プロ野球に関することを中心に勝手気ままに感想・意見・思い出話などを綴るサイトです。
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あまり知られてないけど、昨シーズンファイターズも交流戦期間中に復興ユニホームを使用した。札幌にある円山球場の開場70周年を記念して1日だけ実施され、試合前の練習中に上着だけを変えるという何とも中途半端なものだったが。

交流戦ユニホームそれに比べタイガースの復興ユニホームは充分楽しめた。ボクのような反応を示した野球ファンも少なくなかったようで今シーズンも交流戦で使用することが決定したようだ。

発表によると更に趣向を凝らし1979年(昭和54年)から1983年(昭和58年)にかけて使用していた水色のビジター用を追加導入しホームの試合で着用するらしい。

この時代のユニホームを見ると思い出すのが「江川事件」でタイガースへのトレードを余儀なくされた小林だ。「プロ野球選手ならトレードは当然」と潔く移籍に同意した姿勢に“プロ”を感じ、特にタイガースファンでもないのにジャイアンツ戦の登板日には思わず力を込めて応援してしまったものだ。
(ミスターごめんなさいと思いつつ…)

古巣相手に無傷の8連勝を飾った時はいやはや痛快だった。細身の体にも関わらず縦縞のユニホームが良く似合っていたホント。などと、褒めつつも時の流れか慣れていないせいか、この復興版がどこか垢抜けなく感じるのはボクだけだろうか?

好き嫌いはあれど「やはり現行のユニホームが一番良いじゃないのぉ」と思えてしまう。ファイターズも全身を復興スタイルにして交流戦に挑んで欲しいと思う今日この頃である。

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古田監督率いる新生スワローズ相手にオープン戦の初陣を飾った。ペナントレースのスタートとは持つ意味が違うものの「やっぱ初戦はスッキリ勝ちたいもんだ」と思っていたので危なっかしい展開だったけど、まずは「よし、よし」である。

川島サヨナラ弾九州国際大出のルーキー川島が1点を追う9回1死一、二塁でレフトの場外へと消える3ランを放ち4-2でサヨナラ勝ちを収めての白星発進。試合後には「打った瞬間に分かった。古田監督の初勝利?あ~っ、空気読めてなかったですかね」と周囲を笑わせる余裕も見せた。

“開幕投手もあり”と考えていたダルビッシュがWBCの先発で打ち込まれた後、右肩の痛みを訴え1軍キャンプを離脱。福岡から2軍の寮がある千葉・鎌ケ谷へ緊急帰還してしまう暗いニュースが流れた矢先の勝利だったので少しはモヤモヤが解消された思いだ。

紅白戦の実戦登板で好投した八木と併せちょっと小柄ながらパンチ力のある川島と今年はルーキーが頼もしい。本職のセカンド争いには木元が中心に居座りなかなかどーして簡単にはいかないため出場機会を増やすべく現在外野にも挑戦中だ。

オープン戦で更なる結果を出して1軍枠に残れるよう二人にはホント頑張って欲しい。レギュラー陣の尻を叩くような存在になってくれることを期待して。

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山本 一義 (やまもと かずよし)

カープ6年目の栗原が絶好調だ。昨日の対ホークス戦でも2発4打点と一人気を吐いた。そこで昨日に続き球史に残る選手として、衣笠でもなく山本浩二でもなくチームの大先輩の一人、山本一義を取り上げる。余りにも渋い選択だったかなぁこりゃ?

山本一義1938年(昭和13年)広島県生まれ。広島商時代から満塁で敬遠される程の強打者として知られ、甲子園に春夏連続出場。法大に進み1年からレギュラーに座り、4年時には4番で主将を務め12年ぶり7度目のリーグ優勝に貢献した。

プロへ進むにあたり高校時代から目をかけてもらった大先輩、鶴岡監督率いる南海ホークスに入るつもりだったが、地元球団を選ばないことを父に落胆され、やむなく1961年(昭和36年)にカープへ入団する。1年目からレギュラーを掴んだが、金田のカーブに腰が引けてしまい左投手になると交代させられる日々を送る。その後猛練習で克服し4年目の1964年(昭和39年)から本来の実力を発揮し.290の成績を残す。

