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森安 敏明 (もりあき としあき)

ファイターズの前身、東映フライヤーズは「駒沢の暴れん坊」と呼ばれ当時の西鉄ライオンズに負けないくらいの野武士たちが集まる個性的なチームだった。その中に江夏らも史上最速と認めた伝説の豪速球投手がいた。ストーブリーグネタに右往左往するのは小休止して、今日はその選手に触れてみる。

森安敏明1947年(昭和22年)、岡山県生まれ。関西高校時代は平松(のちにホエールズ)、松岡(のちにスワローズ)と共にともに岡山三羽ガラスと呼ばれプロからも注目を集める。1965年(昭和40年)、この年から始まった第1回目のドラフト会議でフライヤーズから1位指名され入団した。

初登板で初完封を飾ると、1年目から44試合に登板し11勝11敗の成績を残す。2年目から4年目にかけても毎年2桁勝利を挙げチームの勝利に貢献した。スリークォーターから投じられた球は当時のバッターの度肝を抜くほどに速かったらしく対峙した一人、山崎(ロッテ→西武)は次のように語っている。

「尾崎や山口がいくら速いと言っても、バットを短く持ってコンパクトに振れば当てることができたが、森安だけはどうすることもできなかった」と。対戦経験のある多くの打者が似たようなコメントを残しており真の最速男であった事を今に伝えている。

1970年(昭和45年)7月、本人は無実を主張するも黒い霧事件により永久追放となり僅か5年でプロの世界から去る事を余儀なくされる。1998年(平成10年)に死去、50歳という若さだった。

【 生涯通算成績 】(実働5年) 242試合登板、58勝69敗、防御率3.48

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