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幼い頃から「野球ファン」を長年やってきているが、過去振り返っても今年ほど充実した1年はなかったかもしれない。WBCの優勝で始まり、3連覇を逃すも駒大苫小牧高校の夏の甲子園で見せた準優勝、そして最後に想像だにしていなかったファイターズの優勝と、狂喜乱舞の舞台が見事に幾つも重なった。

年末挨拶

北海道に住んでいる多くの方がボクと同じ気持ちでいたはずで、一様に忘れられない年になるに違いない。これ以上の結果を望むのは極めて難しいのは百も承知だが、来年も大いに野球を楽しみたいものである。もっとも結果ばかりではなく、過程を重視する方なので如何なる状況でも全く問題はないけれど。

今年1年、多くのコメントを寄せて頂いたりTBを含め当ブログにお越しくださった皆々さま、本当にありがとうございました。 3年目に向け来年もマイペースで野球ネタを書き綴って行きますので、引き続きご贔屓にお願いします。ここに来て未だ年の瀬という感じがしないボクですが、皆さん良い年をお迎えください。

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鈴木 貴久 (すずき たかひさ)

このシリーズも今回でちょうど50回目になる。節目でもあるし さて 誰を取り上げようとあれこれ考えたが、ボクにとって一番近い距離にいたプロ野球選手に触れる事にした。以前 何度も書いたが、歳が近く兄貴的存在だったボクの親戚と高校時代チームメイトで、後のいてまえ打線の中軸を担った人物である。

鈴木貴久1963年(昭和38年)、旭川市生まれ。旭川大高では、第62回夏の甲子園に出場、2年で4番を務め3回戦まで進出を果たす。(ちなみにこのチームで主将だったのがボクの親戚である) その後、電電北海道を経て1984年(昭和59年)ドラフト5位でバファローズに入団した。

確か契約金が3000万円、年俸は320万円だった。1年目こそ1軍に上がらずに終わるも、2年目から徐々にその実力を開花、63試合に出場し打率.236、本塁打9本を放ち存在感をアピールする。3年目の1987年(昭和62年)から4年連続で20本塁打以上を記録、猛牛打線の一角として大いに活躍し続けた。

1992、93年(平成4、5年)とケガや若手の台頭で出場機会が減るが翌年から復活。その後の4年間も規定打席に達する健在ぶりを見せつけ1997年(平成9年)4月8日、マリーンズとの開幕戦では大阪ドーム公式戦初アーチを描くが、2000年に僅か11試合の出場に止まるとその年限りでユニホームを脱いだ。

引退後はそのまま2軍の打撃コーチに就任、二人三脚で大西ら次世代の若手を育てる。しかし、その半ば2004年5月17日、急性気管支炎のため40歳の若さで急逝。ボク個人、あまりにもショックで暫し放心状態に陥った。他界しなければ熱血指導の名コーチになっていたに違いなく、未だ惜しまれてならない。

【 生涯通算成績 】(実働15年) 1501試合出場、1226安打、192本塁打、657打点、打率.257

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ファイターズのマスコットB☆B(ブリスキー・ザ・ベアー)が2年の複数年契約で合意した。昨年現物支給された4000円の新巻鮭1本から大きくベースアップし、今回は“現金”とボーナスに2万円相当のタラバガニが手渡された。年明けには目と鼻をプチ整形し更にカワユク進化し来季に向け気分も一新するようだ。

坪井、再契約同じくこの日、今オフに自由契約になっていた坪井が晴れて再契約を交わした。「だったら初めっからクビにするんじゃねぇよ」という声もちらほら聞こえてきそうだが、そこは色々な事情があっての事。背番号はこれまでと同じ「7」に決まりプロ10年目にして新たな挑戦が始まる。

年俸は9000万円から2000万円に大幅なダウンするも一定額補える形で出来高が付けられた。まだ老け込む歳じゃないし実力だってそんぞそこらの若手に引けを取らない。長野の獲得に失敗した影響である事は想像に容易いが個人的にはこちらの方が歓迎である。何より経験と実績が確かであるからにして。

とは言え、若返りを積極的に図るチームの中で出場機会を得るためには相当なアピールが必要だ。坪井本人もその辺は充分理解し「1回、死んでいる身なので、這い上がるしかない」と決意も固い。傷ついたプライドと引き換えに強い闘争心を得た今、かつてのような輝きをぜひ、取り戻して欲しいものである。