1966年(昭和41年)には.300、翌年には.311をマークするなど1972年(昭和47年)まで衣笠や山本浩二らと共に低迷期の中軸打者として活躍した。1975年(昭和50年)に球団創設初となるの優勝を見届け現役を引退。その後はカープ、近鉄バファローズ、南海ホークスなどのコーチを歴任し、1982年(昭和57年)から2年間オリオンズの監督も経験する。

現在は、マスターズリーグに所属しながら、母校法大の臨時コーチとして指導する他、中国放送の解説者を務めている。

【 生涯通算成績 】(実働15年) 1594試合出場、1308安打、171本塁打、655打点、打率.270、ベストナイン2回

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福本 豊 (ふくもと ゆたか)

ジャパンのユニホーム姿で昨日イチローが活躍した。その着こなしが昨年とは違いジャッキーロビンソンを彷彿させるオールドスタイルになっていた。破壊王子さんから「福本豊スタイル」というコメントをもらい「おおっ、福本がそうだった」と改めて思い出し書くことにした。ボクの中では球史No.1の1番打者である。

福本豊1947年(昭和22年)大阪市生野区生まれ。大鉄高校から松下電器を経て、1969年(昭和44年)山田、加藤と共に阪急ブレーブスにドラフト7位で入団する。2年目にレギュラーの座をつかむといきなり75盗塁を記録、盗塁王を獲得し、以後13年連続盗塁王の偉業を達成する。

1972年(昭和47年)には106個という驚異的な数字で日本記録を樹立。チームも優勝し、盗塁王を獲得した選手では初のMVPに輝く。翌年にも95個、さらに翌年も94個と圧倒的な足を披露しその当時、球団で足に1億円の保険をかけ話題になる。

盗塁の成功率は実に78%、ルー・ブロックが持っていた938盗塁を更新した通算1065個の盗塁は当時の世界記録。足だけでなく重いバットを鋭く振り切るバッティングで4度の最多安打を記録。足で稼いだ通算三塁打115、先頭打者本塁打43はいずれも日本記録、2543本を放った安打製造機でもある。

1988年(昭和63年)現役を引退。コーチを経て、“得点が入らずスコアボードにゼロ並ぶ”様子を「たこやきみたいでんな」とコメントしたのを始め、他にも様々な名語録(?)を残す野球解説者として活動する傍ら今年の1月より阪南大学野球部の特別コーチに就任している。

【 生涯通算成績 】(実働20年) 2401試合出場、2543安打、208本塁打、884打点、打率.291、最多安打4回、盗塁王13回、MVP 1回

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ガス給湯器が壊れた。体が泡だらけの状態にも関わらず急にお湯が出なくなってしまったからさー大変。気合を入れてリアクション芸人のように冷水で荒い流したら見事に体調を崩してしまい仕事の忙しさもあって2日間更新できずの状態に陥った。絵に描いたようなマヌケな有様だ。おおっ、フラフラする。

優勝トロフィー自己所有のマンションなのでしかたなく新品を購入することに。その額24万円也。「なんとかしちくれっ、直せるはずなのだぁぁ!」と涙ながらに訴える抵抗も虚しく寿命を理由に修理業者に説得されてしまった、痛たたっ。

さて、微熱があり回転しない思考能力でTVの中のイチローを観ては「いつの間に年齢的にもリーダーシップを執るポジションになったのだなぁ」と改めて親父のような気分で目を細めていた。

練習も勢力的に先頭に立ち、青木にティー打撃のサポートし「分からないことがあったら何でも聞いてくれ」と声を掛けるなど後輩の指導にあたるシーンも見られる。メジャー仕込みの貴重な経験をチームに注入する姿はホントに頼もしい限りである。

今日行われた12球団選抜チームとの壮行試合でも3打数1安打ながら充分な存在感を放った。キャンプで調整中の相手とは言えチームも7-0と完勝しまずまずのスタートだ。先日披露されたサッカーワールドカップとどこか似た感じのするWBCの優勝トロフィーを獲得すべく、一丸となって頑張って欲しい。イチローの活躍が益々チームの勢いを生むはずである。

