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何の脈絡もなく、突然だけどゴジラ松井の話である。

「自分はタイガースに行きたかったけど、クジですから。決まった球団が自分の行く所と思っていました」。星稜高校時代、通算60本塁打をマークした怪物がドラフト会議の結果を見て記者会見上で発したコメントだ。「この頃からホント立派な奴ちゃ」。

星陵時代の松井1992年(平成4年)11月21日開かれたドラフト会議、話題の中心にいたのは超高校生スラッガーと謳われた松井だった。自らドラフト前に逆指名したタイガース、ジャイアンツ、ドラゴンズ、ホークスの4球団による1位入札で抽選となり、残りクジを引いたミスターが右手の親指を立てて小さくガッツポーズをとった瞬間、プロの世界で進むべき道が決まった。

「ウソはいけない、ちゃんと話しなさい!」と言いたくなるような どー見ても高校生とは思えない容姿と荒削りながらケタはずれのパワーが印象にあったけど、正直 これ程の選手になろうとは夢にも思ってもいなかった。当時、サードの守備におけるグラブさばきがお世辞にも旨いとは言えず、必ず成長して行くうえで足枷になるとボクなりにイメージしていたからだ。

高校1年の秋にファーストからサードに転向以来、本人も愛着を感じていたポジションだったようだけど、チーム事情もあってミスターが入団早々外野へのコンバートを決断したことが転機になった。仮にホットコーナーに就いていたら持ち味の打撃に集中できず今のような成績を残す存在にはなっていない、“4番サード”からの決別が「世界の松井」を生んだのだと確信にも似た思いをずーっと持ち続けている。

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仕事の忙しさに加え、飲み会などもあって3日間更新することが出来なかった。歳を考えずせっせと暴飲暴食し、おかげで腹の痛みを伴った体調不良で気分も晴れない。子供の運動会などでカッチョイイところを見せようと勇んで走るものの、気持ばかりが先立ち体がついてこず途中足を絡めて前のめりで転倒するような状態とでも言うか、改めてそんなギャップを強く感じてしまった。認めたくないけどやはり立派な中年なのだボクは…。

信二、復調の1発さて、消化試合の数からして実際には既に折り返しているけれど、いわゆる後半戦がスターとした。我がファイターズは今季、オープン戦、開幕戦、交流戦、交流戦明け初戦に続きオールスターゲーム明け後半戦の初戦も見事に勝利し依然として節目の始まり方がよろしい。

球宴で優秀選手賞を獲得、すっかり自信を深め飛躍したように映るラッキーボーイ的な存在の森本と兄貴分の新庄の活躍が目を惹く。一部で“SMコンビ”と呼ばれているがそれだけは照れるので簡便してもらいたい。札幌ドームでの対イーグルス戦10連勝とし、貯金は今季最多タイの11に戻す結果に安堵、この上にいくつ勝ち星を重ねられるか期待で鼻の穴も膨らむ。

相変わらず救援スタッフを含め投手陣は安定しているし、第一の鬼門と考えていた7月の成績もまずまず。2年ぶりのプレーオフ進出もアドバンテージを持つような位置での参加を目指し頑張って欲しい。ここんとこ遠ざかっているので札幌ドームへ足を運び新庄弁当を食べ散らかす勢いで応援したいと思う。

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早いものでブログを始めもう少しで1年が経とうとしている。この間、WBCで日本代表が優勝したり、我がファイターズが45年ぶりに球団記録に並ぶ破竹の11連勝を飾ってみたり、近年にはない予想外のサプライズが相次ぎ、その都度 小便をちびりそうな位の緊張感と大いなる興奮と歓喜を味わってきた。

駒大苫小牧に屈すそして今日、それに勝るとも劣らない大珍事(?)が身近で起きた。なんとボクの母校が夏の甲子園出場まであと一歩に迫る南北海道大会の決勝まで36年ぶりにコマを進め、あの駒大苫小牧高校と激突したのである。駒苫と言えば昨年、一昨年と2年連続で夏の大会を制覇した今や全国区の強豪校に挙げられるチーム、さすがに立ちはだかる壁は厚かった。

南北海道の本大会に出場するだけでもえらい久しぶりの快挙、昭和42年の春の大会に一度出た経験はあるものの、夏の経験は一度もない母校だ。すぐそこまで初出場の勇姿がチラついたのだから、どれだけテンションが上がったか容易に想像できよう。しかし結果は18安打を許したうえに今秋のドラフトの目玉 田中から16三振を奪われ11-1の大差で完敗してしまった。

