プロ野球に関することを中心に勝手気ままに感想・意見・思い出話などを綴るサイトです。
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夫婦揃って札幌生まれの札幌育ちということで我家には故郷と呼べるものがない。帰省ラッシュで賑わう光景などをTVで観ていると、それはそれで大変なのだろうけど<、正直ちょっとだけ羨ましくなったりする。

なんの気なしに8月から始めたブログもほんの数ヶ月ながら120回近く書き綴ってきた。出張やよっぽど用事がない限り、仕事から帰ってきてからほぼ毎日更新したけど全く苦じゃなかった。職場の業務でも企画書を上げるのにこれだけ早いことなんなくできたら物凄くエエなぁ、と思えるほど野球ネタだとスイスイ書けてしまうから不思議だ。

頻繁にコメントを寄せてくれた神威さん、けんじさん、こばさん、ごえもんさん、Eagles fly freeさん、などなど~たくさんの方々、またTBを含め当ブログに訪問していただいたみなさん、ホントーにありがとうございました。

来年も勝手気ままに野球ネタを書いて行きますので、引き続きごひいきに。それでは、みなさんに良いお年をお迎えください。

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ちーっとも甘くなく、何事もない家族でのクリスマスも終わり今日から年末休暇、いよいよ今年も2日と残りあと数時間となった。外はここ数日の雪でてんこもり状態、にも関わらず正月のおせちよりもその先にある球春の賑わいを指折り数える毎日だ。「ああっ、まだかいな」。

北海道に住みながら寒さが大っ嫌いなだけに春の雪解け時期がホントーに待ち遠しい。雪かきは必要ないし、車のタイヤを夏タイヤに換え、滑りも気にせずビュンビュンスピードを出して運転できるのもストレス解消になって良いけど、やはりオープン戦、春の甲子園大会、開幕と野球の試合を観戦できるのが何より嬉しい。ちょっとテンション下がりぎみだけど来年は3月にはWBCもあるし、これまた結構なことだ。

一年の中心が野球でまわるペナントレースが始まり、スタートダッシュに成功しただ失敗しただと言っているうちに「あっ」という間に団扇パタパタ、スイカがおいしい夏の高校野球やオールスター戦の時期になり、「え~っ、後半戦の展望はですねぇ」とTVで解説者が偉そうにコメントしていたかと思うと、気がつけば優勝へのマジックが点灯してたりする。

四季の移り変わりを野球中心に捉えているせいか、一年がやたら短く感じる。もうこれこれ30年以上こうして月日を送り続けている。この習慣は間違いなく、じじいになっても変らない。

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何度か“出場辞退”の活字がスポーツ紙などに踊っていたので、ある程度覚悟はしていたけど改めて“決定”となると“なまら”堪えた。結局、予想記事のとおり松井がWBCの出場を辞退してしまった。

記事によると深夜、周囲の混乱を招き迷惑をかけると判断し関係者を通じて王監督に15枚近くに及ぶ直筆の手紙を渡したとか。その中に謝罪の言葉とともにヤ軍で世界一を目指したいという思いがしたためられていたらしい。

松井辞退真意は定かではないが本人のコメントによると不参加を決めた最大の理由を「二つの目標を追うことによって、ワールドチャンピオンになる夢がおろそかになる」としているが、大会の趣旨に賛同できなかったことや、ヤ軍から出場を歓迎しないプレッシャーも相当あったように思う。

以前、王監督が「彼が出場してくれないと日本野球の本来の力は出ない」と語っていたように、松井の不参加による戦力ダウンは半端ではない。代役としてドラゴンズの福留が選出される見込みだけど、簡単には補いきれない。

快進撃を続けられれば良いが、試合に負けた日にゃ「松井がいたらなぁ」と言い訳や逃げの理由にしてしまいそうだ。そういった意味でも悔いが残らないような納得のいくベストメンバーで望んでほしかった。「世界一をかける戦いに出たいと思うのが自然の流れ」と語っていたイチローのようにはスムーズにいかなかった。「いゃ~ガッカリだ…」。

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かれこれ7、8年前になるだろうか、大阪ドームに行ったことがある。UFOを連想させるような外観に「ほほーっ、個性的」と思い、いざ中に入りスタンドに一歩足を踏み込むと内外野のフェンスに水色っぽい青色を使っているためか「東京ドームとはまた違った明るさだなぁ」と意味もなく感激したことを思い出す。

バファロー時代のユニホームスタンドから外に出で興味深々にあちらこちらを彷徨っているとガラス張のケースの中に歴代のユニホームが展示されているのを発見し、一人へばり付きしばらくの間観賞し続けた。パールス時代からの実際のユニホームを目のあたりにして伝統の重さみたいものを感じた。