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華やかに彩られたクリスマスイルミネーションも今日で姿を消し、今年もいよいよ残すところ1週間を切ってしまった。球界の話題は大詰めを迎えた契約更改が中心となり、2度目に挑む選手や各チームの真打の登場が続いている。うな垂れる者、涙する者、笑顔の絶えない者など、今年もその表情は様々だ。

ノリ、厳しい契約更改タイガースの藤川が2度目の交渉で昨シーズンのプロ野球記録80試合に続き今季も63試合に登板、防御率も0.68と活躍が認められ1億円増の1億8000万円で合意、ドラゴンズの川上も1億円増の年俸3億4000万円で一発サインし今季球界No.1の年棒投手となった。

一方、我がファイターズのダルビッシュも藤川同様2度目の契約交渉に臨んだが、前回と同じ4000万円増の年俸7000万円の提示を受け再び物別れに終わった。何でも希望額と1500万円程度の開きがあるようだが、確かに優勝への貢献度は認めるも ボクにはちょいとばかり“欲”が強いように思えてしまう。

1年先も掴めない厳しい世界である事は解るが「君はまだ若くきっと明るい未来がある、これから幾らでも稼げば良いじゃない」といった心境だ。ダルビッシュの場合、活躍したうえでの交渉なのでまだ心中察する部分もあるが、バファローズの中村は8000万円貰えるだけ幸せと思わなきゃいかん立場にある。

清原の現状維持を盾に、トレードや自由契約を強気で仄めかしているが、やってみると良い。そうすれば今、自分が置かれている真の評価に気づくはずだ。身の丈を改めて認識すべきかもしれない。もちろん、どちらもボクの個人的な私見だけど。

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ファイターズファン且つ北海道在住の方以外には、どーでもいい話題だけど、ダルビッシュが来年からコラムに挑戦するらしい。掲載されるのは地元情報誌「北海道ウォーカー」で開始号、掲載ページ数などの詳細は今のところ未定なものの1年間の実施を予定。企画内容は一般読者から募集するという。

ダルビッシュ、コラムに挑戦確かに、現在発売中の同誌2007年第1号でダルビッシュの巻頭インタビューが掲載されているが(立ち読みで済ましてしまいましたスイマセン)、何でもこの特集記事の影響で売上が急上昇し、早速出版社サイドが連載を打診したところから今回の運びに繋がったようなのだ。

一選手がハードなシーズン中にペンを握る自体、異例なことだが、こうしてクリスマスイヴの忙しい最中でもきっちり記事をアップする位の気構えがあれば、なーに大丈夫である。(なんのこっちゃ) 新しいファン層の開拓にも充分期待が持て、どんな内容を書き綴るのか個人的に今からちょいと楽しみだったりする。

地元札幌の小学校に訪問した時に生徒から出た「将来はメジャーに行きたいですか?」の質問に「子供の頃からずーっとプロ野球に憧れていたので、それは絶対にありません」と答え生涯ファイターズに在籍する予感さえ働かせてくれたダルビッシュ。新庄・小笠原が抜けた後、真のチームの顔になるためにも、なかなかどーして良い試みだと思うけど、さてどーでしょう?

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加藤 英司 (かとう ひでじ)

東京は暖かい。襟を立てマフラーを巻き歩く人の姿が妙にオーバーに感じた。日本は狭いようで広いなぁなどと思いつつ出張から帰ってきたが書くネタが浮かばないのでいつもの名選手話である。今日はブレーブス、カープ、バファローズ、ジャイアンツ、そしてホークスと5球団を渡り歩いた強打者を取り上げる。

加藤英司1948年(昭和23年)、静岡県生まれ。PL学園から松下電器を経て1968年(昭和43年)ドラフト2位でブレーブスに入団する。1、2年目は出場機会に恵まれなかったが3年目の1971年(昭和46年)、一塁手のレギュラーを定着すると2年後に早くも打率.337で初の首位打者に輝いた。