春の大会を前に不祥事が発覚し、だだでさえ応援しようと思っていたのに我が母校を破っての出場となれば尚更力が入るっちゅーものである。中京商(愛知=現中京大中京)以来、73年ぶりとなる史上2校目の夏の大会3連覇を目指してホント頑張ってもらいたい。なかなか気温が上がらない北海道の夏の暑さはファイターズと、駒大苫小牧の戦いぶりにかかっている。

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長嶋、王、江夏、田淵、福本、有藤、野村、等々、数えてみるってーと足の指を使っても間に合わない位、ボクの子供の頃のオールスターゲームは正に夢の球宴と呼ぶに相応しい豪華な顔ぶれが揃っていた。極端にジャイアンツ戦に偏った中継がされていたため、パ・リーグの選手がまとうユニホームや活躍する姿など、この時ばかりは全てが新鮮に映ったものである。

清原vs藤川

球宴で一番印象に残っているのは1974年(昭和49年)に当時の代打本塁打記録を更新していたブレーブスの高井が放った史上初となる代打逆転サヨナラ2ランだ。既に夏休みに入っていたこの日、友人の家族に連れて行ってもらった海水浴で焼けた体をタオルで冷やしながらの観戦だったのに、その瞬間 衝撃のあまり全身がより一層熱くなってしまった事を覚えている。

興奮は次の日まで冷め止まず、早速 朝刊の記事を切り取ってはスクラップブックに貼り保存した。何かインパクトのある試合を観てはいつもそーしていたけれど、今思えば変わった小学生である。暫く持っていたあの“記録帳”はいつ、どこへいってしまったのだ? 毎年、オールスターを観ては繰り返し思い出す。

昨日の試合、我がファイターズの新庄や森本の活躍以上に目を奪われたのが清原と藤川の対決。全て150キロ台のストレートによる真っ向勝負、これぞプロという戦いを観ることができて清々しかった。必要以上に中継時やニュースなどでピックアップされていた感はあるけど間違いなく近い将来名勝負の一つとして綴られるはずだ。このシーンに魅せられた子供たちもいずれ大人になり、遠い記憶として懐かしんだりするんだろうなぁ…などとジジ臭い感慨にどっぷり浸った。

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若松 勉 (わかまつ つとむ)

出張してきた仙台は3日間とも気分も晴れない雨だった。何かと忙しく、ちょいとここ数日の話題に乗り遅れている感があるので、そこんとこを意識しないで済むいつもの昔話である。

若松 勉ガッツこと小笠原が先日、規定打数の4000に到達する歴代打率ランキングで2位となったが、奇しくもその前まで2位の座に君臨していたのがある意味同じ“北海道の英雄”の若松だった。次期ファイターズの監督候補とも囁かれるその「小さな大打者」ついて触れてみたい。

1947年(昭和22年)、北海道留萌市生まれ。北海高3年の時に甲子園へ出場するが初戦敗退、卒業後進んだ電電北海道でも4年連続補強選手として都市対抗野球に出場する程度で広く注目を集めるような選手ではなかったが、当時の塚本スカウトと中西打撃コーチからの度重なる熱心な誘いもあり、1971年(昭和46年)ドラフト3位でアトムズ(現スワローズ)に入団する。

入団1年目の夏前には三原監督に抜擢され早くもレギュラーを確保。規定打席には達しなかったものの打率.303を記録し2年目には三村、王らを抑えて.329で早くも首位打者を獲得する。その後はアベレージヒッターとしてほぼ毎年3割以上の打率を残し1977年(昭和52年)には.358で2度目の首位打者、翌年にも.341の高成績を残しリーグ優勝に貢献、MVPに輝く。

プロ生活実働19年で3割以上15回(規定打席到達12回)という快挙を達成。首位打者獲得は2回ながら、惜しくも打率2位で終えたシーズンが4回にものぼっている。1989年(平成元年)に現役引退。解説者生活を経て、1993年(平成5年)に現場復帰。打撃コーチ・二軍監督を歴任し1999年(平成11年)より監督に就任。2001年にはリーグ優勝を果たし日本一にも輝いている。

