他の球場とは明らかに違う独特の雰囲気と存在感が漂っていた。つたの絡まる外壁、バックネット裏の銀傘、綺麗な天然芝、どれをとってもそこにしかないものばかりだった。もう数十年前に1度や2度足を運んだだけなのに今でもその時の情景をビックリする程、鮮明に思い出すことができるから不思議だ。
甲子園が誕生したの1924年(大正13年)、実に今年で83年目を迎える。1922年(大正11年)に阪神電鉄が廃川敷地を一斉買収し、本線の上手下手に住宅地やスポーツセンター、遊園地などを造る大規模な開発を構想し、その一環として2年の歳月をかけ建てられたものだ。
1917年(大正6年)8月の第3回大会から鳴尾にあるグラウンドで全国中等学校野球大会を開催していたが、野球熱が高まるにつれ観客を収容しきれない状態となったために球場建設の英断が下されたという背景もある。奇しくも、完成した年は十干、十二支のそれぞれ最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに出合う縁起の良い甲子年(きのえねのとし)。そこから甲子園球場(当時は大運動場)の名が付けられたと云う。
1929年(昭和4年) の夏にはスタンドが増設され、夏の大会時に白いシャツで満員に埋め尽くされるその様を見て、漫画家の岡本一平(岡本太郎の父)が「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」と朝日新聞紙上に描いて以来、「アルプススタンド」と呼ばれるようになった。「う~む、野球の聖地の歴史は深い」。
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1917年(大正6年)8月の第3回大会から鳴尾にあるグラウンドで全国中等学校野球大会を開催していたが、野球熱が高まるにつれ観客を収容しきれない状態となったために球場建設の英断が下されたという背景もある。奇しくも、完成した年は十干、十二支のそれぞれ最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに出合う縁起の良い甲子年(きのえねのとし)。そこから甲子園球場(当時は大運動場)の名が付けられたと云う。
1929年(昭和4年) の夏にはスタンドが増設され、夏の大会時に白いシャツで満員に埋め尽くされるその様を見て、漫画家の岡本一平(岡本太郎の父)が「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」と朝日新聞紙上に描いて以来、「アルプススタンド」と呼ばれるようになった。「う~む、野球の聖地の歴史は深い」。
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