1975年(昭和50年)、32本塁打、97打点で打点王とMVP、1979年(昭和54年)には打率.364で2度目の首位打者を獲得すると共に35本塁打、104打点と自己最高の成績をマーク。しかし1982年(昭和57年)に打率.236に終わると、若手切り替え方針の一環として水谷とのトレードでカープに放出される。

成績不振で1年後にはバファローズへ移籍、その2年後にはジャイアンツに渡るも2000本安打目前で解雇の憂き目にあう。1987年(昭和62年)、ブレーブス時代の恩師西本の口添えでホークスに移籍。奇しくもそのチームメイトだった山田からホームランを放ち念願の大記録を達成し、同年一戦を退いた。

引退後は解説者を経てファイターズのコーチに就任。2003年から2年間古巣の配下サーパス神戸の監督も務めた。

【 生涯通算成績 】(実働18年) 2028試合出場、2055安打、347本塁打、1268打点、打率.297、首位打者2回、打点王3回、MVP 1回

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入団2年目の1987年(昭和62年)、プロ初完封勝利を飾った対カープ戦。ボクはその模様を札幌円山球場の一塁側内野席で観戦していた。自身で3ランも放ちこの日は正に“ワンマンショー”、躍動感あるその若き姿にすっかり魅了され それ以来20年もの間注目し続けている選手がいる。それが桑田である。

桑田、パイレーツへ入団生涯200勝に拘り現役続行を希望、舞台をメジャーに求めた姿を追いかけていたが、正直随分やきもきしていた。衰えを隠しきれない投球に加え代理人を雇わない直接交渉、よくぞここまで辿り着いたといった感じである。それでも思いを果たしてしまうなんざ、う~む、さすがだ。

結局、ジョーブ博士のいるドジャーズではなく、松坂・岡島が入団し一番待遇の良いオファーのあったレッドソックスでもなく、最終的に選んだのはベテラン投手の補強を検討するパイレーツ。金ではなく目的は野球の修業と語り、憧れのクレメンテが過去に在籍していた点を重視した上での結論となった。

懸案だったビザ問題もメドがつき近日中にマイナー契約を結ぶ見込みで、来春には招待選手としてメジャーキャンプに参加し昇格を目指す。パ軍は実績と経験が乏しい若い投手が多いので桑田にとって最も活躍の場を見出せるチームと言えるかもしれない。ある程度約束された道が開かれている松坂・井川あたりよりも俄然応援に力が入りそうだ。「頑張れ、桑田!」。

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J史上最多の65,000人のサポーターが詰め掛けての歓喜の渦、紙吹雪が舞い「We are Reds!」の大合唱がこだまする。シーズン中はもちろん、サポーターと一体になっているその様に改めて強い驚きと羨望の念を抱いた。国内に数あるプロスポーツチームの中でも地域に根付いた成功例の象徴と言える。

レッズVパレードそれを観ていて、同じ埼玉にホームを置くライオンズが日本一に輝いた時の状況をふと思い出した。2年前12年ぶりに頂点に立ったものの、当時オーナーだった堤くんが有価証券報告書の虚偽記載をやらかし、そのとばっちりで優勝パレードが自粛に追い込まれた日の事をだ。

ファンと地域住民が一体となり喜びを分かち合うイベントが、世間の目を必要以上に恐れたせいか親会社の一方的な都合でいとも簡単に失われた。当時のライオンズはファンものではなく、ましてや地域のものでもなく、悲しいかなレッズとは対極的な場所にいたと言わざるを得ない単にオーナーの私物だった。

シーズン前「所沢ライオンズ」へ変更するという話題が持ち上がったが頓挫した。「鉄道の利用客は東京に多い」という理由で異を唱えた球団関係者の影響もあったようで、相変わらず“親会社絶対主義”が存在する。ライオンズに限らず球界全体で「Jの理念」を少し吸収すべきだと事あるごとに思ってしまう。

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穴吹 義雄 (あなぶき よしお)

今日はちょいと古めの選手についてである。残念ながら現役時代を知らずどこか戸塚ヨットスクールの校長に風貌が似ている指導者の姿しか見た事がない。バファローズから戦力外通告を受けバッティングセンターで働くドラこと山本和範をプロの世界へ呼び戻した人物として記憶している人も少なくないだろう。