【 生涯通算成績 】(実働19年) 2062試合出場、2173安打、220本塁打、884打点、打率.319、首位打者2回、最多安打1回、MVP 1回

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2004年9月20日、喜び勇んで前の走者田中幸雄と抱き合うことで追い越し、幻となった“サヨナラホームラン事件”以来、こんなになかったのがむしろ不思議だけど、実に666日ぶりに新庄が札幌ドームのお立ち台に上がった。前半戦のラストゲームを飾る活躍をキッチリ見せるところなんざ、さすが新庄である。

新庄、2年ぶりのお立ち台89試合を消化して49勝40敗、勝率.551で貯金9。2位ホークスまで2ゲーム差、首位ライオンズまで3.5ゲーム差につける3位をキープ、プレーオフ圏内での折り返しが決定。途中、目が血走る程の興奮状態に陥る11連勝もあり、ボク的には上々の前半戦となった。

欲を言えば大型連勝の後、最低5割で切り抜け11の貯金を崩さずに終えてほしかった。2桁貯金での折り返しとなれば、チームもファンも、もっと確かな手ごたえを感じられたはずなので、ちょっとだけ悔やまれる。とは言え、ルーキー八木を中心とした予想を大きく上回る投手陣の健闘には感謝せねばなるまい。

歴代打率ランキングの規定打数の4000に到達し、若松の持つ.319を上回り歴代2位に躍り出たガッツやオールスター初出場の森本、MVPならぬMBPを目指すと公言した新庄などの力で、後半戦に打線がより一層奮起すれば尚、面白い。もちろん目指すは1位通過による優勝、Aクラスの死守などと目標の低い事を言っていたら、それさえも届かない結果に終わってしまうのだぁ!なーんて偉そうな事を言ってみたりする。

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最近やたら小さな事でも感動し、ある一定の境界線を越えると目がウルってしまう。歳を重ねるごとにその症状は確実に進行し既にステージ4(フォー)の状態にある。スタンドを黄色に埋め尽くしたホークスファンの映像の中に「王監督げんきになって下さい」のプラカードを見ては、またまたやられたボクである。

ホークスファン

腫瘍摘出のため入院していた王さんが腹腔鏡による胃の全摘出手術を受けた。手術は最先端技術を駆使し無事成功したようで、早い人だと術後4週間程度で日常生活に戻れる状態というから何はともあれ一安心。体力の回復しだいでは退院自体も8月中旬という早期になる可能性もあるという事だ。

入院前に開かれた記者会見の翌日、一日も早く現場に戻って来て欲しいと書いたけど、精神的、肉体的に特に負担の大きい監督業に直ぐ戻って良いものやら、よーく考えると今の気持は複雑だ。直接現場に復帰するのではなくGMという立場からチームをサポートする線もありではないか、いやいやそうすべきだ、などと本人の意思を全く無視して独り気を揉んでいる。

しかし、多くのファンはユニホーム姿の王監督を待っている。何より王さん自身がフロント・ファン・選手が一体になる愛するチームに帰ることを強く望んでいるはずだ。満員のファンの声援に応え帽子を高々と掲げる王さんの姿を想像するだけで感動してしまうから始末が悪い。ここまで来ると立派な病気である。

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他の球場とは明らかに違う独特の雰囲気と存在感が漂っていた。つたの絡まる外壁、バックネット裏の銀傘、綺麗な天然芝、どれをとってもそこにしかないものばかりだった。もう数十年前に1度や2度足を運んだだけなのに今でもその時の情景をビックリする程、鮮明に思い出すことができるから不思議だ。

野球の聖地、甲子園甲子園が誕生したの1924年(大正13年)、実に今年で83年目を迎える。1922年(大正11年)に阪神電鉄が廃川敷地を一斉買収し、本線の上手下手に住宅地やスポーツセンター、遊園地などを造る大規模な開発を構想し、その一環として2年の歳月をかけ建てられたものだ。

1917年(大正6年)8月の第3回大会から鳴尾にあるグラウンドで全国中等学校野球大会を開催していたが、野球熱が高まるにつれ観客を収容しきれない状態となったために球場建設の英断が下されたという背景もある。奇しくも、完成した年は十干、十二支のそれぞれ最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに出合う縁起の良い甲子年(きのえねのとし)。そこから甲子園球場(当時は大運動場)の名が付けられたと云う。

