プロ野球に関することを中心に勝手気ままに感想・意見・思い出話などを綴るサイトです。
オフィシャルサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
こうしてブログをしっかり更新できてしまうのがちょっと残念だ。GWだというのに特にこれといった計画がない。大型連休を利用して「いやね、海外に行くんで1週間ほど更新できないんですよ、アハハ」なんて自慢混じりに書いてみたいものである。

バッティングセンター本来なら今日は札幌ドームへファイターズ戦を見に行く予定だったけど、友人が「息子にファイターズ戦を見せてやりたいなぁ」と涙ながらに訴えるもんだから「解ったよ、ほら」と心の広いボクは彼にポーンんとチケットを譲ってあげたのだった。 (事実を曲げ過ぎた、許してくれ○田)

そこで時間の空いたボクは天気の良さに誘われ、息子と一緒にバッティングセンターへ。行ってみると通常100円で15球のところGW期間特別サービスで17球に、あまりお得感がないがその心意気が嬉しい。順番を待つことなく直ぐにバットを片手に100円を投下、気合を入れバッターボックスに立った。

久しぶりにやった割には快音を連発したもんだから「おおっ、いいじゃないの」などと調子に乗って、気がつくと息子の分とは別に1,000円を使用、実に170球も一心不乱に打ちまくった。疲れで膝を笑わせながら清々しい汗をかき、数時間経った今軽い腰痛に見舞われながらこの文を書いている。「こ、この程度で…」、気持ちと体力のギャップに戸惑うボクである。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
スポンサーサイト
もちろん、ボクはファイターズのファンクラブに入会している。クラブ会員になっていると札幌ドームでのファイターズ戦で都度もれなく選手の背番号と名前が入ったピンバッジを貰うことができるのだが、開幕から数試合しか足を運んでないとゆーのに喜ぶべきか鶴岡の「64」が3つも手に入ってしまった。

鶴岡の飛躍70種類近くもあるはずの中からの度重なる獲得、これは凄い確率だ。「アンタ、ちゃんと鶴岡を見なさい!」と言われている気分にさえなる。昨シーズンまで僅か1軍出場機会が4試合しかなく8打数 1安打 0本塁打 1打点 打率.125だった選手が今季は既に6試合先発出場を果たし打率.389(18打数7安打)と大きく飛躍し充分な結果を残している。

2002年、三菱重工横浜からドラフト8位で入団しているのはカタチばかりで、知る人ぞ知るテスト生上がりの苦労人だ。1998年春・1999年夏には樟南高の捕手として甲子園の土を踏んでおりアマチュア時代の経歴は豊富。昨年のフレッシュオールスターゲームに出場して先制本塁打を放ち、最優秀選手に選ばれたのを機に俄然注目していた選手の一人である。

背があまり高くない上に線が細く、容姿も手伝って何だか心許ない感じが未だに拭いきれない。今は控えに甘んじることがまだまだ多いがインサイドワークとパワーを向上させもっと信二を脅かす存在になるように成長して欲しい。3つの「64」のピンバッジは誰にも譲ることなく大切に取っておこう、「いいなぁ、それ一つぐらいちょーだい」と羨ましがられるその日まで。

【 追記 】:今日の試合は八木を最後まで投げさせて経験と自信をつけさせるべきだった。何度同じ采配を繰り返すのだ!『動かざる事山のごとし』的感覚で頼むよ、ヒルマンさん。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
地域に根ざそうと努力している頃のブルーウェーブには興味があった。特に震災に見舞われた年にユニホームの袖に「がんばろう神戸」と付け被災者の人々を勇気づけた姿勢は記憶に新しい。イチローというスーパースターが出現し、仰木采配が面白いように的中する様は結果も伴って観ていても楽しかった。

大阪ドーム2004年のシーズンオフに突然沸いた近鉄とオリックスの合併騒動。ファンをないがしろにしたシコリはボクの中では未だに消えていない。新生バファローズを旗揚げし発表したユニホームで合併ではなく吸収である事を改めて誇示してしまったオリックス球団には呆れるばかり。とりあえずカタチだけ袖に小さく残る「近鉄」の扱いを見て、ファンだった人達は耐え難い屈辱を味わったに違いない。

それでも両チームのファンへの配慮と集客増を目論んで実施されているダブルフランチャイズ制には違和感がありながらもまだ善しと思っていたが、ここに来てオリックスが大阪ドームの買収交渉に乗り出し始めた。先の制度の期限が切れる2008年から本拠地の一本化を検討しており、球団社長の小泉くんも買収後、球団名に「大阪」を取り入れることも示唆している。

大阪からバファローズを奪い、今度はそれでもついてきてくれた神戸のファンを捨てようとしている。どこまで身勝手な球団だろう。うがった見方をすれば、ほとぼりが冷める機会を待っていたような今回のニュース。今後、バファローズというニックネームまでが捨てられないことを祈るばかりだ。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
過去何度か触れたけど、今や北海道に留まらず全国区になった駒大苫小牧高校の話題である。野球部員10人を含む3年生14人が卒業式の開放感から居酒屋で飲酒・喫煙をする不祥事を起こし、その責任をとって監督を辞任。その後顧問という形で現場復帰をしていた香田氏だったが5月1日付で改めて監督に復帰することが正式に決まった。

駒苫 香田監督復帰最後まで涙ながらに春の大会への出場を嘆願していたという香田氏に復帰を願う85,000人もの署名が道内から集められていた。香田監督の下で野球をしたいと多くの生徒が部活の門を叩いているうえに、センバツ出場辞退を余儀なくされた野球部員をせめて夏の甲子園には連れて行きたいという強い思いが最終的に香田氏の気持ちを動かした。