穴吹義雄1933年(昭和8年)、香川県生まれ。高松高から中央大を経て1955年(昭和30年)に鳴り物入りで南海ホークスへ。入団にあたり8球団による争奪戦の末、5000万という当時では破格な契約金が動いたとされ『あなた買います』と題した小説(のちに映画化)のモデルにまでなった。

1956年(昭和31年)、対ブレーブスとの開幕戦でいきなりデビューを果たすと、柴田からサヨナラ本塁打を放ち脚光を集める。翌年には三塁に森下、蔭山がいたため外野手に転向し、打率.274、15本塁打、51打点を記録。この年、前走者の岡本を追い越してアウトになるという珍プレーも演じている。

1959年(昭和34年)の打率.287、15本塁打、66打点を最高に、その後若手の台頭などもあって1968年(昭和43年)限りで現役を引退。翌年から打撃コーチ、1973年(昭和48年)から二軍監督を歴任し、1983~85年(昭和58~60年)の3年間は一軍監督としても指揮を執る。退団後は野球解説者を務めていた。

【 生涯通算成績 】(実働13年) 1166試合出場、814安打、89本塁打、404打点、打率.264

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子供のような満面の笑顔である。落札からほぼ1ヶ月、すったもんだの末 ようやく松坂の交渉がまとまりレッドソックスから正式に入団が発表された。背番号はライオンズ時代と同じ「18」、6年契約で総額5200万ドル(約61億円)、成績によっては最大で6000万ドル(約70億2000万円)になる可能性もあるという。

松坂、晴れてレ軍入団「え~、ボクの年収が○○○万円だから…」と比較対照が小さすぎて何倍に相当するのか電卓を使い割ってみるのも困難だ。松井がヤンキース入団時に交わした4年総額5200万ドルを上回る日本人最高額での大型契約、一部で批判があるも期待の高さに他ならない。

ライオンズで積み上げた通算108勝60敗の実績に加え、3月のWBCで世界No.1投手としてMVPに選ばれた事が米国での評価を更に大きく変えた。そのうえ日本人を中心にした集客やグッズの売り上げ、放映権収入の見込みなども計算でき、充分に採算が取れる価値ある選手と判断され、ここまで膨らみを持たせる結果になったはずだが、それにしても凄いなぁ。

先に契約を済ませた岡島と揃ってのリレーが見られるかもしれないし、イチローや松井秀との対戦も楽しめる。プロ1年目の年俸1300万円から僅か8年で50倍以上に跳ね上がったその期待の額に恥じないような活躍を見せられるか、相当な重圧もあるだろうが松坂なら大丈夫だ、きっとそれもバネに変えてくれる。

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全日本プロ野球ユニホームフェチ協会(もちろんそんな団体はありません、現在会員2名)の会長兼理事長を務め多忙な(?)日々を送るボクにとって無視できないニュースが飛び込んで来た。イーグルスより一般公募で寄せられた約100通の中から選ばれたという新ユニホームがもの凄くジミながら発表されたのだ。

イーグルス、公募新ユニホームホーム用でもなくビジター用でもないそのユニホームは来季のシーズン中にフルキャストスタジアムで開催される「ファンクラブデー」の1試合のみで着用する新アイテムのようで、交流戦のそれと幾分被る雰囲気が漂うも胸のアクセントが大胆でなかなかユニークなものである。

何だか“悪の秘密結社の戦闘員”を彷彿させるが斬新で面白い。地域、ファンとのパイプ作りに躍起な球団が自軍を少しでも身近に感じてもらおうと考えての仕掛けとしては大変良い試みだ。ファイターズがこれを実施した日にゃ、ボクなら間違いなく睡眠時間を惜しんで毎日デザイン作業に没頭し続けるだろう。

生で見られないのがちょいとばかり残念だが、楽しみが一つ増えた。ファイターズが来季ビジターユニを変更するという情報がシーズン中に流れたものの優勝したとあっては“げんを担いで”継続してしまうかもしれない。「もし、リニューアルするなら幾つかのアイディアを提供する事もやぶさかじゃないですぜ、球団担当スタッフの皆さん」と何故か上からの目線で言ってみる。

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何度も書き綴られていた“入団へ軟化”の情報はどこへ。注目の初交渉の席で改めて長野が入団拒否の姿勢を示した。ファイターズのスカウト陣からのプロ、ジャイアンツのどちらに行きたいのか?との問いに「ジャイアンツに行きたい」と迷わず答え、具体的な条件提示までには結局至らなかったようだ。