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「お前はいったい何歳なのだ? 」とたまーに友人や知人に聞かれる。あげくに同じ歳のカミさんにさえ「あんた歳、サバよんでない?」と聞かれる始末である。ようは祖父母に育てられた訳ではないのに必要以上に耳年寄り、知識年寄りになのだ。

山本五十六何度も書いているように昔話や歴史が好きで、「この人があぁなってこうなった結果、おおっ、そうなったりしたのかぁフムフム」「なるほど良いこと言うねぇ」とイチイチ感動してしまう。特に野球を筆頭にスポーツに関するものなら尚更なのである。

以前、亡くなられた藤田元監督が選手の指導にあたって心に刻んでいた言葉があったとTVで放送されていた。この言葉はボクが高校生の時に触れたもので、歳を重ねるごとに自分に言い聞かせるよう常に意識していたいと思う言葉でもある。当時友人に話したら「言いたいことは解るけど、持ち出す話が古いよなぁ、おまえは」と、これまた軽く突っ込まれてしまった。

それは大日本帝国海軍の軍人で第26、27代連合艦隊司令長官だった山本五十六の書き記した文で『 やって見せて 言って聞かせて やらせて見て ほめてやらねば 人は動かず 』というものだ。自分でできもしないことを他人に強要し、出た結果に対して叱責することしかできない者への戒めの言葉でもある。

気がつけば、またジジ臭い説教じみた話を持ち出してしまった、「で~っ、いかんいかん」。この言葉を信条とし指揮を執り続けていたからこそ藤田野球は強かったのかもしれない、なんて一人納得したりする今日この頃である。

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WBCに出場する日本代表の選手らが福岡市内のホテルに終結した。いよいよその日が近づいていることを改めて実感するけど、日本代表に選ばれるような華のある選手は一握りで、その陰でカクテル光線を一度も浴びたことのない、また浴び続けることができない選手が数多く存在している現実もある。

レンタル移籍選手会サイドの要望もあり、ここに来て国内球団へのレンタル移籍が暫定的に導入される可能性が高まってきている。Jリーグはもちろんサッカー界では活発に利用されている制度だけど果たしてプロ野球ではどうだろうか?

レンタル移籍籍制度とは、出場機会に恵まれない選手を期間限定で貸し出すもので、年俸を譲り受けた球団が肩代わりするので貸し出した球団が人件費の負担を軽減できることや、トレード時に発生する交換要員の痛手からも解放されるなどのメリットがある。

ボク的には球界全体の活性化のためにも導入に賛成だ。出場機会がない選手の救済処置の側面もあるし、やらない手はないと思う。ただ、実際何処まで利用されるかはチト疑問もある。

各球団共、「いいだけ金をかけて育てて、敵に回って活躍された日にゃ、たまったもんじゃない」的なケ○の穴が小さい発想がどーしても頭に浮かぶはずで、サッカーと違って対戦カードや個々の直接対決機会が多い処も気になるかもしれない。

時間をかけ成長過程を楽しみながら選手達に愛着を持つファンも少なくないはずなので、割り切ったこの制度にアレルギーを示す意見もあることが想像できる。まぁ、あれこれ気を揉むよりまずはどれだけのニーズがあるのか有効活用されることを期待して実行あるのみである。

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昨日行われたファイターズの紅白戦。新庄のホームランの陰にすっかり隠れてしまったけどルーキー八木が初の実戦登板で2回を3者連続を含む4奪三振、無安打に抑える好投をみせた。

ルーキー八木好投須永、立石に次ぐ3番手で6回に登場し先頭打者の稲田を歩かせたてしまう不安な立ち上がりだったが、市川、実松、高口から連続三振に奪い、7回には川島、佐藤、を仕留めた後、工藤からもフォークでこれまた三振を奪った。

ファイターズファンでなければ「対戦したこいつらは誰なのだ、エッ?」というくらい知名度の低い選手ばかりだけど、当たり前と言うなかれ高口以外の相手はプロの世界の先輩なのである。まずはナイスピッチングと声をかけてあげたい。