1929年(昭和4年) の夏にはスタンドが増設され、夏の大会時に白いシャツで満員に埋め尽くされるその様を見て、漫画家の岡本一平(岡本太郎の父)が「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」と朝日新聞紙上に描いて以来、「アルプススタンド」と呼ばれるようになった。「う~む、野球の聖地の歴史は深い」。

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いよいよ夏の風物詩、全国高校野球選手権大会の地方大会が新潟など8地区で開幕した。昨年、我が地元 南北海道代表 駒大苫小牧高校が夏2連覇の偉業を成し遂げて早1年が経とうとしている。自宅の近くにア○ヒビールの工場があるのだが、外に漂うポップの匂いだけで酔うような体質のため、やはり夏と言えばビールよりも断然、甲子園なのである。

駒大苫小牧、夏2連覇窓から蝉の声、団扇を片手にスイカにかぶりつきTVに釘付けになる。子供の頃から持つ夏のイメージだ。だから地方大会が始まると“夏本番”を実感する。憧れた坊主頭の選手たちも気がつけば年下になり、今や自分の子供と同じ年代の選手が出るようになってしまった。

そんな長い間観戦し何度も耳にしているはずなのに、その都度感動してしまうのが加賀大介:作詞、古関裕而:作曲による「栄冠は君に輝く」である。聴けば例外なく鳥肌が立つようなジーンとした軽い震えを感じ目頭が熱くなる。♪~雲は湧き光溢れて 天高く純白の球今日ぞ飛ぶ 若人よいざ まなじりは歓呼にこたえ いさぎよし微笑む希望 ああ栄冠は君に輝く~♪。どーです、詞を読むだけでグッとくるでしょう ?

社会に出てからは難しくなったけど、時間の許す限りスカウトさながらに出場選手をチェックし、プロの世界に入ってからもその成長過程を観続けるのが昔からプロ野球を楽しむ術の一つになっている。第88回を迎える今大会、どんな選手がどんなドラマを作りに甲子園に駒を進めて来るだろう。本大会開幕日の8月6日まであと22日。ハンカチの準備は怠るまい。

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球史に残る名選手 ― (30) 【 特別編 】

宮田 征典 (みやた ゆきのり)

昨日書いたじいさんたちも、さぞかし肩を落としていることだろう。元ジャイアンツの投手、宮田氏が肝不全のため66歳という若さで亡くなった。球場のスコアボードに付く大時計の針が8時半を指す頃になるとリリーフとしてマウンドに上がったことから「8時半の男」と呼ばれ輝きを放ったことは余りにも有名だ。今日は改めてその足跡に触れてみたいと思う。

宮田征典1939年(昭和14年)、群馬県前橋市生まれ。前橋高校から日本大学を経て1962年(昭和37年)にジャイアンツに入団する。元々心臓に疾患があり何かの拍子で脈拍が速くなる「発作心臓緊迫症」という持病に悩まされていたため先発投手として長いイニングを投げることが出来ず、当時の藤田ピッチングコーチ(のちに監督)の薦めもあってリリーフへ転向した。

川上巨人がV9をスタートさせた1965年(昭和40年)に69試合で(投球回数164回1/3)に登板し20勝(うちリリーフで19勝)を挙げ、現在のセーブポイントに換算すると22セーブ(41SP)に値する活躍をみせ優勝に貢献する。しかし翌年にはそのつけで肩・肘を相次いで故障、再び一桁勝利に止まる成績が続き1969年(昭44年)限りで短い現役生活に幕を降ろした。

引退後はジャイアンツ、ファイターズ、ライオンズ、ドラゴンズで投手コーチを歴任。野球評論家としても活躍していたが、最近は体調を崩し現場からは遠ざかっていた。引退を決めたシーズン、打撃投手としてチームを献身的に陰で支え、時には1週間ぶっとおしで300球以上投げ込み右腕が腫れ上がる事もあったが一言もグチを洩らさず投げ続けたという逸話が残っている。

【 生涯通算成績 】(実働8年) 267試合登板、45勝30敗、防御率2.63、シーズン最多リリーフ勝利19〈日本記録〉

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健康診断の結果を知らせる用紙が届いた。中を見ると「両下肺野 間質性変化」というのなんのこっちゃ意味の解らない症状名と“再検査必要”の文字が。よくよく見ると肺の下部に疑わしいカゲが映っているのだと理解でき、「一人の体じゃないのよ」と無理やり自分に言い聞かせ大嫌いな病院に渋々足を運んだ。

