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東尾 修 (ひがしお おさむ)

メジャー移籍の渦中にいる松坂。その松坂に熱意を持って自ら200勝の記念ボールを手みあげに入団交渉に乗り出し、現役時代は孤軍奮闘する低迷期も経験、長きに亘りエースとして君臨した人物だ。打者の胸元をえぐる強気のピッチングは「ケンカ投法」とも呼ばれ、165与死球は未だ日本記録である。

東尾修1950年(昭和25年)、和歌山県生まれ。1968年(昭和43年)、箕島高校3年時に尾藤監督のもと甲子園に初出場した時のメンバーとしてマウンドに立ち春のセンバツでベスト4へ進出し同年ドラフト1位で西鉄ライオンズに入団。1年目0勝に終わるもそのオフ「黒い霧事件」によりエースの池永らが永久追放され駒が手薄になり、1軍の投手として実戦を積み上げる。

最初は負け数の方が上回るも、1975年(昭和50年)に23勝15敗7Sの好成績で最多勝のタイトルを獲得。万年Bクラスのチームを支え続け、球団が西武に身売りした1979年(昭和54年)以降は、常勝軍団の大黒柱として6度のリーグ優勝、5度の日本一に貢献。日本シリーズ1回、シーズン2回のMVPにも輝いている。1984年(昭和59年)には通算200勝を達成。1988年(昭和63年)麻雀賭博関与処分の影響もあり現役を引退した。

1995年(平成7年)、監督として古巣に復帰。7年間全てAクラスを死守し、内2度のリーグ優勝に導くも日本一に輝くことはなかった。退団後は解説者に復帰する傍ら今年9月にはバスケットボールのbjリーグの東京アパッチの社長にも就任している。

【 生涯通算成績 】(実働20年) 697試合登板、251勝247敗、防御率3.50、最多勝2回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回、MVP 2回

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