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稲尾 和久 (いなお かずひさ)

目立った球界の話題もないので久しぶりに名選手をピックアップしようと思う。ジャイアンツに入団した辻内が注目を集めているけど、過去には予想に反して1年目から大活躍したスーパー高校生ルーキーが多く存在する。その代表格と言えるのが写真の(入団間もない)稲尾和久だろう。この後、今じゃ考えられない数々の記録を樹立する大投手に成長して行くのである。

稲尾和久1937年(昭和12年)6月10日大分県別府市生まれ。別府緑ヶ丘高卒業後の1956年(昭和31年)に西鉄ライオンズ入団する。

入団時には全く無名だったが、たまたまオープン戦で敗戦投手として登板したところ思わぬ好投を見せ、その後の起用に繋がり1年目からいきなり21勝、防御率1.06を記録し最優秀防御率、新人王を獲得した。

2年目のジンクスもなんのその、以降3年連続で30勝以上をマーク。1958年(昭和33年)の日本シリーズ対ジャイアンツ戦では3連敗後に4連投で4連勝の快投を演じ奇跡の大逆転優勝を飾り“神様、仏様、稲尾様”と言われたのは余りにも有名だ。

日本シリ-ズ通算11勝、1961年(昭和36年)に挙げた42勝は共に堀内・スタルヒンと並ぶも最多勝記録。1962年(昭和37年)には入団7年目にして200勝達成するが、その後は今までの酷使が祟り肩の故障に悩み続け主にリリーフとして登板した。

1969年(昭和44年)に引退。一度は背番号「24」が西鉄の永久欠番となるもののその後の身売りを機に失効。引退の翌年32歳の若さで4年間西鉄・太平洋クラブの監督を勤める。その後はドラゴンズ投手コーチ、オリオンズの監督などを歴任。1993年(平成5年)には野球殿堂入りを果たす。現在は解説者の傍らマスターズリーグ・福岡ドンタクズの監督として活躍している。

【 生涯通算成績 】(実働18年) 756試合登板、276勝137敗、防御率1.98、新人王、MVP 2回、最多勝4回、最高勝率2回、最優秀防御率5回、最多連続勝利20

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最近、気のせいかスワローズの話題ばかり目に留まる。それだけ古田スワローズが注目を集めている証拠だろうなぁ。今日もスワローズ絡みで素晴しい記事を見つけた。何でも今春にも球界初となるシニアリーグのチームを設立するようだ。

ユース設立昨年12月、小学生を対象にした「12球団 Jr.トーナメント」で優勝したスワローズJr.の祝賀会の席で多菊社長が明らかにしたもので創立すれば地域密着の集大成とも言えるプランだ。サッカーのようなユースチームの先駆けとなり将来的に球界全体へと広がる可能性もある。

シニアリーグとは中学生を対象にしたリーグで全国に400を超えるチームが存在する。ボクの友人も学校の野球部には入らずシニアリーグに参加していたやつが何人かいたけど、硬式球を使って実践を重ねるためか力の付き方の差が明らかに違ったことを痛感した経験がある。

所属する子どもたちにとっても、2軍グラウンドや神宮の関連施設など、プロが使用する練習環境を得ることができ、球団OBの監督、コーチから指導されるなど計り知れないメリットがある。場合によっちゃ、古田や石井、岩村などの現役選手からも直接教わることだって可能だ。

なんてワンダホーな計画なんだろう。球界全体に波及すれば野球人口、実力共、底上げ間違いなしである。第2の松坂(江戸川南シニア)、辻内(郡山シニア)などの誕生に拍車がかかりそうだ。なかなかやるじゃないかぁ、スワローズさん。

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さて、突然ですが写真の選手は誰でしょう ? お解かりかと思いますが、どこかあどけなさが残るルーキーイヤーの金田正一である。当時は国鉄スワローズ。胸の書体は今も使用されているものと同じで何だか伝統を感じてしまう。

スワローズ白地ユニホームまぁ、ここまでシンプルなものにならないとは思うけど、昨日 古田監督が「ユニホームが変わるらしいですよ。ホームもビジターも。ホームは縦じまがなくなるらしいです。」と今季からチームのユニホームを一新するプランを明らかにした。

調べてみると“ヤクルト”のユニホームは白色を基調したアトムズ時代に69~70年、71~73年2度のデザイン変更を実施、国鉄時代以来ニックネームをスワローズに戻した74年から赤いストライプを採用し、78~89年、90~98年にマイナーチェンジ重ね99年から現行モデルになっている。

したがって、ホームのユニホームからストライプがなくなるのは、1973年(昭和48年)アトムズ時代以来なんと33年ぶりで、「ヤクルトスワローズ」となってからは初めてということになる。「全体的には斬新かは解りませんが、すっきりと…」とも補足。新生・東京スワローズを強くアピールすることになりそうだ。

ジャイアンツ、オールジャパンと新しいユニホームが発表されたけど、どれも総じてあまり評判がよろしくないだけに期待してしまうなぁ。発表は3月中旬以降に行われ同月31日の対タイガースとの開幕戦(神宮)から使用する予定のようである。