このパールス、知る人ぞ知る1949年(昭和24年)2リーグ分立時の加盟に向け設立された近鉄の初代ニックネームである。何でも、近鉄沿線の名産品である“真珠”から命名されたものらしい。展示されていたユニホームは1958年(昭和33年)に1年だけ採用されたもので胸に「P」だけ施された縦じまのデザインで今でもさほど古さを感じさせないものだった。

その後、低迷し続ける近鉄に当時ジャイアンツの二軍監督だった千葉茂が監督として就任するのを機に1959年(昭和34年)のシーズンから千葉のアダ名の“猛牛”から採ったバファローにニックネームが変更された(「ズ」が付かない単数名だった)。その時代に使用されていたのが写真のユニホームである。

デザインは継承され、ストイプは健在だ。今では余りイメージできないがバファローズ最後の縦じまのユニホームである。「人に歴史あり」ならぬ、「球団に歴史あり」だなぁ、こりゃ。

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来年1月14日からの「新人合同自主トレの2週間での判断」としたものの「(首脳陣の意見が)フィフティーフィフティーなら、1軍からスタートさせたい」とジャイアンツの原監督が辻内の潜在能力、将来性にかけ1軍メンバーに組み込む意向を示した。

以前TV番組のインタビューに尾花コーチも発言していたけど、多少の不安がある場合でも1軍に帯同させ、まずは上の雰囲気を肌で感じてもらうという意図もあるように思う。ボクはこの方針に大賛成である。高いレベルに身を置くことで得られるものは計り知れない程大きいはずである。

原監督・辻内試合の終盤156キロのストレートを投げ込む肩の強さとスタミナはすでに1.5軍レベル、2軍スタートでは遠回りだと思う。辻内自身も「気持ちとしてはキャンプで1軍のマウンドに立ちたい。やってみたい。厳しい世界なのは分かっている。心してやりたい」とコメントしているようだ。

1軍でキャンプをスタートできれば1990年以降では1993年の松井(現ヤンキース)と2003年の長田、投手としては1992年の谷口以来、14年ぶりの快挙となる。将来ジャイアンツのみならず球界のエースになる可能性が高い逸材だけにホント注目だ。

我がファイターズの陽もこのパターンで一つお願いします、ヒルマン監督を始めとする首脳陣さん。

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すったもんだの上、ようやく3年間12億円の条件で契約を延長することで落ち着いたバレンタインの去就問題。にも関わらず球団は次期監督の構想を早くも検討しているようだ。何でも重光オーナー代行、瀬戸山球団代表らが小宮山を監督に擁立する方針を固め、既に「将来的には指導者になってほしい」と就任の意向を伝えているらしい。

小宮山、次期監督か?引き続き契約したとはいえ、今オフもメジャーから引く手あまたの状況にあるバレンタイン監督。いつ「ゴメンナサイ、ヤッパリメジャーニモドルネ」と言い出しかねない危機感からか、フロントも将来を見据えて判断したのだろう。ある意味何も考えていない行き当たりバッタリ人事と違って「大変結構!」と関心してしまった。

小宮山は2002年のメッツ時代も含め4年間バレンタイン監督の元でプレー、一番深くトータル・ベースボールを理解しているし、後任候補として最適の人材だ。確かに誰よりも論理的にベースボールを語れる頭脳派選手だし、言われてみれば監督にむいているかもしれないなぁ。

一時は初芝もありかなと思っていたけれど、どーやら違うみたいだ。あくまでもバレンタイン退任後の就任となるけど、近い将来、古田と同級生の小宮山が40代にして監督に就任することになりそうである。

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余り明るい話題がなかった今シーズンのファィターズの中にあって、来季以降期待できる活躍をしたダルビッシュが高校出新人ながら5勝(5敗)を挙げたことが評価され、倍増の3000万円でサインした。「高卒でローテーションを崩さず、投げられたことを評価してもらった」と満足顔だった。

ダル契約更改当時、甲子園で投げる東北高校のダルビッシュを観て「プロじゃ厳しいだろうなぁ」と思っていた。試合の後半になると肘の位置が下がるスタミナのなさや、時には試合に影響するくらいの腰痛を抱えており、仮にプロに入っても、故障に泣く選手になるような気がしていたからだ。

不安は的中し、入団早々右ひざの故障でキャンプは別メニュー、あげくパチンコ店での喫煙が発覚し約3週間の謹慎処分。あれ位度胸が据わってなきゃプロでは大成できないよ、という周りの意見もあったが個人的には大いに不満だった。アゴ髭をたくわえ、髪を染め、眉毛を細くし、故障途中にも関わらずパチンコに行ってタバコだぁ、コラッ「10年早ーんだよ、おとといきやがれ!」と一人毒ついていた。

