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波留 敏夫 (はる としお)

北海道とは違った高温多湿の環境に戸惑いながら京都で仕事をしてきた。「京都出身のプレーヤーって誰がいたっけ?」などと、仕事を他所に考えたりしたが、そこでパッと出できたのが今回紹介する選手だった。過去取上げた面子の中で最年少、「突貫小僧」と呼ばれた“がむしゃらな”プレーが印象に残る。

波留敏夫1970年(昭和45年)、京都府京都市生まれ。大谷高校を経て熊谷組に進み1992年(平成4年)の都市対抗野球での準優勝に貢献した。2年後の1994年(平成6年)には進化する成長が目留まり、攻走守三拍子揃った内野手としてドラフト2位でベイスターズから指名を受ける。

入団1年目から怪我で戦線離脱した進藤代わり出場し、その後外野手にコンバート。翌年からセンターが定位置となり石井琢朗と1、2番コンビを形成、チームを牽引した。1998年(平成8年) には脱税事件で開幕から6週間出場停止処分を受けるが復帰後直に活躍し38年ぶりのリーグ優勝、日本一貢献する。

1999年(平成9年)には打率.298 15本塁打 70打点の自己最高の成績を残すが、2001年(平成11年) のシーズン途中に種田と山田両選手とのトレードでドラゴンズへ移籍。その後2003年(平成13年) には酒井とのトレードでマリーンズに移籍するも翌年、戦力外通告を受けユニホームを脱いだ。引退後は解説者を経て現在は古巣ベイスターズの打撃コーチを務めている。

【 生涯通算成績 】(実働11年) 913試合出場、872安打、44本塁打、266打点、打率.280

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日本プロ野球界最高・最強スカウトの一人として名高く、タイガースとバファローズで関西地区のスカウト部長を務めていた河西俊雄氏が慢性腎不全のため亡くなった(享年87歳) 。前回、元ファイターズの古屋が現在バファローズのスカウトに就いていると書いたが、その世界ではあまりにも有名な人物なのだ。

江夏の入団交渉

当然、現役時代を知るよしもないが、球史に触れる関連書籍で何度も名前を目にし その存在だけはしっかりと記憶の深いところに残っていた。最近では江夏の半生を描いた「牙」という文庫本などで活字を通じ入団に尽力した姿や日々の活動に触れ、スカウト稼業としての敏腕ぶりに独り唸ったりしたものである。

兵庫県明石中から明治大に進み、1946年(昭和21年)に南海の前身グレートリングに入団。1年目から俊足の二塁手として3年連続で盗塁王を獲得し1950年(昭和25年)にはタイガースに移籍。通算233盗塁の記録を残し引退後は二軍コーチ・監督を歴任、1958年(昭和33年)からスカウトに転進した方だ。

タイガースでは遠井を皮きりに藤田・江夏・山本(和) 掛布らを、バファローズでは大石・金村・野茂・中村(紀)らを確かな目で発掘・担当している。華やかな舞台の裏でチームの土台づくりに多大な影響をもたらすスカウト。裏金問題等で昨今あまり良いイメージはないが、彼らなくしてプロ野球界の繁栄はありえないと改めて認識する機会となった。心からご冥福をお祈りします。

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古屋 英夫 (ふるや ひでお)

いつかはこの日が来ると思っていたが、ついに“木元放出”、清水を併せバファローズの歌藤・荻原両投手との間で2対2のトレードが成立した。非凡なものを持ちながら飛躍損ねた木元、ちょっと勿体ないがプレーにムラがあり、使いずらかったのかもしれない。そこで(?)今回はその昔、打線と内野の要として堅実なプレーを見せていたファイターズに縁のある選手を取上げる。

古屋英夫1955年(昭和30年)、千葉県 富津市生まれ。木更津中央高校時代はエースとして活躍するが土屋正勝(のちにドラゴンズ)を擁する銚子商業に決勝で敗れ、あと一歩のところで甲子園出場は叶わず、その後亜大に進学し三塁手に転向、東都大学リーグで首位打者も獲得した。

1978年(昭和53年)、即戦力の高い評価を受けドラフト2位でファイターズに入団。1年目から三塁のレギュラーを獲得し2年目に打率.313を残す。1981年(昭和56年)にはフル出場しリーグ優勝に貢献、1985年(昭和60年)には持ち前の長打力で4番を務め33本塁打を放つと共に自身3度目の3割もマークした。