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「いや~っ、疲れた」。24日から東京に出張し本来ならば昨日帰ってくる予定だっけど「吹雪の影響で降りれません!」てなことで4時間も飛行機の中に閉じ込められたあげく羽田に逆戻り。それ以降の便が全て欠航になったため必至に宿を探し何とか寝床をキープ。1日仕事を延長し、たった今無事帰還(?)した。

イメージball3日も更新しないとすっかり情報が古くなった感があるけど、個人的に引っかかっていたので敢えて触れてみたいと思う。それは、以前から取り沙汰されていて、先日ほぼ固まったWBC開催期間中の投球数制限などの特別ルールについてである。

その内容はってーと投球数は1次リーグが65球、2次リーグが80球、準決勝と決勝は共に95球に制限(投球中に制限数を迎えた場合はその打席との対戦が終わるまで投球できる)され、更に登板間隔は、50球以上投げた場合は中4日、30球以上50球未満の場合と30球未満でも連投した場合には中1日が義務付けられるというものだ。

そもそもどーしてこんな制限が設けられたのか知らない。って言うか何だか小・中学生の学校規則バリに幼稚なものに感じてしまって興味を持てず知ろうともしなかった。何球投げたって、チームや本人が良しとするなら別にいーいじゃない。

その後迎えるシーズンのために登板過多を防ぐ配慮なのか、はたまた各国の力の差を少しでも均衡化したいためなのか真意が解らない。(誰か教えてくださ~い) サッカーの国際大会で“FW選手は30分しかピッチに立ってはいけません”的な規制を設けられるようなもので大会を盛り下げる要因にも成りかねないルールだと思うが…、う~ん、理解に苦しむぞぉ、まったく。

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野球に匹敵するくらいマンガが好きで未だに止められない。この歳になると少年誌を見るのがちょっと辛いど、ちょいちょい息子の週刊誌を横取りしては「どらどらっ!」などと偉そうにふんぞり返って読んでいる。

巨人の星目を通すと時代を反映してか野球マンガが極端に少ないことに気がつく。一昔前なら高校野球ものからプロ野球もの、果ては超人空想的なものまで一誌に多いときで3本ぐらい連載されていたのに。

今だと即危険球退場の大リーグボール1号やボーク丸出しのハイジャンプ魔球など「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」に描かれている非現実的な展開に「ありえねぇ」と冷ややかに見ていた子供たちもいただろうが、「将来はプロ野球の世界であっと驚く魔球を投げてやるぞぉ!」と固めた拳を高らかに掲げ真剣に考えていた子供もいたはずである。

現に「キャプテン翼」を読んでサッカーを始めたというJリーガーも結構いると聞くし、マンガの影響力はあなどれない。これからの野球人気・繁栄のために一役買うようなマンガがどんどん出てきて欲しいと真剣に思っている。別に“巨人もの”じゃなくても一向に構わないので。

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ジョン・シピン (John Sipin)

昨日書いたオレンジユニホーム時代の印象に残る選手としてシピンの名前をあげるコメントをもらい「おおっ、そうかぁ」てなことで取り上げることにした。髭面がトレードマークの容貌からホエールズ在籍中は「ライオン丸」と呼ばれてたっけ。

シピン1946年8月29日、米国 カリフォルニア州出身。1969年パドレスで68試合出場しただけの25歳と若い無名の選手だったが、同年入団するもう一人の助っ人ボイヤーに連れられて来日した。1972年(昭和47年)、1年目から120試合に出場し打率.279、22本塁打の成績を残す。

2年目以降は更に日本の野球に順応し、常に3割・30本・70~80打点を記録する安定した活躍を見せクリーンアップの一角を勤めた。打撃もさることながら、今ではありえないヘルメットを被ったまま二塁に着いた守備もそこそこで、ダイヤモンドグラブを獲得したこともある。

しかし、活躍の裏でお目付け役のボイヤーが退団したのを機に元来の暴走癖が出てしまい球団から解雇を言い渡される。その後直ぐに実績を買われジャイアンツに入団し、1978年(昭和53年)から同じ二塁手として起用されるが、成長著しい篠塚がいたために慣れない外野に回される機会もあった。

髪を切り、髭をそって見た目の荒々しさは無くなったものの性格までは改まらず、移籍1年目に、元同僚のホエールズ門田、スワローズ鈴木の死球を巡っての乱闘事件を起こし首脳陣やナインの人望を落としたこともあってか3年目にケガなどで数字が下降すると“また”あっさり解雇されてしまった。

【 通算成績 】(実働9年) 1036試合出場、1124安打、218本塁打、625打点、打率.297

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ここ何日間で書いたジャイアンツ、オールジャパンに続き、またまた大好きなユニホーム話である。このユニホームをリアルタイムで見ていたとすれば30代後半から40代の人になるだろうか。1974年(昭和49年)~1977年(昭和52年)の4年間、大洋ホエールズが使用していたものである。

ホエールズ・オレンジユニホーム用はオレンジ、ビジター用は緑を基調として、この時代では決して珍しくないカラフルなユニホームだったけど、無闇やたらと彩ったものと違いその配色にはちゃんとした理由があった。

当時、ホエールズは静岡でキャンプを実施しており、その上前年秋のドラフト会議で静岡出身の慶応大 山下大輔が1位で入団したこともあって“静岡名産”の「お茶の緑色」と「みかんのオレンジ色」を採用するに至ったという。

