松原 誠 (まつばら まこと)
「ロダン」(考える人)と呼ばれる程、打撃を突き詰めるタイプで主砲として毎年着実に安打・本塁打を積み重ねた。守備では持ち前の器用さから投手を除く全ポジション (一塁1592試合、捕手39試合、二塁38試合、三塁568試合、遊撃17試合、左翼2試合、中堅2試合、右翼47試合) を経験した選手である。
1944年(昭和19年) 、埼玉県飯能市生まれ。飯能高校からテスト生として1962年(昭和37年)、ホエールズ入団。捕手で入るも2年目に一塁手に転向し1966年(昭和41年)に打率.294の成績でレギュラーを獲得、翌年から三塁手に転向しても尚、安定した活躍を見せる。
1970年(昭和45年)に30本塁打を放つと、この年から8年連続20本塁打以上を記録。1971年(昭和46年)に再び一塁手へ戻り、1977年(昭和52年)に34本塁打、翌年には打率.329とタイトルを逃すも共に自己ベストをマーク、1980年(昭和55年)4月には史上12人目となる通算2000本安打を見事に達成した。
翌年、ジャイアンツへ移籍し現役生活最初で最後となるリーグ優勝と日本一を経験。日本シリーズではファイターズの江夏から初打席にして初本塁打を放つ。その年限りで現役を引退し、ホエールズ、ジャイアンツ、カープの打撃コーチやベイスターズのヘッド兼打撃コーチを歴任。現在は解説者を務めている。
【 生涯通算成績 】(実働20年) 2190試合出場、2095安打、331本塁打、1180打点、打率.276
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「ロダン」(考える人)と呼ばれる程、打撃を突き詰めるタイプで主砲として毎年着実に安打・本塁打を積み重ねた。守備では持ち前の器用さから投手を除く全ポジション (一塁1592試合、捕手39試合、二塁38試合、三塁568試合、遊撃17試合、左翼2試合、中堅2試合、右翼47試合) を経験した選手である。

1970年(昭和45年)に30本塁打を放つと、この年から8年連続20本塁打以上を記録。1971年(昭和46年)に再び一塁手へ戻り、1977年(昭和52年)に34本塁打、翌年には打率.329とタイトルを逃すも共に自己ベストをマーク、1980年(昭和55年)4月には史上12人目となる通算2000本安打を見事に達成した。
翌年、ジャイアンツへ移籍し現役生活最初で最後となるリーグ優勝と日本一を経験。日本シリーズではファイターズの江夏から初打席にして初本塁打を放つ。その年限りで現役を引退し、ホエールズ、ジャイアンツ、カープの打撃コーチやベイスターズのヘッド兼打撃コーチを歴任。現在は解説者を務めている。
【 生涯通算成績 】(実働20年) 2190試合出場、2095安打、331本塁打、1180打点、打率.276
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