この時期はどちらかというとピッチャーの仕上がりの方が早く、ましてや対戦相手が自軍の若手ということもあり過大評価はできないが「ほほぉーっ、期待どおり良いじゃないの」とちょっとだけ安堵。いきなりバカスカ打たれてスタートにつまづいては本人も凹んでしまうだろうからなぁ。

正田、須永など候補はいるものの今一つ弱い左の先発要員として開幕1軍へ前進したのは確か。 昨年の全日本大学選手権では最速147キロのストレートを武器に1大会49奪三振の新記録をつくった投手である。開幕1軍とは言わず1988年(昭和63年)西崎が入団1年目に上げた15勝に並ぶような活躍を期待したい、ホント切実に。

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なんだかモヤモヤする。いつからプロ野球中継の映像がセンターカメラになったのだろうか? 一時は審判の後頭部を見ながら観戦したものだが。「ああっ、懐かしい」。

バックミット裏からの中継ミスターの引退した1974年(昭和49年)のシリーズは確かバックネット裏からの映像がメインに使われていたはずでこの年が最後じゃないだろうか?

大リーグ中継に習って最下位に沈んだ翌年の1975年(昭和50年)からはセンターカメラの映像が放送され始めたという記憶がおぼろげにある。そもそも球場で一番料金の高い席ってバックネット裏である。それだけ試合をダイナミックに観戦できるというポジションなのだから「何で変えてしまったのだ?」と感じた記憶もある。

少しでも打者の近い目線で投手のピッチングホームや打球を追う野手の姿を見られるのはなかなかオツなものだと思う。たまーに昔のアングルで放送すると新鮮じゃないだろうか。

どーでも良い事だけど調べようにも調べられずにいる。放送映像の切り替えのタイミングが解ったからって別に何もないんだけど、気になったらなかなかその事が頭から離れない性分なので困ったものである。「う~ん…」。

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広岡 達朗 (ひろおか たつろう)

前回の続きで広岡についての話である。現役時代のうっとりする程の華麗な守備を尊敬していたらしくボクの叔父が唯一プロ野球選手で「さん」付けして呼ぶ人である。監督時代は選手に食事制限を設けるまでの管理野球に徹していた。

広岡達朗1932年 (昭和7年)2月9日広島県呉市生まれ。呉三津田高から早稲田大 へ進学し花形プレーヤーとして鳴らし1954年(昭和29年)に入団する。1年目に打率.314、15本塁打、67打点で新人王を獲得。

堅実な守備の遊撃手としてルーキーイヤーから11年間レギュラーとして活躍し千葉、別所、藤田、ONらと共に第2次黄金時代 を築いた。

チャンスの場面で自分がバッターボックスに立っている時にミスターにホームスチールを敢行され「ふざけるな、そんなにオレが信用できないか!」と激昂したという話やファーストを守る川上が落球し勝利を取りこぼした時に「あいつは守備がへたくそだ!」と捲し立てた話など、実際の成績以上に歯に衣着せない発言やエピソードが多く伝えられている。

引退後の1970年(昭和45年)、カープの内野守備コーチから指導者の道を歩み始め、スワローズのヘッドコーチ・監督を歴任、1978年(昭和53年)には球団創設以来初の優勝に導く。1982年(昭和57年)からライオンズの監督に就任し2年連続日本一に導き黄金時代の基盤を創る。1992年(平成4年)野球殿堂入り。マリーンズGMを経て現在は野球評論家。

【 生涯通算成績 】(実働13年) 1327試合出場、1081安打、117本塁打、465打点、打率.240、新人王

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嘆かわしいと言うべきか、昨日 世代のギャップが引き起こしたプチ事件(?)がサンマリンスタジアムで発生した。

広岡のカミナリ発端は1938年・1939年(昭和13・14年)にジャイアンツで活躍した祖父を持つ内海の発言から始まった。原監督から金田を紹介された際、名前を問われ「カネムラさんですか?」と答え、何勝したと思う?の問いに「300何勝でしたっけ?」と答えたというからある意味良い度胸である。知らないって怖いのぉ。(冷汗)