1970年代前半、大リーグでワールドシリーズの3連覇を成し遂げた緑と黄色を基調とした軍団、オークランド・アスレチックスにあやかった部分も多分にあるようだ。(この頃、南海ホークスもそれ以上にしっかり意識していたのは言-までもない)

中塚、江尻、松原、平松、シピン-、ボイヤー、等々~TVに映る選手たちを観て「おおっ、カッチョイイ」と子供の頃は案外気に入っていた。川崎球場から横浜球場へ本拠地を移すことでデザインも一新され姿を消すことになる“ 大洋ホエールズ”としての最後のユニホームでもある。

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久しぶりに我がファイターズの話題。昨年秋のドラフト以降、初めて浮いた補強話ではないだろうか。ここに来て新たな助っ人として前カブスのホセ・マシーアス内野手の獲得に乗り出していることが明らかになった。

メジャー通算659試合出場と ある程度の実績を残している選手。相手投手の左右で打順を組み替えることにしているヒルマン監督が望んでいたスイッチヒッターで、近日中の契約合意を目指しているようだ。

マシーアスこのマシーアス、昨シーズンはカブスで主に代打で112試合に出場し.254 1本塁打の成績で現在は自由契約になっている。WBCでは母国のパナマ代表候補にも選ばれている俊足の1、2番タイプで二塁、三塁、を中心に外野も守れる万能選手として期待しているらしい。

守備につく機会があれば一塁しかないと思うので経験のなさがチト気になる。まさか金子を控えにまわしてまで起用した昨シーズンのアルモンテのようにホイホイ二塁、三塁を与えまい。もし、そんな予定ならハッキリ言って邪魔であるからにしてお引取り願いたい。(キッパリ!)

引き続き“外国人に頼ろう大作戦”として残留交渉が難航しているセギノールの後釜となる4番候補と入来に変わる先発タイプの投手も検討しているようだ。ただ一方でこんな時だかにこそ若手がどんどん出てくるチャンスなので、極端にその妨げになるような補強だけは簡便だ。「このサジ加減が難しい」…。

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開催が近づくWBCの日本代表の新ユニホーム披露された。約20種類のサンプルの中から王監督自ら最終的に決めたというユニホームは1984年(昭和59年)から採用していた縦ジマを廃止、胸に付けられていた日の丸も袖口にまわり、大きく“JAPAN”の文字が施された。

日本代表ユニ元々代表のユニホームはどこかやぼったく「とりあえずこれを着て大会に参加しましょうか、ねっねっ」的な力の入らないものが多かったようにボクの目には映る。今回も決して「おおっ、カッチョイイ!」ってな感じゃないけど学生野球の延長のような伝統的堅苦しさが消えたのは良いかもしれない。

真新しいユニホーム姿の上原は「WBCは誰と対戦したいとか、そういう楽しみ的な大会じゃない。イチローさんも言っているけど、勝たなきゃ意味がない大会。だから僕は目先の1人1人を倒していく。みんながそういう気持ちでやれば日本は決して弱くないし上までいけると思う」と力強くコメントした。まさか親善試合の感覚でいる選手はいないだろうけど、全くそのとーり。

王監督も言うように、参加する選手個々のパワーはアメリカあたりに敵わないかもしれないが、日本ならではの緻密かつ繋ぐ野球で充分戦えると思う。特に投手陣の顔ぶれは世界のどの国にも引けを取らない。大会が始まる3月3日(金)対中国戦は、“白酒”片手に皆で勝利を祈願せねばなるまい。(拳)

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イーグルスに石井の代理人から「ヤクルトに行きます」と断りの電話があったようだ。獲得に乗り出していた我がファイターズも同様に今後断わられてしまうはずで事実上、石井のスワローズ復帰が決まったと言える。

石井、古巣復帰ファイターズへ来る事がなくなったというのに「よし、よし」と一人頷く。入来が抜け補強もままならない状況なので喉から手が出るくらい欲しい選手だったけどしゃーない、初めから結果は見えていた。

別に拗ねている訳じゃなくて以前も書いたように日本球界に復帰するのであればスワローズに戻ってくれることを期待していたので「納得」である。

決め手は金銭的条件以上に在籍中から親交が厚い古田の存在であることは誰の目から見ても明らかだ。石井が持つ本来の力を充分に引き出せるのは古田しかいないと思うし。5年ぶりの古巣復帰、再び石井・古田のバッテリーを見ることができる、楽しみだ。

…、それにしても各チームが着々と戦力を固める中、未だ不安が残るファイターズ。よそ様の明るい話題を書く度にちょっと羨ましく感じてしまう。主軸の一人であるセギノールの退団も囁かれているし、こちらは楽しみとは「う~ん」、言い難い。

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ユニホームフェチ(野球だけですよ、と断ること早5回目)としては無視することが出来ないニュースである。予てから報道されていた通りジャイアンツが都内のホテルでホリデー用を含む3種類の新ユニホームを華々しく発表した。