深刻な原G診察そのものは別に何とも思わないけど、嫌なのが待ち時間だ。元々、短気を絵に描いた(?)ような性格なので5分の問診、10分の検査、3時間の待ち、などといったこのバランスが我慢できない。病院に行くとかえって血圧が上がり具合を悪くしてしまうのが常である。

待合室で文庫本を読んでいると隣に座ったジャイアンツ帽を被ったじいさんと見事な白髪のじいさんがスポーツ新聞片手に野球談議を始めた。不甲斐ないジャイアンツの現状を嘆き球団スタッフさながらに打開策を検討し広岡、長嶋、別所などの名前をポンポン挙げては古き良き時代を懐かしんでいた。

笑ったり怒ったり時には膝を叩いたり病院には似つかわしくない2人だったけど野球熱は驚くほど深かった。ダブルじいさんから見るとボクの野球知識も「ヘッ」と鼻で笑われるくらい浅いものかもしれない。4時間近くもかかった検査結果はまったく異常なしでメデタク終了。ほぼ耳を奪われ気が紛れたせいか珍しくイライラせずに済んだのはある意味、有難かった。

苦渋に満ちた原監督の姿なんか見たくないんだろうなぁ、あのじいさんたち…。なーんてことを思いながら独り病院を後にした。ボクも将来あんなジジイになるに違いないと思いながら。

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どんなに球が速く、どんなにコントロールが良くても、要所を締められずチームの勝利に貢献できなければ意味がない。ピッチャーの最大の使命は無失点に抑えることに尽きる。当り前の話しだが、相手に点を与えなければ打線の援護に恵まれない状況であろうと決して負けることがないのが野球なのである。

藤川、球団記録更新タイガースの藤川がOB小山の持つ球団記録47回を更新する連続無失点記録を達成した。とある番組で「球からマンガみたいに炎が出とった、ありゃちょっと打てへんわ」と清原に言わしめたストレートの威力はまったく衰えを知らない。胸のすくような快速球とは正にこのことだ。

今季は4月12日のドラゴンズ戦で井端の適時打による1点を失っただけで、その後スコアボードに『0』を刻み続けてきたが今日の試合、9回に自らのワイルドピッチで連続無失点記録を48回1/3で止めてしまった。とは言え、ここまで度重なる緊張感のある場面で積み上げてきた結果はもちろん賞賛に値する。それにしても勿体なかったあの抑えの効かなかったような暴投は。「う~ん、追い込んでいただけになまら残念だ」。

金田が持つ日本記録64回1/3には及ばなかったもののスタルヒンをも抜いて歴代単独5位に名を連ねた。藤川が今後も勝利に繋がるタイミングでマウンドに上り、昨シーズン同様大車輪の活躍を見せればタイガースのゴールは明るい。「あの~っ、ちょっとで良いんでファイターズに借してもらえないっすかね」と思わず嘆願したくなるくらい、その存在が羨ましい。

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昨日、マリナーズのイチローが1969年当時に着用していたシアトル・パイロッツのユニホーム姿でプレーした。まったく知らないユニホームだったけどオールドスタイルはやはりカッチョイイ。特にルーズスボンが嫌いなボクとしてはあのアンダーストッキングを丸出しにした着こなしが堪らなく魅力的に映った。

新庄、サードユニに意見?ここんとこ、日米共にレギュラー用以外のユニホームが盛んに登場している。前にも触れたけど日本ではタイガースやイーグルスの交流戦限定ユニや7月15日(土)~17日(祝)の3日間だけ披露されるホークスのイベント専用ユニ、7月17日(祝)~9月3日(日)まで結構長い期間使用されるベイスターズのサマーユニなど、動きが活発だ。

ユニホームフェチ協会の理事長兼ファンとしては「ファイターズも何か考えないのか?」と思っていたのでこのニュースはボクにとっては朗報だった。何でも球団内に“サードユニホーム”を対象にした新デザインを検討するプロジェクトチームなるものを発足させたらしい。我がチームのことだし否応なしに期待が高まる。