長野、やはり入団拒否決して強がりではないが正直 特に残念とは思わない。戦力的に未知数な選手だけに初めからいないと思えばそれまでで、実績がある選手を獲り損ねた訳ではない。ただ、将来ある若い選手から入団を拒まれた事実はファイターズファンのボクにとって寂しい限りである。

結局、坪井・森の退団2選手に対し現状補強できている外野手はルーキーの金子のみ、当初の計画が狂ったのは間違いなく「プロテクト選手を見てから決めたい」と小笠原の人的補償に消極的だったファイターズも、ここに来てようやく腰を上げるかもしれない。中途半端な人材を補強するぐらいなら紺田や糸井らを育てる事を第一に考え、後は育成資金にあてて欲しいと思う。

何度も苦言を呈しているので今回は敢えてとやかく言うつもりはない。2年後の希望枠制度と憧れの原政権の存続は? プロ入りへの遠回りが後悔に繋がらないよう、一プロ野球ファンとして陰ながら願っている。ある意味その頑なまでのこだわりを大切にすると良い。もっとも今以上の技量を得る事が先決だが。

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ジャイアンツが相変わらずビジョンなき補強に奔走している。昨年の野口、豊田に続き今オフも小笠原、門倉のFA組みを獲得。あげくに無償トレードで得たはずの小久保がFAで古巣に戻ると人的補償でちゃっかり吉武を求める始末。まるで付けもしないのに幾つもの宝石を買いあさる高級マダムのようである。

人的補償に吉武多くのブログを拝見すると予想以上に門倉・吉武獲得の反対意見が多かった。しかもジャイアンツファンにこれが結構評判が悪い。どなたも生え抜き選手の育成をやはり強く望んでおり、伸び盛りの選手の出場機会を危惧するなど、ファン気持ちは一向に届いていないようだ。

中には「別に略奪している訳じゃないし、選手から来たいというので獲っているだけだ」という意見もあったが、そもそもジャイアンツから獲得の意思表示をしない限りこんな度重なる状況にはならない事をまず認識しましょう。まさか土下座して「入れてくださいっ!」と涙ながら嘆願されている訳ではあるまい。

通告された吉武もショックだったようだが、更にファンの気持ちも痛んだように思う。寄せ集められた選手と控えに甘んじる選手が共倒れしない事を願わずにはいられない。こうして厳しい眼差しが向けられるのも裏を返せば注目されている証拠、なんやかんや言っても老舗人気球団の宿命なのかもしれない。

現にボクもこうして気になっている。こんな記事を書きつつもジャイアンツの復活を望んでいるのだから親父心は複雑だ。

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石井 浩郎 (いしい ひろお)

腕と腰の使い方が妙に固いバッティングフォームが印象的である。朴訥の人柄もあって、「野球界の侍」などと呼ばれていた。「どーやって口説いたのだぁ」と当時不思議に思ったものだが、私生活ではシンガーソングライターの岡村孝子と結婚。振り返り見ると輝きはほぼ「いてまえ打線」の頃に濃縮されている。

石井浩郎1964年(昭和39年)、秋田県生まれ。秋田高時代には甲子園出場経験はなく一般入試で早大(夜間)に合格し日米野球に出場するまでに飛躍。その後プリンスホテルに在籍、通算32本塁打を放ち全日本代表でも4番を務め1989年(平成元年)ドラフト3位でバファローズに入団する。

1年目は規定打席不足ながらも打率.300、22本塁打を記録。入団から5年連続で20本塁打以上を記録し4番打者として362試合連続試合出場を果す。1996年(平成8年)に左手首を骨折し僅か2試合の出場に留まると協約違反の50%ダウンの年俸提示を受けジャイアンツへ移籍、主に代打として活躍した。

2000年には河本とのトレードでマリーンズへ移るが2001年オフに戦力外通告を受け翌年ベイスターズへ渡りこの年限りでユニホームを脱ぐ。引退後は飲食店などの経営を手がける傍ら野球解説者を経てライオンズの二軍監督も務めた。昨年よりプロ野球マスターズリーグ・札幌アンビシャスに参加している。