G新ユニホーム


パッと見た目、ホーム用は変えなかったのか? と思ってしまったが、よーく見ると「GIANTS」の花文字の書体が角ばっており、帽子のつばの部分がオレンジになっている。更にスボンに目を向けると「あいたたっ、なんてこった!」 アディダスさん、どーしても自社の存在を誇示したかったのネ、恐れていた3本のラインが入ってしまった。(選手にはウケが良いみたいだけど)

ビジター用には70年を越える球団史上初となる上下ツートンスタイルを採用し、見る機会が少ないだろうけどホームゲームの休日に着るホリデー用は以前の練習用ユニホームのロゴ書体をベースにデザインを進化させたものになっている。

どうせなら思い切って斬新なものに変更して欲しかったけど以前も書いたように今までのホーム用ユニが嫌いではなかったので欲求不満ながらボク的には善しである。ただ残念なのが3本線だなぁ。慣れていないのか考えが古いせいか野球のユニに企業のブランド性が反映されるのは、どーも抵抗がある。

ビジター用は実際グランドに立つ選手の姿を見ればまた違った感想を持つのかもしれないが、パッチワークを施しているような配色のバラつきが今ひとつかな。密かに「TOKYO」の復活を期待していたけど“読売色”が出ないカタチで継承されたのでその点は喜ばしいことだ。

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どのスポーツニュースを観てもミスター、殆どのスポーツ新聞の一面がこれまたミスター、相変わらずの注目度だ。何度も書くけどボクにとってミスターは野球の神様である。胸毛がユニホームの首元から除くバイタリティー溢れる現役時代から一度もその気持ちは変らない。

ミスター熱血指導王監督が言うようにみんなから注目されることは良い事だと思う。気を張ることがある意味リハビリになるだろうし、公の場に出ることなく自宅に籠もったまま老け込むのはミスターらしくない。自らの意志で行動する分には大歓迎だけど、「読売さん、くれぐれも無理をさせないように」。

昨日、有明コロシアムで行われた「長嶋JAPANドリームプロジェクト2006」に出席した模様はもちろんTVでチェックした。大勢の小学生が参加した野球教室でつえを持たずにティー打撃や投球練習のコーナーを勢力的に歩き回る姿を見る事ができた。

「よおし、スゴいな」「OK!ナイスだ」「もう1回!!」、色艶が良い顔はいつもの笑顔で溢れていた。「みんな、とにかく野球を楽しんでやりなさい。プロ野球選手になれる素質はみんなにあるんだから、頑張りなさい」と例の甲高い声でエールを送る。そうなのだ、ボクも子供の頃に読んだ本にあった「努力する人でも楽しんでいる人には敵わない」というミスターの言葉を今でも折に触れて噛みしめている。

野球に対する情熱は全く冷めることはない。老いてもやはりミスターはミスターである。肉声を久しぶりに聞けたのが嬉しかったとは言え、こんな些細なニュースで目頭が熱くなるのだからホント困ってしまう。

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思いっきりジミだけど、元プロ野球選手で構成されるマスター・リーグ(←詳しくはこちら)の話である。昨日、今季道内最終戦となる札幌アンビシャス対大阪ロマンズの試合が札幌ドームで行われ、9-0でアンビシャスが圧勝し、今季7勝1敗の成績で昨シーズンに続いて優勝を果たした。

札幌V2優勝の瞬間を観ようと思ってか25,000人もの観客が訪れ、中には駒大苫小牧高野球部の部員約70人も往年の名選手たちに声援を送っていたようだ。試合後のインタビューで古葉監督は「連覇はみなさんのおかげ、(駒大)苫小牧も力をくれた。3連覇を目指して頑張りたい」とファンに感謝したらしい。

もしかしたらリーグの存在そのものを知らない人がまだいるんじゃないか?と思わせる程、注目度の点からも今ひとつ盛り上がりに欠けるけど、ボクの住む地元札幌のチームのこととあっては無視できない明るいニュースだ。2001年にリーグ戦が始まって以来、1、2年目は5球団の中で最下位だったけど3年目は2位、そして昨季初優勝と順調にステップアップしてきた。

何度も観戦チケットを貰いながら一度も足を運んだことがないので、どちらかと言うと“盛り下がり”に貢献している感があるので今度のシーズンこそ観に行こうと思っている。なかなか懐かしい良い選手が揃っているのでプロ野球ファンであれば充分楽しめるはずだ。

「ファイターズも後に続いてくれないかなぁ」。胴上げされる姿にヒルマン監督をダブらせて想像している。

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昨シーズンの優勝に貢献しマリーンズ残留で基本合意していた李がチーム野手最高の年俸2億円プラス出来高5000万円を蹴って、一塁、外野と出場機会があるジャイアンツ入りを強く望んでいるらしい。なんでもバレンタイン監督の起用法に不満があることが背景にあるようでマリーンズを下回る条件でも入団したい意向だという。

李ジャイアンツ入団へ当初は獲得に消極的だったジャイアンツも豊田の人的補償で江藤を放出、一塁に予定している新外国人・ディロンが実力未知数、あげく高橋由もオフに右足首の手術を受け、開幕は微妙と不安材料が多いことから李獲得へ踏み切ることを決断したとされている。