復帰の発表に早過ぎるという声もあるが、ボクは全然そうは思わない。 少なくとも期間の問題ではない。(むしろこんなに早いなら辞任する必要がなかったように思えてしまうが…) 時代錯誤とも言える連体責任で春の舞台を踏むことができなかった部員たちにとって『夏』にチャレンジする意気込みはどこよりも強い。甲子園に向けその目標を具現化できる環境を一日でも早く彼らに戻してあげたかったので今回の決断には大賛成だ。

試合以外のプレッシャーも相当なものになると思うけど、選手たちと一緒にグラウンドに立てる喜びをパワーに変えてくれるはずである。今秋の高校生ドラフトの目玉、田中を擁し1933年(昭和8年)の中京商依頼、史上2校目となる夏の甲子園3連覇に向け5月15日に開幕する春季北海道大会室蘭支部予選から日本一の監督がいよいよ再出発する。

「ボクより歳下の35歳にしてあの風格、いやはや頼もしい」。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
外木場 義郎 (そとこば よしお)

また「古っ」、と言われそうだけど何の脈絡もなく何故か取り上げたくなった。ボクの中では万年Bクラスのチームにあって孤軍奮闘した印象に残る大エースだ。数字こそ北別府に敵わないものの内容はカープの球団史上最高の投手だと今も思っている。田淵の頭部にデットボール球を投じてしまい、耳付きヘルメット採用のきっかけを作った張本人でもある。

外木場 義郎1945年(昭和20年)生まれ鹿児島県出身。出水高から電電九州を経て、1965年(昭和40年)にカープへ入団する。翌年の10月に2度目の先発でタイガースを相手にいきなりノーヒットノーランを達成し初勝利を挙げるがその後は度重なる故障に悩まされ1軍と2軍を行き来する。

1968年(昭和43年)に新任の根本監督に素質を見抜かれ、9月のホエールズ戦で完全試合を達成すると共に21勝を挙げ最優秀防御率のタイトルを獲得し球団創設以来初のAクラス(3位)に導く。4年後の1972年(昭和47年)4月にはジャイアンツ戦で沢村と並ぶ通算3度のノーヒットノーランを達成する。

1975年(昭和50年)には20勝13敗、防御率2.95の成績を残し初優勝に貢献し最多勝利、最多奪三振、最優秀選手、沢村賞のタイトルを獲得。しかし翌年に右肩を痛め以降は本来の快速球は戻らず、1979年(昭和54年)に現役を引退する。翌年から広島、オリックスでそれぞれ投手コーチを務め、2000年から中国放送で野球解説者を務めている。

【 生涯通算成績 】(実働15年) 445試合登板、131勝138敗、防御率2.88、最多勝1回、最優秀防御率1回、沢村賞1回

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
ユニホーム同様、背番号にも強い想い入れがある。カクテル光線に映し出されるONの姿を見てプロ野球ファンになったボクにとって「1」と「3」は特別なものである。よく銭湯の下駄箱などで好きな選手の番号を競って奪い合ったという話があるが、「今日はオレだからなぁ」ちゅー具合に実際ボクも「3」獲得に躍起になっていた。今思えば何とも微笑ましいひとコマだなぁ。

新庄の1が欠番そのせいか「1」と「3」はチームの顔である選手が付けなければならないという固定概念が未だに消えない。新庄がファイターズ入団を決め、阿久根から「1」を譲り受けた時「そうそう、1番は華のある選手がつけるのっ!」とみょーに納得したものである。今やすっかり馴染み深くなったその新庄の背番号「1」に、あるプランが浮上している。

再三触れているように、今後大社オーナーをはじめ球団の総意として慰留に向けて動いていく予定だが、その思いが届かなかった場合はマリーンズの「26」やイーグルスの「10」と同じくファイターズの「1」も選手は使用せず、グッズなどでファンに背負ってもらおうという事実上の欠番計画が検討されるという。

先にも記したように、「1」はそのチームの顔である。貢献度を称えたい気持は痛いほど解るが、新庄が去った後そんなことされてもボクはちーっとも嬉しくない。今後、「1」に相応しいプレーヤーが引き継ぐまでの対応ならば納得できるが。次は誰が「1」を背負ってどんな成長を遂げるのか見続けて行くのもボクにとってプロ野球を楽しむうえでの重要なファクターの一つなのだ。球団関係者の皆さん、そんな安易な企画は止めましょう。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
開幕を直前に控えた3月24日に實松、古城との1対2の交換トレードでファイターズに移籍してきた岡島がここにきてよーやく1軍に昇格することが決まった。昨日も触れたように勝ちゲームのパターンが出来てはいるものの同じ顔ぶれで繋ぐ苦しい台所事情は変らず、岡島の活躍を求める声は大きい。

岡島、1軍昇格入団後、2軍で調整し続けてきた岡島は7試合に登板し17イニングを投げ2失点というまずまずの結果を残した。突然のトレードによる環境の変化がある中、2軍戦とはいえ大きく崩れることなく直ぐに安定感を見せるあたりさすが実績のある選手と言ったところ。例年になく良い状態だったけど、代りに清水が降格することになりそうだ。

投げる際に思いっきり下を向く「ちゃんとキャッチャーを見ながら投げなさい投法」でパの殆どの打者と初めて対峙する。どこを見て投げているんだか解らないため、打者にとっては死球の恐怖があり慣れるまで打ち込むことができなかったという話が残っている程極端だ。それに加え(?)、縦に流れるカーブの切れ味が戻れば結構活躍するのではと密かに楽しみにしている。