しかし、1990年(平成2年)に戦力外となり、翌年タイガースに移籍、主に代打の切り札として活躍する。移籍2年目に僅か13試合の出場に止まるとその年限りで現役を引退し、1993年(平成5年)からは実に10年間の長きに亘りファイターズでコーチを務め続けた。現在はバファローズのスカウトに就いている。

【 生涯通算成績 】(実働15年) 1521試合出場、1406安打、180本塁打、686打点、打率.273、最多勝利打点1回

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初戦から怒涛の12連勝を飾り、その後1度も首位の座を譲る事なくファイターズが初の交流戦王者の栄誉を手にした。一昨年は12勝22敗2分(借金10)で10位に沈み、昨年は17勝19敗(借金2)で7位と2年連続勝率5割を切る苦戦を強いられていた鬼門だっただけに、そりゃぁもーっ喜びもひとしおである。

小谷野、延長勝ち越しV弾

残り3試合、引き分け以上の結果を1つでも残せば優勝という絶対的有利な状況の中での試合、ダルビッシュの好投に応えるように小谷野が同点で向えた延長11回に値千金の勝ち越し2ランを放ちタイガースを6-4と撃破、4連勝で貯金を今季最大となる「11」とし リーグ戦でも首位マリーンズにピタリと並んだ。

交流戦初制覇交流戦のチーム防御率はもちろんトップの2.11。貧打と嘆かれている打線を20歳のダルビッシュに加え、19歳の木下、高校出ルーキーの吉川らが台頭しそれを見事にカバーした。ハラハラする事なく安心して観ていられる抜群の安定感は、いやいや頼もしいったらありゃしない。

開幕から今日まで、ベンチ入りした選手の平均年齢が群を抜いて12球団で一番若いチームだけに勢いに乗れば更に飛躍・成長しすっかりその気に今後も走り続ける可能性を充分に秘めている。小笠原、新庄がいない戦い方にもすっかり慣れ、一度失いかけていた自信を取り戻し完全優勝・2連覇へ。「よぉーし、よしよし」、益々応援にも力が入るっちゅーもんである。

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ここ数年、「交流戦限定」やジャイアンツの「5000勝記念復刻版」、恒例となっているホークスの「鷹の祭典限定版」など、ファンサービスの一環として各チーム共、趣向を凝らしたユニホームで話題を集めている。ちょっとした遊び心と球団サイドの運営努力が一つになっているようで非常に良い試みだと思う。

ファイターズ、初の限定ユニホーム一昨年の5月28日、札幌円山球場70周年記念イベントとして1981年(昭和56年)に優勝を飾った当時のユニホームを着用したけれど、試合の始まる前の練習時間のみ。しかも上だけでキャップもパンツは今のものを使用するという何とも中途半端ないでたちにガッカリしたものだ。

それだけにファイターズにも“本格的な実施”を望んでいたが、ついに球団より期間限定ユニホームを採用する旨が発表された。何でも8月17日から札幌ドームで行われるマリーンズ3連戦で使用するようで、各種イベントを盛り込んだ「WE LOVE HOKKAIDOシリーズ」と銘打った企画に絡むものであるらしい。

全体的なデザインに変わりがないものの、胸のロゴが企業名ではなく「HOKKAIDO」になっているのが大変よろしい。色合いも北海道の海や空をイメージした球団カラーの一つとなっている青が主体になっており、なかなか清々しいイメージだ。サイズに不安があるも8月上旬より発売されるレプリカユニホームシャツを記念にゲットしようか。こいつは今から楽しみである。

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ドン・ビュフォード
(Donald Alvin Buford)


ファイターズのセギノールが日本新記録となる通算7度目の両打席本塁打を達成した。セギノール同様、過去にスイッチヒッターの助っ人が何人か来日しているが、なぜか直ぐに頭に思い浮かんだのが今回紹介する選手だった。プレースタイルを余り覚えていないのに独特な風貌だけが深く記憶に残っている。

ビュフォード1937年、アメリカ・テキサス州生まれ。ロサンゼルス大学を経てホワイトソックスに入団。その後移籍したオリオールズでは3年連続ワールドシリーズに出場し1971年には日米野球で来日する。攻走守全てに優れ、ひと足早く日本のファンに強く印象付ける活躍を見せた。

