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チャーリー・マニエル
(Charles Fuqua Manuel)


日焼けの痕が痛痒い。昨日、自分の顔を見て「赤鬼」のようだと書いたがそのキーワードで思い出した選手がいる。優勝請負人と呼ばれた助っ人のニックネームがそれだった。すっかりこのカテゴリーを忘れていたので久しぶりのピックアップである。

マニエル1944年、ウェストバージニア州生まれ。マックルア高校からツインズに入団しその後ドジャースを経て、1976年にスワローズに入団。1年目こそ足の故障で振るわなかったものの2年目には打率.316、42本塁打、97打点でチームを2位までに引き上げる活躍を見せる。翌年の1978年には打率.312、39本塁打、103打点の成績を残し球団初のリーグ優勝に貢献し日本シリーズでも3本塁打を放ちブレーブスを破る原動力になる。

しかし当時の広岡監督に守備力のなさと足の遅さを理由にチームの構想に反することを指摘され、自ら志願してバファローズに移籍。1979年にはシーズン途中に死球で顎を複雑骨折し約2ヶ月間欠場するもアメフト風ヘルメットを被り復帰すると打率.324、37本塁打、94打点と活躍し本塁打王を獲得すると共にチームをリーグ優勝に導きMVPにも選ばれる。

その翌年も優勝、連続本塁打王と打点王の二冠を獲得するが契約交渉のもつれから再び古巣のスワローズへ。しかし本来の力を出せないまま成績不振でその年限りで退団する。帰国後は、マイナーリーグのコーチなどを歴任し2000年からは大リーグのインディアンスで監督を務めた。

【 通算成績 】(実働6年) 621試合出場、644安打、189本塁打、491打点、打率.303、本塁打王2回、打点王 1回、
MPV 1回

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