ジャイアンツ時代には中継ぎよりも抑えに起用されていた頃の方が輝いていたので、調子によってはマイケルを前に倒し、最後を任せた方が面白いと個人的に思う。2人の戦力を代償に獲得した選手、否応なしに期待が高まる。「頼むで、岡島」。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
「アッハハハ、またまた勝ってしまった」。今日、ファイターズ戦を観に札幌ドームへ行ってきた。急遽足を運ぶことができなくなった先日の試合が敗戦したとゆーのに応援に球場入りすれば快勝。これで数えること13連勝、未だファイターズの敗戦をナマで観たことがない。「すげーなぁ」と独り高揚するボクである。

対マリーンズ戦で13連勝試合はセギノールと新庄の連続ソロで2点を先取。新庄は更に適時打と追加点にも絡む3安打と活躍し、先発の江尻は7回途中まで3安打1失点と危なげないピッチングで3勝目をマーク。その後を継いだ武田久が1点を奪われてしまうが継投が幸いにも功を奏し4-1で勝利した。

結果だけ見れば全て善しだが、個人的には江尻を交代させたのが納得できない。勝利の方程式に拘るベンチの采配も解らんでもないが、充分に最後まで投げきれる内容だった。こんな調子で使い続ければ武田久やマイケルは夏場を待たずに登板過多で戦線から離脱してしまう、「あまりにも同じメンツに依存し過ぎっ」。頭の投手をもう少し辛抱してほうらせな、ホント。

ガッツのWBCユニホーム途中、買い出しがてらにドーム内をプラプラ散歩。今更ながらWBCで使用した小笠原のユニホームを記念に撮ってきた、「おおっ、まぶしい」。さて、次は29日か30日のvsホークスの観戦を予定、勝利の女神ならぬ「勝利のオヤジ」にまたなってやるぞぉ。


人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
ダルビッシュの球を左手首に受け左手第5中手骨の打撲で全治3週間と診断された清原の怒りの会見が開かれた。幸い骨には異常がなく出場選手登録を抹消せずリハビリを続けられるようだが、気持ちを抑えきれず「故意にしろ故意じゃないにしろ、僕は守るべき者を命を懸けて守りたい。そういうことがあれば、命を懸けてマウンドに走り、そいつを倒したい」と発言した。

清原、報復宣言ゴングを近くに控えた格闘家のインタビューかと思った。複雑な想いでその模様をTVで観たけど、正直自ら野球人としての品格を下げてしまったと言わざるを得ない。確かに試合に出られない状況になれば明日の生活をも途絶えかねないシビア現実が待っているが…。

家庭を持ち、守らなければならないものを背負っているのもまた充分理解できるがこの発言にはちょっとがっかり、特にボクは清原が長年好きなので尚更である。対戦投手に対する威嚇の何ものでもない。ギリギリの凌ぎ合いにファンは魅了されるというのに「際どい所に投げてくるな!」にさえ聞こえる発言だ。もちろん、当ててしまう程制球力がない投手にも問題はある。

この言葉にひるみ、仮に各球団の投手の攻めが甘くなったとしたら間違いなく多くのファンがプロ野球から離れる。選手生命をかけているのは何も清原だけではなく投手も全く同じ立場にあることを忘れてはならない。静かに闘志を燃やし、黙ってそれを結果や成績で見返す姿にボクなんかは大いに惹かれるのだが、考え方が古いのだろうか。「う~ん」。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
木俣 達彦 (きまた たつひこ)

ほぼ1週間ぶりにファィターズの話題から離れ大好きな昔話である。ジャイアンツのV10を阻んだ当時のドラゴンズナインにあって一際個性が光る選手で、バットのグリップを極端に下げる一本足でのマサカリ打法と呼ばれた独特なフォームが印象に残る。長年に亘って打者としても超一流の成績を残し、野村に続き“打てる捕手”という捕手像を作り上げた人物だ。

木俣達彦1944年(昭和19年)、愛知県生まれ。中学から捕手を務め、中京高では甲子園に出場。その後中京大に進み早々に愛知大学リーグで首位打者、MVPを獲得する活躍を見せる。その後もリーグ戦での飛躍が期待されていたが、当時捕手の人材難に悩んでいたドラゴンズからの誘いを受け僅か1年で中退し1964年(昭和39年)に入団する。

1年目こそ56試合の出場に止まるが、2年目から正捕手として不動の地位を築く。持ち前のバッティングセンスに磨きをかけ5年目の1969年(昭和44年)にはリーグ3位となる33本塁打を放ち、翌年も30本塁打を記録。1974年(昭和49年)にはリーグ2位となる打率.322を残し攻守共に優勝に大きく貢献。その後も76年、77年、79年と3割をマーク、5度のベストナインを獲得する。

1982年(昭和57年)に中尾の台頭により控えに回り、打率.170の成績で19年間の現役生活を終える。1998試合捕手として出場し、野村、古田に次ぐ通算3位の安打数を残す。引退後は、ドラゴンズコーチを経て、野球解説者を務める傍ら、マスターズリーグの名古屋エィティーデイザーズに参加している。

【 生涯通算成績 】(実働19年) 2142試合出場、1876安打、285本塁打、872打点、打率.277

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
今回の件で、いかに新庄がプロ野球ファンに愛されている存在か改めて知った。本人の活躍もあって引退表明から新聞、スポーツニュース共にトップ扱いと思惑通りかは知る由もないけど俄然注目度はアップしている。あちらこちらで未だ事実が受け入れがたく引退の撤回を呼びかける声も多い。

新庄、また1発札幌にある球団事務所にも「やめないで!」という内容の電話やメールが200件近く殺到したらしい。気持のどこかで「やっぱり、もう1年やりま~す」的なサプライズを期待するファンも少なくない。札幌ドームに戻る21日のマリーンズ戦で始球式を務める上田市長や今後、大社オーナーが直接慰留する方針のようだけど、一度固まった意思はそう簡単に揺らがないはずだ。「諦めましょう」。

