNPO法人ホークスジュニアアカデミーにてOBコーチに就いている。

【 生涯通算成績 】(実働14年) 1216試合出場、785安打、88本塁打、370打点、打率.232

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別当 薫 (べっとう かおる)

スワローズの青木が56年ぶりに史上最速となる373試合目にしての通算500安打を達成した。と言うことで今回はその記録を塗り替えられた側の選手を紹介する。子供の頃は頻繁にCMが流されていた“HOYAバリラックスIIのおじさん”のイメージしかなかったけど、実は素晴らしいプレーヤーだったのである。

別当薫1920年(大正9年)、兵庫県西宮市生まれ。旧制甲陽中学時代は春・夏計3度甲子園に出場、慶應大では当時の史上最高打率.500をマークし首位打者に輝くなどの活躍を見せる。卒業後は一旦家業を継ぐが1947年(昭和22年)に憧れの景浦がいるタイガースに入団した。

1年目から早くも首位打者争いに加わるも故障でやむなくリタイアするが、翌年は打率.322と本領を発揮。そのオフに勃発した2リーグ分裂騒動で本堂、土井垣、大館らと共に毎日に移籍すると、いきなり打率.335、43本塁打、105打点を記録、本塁打王・打点王を獲得し、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。

セの覇者松竹を迎えて行われた日本シリーズでも打率.500、3打点でリーグ表彰に続きシリーズでも初代MVPにも選ばれ、1954年(昭和29年)からは選手兼任監督に就任し1957年(昭和32年)には現役を退き監督業に専任する。その後、バファローズ、ホエールズ、カープでも指揮を振るい通算1000以上の勝ち星を重ねるが、最後まで優勝の美酒に酔う事はなかった。

【 生涯通算成績 】(実働10年) 891試合出場、965安打、155本塁打、549打点、打率.302、本塁打王1回、打点王1回、最多安打1回、MVP 1回

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ホークスのお膝元、福岡に行ってきた。プライベートであれば試合がなくてもヤフードームあたりをゆっくり見物したかったけど、残念ながら さにあらず今回も仕事なのである。着いた初日から大雨の歓迎を受け、一瞬“水も滴る良い男”に大変身するが、それほど気温も高くなく比較的過ごし易い気候だった。

稀哲、25試合ぶりの打点マリーンズの3連戦のチケットはやむなく知人らに譲りラジオも届かない状況の中、同行スタッフの一人Hさんの携帯電話から得られる情報を耳にしながら仕事を続ける。リアルタイムに試合の状況を確認できないのが寂しいけど、余計な緊張が働かないのはありがたかった。

初戦はダルビッシュの1安打完封劇、2戦目は延長にもつれての小谷野のサラナラ弾で勝利、そして3戦目は稀哲・小谷野・工藤の適時打で加点、投げては10安打を浴びながら7回1失点で切り抜けるグリンの粘りのある投球でマリーンズに3連勝、今季最大の貯金「14」とし、ゲーム差を2.5ゲームに広げた。

投手陣が踏ん張りゲームをつくり、数少ないチャンスをモノにするファイターズならではの試合運びで直ぐ下の敵をまとめて叩けたのは大きい。昨季より7試合早い主催試合の観客動員数が100万人を突破し、予想を上回る快進撃と動員数に頬も緩みっぱなしだ。この時期の順位は大して重要ではないけれど、球宴までこのまま“てっぺん”に居座って欲しいものである。

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アニマル・レスリー
(Animal Lesley )


僅か2年しかプレーしなかったにも関わらず強烈な印象を残した選手である。上背を生かしたダイナミックな投球フォームから投じられた球には迫力を感じたものだ。マウンド上で雄叫びを上げたり、歩み寄る捕手の藤田をボコボコ殴ったり、登録名通りの荒々しいパフォーマンスを売り物にファンを楽しませた。

アニマル1958年、カリフォルニア州生まれ。本名はBradley Jay Lesley(ブラッドリー・ジェイ・レスリー)。1982年から1985年までの4年間、シンシナティ・レッズ、ミルウォーキー・ブリュワーズに在籍。54試合に登板し1勝3敗6セーブの成績を残し、翌年の1986年にブレーブスに入団する。

スライダーを武器にストレートを速く見せるピッチングが冴え、来日1年目から19セーブを挙げチームの勝利に貢献。6月には西宮球場の歴史上最高記録となる4万人を集める人気ぶりを発揮し創立50周年を迎える球団関係者を大いに喜ばせた。しかし、翌年5セーブに終わると解雇され、そのまま引退する。

引退後は帰国せず、そのまま日本に残り同僚の福本が名付けた“亜仁丸レスリー”という芸名でタレントとして活動。強面ながら愛嬌のあるキャラクターとしてビートたけしのもとで活躍しTBS「風雲!たけし城」のレギュラー他、CMや映画などにも出演し人気を博した。現在は日本人の妻とロサンゼルス住んでいる。

【 通算成績 】(実働2年) 60試合登板、7勝5敗、24S、防御率3.00

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海の向こうメジャー同様、日本プロ野球界でも球宴のファン投票最終結果が発表された。話題は何と言ってもマーくんを筆頭に12枠中8枠を独占したイーグルス勢だろう。「これじゃスターダスト(星屑)だわな」と思わずノムさんもこぼすような異例の大量選出。チームが低迷しているうえに成績が覚束ない顔ぶれが混ざっているだけに賛否両論が飛び交うのも無理はない。

田中・山崎、喜びの記者会見

直ぐに脳裏によぎったのは、1978年(昭和53年)のファン投票で高橋直樹、加藤、柏原、富田、古屋、菅野、ミッチェル、千藤ら同じく8人の選手がファイターズから選出された時の事。後にファンクラブの働きがけによるものと発覚し、球団側が古屋と菅野の出場辞退を発表したという有名(?)な“ドタバタ劇”である。

米田球団代表が約4000人の楽天グループ社員への呼びかけを認めたとは言え、組織票と断定するつもりは毛頭ない。ただ、地元開催を盛り上げようと動いた票である事は間違いなく、その行為自体が主旨からずれていているように思う。選ばれし者が選ばれないとはあまりにも寂しい宴じゃないのぉ。

球界を代表する精鋭たちが激突する夢の舞台オールスターゲーム。メジャーへの移籍や交流戦などの影響でその感覚が薄くになった感は否めないが、今でもそうあって欲しいと願って止まない。ボクならたとえ地元開催であっても贔屓にするチームの選手以上に実績を残している“旬な”プレーヤーを一人でも多く見たいと思うけどなぁ…、う~む、何だか残念だ。

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