2年後の1973年、西鉄が球団経営を放棄し誕生した太平洋クラブライオンズから補強の目玉として声が掛かり、再び日本の地に降り立つ。初出場したゲームでは、いきなり派手なサラナラ本塁打デビューを飾ると、1年目からフル出場し打率.242ながら114安打を放つ勝負強さでチームの勝利に貢献する。

2年目には張本に敗れるも打率.330でリーグ2位の成績を残し3年目には来日後自己最多となる140安打をマーク、中軸の役割を果たし続けた。4年目の1976年にはホークス(南海)に移籍したが、思うような結果を出せず1年限りで退団し帰国の途に着く。現在はワシントン・ナショナルズのコーチ。息子のデーモンも2000年にシカゴ・カブスの一員として来日している。

【 通算成績 】(実働4年) 490試合出場、480安打、65本塁打、213打点、打率.270

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折に触れ何度も書いているけど、ボクはミスターの大ファンだ。いや、ファンという領域を遥かに超越した筋金入りの信者と言っても過言ではないだろう。記憶のない幼少の頃に「3」を背負ったパジャマや服を着せられている写真を見れば一目瞭然なのだが、親父に刷り込まれて出来上がった信仰心に他ならない。

昭和49年発刊、栄光の軌跡得意先の方と時間があれば仕事を他所に野球談議で盛り上がる事もしばしばで、ファイターズの話題から始まり、気が付けばミスターの話に引きずり込むという勝利の方程式(?)を確立している。おかげでボクがミスター信者である事は友人・知人の間で結構有名だったりするのだ。

つい先日、時間を頂戴したいとU社のHさんがやって「打ち合わせに入る前にちょっとプレゼントしたい物がありまして」などと思わせぶりに鞄の中から一冊の本を取り出しボクに差し出した。「ゲッ!」それはミスターが引退した昭和49年の11月に発刊された『栄光の軌跡』というタイトルの記念誌だったのである。

何でも実家の物置を整理していたら出てきたらしくHさんは若いため父上かお兄さんの物であるようだが、「長嶋ファンの方が持っていてくれた方がこの本も幸せです」と温かい言葉を添えてくれた。中に水原、三原、鶴岡、村山、杉浦ら各氏がミスターへコメントを寄せるページがあるのだが、どなたも既に亡くなった方ばかり。33年という歳月の重みをズシリと感じてしまった。

ボクにとっては何よりのプレゼント。Hさん、ホント感謝です。

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島野 育夫 (しまの いくお)

相変わらずの貧打ながら ドラゴンズ戦を何とか5分で乗り切る事ができた。これもひとえに昨日、今日とボクが札幌ドームで必至に応援を続けた賜物なのだ。(なんのこっちゃ) 今日はその痛み分けしたチームに縁があり、タイガースでも同じく星野政権の下 手腕を振るった人物について触れてみたいと思う。

島野育夫1944年(昭和19年)、栃木県生まれ。作新学院高校時代はエース八木沢(のちオリオンズ)を擁し3番センターで出場しチームを牽引、春夏連覇を経験する。その後明電舎に進み更に力をつけ俊足巧守且つ強肩を誇る外野手と期待され1963年(昭和38年)にドラゴンズに入団した。

徐々に頭角を現す最中、1968年(昭和43年)にホークス(南海)に移籍すると本来の実力を開花。1973年(昭和48年)には福本に次ぐ61盗塁をマークするなどの活躍を見せる。1976年(昭和51年)には江夏等との交換トレードで江本・長谷川・池内と共にタイガースに移籍するが、充分な結果を残せず1980年(昭和55年)コーチ兼任になったシーズンを最後に引退した。

翌年からコーチ業に専任するも審判への暴力行為で解雇。解説者を経て再びドラゴンズ・タイガースでコーチを歴任し2002年にはドラゴンズに復帰し指導にあたっていたところ、星野からの声がけでタイガースへ籍を移した。 昨季は2軍監督を務めていたが、胃潰瘍で長期入院を余儀なくされ今季よりその役職を平田に譲り、現在は1軍で総合特命コーチの職に就いている。