その一方で藤井球団社長は「仮に引退するとしても、ファンサービスに意見を貸してほしい」とアドバイザーとして球団に籍を置いてもらいたい意向を示唆している。更にちーっとも知らなかったけど、来季からビジター用ユニホームを一新する計画があるようでデザイナー転身も視野に入れている新庄にそのデザインを依頼するという、いささか無謀なプランも浮上している。

グッズが売れ切れ続出、地元新聞では急遽全面(15段)カラー特集を掲載するなど、この先まだまだ長いペナントレースが続くというのに今からちょっとした騒ぎだ。「今シーズンで最後のユニホーム姿。ファンの方に足を運んでいただき、目に焼きつけてほしいですね」と語る新庄の言葉どおり、優勝の奇跡を信じながら、残り試合の新庄をじっくり見続けたいと思う。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
新庄に限らずこの日は必ずやってくるものだ。ただ、驚く程に突然だったので最初は自分の目と耳を疑った、シーズンが始まって僅か19試合目のこんな時期に。2本のホームランを放ち脚光を浴びるお立ち台で発表するあたり新庄らしい。マイクを握る表情にうっすらと光る涙を見た時、改めてその決意の固さを悟り、一瞬にして諦めにも似た感情に支配されてしまった。

新庄、引退を表明昨夜、試合結果をネットで確認していたら“新庄引退”の文字が。頭の中を整理し、はっきりとした情報を得てから触れたかったので更新が今日になった。誰よりもファンを大切にするが故に第一に伝えたかった予想もできない衝撃発言、フロントやベンチの選手たちでさえ知らされていなかったというから驚きである。球団側は慰留に向け最大限の努力をするとしているが今度ばかりは無理だろう。

「ボロボロになるまではやりたくない」というのが以前から口にしていた新庄ならでは美学だが、弱音を吐かず持ち前の明るさで限界に近づいた体の不具合をひた隠し努めていたことが想像できる。ハタから見ればまだまだ現役を続けられるように思えるものの、日に日に本来の自分のプレーができなくなる歯がゆさは新庄自身にしか解らないことだ。

開幕戦の43,000人に膨らんだスタンド、その中にボクもいた。そのことが引退を決断するきっかけになったとコメントされると複雑な心境だ。奇しくも次の時代を担う鵜久森が初めて1軍にベンチ入りした日の引退話。世代交代と言ってしまえばそれまでだけど残念でならない。北海道移転後、ファン獲得に奔走した最大の功労者であることは誰もが認めるところ、新庄がファイターズに与えた影響は計り知れない。

失うものがあまりにも大き過ぎる。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
今日もまたまたファイターズの話題。自分でも意外だけどファイターズをこよなく愛していると言って憚らないのに4日間連続取上げるちゅーのはブログを始めて以来初の快挙(?)だ。さて、試合のことをそっちのけで書きたかったのは今日からのバファローズ“3連戦だけ”の予定ながら将来の4番候補、鵜久森が初めて1軍昇格を果たしたことである。「待ってたぞぉ、オイ」。

鵜久森、初の1軍森本の故障に続き、金村の出場選手登録抹消に伴うもので21日のマリーンズ戦に先発する橋本が昇格するまでの狭間を繋ぐような格好だ。入団1年目の昨シーズンは2軍で8本塁打を打つなど長打力を見せたが、確実性にやや欠ける部分もあり、残念ながら1軍昇格に手が届かなかった。同期のダルビッシュが活躍する姿に刺激を受けてか2年目の今年は大きく飛躍、ここまでイースタン・リーグ戦13試合で48打数11安打5打点1本塁打と結果を残し4番を打つ機会も多い。

元々、済美高校時代3年時には甲子園に出場し春に2本、夏には3本と大暴れし清原に次ぐ5本を含む通算46本塁打を放ったスラッガー。夏の決勝で敗れた駒大苫小牧高校がある我が地元のファイターズに入団したのも何かの縁で、重複指名なく獲得が決まった時には独りほくそ笑んだものである。「プロの水にも慣れ、いよいよ君の時代の到来か!」と言ったところだ。

できれば短期の昇格ではなく長く積極的に使い続けて欲しい。打線も低迷状態だし現状を打破するためのカンフル剤になるかもしれないし。「ここはどーでしょう、思い切ってスタメン起用ってのは?」。今だからこそ、それができると思うんだれどなぁ…。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
「なかなか勇ましいじゃないか、ズレータくん」。プロの世界は真剣勝負、ましてや体は商売道具とあって怒りたい気持は解るが、あの程度の球でキレちゃいかんなぁ。その位の闘志があっても良いと思う反面、倒れて無抵抗な相手にパンチを繰り出すとは卑怯と言わざるを得ない。感情に任せたまま突っ走るとはいやはや大人気ない限りだ。「ちーっとは反省しなさい」。

ズレータの3発乱闘騒ぎの主は概ね助っ人絡み、その威嚇的なやり方が向こうの流儀かもしれないが基本的に体力的に劣る日本人選手を舐めている証拠だ。突進してくる巨漢から逃げることなく体当たりした金村を逆に褒めてあげたい。パナマ出身のズレータには通用しないと思うが、以前スポーツライターの二宮清純氏がこんなことを書いていた。

『ハリウッド映画で殴り倒した相手に馬乗りになるようなシーンはほとんどお目にかかれない。殴り倒した側は「カモン!」と叫びながら相手が起き上がるのを待つ。そして再びファイティングポーズをとったのを合図に戦闘は再開される。ヨロヨロと立ち上がった相手にいきなり殴りかかるのは卑怯者の仕業だと断罪される。そして卑怯者には「私刑」が執行される。善しあしは別にして、これが米国流の「記述なき掟」なのだ』 と。