その場にいた金田の笑顔がひきつっていたのは想像に容易く、原監督も珍回答に表情がフリーズしたに違いない。傍でその様子を見ていた広岡から吉村監督以下首脳陣に連絡がいきわたり急遽、二軍の若手選手の円陣が組まれる中、70余年の「巨人球団史」の講義が開かれたようだ。

「ハイッ、金田さんです。現役時代の通算成績は400勝298敗 4490奪三振 防御率 2.34です」。なぁんてスラスラ答えるのもどうかと思うけど“400勝投手の金田”位は覚えておこうよ。若手から見たらただのジジイかもしれないけど、黙っていられなかった広岡の気持ちが良く解るなぁ。

偉大な先輩があっての今のジャイアンツ。後世に引き継がれる伝統も選手個々の意識にあると真摯に受け止めましょう。つい広岡の目線に立っしまうボク、中年オヤジの証拠だろうか…。

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またまた“ダルネタ”である。昨日、タイガースを相手に練習試合が行われ6-9で破れたもののダルビッシュが2回を無安打無失点で抑える好投を見せた。

ダル開幕投手も既に3月25日の本拠地・札幌ドームで行われる対イーグルスの開幕戦にはヒルマン監督の口から金村の先発が明言されているが、その金村は昨年10月に右ひじ手術を受けカムバックに向け調整中といった段階にあり不安な部分が少なくない。

どこまでベストの状態まで戻せるか今後の投げ込み次第だとは思うけど、万が一の場合はダルビッシュもありかもしれない。

2リーグ制となった1950年(昭和25年)以降に開幕投手を務めた10代の投手は11人いる。その中からファイターズのルーツだけを辿ってみると1956年(昭和31年)東映時代の牧野と1967年(昭和42年)の森安、記憶の新しいところで津野の3人が投げており12球団の中で一番多い実績がある。

タイガースの江夏やジャイアンツの桑田でも成しえなかった10代での開幕投手、実現すれば2000年の松坂以来となる。将来を見据え思い切ってダルビッシュを起用するのも良いと思うけどなぁ、勝てばここ数年とは違った勢いのつくスタートダッシュがきれるかもしれないし。

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TVに噛り付いて観戦するサッカー日本代表戦やトリノオリンピックの盛り上がりに比べ、えらいジミな話題だけど我がファイターズのキャンプ地から気になるニュースが飛び込んできた。

岩下合格昨シーズン限りでバファローズを戦力外となりファイターズの名護キャンプでテストを受けていた岩下投手が3度目のテスト登板となった紅白戦で1回を1安打無失点に抑え、試合後に合格を告げられた。(年俸700万円、背番号は69に決定)

1999年ドラフト4位でブルーウェイブに入団、3年目の2001年に急性骨髄性白血病を発症し4ヵ月の入院生活を余儀なくされながら、翌年の開幕戦で復活登板を果たした苦労人。戦力外されても現役続行への拘りを捨てきれずブルーウェイブ時代の先輩、佐藤投手コーチを頼りキャンプに参加していた。

ヒルマン監督は「大病を乗り越えた心意気が伝わってくる。ファイターズというチーム名にふさわしい」と闘志あふれる投球に期待を寄せている。先発もさることながら左の中継ぎが不足していたチーム事情から活躍の場は充分にあるように思う。

逆境を乗り越えてきた強靭な精神で1軍のキップをも手にし、一日も早く札幌ドームのマウンドに立てるようぜひ頑張って欲しい。スタンドから応援してまっせ、岩下はん。

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球史に残る名選手 ― (11) 【特別編】

藤田 元司 (ふじた もとし)

昨年12月の仰木氏に続いてジャイアンツの一時代を築くエースだった亡き藤田氏の現役時代の足跡を振り返る。

藤田元司1931年(昭和6年)愛媛県生まれ。西条北高等学校から慶應大、日本石油を経て1957年(昭和32年)
慶應大の大先輩でもあった水原監督に半ば強引に誘われて入団する。