【 生涯通算成績 】(実働18年) 1375試合出場、705安打、20本塁打、199打点、打率.243

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何度も言うけど、ボクはファイターズファンである前に野球ファンである。もちろん、ファイターズの勝利を願って止まないが、それ以前に野球というスポーツを楽しみたくて球場に足を運んでいる。プロらしい卓越したプレーを堪能し日常ではなかなか得られない感動に浸るために、なけなしの金をはたいているのだ。

大矢監督、35年ぶりの退場処分子供頃から数え切れない位プロ野球を生で観戦しているが、その中でも昨日の試合は残念ながら3本指に入るレベルのワースト試合と言える。仕事帰りWさんと札幌ドームでその戦況をじっくり見つめたが、表向きはシーソーゲームながら実に締まりがなくお寒いものだった。

以前、ファン離れの要因の一つに“試合時間が長さ”が取り沙汰され論議されていた。サインプレーの短縮・投手交代の時間制限などの様々な改善が謳われはずだが、一体どー認識しているのだ? 特に酷かったのが木塚を始め両軍投手の“間の悪さ”、テンポなくして攻撃に良いリズムが生まれるはずがない。

心中複雑だった大矢監督の退場劇で時間が費やされた部分も大きいが、全体的に漂うダラダラ感とファンを無視した度重なる遅延動作に苛立ちを抑えきれなくなり8回の裏の攻撃中に席を立ってしまった。こんな試合を続けたら「○○さんって超―っ、カッコいいんだけどぉ」などとミーハー丸出しのファンにさえ見放されてしまうだろう。ボクみたいな“純粋ファン”からは尚更に。

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「オイオイ、何でこうも早いのだ!」正面から両肩を揺さぶりながら誰にともなく訴えたいくらい、4年という時間はあまりにも短い。気がつけば来夏 北京オリンピックが開催されるのだから驚きだ。これだもの早くに歳を取る訳だわなぁ、ひょっとしてオリンピックって毎年やってないか? と思う事もしばしばである。

天皇杯ベースボール開催?さて、予てより開催期間中プロ野球の公式戦を減らす方向で議論が進められていたが、ジャイアンツがその対応策を提唱したようだ。何でもプロアマが一堂に会するサッカー的“天皇杯式トーナメント”案らしく互いに交流を図りつつ野球界全体の発展を目指そうとするものらしい。

もちろん、厳しいアジア予選を勝ち抜け出場する事を前提としたプラン。代表選手が不在の間、ペナントレースの順位に反映されないカップ戦で間を繋ごうという事。社会人は問題ないとして、実現のためには学生野球憲章で特例を除きプロ球団との試合は認めていない高校・大学側の理解を得る事が必要だ。

戦力ダウンの状況に陥る、興行的に厳しいなど、様々な点を危惧しての動きだろうが、個人的には大きな影響がないように思える。抜けた穴を埋める選手の成長は図りしれないだろうし、プレーヤー個人ではなく野球というスポーツを純粋に好きで球場に足を運ぶファンの方が多いと考えるからだ。幾つもの難関を越えてまで実現に至るだろうか、これはちょいと見ものである。

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ボクがまだ青春を謳歌していた1979年(昭和54年)、新生西武ライオンズが誕生した。根本監督の下、期待を胸に颯爽と船出したもののシーズンを終えてみると45勝73敗12分、勝率.381で見事に最下位に沈み「長く弱体化したチームが1年目から変わるわきゃないわなぁ」と誰もがそう口にしたものだった。

ライオンズ、ついに10連敗その厳しいスタートを切ったシーズンに記録した12連敗に迫る29年ぶりの10連敗。かつての常勝軍団が見舞われている最下位の屈辱に肩を落とすファンも少なくないだろう。今やチームの柱、若きエースの涌井を立てても悪い流れを断ち切る事ができなかったのが尚厳しい。

松坂が抜けての集客力が低下、裏金問題の処分として今秋ドラフト会議で高校生の上位指名権を剥奪する制裁が科せられ、あげくにここに来て本拠地と2軍の命名権を持つグッドウィルグループの子会社コムスンの不祥事が発覚し、正に弱り目にたたり目のライオンズ。黒い霧事件という大きな不祥事の後に衰退した西鉄時代と重ねるような心無い記事も踊る始末だ。