今回の件は戦いではなく一方的な制裁だ。とばっちりのパンチを受けながら体を張って仲裁してくれた松中には感謝したい。続投しその後のリレーで勝利できたから良いようなものの「今後の登板に影響が出た日にゃワイが黙っとなんぞ!」と任侠劇ばりに粋がってみる。10年ぶりとなるホークス戦開幕2カード連続の勝ち越しも決め1週間ぶりの5割復帰、上位浮上のきっかけになることを願うばかりである。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking

「よくぞやったぁ!」八木が延長10回、打者34人に150球を投じ無安打無得点に抑える熱投を見せた。その後、武田久とマイケルにリレーし、延長12回1-0と辛くも勝利しチームの連敗は5でストップ。3投手による延長戦での無安打無得点はプロ野球史上初、継投による無安打無得点試合は戦前1リーグ時代の1941年(昭和16年)阪急以来65年ぶりの快挙となった。

八木、150球の熱投ありがたいことに札幌ドームの試合じゃないのにTV中継が。もちろんメガホン片手に一人騒がしく観戦である。立ち上がりこそ不安があったものの信二の好リードもあって序盤からスクリューボールとスライダーをおりまぜて使う緩急をつけたピッチングは終始安心して観ていられた。回を追うごとに球速の増すストレートも圧巻だったなぁ。

それにしても八木個人が大記録を逃してしまったのはホント残念だ。「ルーキーがここまで踏ん張っているんだからシャンとせんかぁ!」と若干のイライラモード、相変わらずあと1本がでない湿っぽい打線には頭を抱え、いらんストレスが溜まってしまった。(重症だなこりゃ) あげくに途中で中継が終わるもんだから「でぇ~っ」、結果を知るまでモンモン状態である。

歴史的ウイニングボールは八木の手に渡ったらしい。記録達成もさることながら勝利投手にこそなれなかったが、プロ野球ファンであればこの快投をいつまでも忘れないはず。プロの世界で僅か3試合目の登板、近い将来再びその機会が巡って来ると信じたい。自信を手にした今後の八木に注目だ。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
5連敗で気がつけば借金2のファイターズ。本来なら移動休みだったにも関わらず昨日、報道陣を完全シャットアウトしてヤフードームで練習を行った。連敗期間中のチーム打率は.193、得点も僅かに8と目も当てられない惨状、さすがに危機感があってのこと、良い汗かいて気持ちを入れ替えてちょーだい。

頑張れ、糸井さて、そのファイターズ関連で「おおっ、そうなのかぁ」というニュースが目に留まった。プロ野球ファンと言えども大半の方には「ああっ、何か聞いたことあるけど、よく知らないなぁ」てな感じだろうが、ファイターズファンにとってはジミながら非常に興味深い話題なのである。

2003年の秋、近畿大学時代に最速151キロをマークし本格派の即戦力右腕として自由枠で入団した糸井が野手に転向するかもしれない。入団当初には個人的にも先発ローテーション入りを大いに期待したけど2年間で1軍出場機会はなく2軍戦でも36試合、8勝9敗、防御率4.86と低迷、同年2巡目の須永が出て来てるのに「何をしとるのだ、糸井よぉ」と気にはなっていた。

今季はまだ2軍戦の登板はないものの今後テスト登板を繰り返し制球難の改善が見られなかった場合は早い段階で球団側が適性を見極めるつもりらしいが、186cmの恵まれた体格と高校時代には打者として注目され50メートル走5秒7という身体能力の高さもあることから野手として再出発する可能性も大だ。

右投げながら左打ちというのも転向を検討する理由の一つか。くすぶり続けるよりも再出発する道を選びプロの世界に残る勇気が必要な時かもしれない。「頑張れっ、糸井!」

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
ジャイアンツの勢いが止まらない。その快進撃の流れに乗ってプロ21年目38歳を向かえたベテランの桑田が昨日、5回を4安打1失点に抑える快投を見せ2004年8月21日のカープ戦以来、実に600日ぶりに勝ち星を挙げた。今後の長いペナンとレースを考えるとチームにとっても価値ある1勝である。

桑田、600日ぶりの勝利1983年(昭和58年)夏から5季連続で甲子園大会に出場し、優勝2回、準優勝2回、ベスト4 1回の足跡を残す活躍に魅せられPL学園時代から好きな選手だ。プロとして決して恵まれていない体でありながらタバコを吸わず食事管理を徹底し独自の練習方法、ウェートトレーニングやメンタルトレーニングなどをストイックまでに数多く取り組むその野球に懸ける情熱にはホント頭が下がる。

ここ数年振るわず限界説が囁かれ引退覚悟で臨んだ宮崎キャンプの最中、監督時代深い繋がりのあった藤田元司氏が亡くなるという悲しい知らせが入った。弔問に駆けつけた桑田は4時間半も正座し別れを惜しんでいたというから、棺に眠る恩師の前で並々ならぬ強い誓いを交わしたことが想像できる。「この1勝を藤田さんの目の前でできれば良かった。ボールはお墓に持っていきたい」と試合後のインタビューで胸の内を語った。

