島野 育夫 (しまの いくお)
相変わらずの貧打ながら ドラゴンズ戦を何とか5分で乗り切る事ができた。これもひとえに昨日、今日とボクが札幌ドームで必至に応援を続けた賜物なのだ。(なんのこっちゃ) 今日はその痛み分けしたチームに縁があり、タイガースでも同じく星野政権の下 手腕を振るった人物について触れてみたいと思う。
1944年(昭和19年)、栃木県生まれ。作新学院高校時代はエース八木沢(のちオリオンズ)を擁し3番センターで出場しチームを牽引、春夏連覇を経験する。その後明電舎に進み更に力をつけ俊足巧守且つ強肩を誇る外野手と期待され1963年(昭和38年)にドラゴンズに入団した。
徐々に頭角を現す最中、1968年(昭和43年)にホークス(南海)に移籍すると本来の実力を開花。1973年(昭和48年)には福本に次ぐ61盗塁をマークするなどの活躍を見せる。1976年(昭和51年)には江夏等との交換トレードで江本・長谷川・池内と共にタイガースに移籍するが、充分な結果を残せず1980年(昭和55年)コーチ兼任になったシーズンを最後に引退した。
翌年からコーチ業に専任するも審判への暴力行為で解雇。解説者を経て再びドラゴンズ・タイガースでコーチを歴任し2002年にはドラゴンズに復帰し指導にあたっていたところ、星野からの声がけでタイガースへ籍を移した。 昨季は2軍監督を務めていたが、胃潰瘍で長期入院を余儀なくされ今季よりその役職を平田に譲り、現在は1軍で総合特命コーチの職に就いている。
【 生涯通算成績 】(実働18年) 1375試合出場、705安打、20本塁打、199打点、打率.243
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相変わらずの貧打ながら ドラゴンズ戦を何とか5分で乗り切る事ができた。これもひとえに昨日、今日とボクが札幌ドームで必至に応援を続けた賜物なのだ。(なんのこっちゃ) 今日はその痛み分けしたチームに縁があり、タイガースでも同じく星野政権の下 手腕を振るった人物について触れてみたいと思う。

徐々に頭角を現す最中、1968年(昭和43年)にホークス(南海)に移籍すると本来の実力を開花。1973年(昭和48年)には福本に次ぐ61盗塁をマークするなどの活躍を見せる。1976年(昭和51年)には江夏等との交換トレードで江本・長谷川・池内と共にタイガースに移籍するが、充分な結果を残せず1980年(昭和55年)コーチ兼任になったシーズンを最後に引退した。
翌年からコーチ業に専任するも審判への暴力行為で解雇。解説者を経て再びドラゴンズ・タイガースでコーチを歴任し2002年にはドラゴンズに復帰し指導にあたっていたところ、星野からの声がけでタイガースへ籍を移した。 昨季は2軍監督を務めていたが、胃潰瘍で長期入院を余儀なくされ今季よりその役職を平田に譲り、現在は1軍で総合特命コーチの職に就いている。
【 生涯通算成績 】(実働18年) 1375試合出場、705安打、20本塁打、199打点、打率.243
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