来季からビジター用ユニホームの見直し案も浮上しており、どちらも新庄からのアイデアを取り入れようという意見も一部ではあるようだ。チーム全員であれば不問な見解だけに敢えて“襟付き”ユニホームにして審判部に杉良太郎ばりの流し目で微笑むのも痛快かもしれない。できれば“ユニフェチ一般代表”としてプロジェクトに参加し色々と提案してみたいものである。

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子供の頃、野球を始めたのは今はいない親父の影響だ。もちろん選手などではなく、どこにでもいる野球好きの父親である。サラリーマンとは違い畳職人だったせいもあり比較的夕方の早い時間に家にいる機会が多く、半ば強制的にキャッチボールをしに近くの公園に連れて行かれた記憶が残る。初めはいやいやだったけど気がつけばすっかり野球の虜になっていたっけ。

ドカベンJr.キャッチボールから始まって辿り着く極めつけのゴールは父親の背中を追いかけ揃ってプロ野球選手になることだろう。長嶋親子(茂雄&一茂)、野村親子(克也&カツノリ)、坪井親子(新三郎&智哉)などなど、同じ狭き門を通り抜けて成し遂げるとは正に快挙の一言だ。

香川伸行そんな“親子鷹”の可能性を僅かながら秘めたニュースが目に留まった。福岡工大城東高校の香川英斗の記事がそれである。父そっくりの1メートル67、90キロの巨体から繰り出す豪快なスイングで地区予選の試合でコールド勝ちを決める犠飛を決めたらしい。父は浪商時代から「ドカベン」の愛称で親しまれた元ホークスの伸行氏、確かに風貌・体系共に見事な程DNAが深く刻み込まれている。「う~ん、さすが親子」。

「父を超えます」と強気のコメントを残し何とも勇ましい。この辺で夢破れた選手も多くいるはずで、頑張って上を目指して欲しいものだ。つい先日、古本店で長嶋一茂の「三流」という文庫本を購入し一気に読んだ。プロ野球選手になれたのは親の七光以上に、どうやら「絶対、プロ野球選手になれる!」と信じて疑わない強い意思の宿る環境がそこにあったためのようだ。

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尾崎 行雄 (おざき ゆきお)

ファイターズがタイ記録に並んだ45年前の11連勝、名将 水原監督が就任して1年目で成し遂げた記録だ。結局この年は2位で終わるが翌年、それをバネに見事リーグ優勝を果たしタイガースを破って日本一まで駆け上がる。その最たる原動力となったのがこの年入団した「怪童」と呼ばるルーキーだった。

尾崎行雄1944年(昭和19年)、大阪府生まれ。高校1年の夏から3季連続で甲子園に出場。1961年(昭和36年)夏の大会では150キロを超える剛速球を武器に全国制覇。そのためプロからの争奪戦が繰り広げられ、結果 張本、山本ら母校浪商のOBがいる東映フライヤーズに入団する。

高校2年で中退した1年目にも関わらずいきなり20勝9敗、防御率2.42という成績で新人王を獲得。リーグ優勝と日本シリーズ制覇に大きく貢献した。1964年(昭和39年)には20勝18敗、防御率2.55、翌年も27勝12敗、防御率1.88という自己最高の成績を残して最多勝に輝く。更に翌年にも24勝を挙げたが、1967年(昭和42年)の夏に右肩を故障し僅か6勝に終わるとその後4年間勝利を挙げることができないシーズンを送る。

1972年(昭和47年)に3勝を挙げて一度は復活の兆しを見せるが、中指に血マメができるという一種の持病も抱え懸命のリハビリを重ねたが剛速球は二度と戻らず、翌年28歳の若さで太く短い現役生活を終える。引退後は浅草でレストランを経営し球界に戻ることはなかったが、2001年よりマスターズリーグの東京ドリームスに参戦しファンを沸かせている。

【 生涯通算成績 】(実働12年) 364試合登板、107勝83敗、防御率2.70、新人王、最多勝1回、最多奪三振2回


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肩の震えが止まらず、涙で前がよく見えない。なーんてそんな状態にはならなかったけど、やや暫く鳥肌が引かなかった。ここまで連勝を続けられるとは思ってもいなかったので戸惑いを隠せないというのが素直な感想かもしれない。パの打率10傑入りはおろか3割打者が一人もいないという、正に繋ぎと守りの一丸野球で成し遂げたものだ。「う~ん、素晴しい」。