過去を振り返っても、球団関係者が亡くなられたシーズンはチームにとっても個人にとっても不思議と良い結果を収めるケースが多い。今シーズンこそ完全復活し、多少不恰好でも構わないから若手の台頭に負けることなく、あと27勝に迫るこだわりを持った200勝を達成する日までぜひ頑張って欲しい。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
クドイようだけど、プロ野球ファンになったきっかけはミスターの存在である。時あたかもジャイアンツV9時代、ハナを垂らしながら野球をやっていた子供の頃ボロボロになるまで読み続けたのが「王と長嶋の野球教室」、友人宅で火花を散らしたのが「王と長嶋の野球盤」、北海道という土地柄、野球中継はほぼ100%「巨人戦」といった具合に右を見ても左を見ても全てジャイアンツ、他のチームを選ぶ術がないに等しかった。

原ジャイアンツ快進撃この歳になっても、あの絶対的な強さで輝いていたジャイアンツの記憶が一向に色褪せる事がないからホント不思議だ。とは言ってもボクもそんなにジジイではないので覚えているのもせいぜいV7以降の事、そのV7を達成した1971年(昭和46年)以来、35年ぶりとなる開幕4カード連続勝ち越しを難なく原ジャイアンツが決めた。

“黄金時代の再来”とか“憎らしいほど強い巨人が蘇った”とか景気の良い活字が躍るけど、トータルの強さの中から生まれるならまだしも「始まったばかりで、そりゃーちょっと言い過ぎだろぉ」と誰にともなく言いたい衝動に駆られる。その一方でファンでもないのにジャイアンツが強いのがちょっとだけ嬉しい。子供の頃夢中だった歴史と伝統のある球団が錆びれて行く様を見たくない気持ちが働くせいでもある。

ここ数日のニュースに触れ、過去を振り返り“優勝確率○%”と語れるのは改めて凄いことだと感じた。ファイターズが仮に同じ状況にあっても対照とする実績が乏しいので悲しいかな触れようにも触れられない。リーグ優勝39回、日本シリーズ制覇20回は「…」、言葉に詰る程やはり素晴らしい。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
ファイターズには残念ながらボクより年上の選手がいない。高卒ルーキーを見るとちょっと極端だけど息子のように感じるし、中堅クラスの選手だと部活の後輩のように思えてしまう。ただその中でも異彩を放っているのがやはり小笠原と新庄、もし二人の前に出る機会があれば年齢に関係なくプロ野球選手に憧れる子供のような気持ちで直立不動状態に陥るに違いない。

新庄、野球を語る特に新庄には色々な意味で“プロ”を感じる。未だにチャラチャラふざけおってからにホントにもーっ、という印象を持っている人も少なくないようだけど、常にファンを意識したパフォーマンスはいやはや素晴らしいの一言、尊敬に値する。どこかボクの敬愛するミスターと重なる部分があり我がファイターズにはなくてはならない存在だ。

その新庄が明日(4/13)、テレビ朝日系で放送される「ナンだ!?新装開店SP」(PM 11:30~)に出演する。“パフォーマンスの裏側密着(秘)衝撃映像初公開独占誰も知らない新庄初激白”と題して珍しく野球論を展開するようだ。タイガース入団から日米プロ17年間使用し続けているグラブに隠された秘密や守備へのこだわりなどを披露、特殊メークマスクや開幕戦のハーレーでの登場などの舞台裏に迫る秘蔵映像も満載らしい。

ファイターズor新庄ファンのみならず一見の価値がありそうだ。時間帯がちょっと深いので息子には録画して見せてやろうと思っている。「なっ、新庄ってこんなに考えて野球をやってるんだぞぁ」なんちゅー説明も加えながら。これもファイターズをより愛するための英才教育(?)に他ならない。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
折角シーズンが始まったというのに、ここに来て何かと忙しく更新がままならない状態に陥っている今日この頃。おけがで金本が元オリオールズのカル・リプケンJr. を抜く904試合連続フルイニング出場世界記録を樹立したという大きなニュースがあったにも関わらずすっかり話題に乗り遅れてしまった。

炭谷漫画化?それにしても7年間皆勤賞とは凄い、いつ何時でも交代を告げられないというのが「攻・走・守」全てにおいてバランスが取れている選手であることの証だ。次に迫るのは、ジャイアンツ時代に松井が残した415試合まであと123試合とする4番打者としての連続出場記録。順調に行けば今シーズン中に突破でき、また新たな勲章を得ることになる。引退を迎えるその日までずーっと走り続けて欲しいなぁ。

さて、話はコロッと変って気になったニュースをもう一つ。

ライオンズの快進撃を支える一人に高卒ルーキーのキャッチャーとして51年ぶりに開幕先発出場を果たした炭谷の名前が挙げられる。その炭谷、字画を考慮して「銀仁朗」としているが、元々お父さんが愛読していた漫画「硬派 銀次郎」にあやかってつけられた名前らしく、今後のこのまま活躍が続けば球団側から対談や自伝漫画などを名づけ親とも言える作者“本宮ひろ志”氏に依頼する計画があるという。

以前も触れたけど、ボクはどえらい漫画好きでもある。この作品は1974年(昭和49年)に発行された少年ジャンプの第18号に知る人ぞ知る“愛読者チャレンジ作品”の一つとして読みきり掲載され人気を博し、後に連載されたもので、もちろんリアルタイムで読んでいる。「良いじゃないのぉ、新人でも漫画化大いに結構」、漫画のキャラクターに負けない男気ある強いハートで今後のプロ野球を牽引して行く選手になる可能性があるだけに、そのオファー大作戦へぜひ一票を投じたい。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
以前も書いたように本来なら今日はファイターズの試合を観戦すること12連勝中のゲンを担ぎ「どれどれオイラが行かないと連敗が止まらんのか、まったくもーっ」という訳の解らん大いなる勘違いした自信を持って札幌ドームへ足を運ぶ予定だったけど、急に都合が悪くなりトホホ…行けなくなってしまった。