【 生涯通算成績 】(実働13年) 974試合出場、894安打、162本塁打、536打点、打率.289、打点王1回、最多安打1回

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相変わらず“渋チン”な虎のフロント。一昔前を考えれば理解を示し、随分太っ腹になって来たと思いきや、またまた本来の実力(?)を発揮。低迷している責任を一方的に選手に擦り付けている感が否めなかった頃に比べ、ここ数年の躍進でそれも影を潜めかのように思っていたが、あまりにも配慮がない姿勢だ。

関本、涙の会見故障の今岡の代わりに2番・三塁を務め、規定打席に到達しなかったものの132試合に出場し打率.301、9本塁打、33打点をマークした関本に対して球団が提示した金額は1000万増の4000万円。一体どーいう査定をしたらこんな低い金額が出てくるのか、苦笑してしまう。

あげくに交渉中に球団側の交渉役が「あくび」をしたというから呆れる。当然言われた当の本人は否定しているが、下交渉時の出来事という説もあれど関本の涙ながらの訴えを見るに事実には違いない。やり遂げた自信を持って挑んだ契約更改の席でこの対応では選手のやる気を殺ぐのは明らかである。

それを受けて現場の岡田監督は「ちょっと低いな。セキがおらんかったら2位はなかったでぇ」と擁護。今季の働きを高く評価すると共に「井川マネー」の還元を球団側に訴えた。徹底抗戦の構えを崩さず断固納得するまで交渉し、無礼な言葉や態度に対してもスッキリさせるべき。それだけ価値のある成績だ。

これじゃ仮にフル出場し3冠王を獲っても2000~3000万円アップが関の山。既に上積みを示唆しているようだが、しっかりした判断を頼むで球団患部、もとい幹部。ホント嘆かわしい。

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水上 善雄 (みずかみ よしお)

現役時代、華麗な守備で魅了した水上が来季からファィターズの2軍内野守備コーチに就任する。ボクの中ではタイプこそ若干違えど雰囲気といい今でいう西岡的な存在として見ていた。現役時代と同ポジションで将来性が嘱望される若手の陽の強化をまずは目標に挙げ、今から強いやる気を見せている。

水上善雄1957年(昭和32年)、神奈川県横須賀市生まれ。桐蔭学園高から1975年(昭和50年)、ドラフト2位で指名されオリオンズに入団する。1~3年目までは2軍で経験を積んだが4年目の1979年(昭和54年)に遊撃手の定位置を掴み、以後チームを牽引する中心選手として活躍した。

1980年(昭和55年)には33犠打で当時のパ・リーグ記録を樹立。翌年にはチームの前期優勝に貢献する。自身唯一打率3割を記録した1983年(昭和58年)まで4年連続全試合出場を果たすが、1990年(平成2年)には高沢と一緒に高橋・白武・杉本との交換トレードでカープへ移籍。翌年にはホークスに渡った。

しかし、2年間在籍するも出場機会に恵まれず1992年(平成4年)限りで現役を引退、現在は野球解説者を務める傍ら熱心に少年野球の指導に携わりマスターズリーグ・東京ドリームスの選手としても活躍している。世間に賛否両論を巻き起こした肩にかかる程の長髪姿が今も尚、鮮明に記憶に残っている。

【 生涯通算成績 】(実働17年) 1546試合出場、1011安打、105本塁打、450打点、打率.244

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明日の我がチームを担うルーキーの門出とあれば触れずにいられる訳がなく、今年に入り初めて1日に2本目の更新である。

今日、晴れて札幌市内のホテルで台湾遠征中の糸数(3巡目・亜大)、アジア大会参加中の長野(4巡目・日大)を除く8選手の入団選手発表が行われた。昨日から市内に入り合宿所や屋内練習場などを見学、高揚した気持でこの日を迎えた事だろう。プロの世界への第一歩、どの顔も初々しく新鮮だ。

◆ 入団選手の詳細は下記の通り ( ※〈 〉の中は背番号 )

