東京に出張中で更新できない時に限ってダルビッシュの完封勝利のニュース。さて今日はと腕まくりしPCに向かうが、結局ファイターズの話題に触れようにも昨日に続きライオンズ相手に地元で連敗とええとこなし。「どーしようかなぁ」と考えたあげく、また大好きなユニホーム話である。(ハハハッ)
開幕スタートダッシュにまずまず成功しているジャイアンツ。ジャイアンツのユニホームと言えば“伝統を継承し、ちょっとやそこらで直ぐには変えませんよアンタ”的な5年、10年使い続ける息の長いものが多いのだが、そんな中にあって、たった1年しか使用されなかったユニホームが過去存在している。
それは、1960年(昭和35年)、日本プロ野球の生みの親で当時のオーナーだった正力松太郎が日本テレビと手を組みジャイアンツをカラーデレビの普及と新技術のアピールに使うことを目的に着用させた画像のようなユニホームである。全体的に濃いクリーム色で、胸のロゴ・背番号・アンダーストッキング・帽子のつばに赤(朱色)がこれ見よがし(?)にあちこちに施された。
過去、黒をベースにしたシンプルなデザインだっただけに中途半端に可愛らしくなった自分の姿に選手達が一番戸惑ったようだ。結局この年は三原監督率いる大洋ホエールズに優勝をさらわれ水原監督が辞任、後任にヘッドコーチを勤めていた川上が昇格するのを機に翌年から廃止される。これに懲りたのか川上政権では1961年(昭和36年)~1974年(昭和49年)の14年間一度も変えることなく同じデザインのものを使い続けた。
それにしてもこれはお世辞にもカッチョイイとは言えないなぁ、1年で姿を消したのも無理もない。今シーズンから変更した帽子のつばを見て一瞬この時代と重なってしまった。
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それは、1960年(昭和35年)、日本プロ野球の生みの親で当時のオーナーだった正力松太郎が日本テレビと手を組みジャイアンツをカラーデレビの普及と新技術のアピールに使うことを目的に着用させた画像のようなユニホームである。全体的に濃いクリーム色で、胸のロゴ・背番号・アンダーストッキング・帽子のつばに赤(朱色)がこれ見よがし(?)にあちこちに施された。
過去、黒をベースにしたシンプルなデザインだっただけに中途半端に可愛らしくなった自分の姿に選手達が一番戸惑ったようだ。結局この年は三原監督率いる大洋ホエールズに優勝をさらわれ水原監督が辞任、後任にヘッドコーチを勤めていた川上が昇格するのを機に翌年から廃止される。これに懲りたのか川上政権では1961年(昭和36年)~1974年(昭和49年)の14年間一度も変えることなく同じデザインのものを使い続けた。
それにしてもこれはお世辞にもカッチョイイとは言えないなぁ、1年で姿を消したのも無理もない。今シーズンから変更した帽子のつばを見て一瞬この時代と重なってしまった。
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