球団社長が必要以上にフラッシュを浴びた3月、チーム一丸となりオープン戦から開幕戦まで15戦無敗で駆け抜けたように元来力を持っているチーム。その総合的力は決して低くなく、僅かなきっかけで立ち直る術を持っている。早く目を覚まし鋭い牙を剥くがよい!但し、ファイターズ戦以外で頼むぞ。

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「……」。ファイターズの快進撃がついに止まった。

延長10回、スワローズにサヨナラ負けを喫し惜しくも15連勝ならず。いつかは止まるものだと解っていてもやはり残念、試合内容に触れるとポロリと悔し涙が出てきそうなので別の話で気分を紛らわそうと思う。ならば昨日から通算5000勝達成記念イベントとして復活したV9ユニホームを観ての感想である。

V9戦士、集結

どこか“疲れ”さえ感じるアイボリーかかった色合いに、キャップのつば裏の緑色、背中を独占する大きな番号、足元でたわわになるルーズスタイルではない着こなし、どれをとっても懐かしい。子供の頃ONを中心に憧れ続けていた純な気持ちに幾度か戻り、G党でないにも関わらずつい胸が熱くなってしまった。

後で川上氏をはじめ土井、黒江、末次、柴田、堀内など主力メンバーが集結した模様をニュースなどで観たけど、月日の流れを痛い程感じ正直懐かしさよりも切なさの方が強く胸を占めた。独り「背番号3のイメージを裏切りたくなかった」と復刻ユニホームに袖を通さなかったミスターの美学が何だか理解できる。

次の6000勝イベントがもし開催されるとすれば、年間70勝ペースで積み重ねても14年後。その時V9戦士はグラウンドに立つ力を持ち合わせていないかもしれない。時々「もっと若ければなぁ」などと思うが、彼らの現役生活を辛うじてリアルタイムで見られたのだからこの歳に感謝だ。他にはない伝統の重さ、さすがはジャイアンツ。しかと引き継いで行けよ、今の選手たち。

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高橋 直樹 (たかはし なおき)

東京に出張している間も着実に白星を重ね、今日の勝利で実に「じゅ、14連勝」となった。八木、金村、建山らの先発陣を故障で欠いても木下や吉川などの若手がその穴をしっかり埋めて快進撃を続けてしまうのだから「ぬっわっはは」笑いが止まらない。気がつけばこれで貯金も2桁の「10」に到達である。

高橋直樹そこでまたまたファイターズに縁のある選手をピックアップなのだ。高々と右手を振り上げ握りが丸見えのフォームから繰り出される球はシーズン無四球試合11というパリーグ記録を樹立する程の絶妙なコントロールで向かう打者を翻弄したものである。

1945年(昭和20年)、大分県生まれ。津久見高から早稲田大、日本鋼管を経て1968年(昭和43年)ドラフト4位で東映フライヤーズに入団する。1年目から早くもローテーション入りし、いきなり13勝13敗、防御率2.42の成績を残しすっかりチームの看板選手の一人となった。

日拓ホームフライヤーズとなった1973年(昭和48年)6月、バファローズ戦にノーヒットノーランを達成しこの年12勝をマーク、1975・77年(昭和50・52年)には共に17勝、1979年(昭和54年)には20勝11敗4セーブ、防御率2.75という好成績を残し、チームの枠を越え球界を代表する投手としての地位を確立する。

しかし、大沢監督の構想で1981年(昭和56年)、江夏とのトレードでカープへ行くも振るわず、翌年ライオンズに移籍すると初優勝、日本一に貢献した。1985年(昭和60年)に金銭トレードでジャイアンツに移籍したが1勝も出来ずまま翌年ユニホームを脱いだ。引退後はベイスターズとロイヤルズで投手コーチに就任。現在はNHK・メジャーリーグ中継の解説などを務めている。

【 生涯通算成績 】(実働19年) 493試合登板、169勝158敗、13S、防御率3.32、最優秀勝率1回

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1961年(昭和36年)、ファイターズの前身である東映フライヤーズに名将 水原茂が監督に就任した。技術云々よりも手始めに行われた意識改革が1年目から早くもチーム全体に浸透してか9月に、この年首位打者に輝いた張本や30勝を挙げた土橋らの活躍で当時の球団新記録となる11連勝を飾っている。