大学時代はエースとして通算31勝を記録したが、1956年(昭和31年)都市対抗で優勝するまで1度も優勝経験がなかったため「悲劇のエース」と呼ばれた。

プロでは1年目から水原監督の期待に応えて17勝を挙げ新人王に輝くと2年目、3年目も29、27勝をマークし2年連続MVPを獲得する。第3期黄金時代のエースとして自他共に認める存在でありながら、西鉄の稲尾、南海の杉浦の力投に屈し日本一を逃す苦い経験を持つ。

入団4年目の1960年(昭和35年)にはオーバーワークから肩を痛め、キャッチボールも満足に出来ないほどの状態になり治療後に復帰。翌年から川上監督の下プレーイングコーチとしてマウンドに立つがかつてのピッチングはできず8年目の1964年(昭和39年)のシーズンを最後に33歳の若さで太く短い現役を終える。平成8年に殿堂入り。

【 生涯通算成績 】(実働8年) 364試合登板、119勝88敗、防御率2.20、最多勝1回、最高勝率2回、新人王、MVP 2回

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ジャイアンツの元監督藤田氏が昨日、心不全のため都内の病院で死去した。74歳だった。1981年(昭和56年)、ミスターの第1次政権解任劇後に就任しドラフト会議で現在の原監督を4球団の競合の末自ら引き当て、8年ぶりの日本一に導いた。

藤田G元監督

ミスターファンのボクにとっては「シゲの育てた若い力があったからこそ優勝できた」というコメントが何より印象に残る。人柄を感じさせる振る舞いを見て一時的であれミスターを追いやったカタチになった藤田監督を疎ましく思っていたことを恥じた。

「選手を思いやる心を持って対応する」という信念を常に持ち、辛抱強く起用し続け、長嶋政権後の81~83年と王政権後の89~92年の計7年間で通算4度のリーグ優勝と2度の日本一を達成した手腕は見事。スター監督の橋渡し役に努めた両期間には精神的にも苦労が絶えなかったに違いない。

今更ながら昨日のスポーツニュースで見た中畑や宮本の涙や新聞で取上げられている原監督の様子や大久保の表情、故人を偲び寄せられる言葉などを見ればどれだけ人望の厚い人だったかが伺える。また一人名将が亡くなってしまった。時代の流れとは言え余りにも残念である。

心からご冥福をお祈りします。

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平松 政次 (ひらまつ まさじ)

少年野球時代、必要以上に手首が返ってしてしまい肘に負担がかかるくせに“しょんべんシュート”しか放れなかった。イメージは完璧にカミソリシュートだったんだけどなぁ。

平松政次1947年(昭和22年)9月岡山県生まれ。岡山東商業3年生の年、春夏連続で甲子園出場し、センバツでは39イニング連続無失点の大会新記録を樹立して全国制覇を果たす。卒業時のドラフトではジャイアンツから1位指名の確約を受けていたが、フタを開くと槌田が指名され結局ドラゴンズからの4位指名を拒否して日本石油へ。

1967年(昭和42年)の都市対抗野球の優勝を手土産にその年のドラフトで2位指名されホエールズに入団する。長嶋に憧れ、投手としては珍しい「3」番を背番号に迎えたルーキーイヤーは3勝、「27」に番号を改めた2年目は5勝に終わるが、伝家の宝刀カミソリシュートをマスターした3年目には飛躍的に成長し14勝を挙げエース座に君臨する。

1970年(昭和45年)、25勝19敗、防御率1.95で最多勝、沢村賞を受賞。翌年も17勝で2年連続最多勝を輝く。ジャイアンツ全盛期に万年Bクラスに低迷するチームをバックに12年連続2桁勝利をあげるなどの活躍を見せ、1983年(昭和58年)に200勝を達成したのはみごと。翌年のシーズン、僅か1勝に終えたのを機に現役を引退する。現在はフジテレビの野球解説者。

【 生涯通算成績 】(実働18年) 635試合登板、201勝196敗、防御率3.31、最多勝2回、最高勝率4回、最優秀防御率1回、沢村賞1回

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2日間また東京へ出張してきた。とあるセミナーに参加すべく新宿に出たけど見上げれば首が痛くなるような高層な建物ばかりで、すっかり威圧されてしまった。札幌に住めど所詮地方都市、田舎者丸出しである。でも、この時期の東京は実に良い、人が多くて疲れるものの雪がないのが誠にすばらしい。