2006年入団発表

【大学・社会人】
希望枠 宮本賢投手(22)早大 174 78 左投左打〈17〉
5巡目 山本一徳投手(23)早大 184 90 左投左打〈44〉
6巡目 金子洋平外野手(25)ホンダ 177 83 右投右打〈40〉
7巡目 今浪隆博内野手(22)明大 170 75 右投左打〈45〉
8巡目 内山雄介投手(22)旭川大 182 83 右投右打〈49〉

【高校生】
1巡目 吉川光夫投手(18)広陵高 177 73 左投左打〈34〉
3巡目 植村祐介投手(18)北照高 180 80 右投右打〈46〉
4巡目 ダース・R匡投手(17)関西高 190 79右投右打〈66〉


希望枠の宮本はもちろん、個人的に6巡目の金子に注目している。守備に若干不安があるようだがアマ球界において日本代表の4番を務めていた逸材、時間をかけずに直に頭角を表して欲しいものである。後は追いかけ長野が糸数と肩を並べて入団会見の席に着いてくれる事を楽しみに待ちたい。

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新庄の抜ける外野手の補強が急務だ。地元のスポーツ新聞を始め過去何度かファイターズが多村の獲得に乗り出すという記事が紙面を飾った。交換要員は金村を軸に水面下で交渉を進めて行くかのごとく書かれていたが、あれは事実だったのだろうか?結果は違えど多村は予定通り(?)「パ」にやって来る。

多村・寺原電撃トレード

ベイスターズの多村とホークスの寺原の交換トレードが今日 両球団から発表されたが、実績を照らし合わせるに正直ちとバランスの悪さを感じた。長打力のある外野手を狙うホークスと門倉の抜けた穴を埋めるべく投手力の強化を目指すベイスターズの思惑が一致した上での成立と理解できるが。「う~む」。

今季は故障もあって39試合の出場に止まり打率も.276、8本塁打と振るわなかったが、昨年は打率.304、31本、一昨年に及んでは打率.305、40本塁打と活躍した選手である。吉村の飛躍があるとはいえ相手が寺原となると、いささかベイスターズの方が分が悪いように感じてしまう人も少なくないはずだ。

とは言え、寺原も故障で遠回りしたが、今季は3年ぶりの勝利を挙げるなど上昇傾向にあり、元々持つ自力は誰もが認めるところ。今後を考えるとベイスターズにとってもプラスなのかもしれない。ズレータの自由契約でバタつくも小久保の復帰と今回の獲得、着実に進む戦力補強が何とも羨ましい限りである。

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ミスターの笑顔はいつ見ても良い。周囲はおろかTV画面を通して見ている人でさえ明るくしてしまうようなオーラは歳を重ねた今でも変らず健在だ。熱狂的なファンであるがためにそれにはホント癒される。ボクにとって何よりの「萌え~っ」なのだ。見る限り顔ツヤも良さそうだし、元気そうでホッと一安心である。

ミスター、OB会出席往年の名プレーヤーが集う巨人OB会総会が開かれ、ミスターが3年ぶりに出席した。何もこんな事で各紙揃って取り上げなくっても、と思いつつボクもしっかり書いている。記事にすれば目を惹くという打算もあるだろうが、結局 新聞社サイドにも長嶋ファンが多いという事だろう。

注目の挨拶こそなかったが来季に賭ける思いを原監督が発表すると、すかさず「頑張りなさい。自分のやり方でやりなさい」と激励したらしい。僅か1時間程の出席に留まり直ぐに帰路についたが、出席者は一様に「お元気でした」と口を揃え、脳梗塞からのリハビリが順調に進んでいることを感じ取ったようだ。

その場の勢いとは云え、「元気ならぜひ」と前置きしながら席上で広岡副会長を始めOB会の重鎮らも2008年北京五輪でミスターが日本代表の指揮を執ることを支持したと言うが、現場への意欲を掻き立てたうえで完全復調してもらおうと願うパフォーマンスと捉えれば、なかなかどーして温かい仲間達である。

こりゃ、ちょいと良いように考えすぎかな…?