ダルで11連勝ユニホームを忘れ八木から急きょレンタルしてマウンドに上がったダルビッシュが7回4安打1失点に抑える好投、打線も相変わらず活発で首位ライオンズを相手に7-1と快勝し交流戦最終戦の6月20日のスワローズ戦からスタートした連勝を球団タイ記録となる11まで延ばした。1961年(昭和36年)に前身の東映フライヤーズが残して以来、実に45年ぶりの快挙である。

一時は遠くに霞んで見えたライオンズの後ろ姿をしっかり捕らえ、0.5ゲーム差まで肉薄、肩を並べる勢いだ。贔屓のチームがこれだけの大型連勝をしたのは1976年(昭和51年)、まだジャイアンツのファンだった長嶋第1次政権時代に初優勝を飾った時の14連勝以来じゃないだろうか。「あぁっ、久しぶりの感覚」。

重ねるのは難しいけど吐き出すのは「あっ」という間の貯金。ここまで来たら新記録を狙って今のうちに更に上積みしておこうか。歴史に刻まれるその瞬間も観てみたいし。

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過去、何度となく触れているけどボクはミスターの大ファンだ。いや、既にファンという次元を超えた域に達しており、筆舌に尽くし難い程に思い入れが強い。したがって子供の頃から見続けてきたそのミスターの良きライバルでもあり盟友だった王さんもボクにとっては特別な存在なのである。

王監督、休養発表その王さんが記者会見を行い「手術をしなければならない腫瘍がある、シーズンの途中でチームを離れるのは残念に思うし、一番好きな野球から離れるのは悔しい」と語り休養する旨を発表した。来週中にも手術を受ける見込みで監督代理は森脇コーチが務めるようだ。

「いつ戻って来られるか解らない」。寂しげに長期離脱の可能性を認めるコメントを発した時には首をうな垂れる位のショックを受けた。脳梗塞に倒れたミスターに続いて今度は王さんである。プロ野球界の代名詞でありボクらの英雄だった2人が歳を重ね病気と闘う状態になろうとは何ともやりきれない気分だ。

一部の報道では、手術入院による「休養」に関わらず、元々今季終了をもって監督生活にピリオドを打つことが既定路線になっており後任には秋山二軍監督の昇格が内定しているという。ところ構わず流した松中の涙に改めて王監督の存在感を思い知らされたこともあって、尚更ユニホーム姿を再び目に焼きつけたいと思った。「シーズン終盤には必ず戻って来る!」、世界の王がこんなカタチで球界を去るはずがないと信じている。

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帰りの地下鉄での出来事。文庫本を読み耽っていた目線をふと上げるとアイプチで二重まぶたづくりに勤しむ女が目の前にいた。気になってチョコチョコ見ていると瞬く間に変身しあたかも何事もなかったような素振りで良い女を気取る始末。化粧とは人前でしないからこそオシャレなのであってまったく神経を疑ってしまう。羞恥心の欠片もないその姿にはホント驚きだ。

稲葉の1発驚きと言えばファィターズが実に42年ぶりの9連勝を飾った。(なーんやそれ!) 42年前と言えば前身の東映フライヤーズ時代のこと、日本ハム球団になってからはもちろん初めての快挙である。今の戦力にしてこの試合運び、ボクの想像では届かなかった戦いふりだ。

鶴岡の犠飛で先制し、プロ通算150号本塁打へ王手をかける稲葉の3ランで計4点をゲット、更に2年ぶりの完封勝利となる金村の投球も光り、投打共ガッチリ噛み合っての勝利。危なげない内容にただただ感心し続けては唸るばかりだ。

できれば明日も相性の良いバファローズからもう一つ勝ち星を貰い、2桁の連勝に伸ばして欲しい。球団記録は11連勝、色気を出すとロクな事はないけど達成した日にゃ物凄い大きな自信と確信を得られるだろうなぁ、チームもファンも。必要以上に手に汗握る試合が明日も札幌ドームで開かれる。

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愛想がない、協調性に欠ける等、マイナスのイメージが最後までつきまとっていた感は否めない。TVに映し出される断片的な姿で判断してしまうせいかボクの周りにも結構アンチヒデがいる。中でも活字媒体を中心としたマスコミの影響も大きかったはずなのに引退となると惜しむ声・美化・賞賛する報道ばかり、過去を思うと見事な掌返しに思わず苦笑いしてしまう。

