松本 幸行 (まつもと ゆきつら)
ONを擁し強く輝いていたジャイアンツの10連覇を阻んだ与那嶺ドラゴンズ。その中にあって星野仙一に並び堂々と君臨した左のエースである。捕手からボールを受け取ると直に投球動作に入り、一度腰に巻きつけるように握りを隠す独特なクイック投法で打者を幻惑していた。その姿が今も深く記憶に残っている。
1947年(昭和22年)、大阪府大阪市生まれ。大阪商業大学附属高校からデュプロを経て1970年(昭和45年)、ドラフト4位でドラゴンズに入団する。1、2年目は2勝、5勝と1桁勝利に終わり伸び悩んでいたが3年目に13勝を上げると以後、5年連続2桁勝利を飾り投手陣の柱となった。
中でも1974年(昭和49年)には20勝9敗で最多勝に輝き、20年振りのリーグ優勝に大きく貢献。翌年には開幕投手も務め17勝を記録した。ドラゴンズで98の勝星を積み上げ、1980年(昭和55年)、三枝 とのトレードでブレーブスに移籍すると6月には100勝を達成、見事10勝をマークするなど気を吐いた。
しかし、翌年 3勝に終わると、この年限りで現役を引退。「サインは投げながら見ていた」と本人も豪語しているように投球間隔が非常に短い「早投げ」で知られ、登板し完投した試合は2時間強で終わる事も珍しくなかった。また、酒豪としても知られ年棒の半分は前借でなくなっていたという伝説もある。
【 生涯通算成績 】(実働12年) 389試合登板、111勝98敗3S、防御率3.53、最多勝1回、最高勝率1回
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ONを擁し強く輝いていたジャイアンツの10連覇を阻んだ与那嶺ドラゴンズ。その中にあって星野仙一に並び堂々と君臨した左のエースである。捕手からボールを受け取ると直に投球動作に入り、一度腰に巻きつけるように握りを隠す独特なクイック投法で打者を幻惑していた。その姿が今も深く記憶に残っている。

中でも1974年(昭和49年)には20勝9敗で最多勝に輝き、20年振りのリーグ優勝に大きく貢献。翌年には開幕投手も務め17勝を記録した。ドラゴンズで98の勝星を積み上げ、1980年(昭和55年)、三枝 とのトレードでブレーブスに移籍すると6月には100勝を達成、見事10勝をマークするなど気を吐いた。
しかし、翌年 3勝に終わると、この年限りで現役を引退。「サインは投げながら見ていた」と本人も豪語しているように投球間隔が非常に短い「早投げ」で知られ、登板し完投した試合は2時間強で終わる事も珍しくなかった。また、酒豪としても知られ年棒の半分は前借でなくなっていたという伝説もある。
【 生涯通算成績 】(実働12年) 389試合登板、111勝98敗3S、防御率3.53、最多勝1回、最高勝率1回
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