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ドラフト会議の結果を受けた記者会見で“断固ファイターズ入り拒否”の姿勢を貫いていた長野(日大)が少しずつ態度を軟化させている。再三書いているように当初は甘っちょろい考え方に辟易とし「入団は結構だ、おとといきやがれ!」などと興奮し独り毒づいたもんだが、情勢は日々変化してきているようだ。

長野、サヨナラ弾現在行われているドーハ・アジア大会の日本代表合宿に臨んだ際に「日本ハムはファンと一体となって地元に愛されている良い球団というイメージ。自分を評価して指名していただいたことに感謝したい」とコメントし態度を一変。大会期間中にじっくり検討するとしていた。

「そ、そこまで言うなら待ってやろうじゃないの」なーんて思いつつ、いつになくアジア大会の動向に注目していると初戦のフィリピン戦に続きノンプロ軍団日本がプロ野球オールスター選手で編成し3連覇を目指していた韓国をも長野のサヨナラ3ランで見事に撃破。期待どおりの勝負強さを見せつけてくれた。

試合後のインタビューで「プロと試合ができるのは楽しみで、もう最高だった」と話し、回り道ならぬ“プロ選択”の意識がここに来て強く芽生えたように感じる。大会終了後に指名の挨拶を受ける予定だが、入団したいと言うならば特別に入れてやろうと思う。この価値ある一発がきっと進退のきっかけになるだろう。

3大会ぶりの金メダルを手土産に気持ちを固めたら良い。プロの世界は国際試合とはまた違った意味で素晴しい舞台だ。中でもことファイターズはやりがいのあるチームだぞ、ホントに。

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竹之内 雅史 (たけのうち まさし)

ライオンズ出身であるにも関わらず僅か4年在籍したタイガースOBのイメージが強い。毎試合のように変えたという変則かつ豪快なバッティングフォームや、いかにも西鉄野武士軍団出身と思わせる個性的な風貌と凄みが深く記憶に残っている。通算166死球は今季清原に抜かれるまで日本記録だった。

竹之内雅史1945年(昭和20年)、横須賀市生まれ。鎌倉学園高校時代には春の選抜大会に出場、ノンプロ日本通運を経て1967年(昭和42年)ドラフト3位で西鉄ライオンズに入団する。2年目からレギュラーに定着し土井、基、大田らと低迷期のライオンズの中心打者としてチームを牽引した。

1979年(昭和54年)、世間を驚かせた田淵、古沢との大型トレードで真弓、若菜、竹田などと共にタイガースへ移籍。1年目から時には4番にも座り自己最高打率の.282をマーク、25本塁打を放ち存在感を示すも1981年(昭和56年)、死球で右手首を骨折し翌年僅か14試合の出場を最後に現役を引退する。

そのままタイガースでコーチを務めるが吉田監督の起用法に反発し途中退団。その後、ホークス、ホエールズ・ベイスターズの打撃コーチや二軍監督などを歴任。台湾に渡り、統一ライオンズでもその手腕を発揮し監督兼打撃コーチとしてチームを優勝に導く。2005年から羽衣国際大学の監督に就いている。

【 生涯通算成績 】(実働15年) 1371試合出場、1085安打、216本塁打、606打点、打率.249

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気のせいか稀哲だけが一際眩しい。頭から放たれるフラッシュの照り返しのせいもあるが、今季1年で飛躍的に進化を遂げた自信がそうさせているのだろう。初のゴールデン・グラブ賞の栄誉に輝いたうえ、この日球団から正式に背番号を「46」から「1」に変更する旨も発表され、二重の喜びの場となった。

稀哲、背番号1を継承一時、球団から「1」をファンのための番号にするという事実上“永久欠番案”も出されていたが、誰よりも新庄自身がそれを望んでいなかった。志願の甲斐あって引継ぎが予定通り決定、一番に「いただくことになりました」とメールで報告すると「良かったじゃん」と喜ばれたという。

名実ともに新庄の後継者となり、来季からファイターズを代表する「顔」になる。稀哲がコメントしたように新庄、小笠原が抜け来季の評価は決して高くないだろうが、プラス・マイナスで単純に計り切れないのが野球というスポーツだ。場当たり的な補強に走らない球団の姿勢が若手の士気をきっと高めるはずである。

八木や武田勝のように予想を上回る活躍を期待したい人材、希望枠の宮本と5巡目の山本 両早大投手が昨日仮契約。背番号も「17」と「44」に決まり、長野・糸数を除きこれで新たな新戦力が顔を揃える事となった。骨格が固まり始め新時代の到来を予感させる情報に触れる度に否応なく気持ちが昂ぶる。

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