既に李の代理人とジャイアンツが接触しているという記事もあれば、これからアプローチを開始するという記事もあるが、いずれにせよジャイアンツ李が誕生する方向で動いて行くことは事実のようだ。今や球界の盟主とは言いがたいけど韓国ではまだまだジャイアンツの知名度は絶対的に高いみたいだしなぁ。

いやはや、迎える側の選手達も大変である。亀井や矢野などレギュラー定着を目指す若手の出場機会が制限される結果になりかねない。目先より将来を選択しなければならないと思う時期だけにちょっと残念なニュースだ。「またいつもの繰り返し…」。この手のニュースがある度に何やかんや言ってもやっぱりジャイアンツなのネと思ってしまう。

李が2007年からのメジャー挑戦を希望していることから1年契約の腰かけ入団になりそう。それだったら尚更、戦力ダウンの穴は若手で補えば良いのにと一人ブツブツ呟いている。

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デーブ・ジョンソン (David Allen Johnson)

日本人プレーヤーに飽き足らず外国人選手を穿り出して懐かしもうと思いPCに向かった。こんなんばっかだ。(苦笑)

ジャイアンツが今季の新外国人選手として前マーリンズのジョー・ディロン内野手を獲得し、昨年まで清原がつけていた「5」を背番号にすると発表した。“「5」を付けるジャイアンツの外国人”と言えばジョンソンである。ボクが小学生の頃、長嶋ジャイアンツ1年目に来日した球団史上初となる助っ人だ。
 
ジョンソン1943年1月30日、アメリカ合衆国フロリダ州オーランド生まれ。アトランタ・ブレーブスで42本塁打を放った実績などから大きな期待を一身に集め来日し、1975年(昭和50年)~1976年(昭和51年)の2年間ジャイアンツでプレイした。1年目はミスターの抜けた三塁を任されたものの成績は振るわず、最下位転落の戦犯にされ「ジョン損」などと酷評された。

2年目には日本に慣れ、本来のセカンドに固定されたこともあって打撃も安定しベストナインにも選ばれる活躍でリーグ優勝に貢献。退団後メジャーに復帰しフィラデルフィア・フィリーズ、シカゴ・カブスを経て現役を引退する。1986年(昭和61年)には、ニューヨーク・メッツの監督としてワールドシリーズを制した。

2003年より2004年アテネオリンピック野球オランダ代表チーム監督を勤め、2008年北京オリンピックでは米国代表監督に選ばれている。

【 通算成績 】(実働2年) 199試合出場、159安打、39本塁打、112打点、打率.241

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山田 久志 (やまだ ひさし)

一昨日、門田・高木らと一緒に野球殿堂入りが決まった。偶然にも門田・高木は既に昨年書いてあるので今日は山田についてである。昨シーズン大活躍したマリーンズの渡辺も良いけど、下手投げ・サブマリンと言えばやっぱりこの方でしょう。

1948年(昭和23年)秋田県生まれ。能代高校時代は三塁手だったが監督の勧めで途中から投手に。社会人富士鉄釜石に入ってからアンダースローへ変更した。前年、西鉄ライオンズからドラフト11位で指名されるも拒否し、翌年1969年(昭和44年)ドラフト1位で阪急ブレーブスに入団する。

山田久志一年目こそ未勝利に終わったが2年目には10勝、3年目には22勝をあげて防御率2.37で最優秀防御率のタイトルを獲得し以後1986年(昭和61年)まで17年間連続2桁勝利を記録。特に1975年(昭和50年)からはチームがパリーグ4連覇を成し遂げ、その間3年連続でシーズンMVPを獲得している。

「山田さんは良い打者にしかシンカーを投げないと聞いていたから、シンカーが来た時は嬉しかった。思いきり振ったら、右手首に当たるところまで曲がりながら落ちてきた」と若きライオンズ時代の清原が語っている。山田の代名詞だったシンカーの威力を物語るエピソードの一つである。

1988年(昭和63年)は4勝に終わり、300勝を目前にして40歳で現役を引退。1975年(昭和50年)からの12年連続開幕投手とオールスター7勝は未だ破られていない歴代1位の記録だ。 オリックス投手コーチ、NHKの解説者を経てコーチから昇格し2002年(平成14年)から2年間、ドラゴンズの監督を務めた。

【 生涯通算成績 】(実働20年) 654試合登板、284勝166敗、奪三振2058、防御率3.18、最多勝3回、最高勝率4回、最優秀防御率2回、MVP 3回

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今回は比較的新しいユニホーム回想録である。過去何度か書いたけど札幌に住みながら以前は南海ホークスのファンだった。古めかしい球場や弱くて垢抜けないチームの雰囲気も好きで、周りがホークスに見向きもしないのに選手や成績を熟知しているのがどこか誇らしげに思えたもんだ。

ガッチャマンユニ「南海身売り」の記事を見た時には驚いたけど、基本的に親会社が身売りしようがそこに応援する選手がいる以上は一向に「かまへん」というのがボクのスタンスである。ただ、南海の伝統が失われるのがひどく残念だったせいか、気持ちが少しずつ萎えて行くのが自分でも意外だった。