長嶋父子競演さて、何度も書くけど“ミスターバカ一代”のボクにとっては気になるニュースがあった。何でもミスターが息子の一茂と三菱UFJ信託銀行のテレビCMで初共演するらしい。

スティービー・ワンダーの『STAY GOLD』がBGMで流れる中でキャッチボールをする様子や昔の微笑ましい写真が何点か登場する内容で、あさって(10日)から全国でオンエアされるようだ。

もちろん永久保存版としてダビングしてストックしてあるけど、使用されるキャッチボールのシーンは入院する前の2003年11月10日(月)にアテネオリンピック出場までの軌跡を追った日本テレビ系列番組「スーパーテレビ」内で放送されたものである。

互いに少し照れながら昔を懐かしむ会話や姿にはホント心温まったなぁ。「全国父子キャッチボール推進委員会会長」のボクとしては、ぜひお子さんと一緒に見て欲しいお勧め映像である。

とは言っても、たった15秒のうえ、ましてや見たくったってタイミングってもんありまさーネ、CMだから 。

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インドの山奥で~♪修行して~♪ 1972年(昭和47年)から全104話、2年強に亘って放送されていた正義のヒーロー「レインボーマン」の主題歌だ。これを解る人はボクも含め立派な中年である。さて、以前も書いたけど現ファイターズの前身、日拓ホームフライヤーズ時代のユニホームについてまたまた触れてみたい。(決してネタに苦しんだための使いまわしではない(汗))

七色ユニホーム

1972年(昭和47年)のジーズンオフ、東映から日拓ホームが球団経営権を買い取り日拓ホームフライヤーズが誕生した。翌年新たにスタートするも当時前後期制を導入するペナントレースにあって前期は5位と低迷してしまう。そこで球団は後期巻き返し策として「フフッ、これで頂きだぜ」と思ったのか名付けて「カラー作戦」なるものに打って出る。

奇しくも「レインボーマン」が放送されていた時期であり、そこからヒントを得たのかと疑いたくなる “レインボーユニホーム”を採用し、ハデな7種類のユニホームで対戦相手を翻弄しようと考えたのである。(それにしても、物凄いアイディアだなぁ)

写真の渡辺、大下、中原らをじーっと見ると、口々から「オイオイ簡便しちくれョ、見世物じゃないんだぜ!」てな吹き出しが出ているように思えてしまう。噂では「今日、どのユニホーム着るんだっけ?」などという会話が選手間であったようで評判はすこぶる良くなかったようだ。

意外なことに「七変化」の効果(?)もあってか土橋監督のもと後期はみごと3位をキープしたが、“球団をオモチャにした”などの理由もあって、僅か1年で日本ハムへ身売りすることになってしまった。過去色々なユニホームが存在するけど発想とデザインはチャンピオン級、呆れるほど愉快なエピソードである。

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各球団のキャンプレポートが届けられるものの特に大きな話題もないせいかピックアップされるのはいつも新庄か小笠原で、どちらかと言うと扱いが悪い我がファイターズ。(被害妄想か?) その分地元の新聞やTV番組で情報収集に努める毎日だ。

陽&ダルキャンプの初日から勢力的に動く選手達の中で個人的にチェックしているのは何度も書くけど高卒ルーキーの陽と2年目の飛躍を望むダルビッシュである。現地でも首脳陣やファンの注目を集めているようだ。

WBCの台湾代表にも選ばれ、高卒新人3人の中で唯一1軍に抜てきされた陽が打撃と守備の両面で非凡なセンスを見せている。初日のフリー打撃では54スイング中ヒット性の当たりが24本、内6本が柵越えという快音を響かせ淡口打撃コーチに「腕の使い方が柔らかい。これが高校生か」と言わしめた。

一方、入来が抜けこれまで以上に期待が大きいダルビッシュは初日から連日ブルペンで小気味いい投球を披露。ひざの故障で歩くこともままならなかった昨年のスタート時とは比べようもない程、誠に状態がよろしい。