ちょっと歪んでいるけど、プロに入ったという自覚と自分の置かれている立場を理解して欲しいという気持ちがあるが故の愛情表現だった。(ホント)

そのドタバタ不祥事を真摯に受け止め、6月には1軍に昇格。ボクの予想を裏切って初登板初勝利を飾り、完封勝利を挙げるなど防御率3.53の成績を残した。相変わらず愛想が良いとは言いがたいけど「もっと上を目指したい。数字の目標はないが、チームに貢献したい」というコメントを聞いて出来の悪い息子が少し成長したようで、みょーに嬉しくなった。

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清原に続きノリこと中村がバファローズと2年4億円+出来高払で正式契約し、背番号は「8」に決定した。いざフタを空けてみると思いのほか高待遇だった年棒2億5000万円の清原と合わせて金銭的にも大型補強となった。今シーズン貧打で泣いたバファローズにとっては待ちに待った『NK砲』の誕生である。

ノリ正式入団ファイターズを中心にしたパ・リーグファンなので、清原と中村の加入を歓迎する。野球の醍醐味の一つ長打力、2人合わせて通算821本塁打と実績は充分で間違いなくチームに貢献するはずだ。ケガさえなければいくら悪くても2人で50~60本塁打、150~160打点くらいは稼げるんじゃないだろうか。

どちらかと言うと地味なイメージがあった合併後のバファローズ。一気に華のある選手が2人入団することで注目度も高くなるだろ。「清原さんと2人で関西を盛り上げていきたい。観客動員も増やしたい。来年は優勝しか考えていない」と中村が話すように、人気面・興業面でも大きくプラスに働くはずである。

昨年観に行った札幌ドームでのバファローズ戦、対戦相手として正直、盛り上がらなかった。「バファローズ戦の観戦はとーぶんいいかなぁ」と思っていたけど、来シーズンは注目のカードとして要チェックだ。ほらね、ここにも俄然バファローズを意識する野球ファンが早くも一人増えたでしょ、NK効果テキメンである。

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スワローズの多菊球団社長がメッツから戦力外通告され自由契約選手となった石井一久の獲得に乗り出す方針を昨日明らかにした。「これから本人と話し合いをしなければならない。後は古田くんに任せる」とし、今後は古田監督が直接交渉に当たるようだ。

記憶が定かじゃないけど昨年のシーズンオフだったか、フジテレビのSPORT(スポルト)で古田と石井一の対談特集があった。確か2、3日連続でオンエアされ、料亭っぽい座敷で2人が普段着の会話を楽しんでいた。その席で石井が「もし、古田さんが監督になったら呼んでくださいよ、帰ってきますから」「本当だろうなぁ」的なことを古田と交わしていたのを思い出した。

古田・石井のバッテリー2人の関係の深さ(もちろん、ヘンな意味ではない)は球界に限らず、プロ野球ファンなら誰でも知るところだ。我がファイターズも獲得に乗り出すとしているけど、古田が出馬してきた日にゃ叶うはずがない。先発陣のコマ不足を解消するためにも欲しい人材だったけどなぁ…。まっ、しょーがない。(いち早く、個人的に解決してしまいました(笑))

先日、木田がスワローズの入団会見で「古田さんがいるからスワローズに決めた」とコメントしていたように石井一がもし日本球界に復帰するなら条件提示に左右されることなく、古田のいるスワローズに入るような気がする。いゃっ、むしろ個人的にはスワローズに戻ってほしいと思っている。

ポスティングシステムによるメジャー移籍を希望する石井弘寿の資金で石井一久を獲得する“入れ替え”なんて報道もされているが、昨日正式に承認された「東京ヤクルトスワローズ」の真新しいユニホームを身にまとい好投を演じる、石井一・古田のバッテリーを久しぶりに見てみたい。

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「プロ野球球団ライオンズの球団名に地元『所沢』の名前を冠するように推進して頂きたき件」と題する何とも堅苦しい請願書を所沢商工会議所、同市内の野球チームや商店街などの代表の連名で所沢市議会に提出しているようで、西武鉄道・後藤社長もTV番組内で「例えば埼玉ライオンズとか所沢ライオンズなどの名前で、地元にチームをアピールしていきたい考えはある」と前向きな発言をしている。

これを受けて、先日の「東京ヤクルトスワローズ」報道に続き“「所沢ライオンズ」誕生へ”という記事がスポーツ紙に掲載された。地域密着を全面に押し出そうとするその姿勢は大変よろしい、嬉しい限りだ。

地域名入新ユニホーム?「千葉」「福岡」「北海道」など、地域名を乗せているチームが日々の運営努力もあって図らずも地域に根付くことに成功しており、今後益々その傾向が強くなって行くことが予想される。真のフランチャイズ性を全く重視しなかった一昔前に比べれば飛躍的な進歩だ。