大阪から福岡へ、新生ダイエーホークスが誕生し使用され始めたのが写真のようなガッチャマンを思わせるユニホームだ。三宅一生によるデザインで1989年(平成元年)から1992年(平成4年)までの4年間採用されたが4位、6位、5位、4位とせっかく鷹らしさを表現したのに最後まで羽ばたくことはなかった。

チームが注目されて行く度に心離れる中、正直このユニホームが揺れていた気持ちを整理させた一因になった。中には気に入っていた方もいらっしゃるでしょうが、ボク的には「よく我慢した」と選手達を労いたい気持ちになる代物だ。あのヘルメットを今の子供たちに見せたら「わあっ、ピングーだ!」と喜ばれるかもしれない。たかがデザインと言うなかれ、身にまとう戦闘服はファンを繋ぐ大事なファクターだとその時強く認識した。

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駒大苫小牧高 田中投手の獲得に向け早くも動きがありそうだ。150キロのストレートと高速スライダーを買い、既に1巡目指名の方針を決定したというジャイアンツ。明日にでも担当する大森スカウト(慶応大出、平成元年ドラフト1位で入団したあの人)を学校側へ向けさせ、獲得まで密着マークを開始するらしい。

道民なら誰でも知る将来有望な選手だが、ここまでプロの目に留まるようになるとは思っていなかった。ボクの中では控えの頃から観ていたこともあり、本人の希望を無視して単独指名でファイターズが獲得できるものと楽観視していたが、夏の大会連覇、国体、神宮大会の3冠の立役者になると予想に反して高い評価を得、今やドラフトの目玉になる存在になってしまった。

田中将大地元意識が強いばかりに思い込みが激しくなっていた節があるが、冷静に考えると田中はボクが余り好きではない属に言う“野球留学”組でもともと兵庫県の出身。

「んなら、うちらの選手やんかぁ」と関西の方々に言われてしまいそうだけど、北海道で頭角を現したんだから立派な地元選手である(?)。当然黙って大器を見過ごすはずもなく、ファイターズも1巡目指名を公言して憚らない。

以前何度か触れたけど、ボクが思うファイターズの理想像は地元選手を獲得・育成し強いチームを造り続けるホークスである。久々に出た全国区の実力選手、地域密着とプロ野球全体の繁栄のためにもどーでしょう、ここはファイターズに譲ってくれては? などと言っても叶わぬ自由競争が秋には待っている。

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井口の件があってから、愚痴っぽくなるので当分WBCの事についてとやかく書くのは止めようと思っていたけど、前向きなニュースなら別である。イチローが日の丸のユニホームに袖を通すことを何の迷いもなく昨日改めて表明してくれた。

他の辞退選手と実績も違えばチームにおけるポジションも違う、そんなことは百も承知で言わせてもらうと「やはりこの物の考え方・メンタルが世界に通じる天才打者を支えている」と再確認した。報道されている幾つかのイチローのコメントを読んで正直、嬉しさを通り越して格の違いに思わず唸ってしまった。

再度出場表明「僕は出ますよ。WBCは世界一を決める大会なんでしょ。だから出る。シンプルにそれだけ。簡単な理由ですよ。人の気持ちによって、自分の気持ちが変わることはない」。また、辞退選手に対し理解を示しつつもあえて次のようにコメントした。

「僕はWBCに出ることでシーズンの調整も万全にできる。その時期にプレッシャーを背負って真剣にプレーするなんて体験はそうそうできないし、逆に公式戦に向けていい影響が出ると思う。それにケガなんて心配していたら出られない。したらしたで、そこまでの選手ということ。だから僕には断る理由がない」

恐らく、松井の立場であれ井口の立場であれイチローなら出場へ踏み切ったに違いない。周りの意見や動向に左右されることなく、単純に自分にとって一番プラスになるものを選択する姿勢があるからだ。代表選手個々のモチベーションの低下も気がかりだっただけにホント救われる思いである。

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井口が松井に続き、WBCの出場を辞退した。「選ばれたのは非常にありがたい。前向きに検討していたんですが、シーズンに関係なければ出たかった」とコメントしたらしい。

井口もWBC出場辞退“シーズンが関係なければ出たかった”? 2年目が大事なことや自分がチーム内で置かれている立場など初めから解っていたことだ、何を今更である。正直、戦力ダウン以上に井口の対応が残念に思う。どんな理由があるにせよタイミングが悪すぎる、プロとして大人として配慮がなさすぎる。

大塚も出場が厳しいという情報も併せて飛び込んできたが、ある意味、井口に比べればこちらは納得できる。急なトレードで環境を変えなければならないことを考えると致しかたない。

結局メジャーからの参加はイチローだけになりそうだけど、王監督が言うように出たいと思う選手で挑むしかない。井口の変わりに二岡、荒木、宮本などの名前が上がっているが、どの選手であっても遜色なく井口の穴は埋められる。

それにしても日本の選手選出に併せ、参加数が少ないというのに各国の足並みが揃わない現状にもテンションが下がってしまう。まぁ、初めはこんなものかもしれない、回を重ねるごとに改善されて行くことを期待して、今は「我慢、我慢」。

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野球に限らず、企業の歩みや日本史など、とにかく“歴史”が好きである。だから、球界の情報が乏しいと感じるとついつい『昔話』を書きたくなってしまう。誰も興味を持って読んでくれないと薄々感じつつも、これがどーにも止められない。