ファイターズグッズチケットが無駄になってしまったことよりも、同一カードで3連敗した方が残念でならない。これでライオンズは3年ぶりの8連勝、一方がファイターズは打線が振るわず5割に逆戻りである。出先からチラッとTV観戦していたが、4回に浴びた和田の3ランがなければ先発江尻のピッチング内容は◎。試合には敗れたものの9回を投げきった気持ちの入った好投は嬉しいぞぉ、これは次に繋がるはずだ。

14試合を消化して7勝7敗。北海道元年となった一昨年(2004年)の同じ試合数経過における成績の5勝8敗1分と昨年(2005年)の5勝9敗に比べればこの3年で一番良い滑り出し。決して褒められた成績ではないけど、戦力を客観かつ冷静に見た時に、シーズン前から厳しい戦いが続くと覚悟していたのでボク的には正直「善戦してる方じゃない」といった感がある。

ライオンズの涌井、炭谷、G.G佐藤のような期待以上に貢献する選手が次々に台頭しチームに勢いがつかない限り現状のままでは5割のラインを行ったり来たりするのが恐らく精一杯だ。ヒルマン監督に「勝利への執念が欠けている」と口にさせるようでは尚難しい。がんばっておくれ!ファイターズ。できるだけドームに応援に行きます故。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
東京に出張中で更新できない時に限ってダルビッシュの完封勝利のニュース。さて今日はと腕まくりしPCに向かうが、結局ファイターズの話題に触れようにも昨日に続きライオンズ相手に地元で連敗とええとこなし。「どーしようかなぁ」と考えたあげく、また大好きなユニホーム話である。(ハハハッ)

カラー時代対応ユニ開幕スタートダッシュにまずまず成功しているジャイアンツ。ジャイアンツのユニホームと言えば“伝統を継承し、ちょっとやそこらで直ぐには変えませんよアンタ”的な5年、10年使い続ける息の長いものが多いのだが、そんな中にあって、たった1年しか使用されなかったユニホームが過去存在している。

それは、1960年(昭和35年)、日本プロ野球の生みの親で当時のオーナーだった正力松太郎が日本テレビと手を組みジャイアンツをカラーデレビの普及と新技術のアピールに使うことを目的に着用させた画像のようなユニホームである。全体的に濃いクリーム色で、胸のロゴ・背番号・アンダーストッキング・帽子のつばに赤(朱色)がこれ見よがし(?)にあちこちに施された。

過去、黒をベースにしたシンプルなデザインだっただけに中途半端に可愛らしくなった自分の姿に選手達が一番戸惑ったようだ。結局この年は三原監督率いる大洋ホエールズに優勝をさらわれ水原監督が辞任、後任にヘッドコーチを勤めていた川上が昇格するのを機に翌年から廃止される。これに懲りたのか川上政権では1961年(昭和36年)~1974年(昭和49年)の14年間一度も変えることなく同じデザインのものを使い続けた。

それにしてもこれはお世辞にもカッチョイイとは言えないなぁ、1年で姿を消したのも無理もない。今シーズンから変更した帽子のつばを見て一瞬この時代と重なってしまった。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
大下 弘 (おおした ひろし)

ここまで時代を遡る記事を数日綴り続けるとボク自身も更に輪をかけて耳年寄りなること請け合いである。世代的にはこれまた現役時代の記憶がない“歴史上の人物”、「♪リンゴの歌」の歌詞をヒントに戦後川上の赤バットに対抗して自前で青ペンキを吹き付け「青バット」を作ったという逸話を持つ人物だ。

大下 弘1922年(大正11年)、台湾生まれ。台湾の高雄商から明治大学に進学しそこで召集を受け陸軍航空隊員となる。1945年(昭和20年)、終戦によって復員するといち早くセネタースから声がかかり入団、2ヶ月後の11月には東西対抗戦でデビューを果すといきなり6打数3安打と活躍、翌年には当時の日本記録となる20本塁打を放つ。

1947年(昭和22年)には新しく誕生した球団、東急で打率.315、17本塁打で二冠王に、1949年(昭和24年)の大陽戦では7打席連続安打を達成しゲーム最多安打の日本記録を樹立、また翌年からは2年連続首位打者に輝くなど非凡な打撃センスを見せ続けた。1952年(昭和27年)には先日書いた三原監督率いる西鉄に移籍し2年後の1954年(昭和29年)に打率.321、22本塁打、88打点の活躍で初優勝に大きく貢献しMVPに選ばれる。

1959年(昭和34年)、打率.303を残すも余力を持って現役を引退。阪急のコーチを経て1968年(昭和43年)、「ノーサイン、ノー罰金、ノー門限」の三無主義を唱え、東映の監督に就任したがシーズン途中の80試合で退任する。

「日本の打撃人を五人挙げるとすれば、川上、大下、中西、長島、王。三人に絞るとすれば、大下、中西、長嶋。そして、たった一人を選ぶとすれば、大下弘」。西鉄時代の恩師でもある三原脩がその天才ぶりを認め残した言葉である。

【 生涯通算成績 】(実働14年) 1547試合出場、1667安打、201本塁打、861打点、打率.303、首位打者3回、本塁打王3回、最多安打1回、MVP 1回

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking 
前回に続きその名を球史に刻んだ人の話である。ボクの世代だと“ドン”と言えば、ジャイアンツV9時代の黄金期を築き上げた川上哲治だけど、それ以前にそう呼ばれていた名監督がいる。指揮官としての姿もリアルタイムに見た記憶が全くないけれど、長きプロ野球の歴史を振り返るうえで避けては通れない偉大な足跡を残した人物の一人だ。