11連勝で通算300勝それから45年の歳月を経て、昨シーズン交流戦最終試合となった6月20日のスワローズ戦から白星を積み重ね肩を並べた時には、今後何年も破る事のできない歴史の一瞬を目撃したような興奮状態に陥ったものだが、まさか今年もやってくれるとは、いや~正直驚きだ。

相手を捻り潰すような破壊力や圧倒的な強さを感じないが、チーム一丸となって成し得た快挙。新庄、小笠原、岡島の抜けた影響からか一時低迷していただけに、昨年以上に価値ある連勝である。場当たり的な大型補強に決して頼らず選手の育成・若手の起用に取り組み続けてきた結果だと思うと、尚嬉しい。

グリン-武田久-マイケルの完封リレーでタイガースに2-0と勝利。マリーンズが持つ交流戦連勝記録「9」と、ヒルマン監督の通算300勝達成のおまけも付き、再び球団新記録をかけた挑戦権を手にした。次に迎え撃つは調子の上向くカープだが、今度こそ札幌で新たな金字塔が打ち立てられるに違いない。

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「10連勝が懸かるうえに、相手がタイガースとなれば行かねばならん!」と拳を固め、息子と2人札幌ドームへ足を運んだ。「当日券は完売でぇーす」という声とプラカード、更にいつになく目に留まる対戦相手の黄色く膨らむ一団の数に球場入り前からテンションが上がり、逸る気持ちを抑えながら歩を進めた。

アニキの満塁弾に冷や汗ボクにとって最も観たかったカード。たとえ今はやや精彩を欠く状態であれ、ジャイアンツ同様タイガースは子供の頃からどこか特別な思い入れがあるチームだ。憧れとでも言おうか厄介な“トラ”ウマ的感情を未だに持ち続けているせいだろう、未だにしかと眩しい存在なのである。

試合はと言うと、ダルビッシュが8回を1失点で抑える好投を見せ、打っては賢介の先制二塁打や稲葉の2ランなどで加点し一時は8-1とリードしたが、9回にせっかくチャンスを与えられた須永が尻込みしたピッチングで金本に満塁弾を浴び自滅。最後は冷や汗勝利となり、ちょいと気分が悪い幕切れとなった。

過去何度も観ては感動さえ覚えた迫力のある応援も相変わらず健在で、悔しいかな紛れもなく日本一熱いファンを持つ球団である事を再認識させられた。あれだけの後ろ盾があればどこの球場でもタイガースにとってはアウェイじゃないだろうなぁ。敵ながらあっぱれである。今日も“のせる前に”先行し逃げ切りを図りたいところ、目指すは昨シーズンに続く11連勝だ。

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ここに来て連勝を飾るも今ひとつ調子に乗り切れていないタイガース。交流戦で気分転換と思いきや相変わらず苦戦を強いられている。グラウンドでプレーする選手たちを見ていても何だか強さを感じないのだが、「それも全てあのユニホームのせいだ」と映し出される試合の模様を観ては独り目を覆っている。

何だかなぁ、タイガースの交流戦ユニホームユニフェチのボクが今季唯一触れなかったのが今回のタイガース交流戦ユニホームだ。ファンの方には大変申し訳ないが、見た瞬間からあんぐりと空いた口が塞がらなくなり書く気を奪われてしまった。反対意見に潰される事なく、なぜ日の目を見たのか未だまったく理解できない。

タイガースと言えば、球団創設以来チーム名ロゴを変えない希少な球団として知られていたが、伝統の“Tigers”のロゴも見るも無残に変更。大阪近鉄時代のバファローズ同様、“コシノヒロコマジック”(?)によって見事にシックなピエロ風戦闘服に仕上がった。シーズン用でなかったのがせめてもの救いである。

三宅一生が手掛けたダイエーホークスの「ガッチャマン」ユニに負けないくらいのデザインに怒り心頭のファンも少なくないようで、「草野球でも、こんなの着ないぞ!」と声を荒げるブログ記事も幾つか目にした。6月2日(土)・3日(日)とファイターズとの連戦でその姿をナマで見る事ができるが、札幌のタイガースファンの気持ちを思うと何だか居た堪れなくなってしまうなぁ。

好き嫌いはあれど球団関係者の皆さま、これは反省ですぞ。

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