二人とも無限の可能性を秘めたピチピチのまだ10代。ダルビッシュはチーム事情からローテーションの一人になることは確実だけと陽に関しては2軍で何年か育成されることになるのか?、一日も早く金子を脅かすような存在になってちょーだい。輝かしいファイターズの未来のためにもチミ達の活躍が必要不可欠、ホント頑張って欲しい。

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石井一久の復帰の次は高津である。

スワローズへの入団をかけキャンプに招待参加している前メッツの高津が古田監督を前にブルペンで40球の初投げを披露し半数を低めに集める持ち味を発揮した。

高津臣吾古田監督からは「相変わらずいいね。低めに集めるし、コントロールはいいし」とコメントされる程の高評価を得た。ただ、方や37歳という年齢に難色を示す球団関係者がいるらしく入団の可否は今後の実戦登板も見たうえで今月中旬にも決定するようだ。

「背番号のないユニホーム袖をとおした姿には全く歳を感じさせない躍動感があった。この時期にしては球も走っていたし」なぁーんて偉そうな感想をつらつら書くものの判断基準がTVで観た数分だけなので説得力がないったらありゃしない。

気がつけばボクと同世代の現役選手が残り僅かの状態。結果は大きく崩れなければ入団というカタチにはなると思うけど、実績も充分で歳も近い(言い過ぎか?)ベテランの高津にはぜひ頑張ってもらいたい。

てなことになった場合、背番号「16」を譲ったうえ「22」も譲ったりすることはないだろうねぇ、高井くん。いくら先輩だとはいえ、そこまでせんでもええんよ。

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外国人選手の成績がそのままチームの成績に直結する傾向が強い近年のプロ野球で「敢えて今はチームに必要ないのだ!」と判断するならそれがベストだと思う。

ベイ・横浜スタジアムベイスターズが今季、1960年(昭和35年)三原監督が率いて日本一に輝いたシーズン以来46年ぶりに支配下選手に外国人野手を置かずに臨むようだ。古くはシピン、ボイヤー、ポンセ、ミヤーン、シーツ、ブラックス、ローズなどチームに貢献した「助っ人の成功率」が極めて高い球団の決断である。

そんな過去の実績に囚われず牛島監督はこうコメントとている「うちには若手も含めて楽しみな選手が多い。まだまだ育てる選手がいっぱいいる」。外国人野手による戦力の上積みがない分将来のある若手に経験を積ませカバーして行く狙いがあるようだ。佐伯、多村、村田、内川、小田島、吉村など中堅と若手のバランスがとれており、なんとも良い感じだなぁ。

イーグルスの野村監督がよく口にするようにボクの打線の理想はV9のジャイアンツだ。多額な資金を投じたからにゃ使わなくっちゃ的“害国人”を擁する敵を向こうにまわし純国産打線で繋ぎまくり、時にはバカスカ打ち勝ち、チームが常に上位に位置するちゅースタイルがよろしい。

レギュラー組みとこれからの若手がミックスされた現有戦力でどんな戦いをしてくれるのかジミながら注目しなきゃである。

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今日から各地でキャンプが始まった。年が明ければすぐやって来るぞ、なんて以前書いたけどホントあっちゅー間だった。

キャンプイン我がファイターズでは、その他の選手が霞んでしまう程の“新庄パフォーマンス”がいきなり飛び出した。「相変わらず能天気だなぁ」と思いながらも盛り上げようとするその姿勢に関心する。セギノールの残留が決まり25歳と若い新外国人投手ディアスを獲得するなど今季の戦力が整いつつある。

確かに他のチームに比べ目立った補強もできず停滞する感は否めないけど悲観することはない。未知数だけどルーキー5選手を1軍でスタートさせるなどの積極的な若手の登用がきっとこの先、実を結ぶはずである。ヒルマン監督にはシーズンに入ってもその気持ちを忘れないで指揮の方をお願いしたい。

他の球団に目を向けても楽しみが沢山ある。清原・中村のバファローズ、原 第2次政権ジャイアンツ、プレイングマネージャー古田率いる新生スワローズ、などなど…。開幕に向け、WBCに向け、いよいよ本格的な調整がスタートした。益々スポーツニュース関連のチェックに力が入ってしまう。

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