“歴史好き”はうがったカタチで古本集めにまで及んでいる。定期的に古本屋に足を運んではチェックに余念がない。昭和30年代の週刊ベースボールや当時買い逃した20~30年前のプロ野球関係の特集号、果ては少年チャンピオン、少年キング、まんがくん、ビックコミック等々の創刊号を当時の数十倍の価格もちーっとも高いと思わず買い集めている。

ブレーブスの縦縞ユニホームかみさんからは「カビ臭いからなんとかして!」「いい加減捨てたら」などの波状口撃を喰い続けながらも耐え忍んでいる。「まぁ、そー言うなって」。

すっかり話がそれてしまった。そうそう阪急ブレーブスのユニホーム話である。写真のユニホームは1952年(昭和27年)、西宮球場にナイター設備が完成した翌年から着用していたもので、ご覧のように黒地に白のストライプというデザインだった上にナイトゲームに強かったことから「夜の勇者」という異名をとっていたらしい。この頃、梶本、米田といった左右の大投手2人を擁するもののチームは低迷し続け「灰色の時代」とも言われていたようだ。

しかし斬新なデザインだなぁ。学生服or軍服と言うか、なんとも“ダーク”である。でも、今の時代にはないデザインなので復興すると結構カッコよかったりして。なわきゃないか。

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イーグルスのお騒がせオーナー三木谷くんが外人枠の撤廃を今後のオーナー会議などで提言すると鼻息を荒くしている。結果的に日本人選手のレベルアップに繋がるとしているが、ボクはどちらかと言うと外人枠必要派である。理由は簡単で“スターティングメンバー9人の内5人が外人”などというチームに魅力を感じないからだ。閉鎖的だと思われるかもしれないが。

よくメジャーの国境なき門戸開放の環境と比べ「なぜ日本の球界は制限してしまう!」という意見があるけど、大体にして受け皿が違う。一部では30球団にまで増えたことで選手層が薄くレベルが下がったという意見さえあり、選手確保の余力と全体的な底上げが必要な背景もメジャーサイドにはある。

NYスタジアムまた、外人枠を撤廃したからと言って必ずしもチームにプラスになるとは限らない。サッカーの選手には余り見られない現象だけど、助っ人と呼ばれる外人が本来の実力を出し切れず退団するケースが多いことがそれを裏付けており、“野球”に順応できた者だけが日本で活躍できるのが実情だ。

ボール一つとっても国によって違う物を使用しているのが現状。同じルールの競技であっても別のスポーツだとこぼす来日選手もいた。日本の野球のレベルが上がったのか来日させることができる選手の層が限られてきたせいか“助っ人”という言葉さえ今や死語になりつつある。

以前も触れたように助っ人はチームの必要最小限度の補強策にすべきだと思う。当面は今のままで充分、世界に羽ばたく位の実力をつけた選手が一人でも多く育つような出場機会を含めた環境づくりを今後も整備・確保し続けるべきだと思う。

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豊田のFA獲得に対する人的補償で江藤のライオンズ移籍が決まったが、同じジャイアンツネタでもマイペースに昨日に続き今日も“千葉茂”絡みの話である。

20年程前に購入した特集号に千葉茂のインタビューが掲載されている。結構有名な話だけど、その証言によるとミスターの入団にあたり川上自ら、ジャイアンツの歴史に残る並び番号にしたいという願いから自分の付ける「16」番と沢村の「14」番の間の背番号「15」を新人長嶋に勧めていたという。

栄光の背番号3しかし当然背番号は球団の決めるもので一プレーヤーの川上には権限がなく、当時の品川球団社長、宇野球団代表らが「次に有望な選手が入ってきたら渡そう」と日本初の三冠王中島から千葉へ継承された後 “球団預かり”になっていた「3」をミスターの背番号に決めたようだ。

ミスターの入団が正式に決まった時、球団代表から「長嶋という有望な選手に渡そうと思うがいいか?」と千葉に確認の電話があったようで、『 「私の半分くらいは活躍ができそうか?」と問うと球団代表から「半分以上は間違いなく働く!」と断言され快諾した 』とコメントしている。

ルーキーのミスターに会いにキャンプ地に足を運んだ時の事を千葉はこう振り返っている。『 中島さんから言われた「栄光の3番を傷つけないようにやってくれ!」の言葉をそのまま伝えたんだ。そしたら長島は「解りました。3番を汚さないよう一生懸命やます!光輝く活躍をするつもりです」と返してきたよ。そう、3番のサンは大きな太陽になったわけだよ。実際はワシの倍くらい活躍しよった。(笑) 』

南海に入団せずジャイアンツを選び、「15」にならず「3」になったのも全て必然だったのかもしれない。スターになるべき人の運命ちゅーやつだろうか。

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千葉 茂 (ちば しげる)

昨年の12月26日のカキコミでバファロー(ズ)のことについて触れた意識が働いていたせいか、この休みの間、野球に関する書籍や雑誌を整理していた時に“千葉茂”の特集記事が目に留まった。もちろん現役時代はおろか監督時代も記憶にはないけれど、ボクの敬愛するミスターに栄光の背番号「3」を継承してくれたという意味もあって忘れてはならない人物である。