ヒデ、引退を表明小松成美の著書「中田語録 」「中田英寿鼓動」「ジョカト-レ中田英寿新世紀へ」を全て購入、その他ヒデの関連書籍を含め全て読破、公式HP『 nakata.net 』もサイト立ち上げ時から定期的にチェック余念がなく、ヒデの本質であろう側面に僅かでも触れ常に応援してきた。

日本代表のユニホームへの別れを胸に涙していたと解釈していたので、公式HPにアップされていた突然の引退表明文には正直驚いた。一時ジャイアンツにも在籍し3000本安打を記録した勘違いオヤジがブラジル戦後ピッチに仰向けに転がり夜空を見上げるヒデの姿を観て「渇!」を連呼していたが、この結果を持っても尚、その気持を組み取ることができないだろうか。

今更、経歴をクドクドと書き連ねる必要性はないと思うが、全てのカテゴリーで日本代表を務め、3度ワールドカップへ出場した経験は他の追随を許さない実績だ。年齢の問題などあれど、次の大会にも必要不可欠な選手だと思っていたファンも少なくないはず。日本サッカー界は、正に新たな一歩を踏み出す必要性に迫られた、時には衝突も厭わなかったヒデのチームを思うプロ意識を必ずや次の代表にも受け継いで欲しい。

ワールドカップの日本代表戦以外はサッカーネタに触れないと思っていたけど、「う~む」さすがに無理だった…。

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ようやく汗ばむような陽気になってきた札幌。一時はこのまま夏が来ないんじゃないかと心配するほど肌寒い日が続いていたが気温の上昇に比例するようなファイターズの快進撃で気持も高揚し、この処暑いったらありゃしない。肩を脱臼する位の勢いでガッツポーズを繰り返しまくる今日この頃だ。

よーやった、7連勝「たかだか3、4連勝で浮かれておれんぞ」ってなもんで、書きたくってウズウズしていたもののあえて触れずにいたが交流戦明け後負け知らず、2001年8月以来約5年ぶりの7連勝、しかも今季最多の貯金7で1ヶ月ぶりの3位浮上となればこれは無視することはできない。

新庄の9試合ぶりの一発とダメ押し適時打なども含め13安打を放ち、投げては6回まで3安打1失点に抑える八木の好投でイーグルスに8-1と快勝。森本、賢介の1、2番も本格的に機能し始め、勝ち方にも勢いがあり腕組みしベンチで仁王立ちする高校野球の監督のごとく深く頷きほくそ笑む。

一昨日、武田勝が高須のライナーを左手親指に当て骨折、全治3週間と診断され相変わらず投手陣はコマ不足だが、シーズン通して戦力が磐石な場合などあるわけがなくここは我慢のしどころだ。体力的にも苦しい7月、大きく崩れることなくこの調子で乗り切った時にゃ、ひょっとしたらひょっとするかもしれない。

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学生時分、暑くなると夏服というのがあった。まぁ、当時の男共はガクランの上着を脱ぐだけだったけど、女子の夏服は季節を感じることが出来て好きだったなぁ…。(決してセーラー服が好きな訳ではない) 時代の流れか最近じゃ男子もガラリと様変わりする学校もあるようで、いやはやオシャレなものである。

ベイスターズ サマーユニホームしかるに、野球界にも季節に応じた色使いや素材、デザインなどを意識した夏服という発想があっても良いと思う。ファンサービスの一環として交流戦・イベント限定版や復興版など遊び心ある数々のユニホームが登場する勢いで、再び取り組まれたのは誠に喜ばしい。

前回の横浜大洋ユニ記事に対して「親愛なる横浜ベイスターズへ」のbaysam00さんからベイスターズが交流戦に続き期間限定でそのサマーユニホームを着用するという貴重な情報をいただいた。教えてもらうまで気がつかないとはユニホームフェチ協会の理事長としては面目ない限りである。何でも7月17日(祝)~9月3日(日)までの長期のスパンで着用されるようだ。

番号がニックネームの上に付くとは袖に付けていた交流戦ユニ以上に今までにはない斬新なアイディアだ。実際に身にまとった選手を見ないと解らないけど写真を見る分には嫌いじゃない。以前触れたようにホークスも7月15日(土)~17日(祝)のイベントに併せた限定ユニホームを着込むし、まったくもって目が離せない。勝敗以外にまた一つ楽しみを見つけてしまった。

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