鶴岡一人1916年(大正5年)山口県生まれ、1931年(昭和6年)広島商業の遊撃手として春の選抜で全国制覇。旧制法政大学では初の連覇に貢献するなど花形スターとして活躍し、1939年(昭和14年)南海軍に入団する。入団1年目からいきなり主将に座り3番三塁手として10本塁打を放ちタイトルを獲得する活躍を見せるが時代には逆らえず、翌年に応召され5年間の従軍生活を送ることとなる。

戦後の1946年(昭和21年)に復帰し、いきなり南海を初優勝に導き、同年から7年間プレーイングマネージャーとして活躍しその間に3度のMVPを獲得、打率.295、61本塁打、467打点、143盗塁の通算成績を残して1952年(昭和27年)限りで現役生活を終える。翌年から選任監督となり1968年(昭和43年)に勇退するまで実にプロ野球史上最長となる通算23年間に亘って南海の指揮を執り続けた。

この間リーグ優勝11回、日本一2回、中でも1959年(昭和34年)、宿敵巨人を杉浦の快投もあって4連勝で降した“涙の御堂筋パレード”はあまりにも有名。通算1773勝1140敗81分勝率.609は歴代監督1位の成績で、300試合以上の経験監督の中で唯一6割台をキープしている。特に優勝回数もさることながら2位に甘んじたシーズンが9回もありその内5回は首位とのゲーム差が“1以内”という圧倒的な成績が光る。

1969年(昭和44年)からNHK解説者、1965年(昭和40年)には野球殿堂入りを果たす。西田(のちにカープ)と木戸(のちのタイガース)のバッテリーで夏の大会を制し常勝PL学園の礎を築いた監督は長男の鶴岡泰氏。ミスターが少年期に憧れていた選手としても知られている。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
ボクが生まれるずーっと前、伝説となっている2人の監督の話である。本来なら物語の一冊もできる程の深い歴史を、思いっきりかいつまんで触れてみたい。関連文献を読む度に今日のプロ野球の発展を支えた功績の大きさを強く感じてしまう。

三原脩・水原茂

水原茂 1909年(明治42年)生まれ、高松商から慶大。三原脩 1911年(明治44年)生まれ、高松中から早大。共に高松から大学時代にかけ凌ぎを削るライバルであり1934年(昭和9年)ベーブルースを擁する全米選抜チームと対戦する全日本チームにプロ契約1号として三原が参加、水原も後を追うように直ぐに巨人に入団し創設時から共に活躍した。

1938年(昭和13年)限りで退団した三原がビルマ戦線への参加を余儀なくされると、その4年後には水原もシベリアへ応召される。戦後いち早く帰国し読売新聞で野球評論家をしていた三原に巨人主力選手からの強い要望があり1947年(昭和22年)シーズン途中から監督に就任したが、2年後に水原がシベリア抑留から帰国するとチーム内に複雑な動揺が起き、紆余曲折を経て結局水原監督が誕生することになる。

背広姿の総監督にまつりあげられた三原は1951年(昭和26年)西鉄の監督就任要請を受諾、「いつか巨人を倒すチームを育ててやる」という想いを胸に福岡へ。三原が去った後、水原巨人は3年連続日本一を達成、一方三原は1954年(昭和29年)に始めてリーグを制し1956年(昭和31年)からセの覇者水原巨人を3年連続日本シリーズで打ち破り悲願を達成する。

1960年(昭和35年)には前年最下位の大洋の指揮を執りそこでも川上巨人を打倒し日本一に輝くとリーグを逆にしてパに乗り込んだ水原は1962年(昭和37年)に東映の監督として日本一に返り咲く。翌年1963年(昭和38年)の巨人vs西鉄の日本シリーズに共にゲスト評論家として招かれ席を並べた際「おまえがいたからこそ刺激され戦ってこれた」とマイクを通して互いに称えあったという心温まるエピソードが残されている。

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking
ウォーレン・リビングストン・クロマティ
(Warren Livingston Cromartie)


昨日、ジャイアンツの第70代目の4番打者を李が務めその重責に応えた。遡ること19年前にも開幕試合で4番に座った外国人がいる。本塁打すると右手を高々とあげてガッツポーズ、ベンチ前で万歳のパフォーマンス。多くのファンに愛されていたジャイアンツの球団史上最高の助っ人である。(ボク的には)

クロマティ1953年アメリカのフロリダ州生まれ。マイアミ・デート短大を経て1974年にエクスポズへ入団。3年目まではマイナーとメジャーを行き来していたが、4年目からメジャーでレギュラーに定着。 キャリア9年間で通算打率.281、61本塁打、391打点の成績を残し1983年にFA宣言し日本人選手との親交もあって30歳でジャイアンツに入団する。

1年目から打率.280、35本塁打、93打点と活躍する。2年目も3割を超える打率と112打点でリーグ2位の成績を残す。3年目には打率.363、37本塁打、98打点と好成績を残したが、全部門でそれを上回る成績をタイガースのバースが記録し3冠王を獲得したため結局無冠で終える。1989年には開幕からヒットを量産し4割維持の当時の球史最長記録を8月21日までに伸ばし後半失速するものの打率.376の高打率で優勝に貢献、首位打者を獲得すると共にMPVに選ばれる。

翌年もリーグ優勝に貢献したが帰国。その後1年間ロイヤルズでプレーし現役を引退した。スワローズ高野から右側頭部に死球を受けてた翌日、病院を抜け出しベンチ入りし代打逆転満塁本塁打を放った後の王監督と交わした涙の抱擁シーンが今でも忘れられない。
 
【 通算成績 】(実働7年) 779試合出場、951安打、171本塁打、558打点、打率.321、首位打者1回、MVP 1回、最多勝利打点2回、最高出塁率1回

人気blogランキングへ  FC2 Blog Ranking