千葉茂1919年(大正8年)5月10日、愛媛県生まれ。1935年(昭和10年)松山商業で夏の甲子園に出場し全国制覇を果たす。1938年(昭和13年)に東京巨人軍に入団し、1年目から上海戦線で戦傷を受けて帰還した三原の穴を埋めるべく二塁手のレギュラーを獲得する。(入団時の背番号は「22」)

春季リーグで打率.295を残し、秋季リーグでは優勝に貢献する活躍を見せ、2年目の翌年には打率.305で初めて3割台を達成し、再び優勝へ導く原動力となる。更に翌年も優勝を果たすが戦争に召集され4年間のブランクを経験。戦後の1948年(昭和22年)には1試合6得点という日本記録を樹立する。翌年、打率.307、15本塁打を残し戦後初の優勝に大きな貢献するなど、川上・青田・別所らと共に第2期黄金時代を築き上げた。

1956年(昭和31年)で現役を引退、日本プロ野球史上初めての引退試合が行われた。コーチ、2軍監督を歴任し、水原の後任監督争いで同期の川上にその席を譲り、以前書いた近鉄の監督に就任する。その後は野球評論家を続け、1980年(昭和55年)に野球殿堂入り。2002年12月9日死去(享年83歳)。

【 生涯通算成績 】(実働15年) 1512試合出場、1605安打、96本塁打、691打点、打率.284、最多犠打1回、ベストナイン4回

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北海道らしさ丸出しの企画が浮上している。ファイターズが3月25日に札幌ドームで開幕する対楽天戦で選手の雪像を製作しファンを出迎える計画を進めているようだ。北海道移転3年目にして初めての開幕ゲームだけあって気合が入っている。

がんばれファイターズ様々な努力は認めるけど、残念ながら、幾つかファンサービスの本質を怠っている部分がある。“一つだけ”例を挙げるならファンクラブ入会の手続きにおける段取りの悪さだ。

毎年早々に手続きするものの(入会or継続)特典商品がぜ~んぜん届かず忘れた頃にやってくるパターンが繰り返されている、「う~ん」。
他の球団もこうなのかなぁ?

会員を募集するだけしといて「なんという学習能力の無さだ」と正直呆れてる。釣った魚に餌はやらん的な対応で、完全にファンに甘えているとしか言いようがない。この辺をスムーズに手配するのもファンサービスの一環じゃないの?

新しいものにチャレンジする目先のファンサービスも大切だけど、もっと基本的なベースをちゃんとせな。大好きな球団だけに敢えて苦言を呈したけど、些細なことを疎かにすると大きなしっぺ返しを喰らいますよ、球団スタッフの皆さん。

何はさておき一番のファンサービスは魅力のあるチームづくりと“勝利”に他ならない。個人的には昨年よりも幾分戦力がダウンしているように思うけど、大型補強などに頼らず現有戦力で頑張ってほしい。「特に際立った選手がいないのになぜか強い」みたいなチームが今の理想だ。潜在能力の高い若手も結構いるので全体的な底上げに期待したい。

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果たしてどこまで現実的な話しなのだろうか? 新年早々、えらい大それたプランが明るみになった。なんでも2009年に完成予定の「新ヤンキースタジアム」でジャイアンツvsタイガースの公式戦を行う構想を読売内部で検討しているらしい。

新ヤンキースタジアム念のため書いておくとジャイアンツとはニューヨークではなく巨人のことでタイガースとはもちろんデトロイトではなく阪神のことである。立案から既に2年経過し構想も着々と進んでいるというから本格的だ。

開催は大リーグ公式戦前の3月下旬の実施を目論んでいるが、まだまだ気候的にも冷え込みが厳しい時期であり、選手の負担も大きいため屋根付き球場や前半戦終了後の7月の開催に変更される可能性もあるようだ。

まだMLB機構と球場を所有するヤ軍の許可を得ずに進んでいる話らしいのでどーなるか解らないものの、なかなか夢のあるプランだ。2004年、ヤンキースvsデビルレイズの開幕戦を東京ドームで実施しておりヤンキースとの提携ルートを介しての打診すれば快諾されるだろうし、充分実施できるように思える。

興行面でも成功すれば実力と共にアメリカ球界とのスケールの差を縮める価値あるものになるはず。ぜひ実現して日本野球のレベルの高さを広く知らしめて欲しいものである。


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チャンチャカチャカチャカチャン~♪ (正月に流れるあの曲です)
新年あけまして おめでとうございます。

書初め“一年の計は元旦にあり”と云うので、特にネタはないもののとりあえずアップした次第。これで今年一年も何事もなく続けられるぞきっと、「よし、よし」。

世間を震撼させるような大きなニュースがあって、どこもかしこも臨時番組を放送しているにも関わらず全く意に介さないとばかりに「ポケモン」を流し続けるテレビ東京のようなマイペースさを大切に(?)やって行きたいと思っているので、「今年もみなさん どーぞ宜しくお願いします」。

毎年、年が明けると一気に野球シーズンが近づいたように感じる。キャンプから開幕へ、待ちに待った球春はもうすぐだ。「よ~し、よし」。

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