ただ、欲を言えば以前も書いたように地域密着を本気で進めようとし、スポーツ文化の社会的繁栄に陰ながら貢献しようとする志が少しでもあるならば、親会社が球団を広告塔にするという古臭いシステムを捨てた方が良いように思う。

ライオンズの球団関係者の皆さん、球団名を変えるなら思い切って企業名である“西武”を取ってみてはどーでしょう。ボク的には大歓迎である。中には埼玉も所沢もダサイとお嘆きのファンもいるでしょうが…。

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暑い日であろうと、雨が降ろうと、吹雪こうと、絶えず外で遊んでいた子供の頃。たまーに、気分転換に何人か集まっては家の中でゲームに熱中したが、今のようにファミコンなどない時代である、ボクらの中では決まって主役はいつも野球盤だった。

当時、「巨人の星」の大リーグボール2号の影響で“消える魔球”がついた野球盤も既に存在していたが、親戚から譲り受けたボクの「王と長嶋の野球盤」なるものには、そんな画期的なものが付いていなかった。

野球盤ある日友人宅で誰からともなく「野球盤やろうぜ」ということになり、準備に取り掛かった。「ふふっ、向かうところ敵なしだぜ!」内心自信タップリに挑もうとしたが、箱から出されてたその野球盤にはホームベース前にまるでサンダーバードに出でくる人形たちの口元のようなヘンテコな扉がついていた。

いつもワンテンポ遅れていた我家の遊び道具のせいでこの日も順応するのに苦労し、いざ試合を始めるとバカの一つ覚えのように投じられる“消える魔球”攻撃に苦戦を強いられた。途中、観戦していた友人が「消える魔球ってそもそも見えないんだからストライクじゃないよな」と思わぬ助け舟を出してくれ、その後見逃せばボールというルールに変更された。

試合結果は当然覚えていないけど、あのワクワク感だけは今も思い出すことができる。スーパーのおもちゃ売り場などで野球盤を見る度にその時のことが脳裏に浮かび、ファミコンソフトに夢中になっている息子を尻目に買うかどーかいつも真剣に悩んでいる。う~む…。

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球史に残る名選手 ― (6) 【 特別編 】

仰木 彬 (おおぎ あきら)

あまりのショックでコメントできずにいるイチローの様子、TVカメラを前に目を真っ赤にしてインタビューに答える田口、ハンカチで涙を抑える吉井の姿、その他には各界の人から寄せられたメッセージなどが昨夜からの今朝にかけも各媒体で伝えられている。現役時代、輝かしい記録こそないものの今日は周りに愛されてやまないその仰木氏の現役時代について。

選手・仰木福岡県東筑高時代、夏の甲子園に4番・投手として出場。初戦で浪商に敗れるもその素質を買われ1954年(昭和29年)、「超大物」投手として西鉄ライオンズに入団する。しかし島原のキャンプ中、フリーバッティングで不運なヒットを打たれるルーキーの仰木の姿を見て、当時の三原監督が「投手として運がない」と判断、その場で瞬時に野手への転向を命じ二塁手・仰木が誕生したという。

マスコミから「野獣の群れに貴公子が紛れ込んだ」と評するほど端正な顔立ちだったため女性に人気が高く、“グラウンド外で何をしようが、試合で結果を出せば良し”としていた三原監督にさえも「仰木と豊田だけは遊びに制限をかけんといかん」と言わしめたほどの遊び人だったらしい。

チームの若返りを策すため1年目から1番・二塁に抜擢され、翌年からは主に7番を打ち続けた。1試合で6安打記録するなど、状況に応じた器用なバッティングと堅実な守備で1960年(昭和35年)にはベストナインに選ばれている。決して目立ちはしないが、西鉄黄金時代になくてはならないユーティリティープレイヤーだった。

【 生涯通算成績 】(実働14年) 1328試合出場、800安打、70本塁打、326打点、打率.229

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昨日、今日と岩手・仙台に出張して今帰ってきた。テレビを観ることもなく売店のスポーツ新聞の1面を見て初めて仰木氏の死去を知り、帰りの飛行機の中でその記事を読んでショックで軽く凹んでしまった。う~ん…。

仰木監督

選手を自由奔放にさせつつも緻密な采配を振るう指揮官の姿も、ユニホームを脱いだ時の滲み出るような優しい人柄も魅力的だった。仕えたどの選手からも慕われイチロー、野茂、田口、長谷川、吉井ら多くの大リーガーを育てた名将、後世に永く語り告がれる監督の一人になることは間違いない。色々な想いを書き綴ろうとしたけど、「…」言葉が続かない、とにかく残念だ。

心からご冥福をお祈りいたします。

◆仰木 彬(おおぎ・あきら) 1935年(昭和10年)4月29日福岡県生まれ。1954年(昭和29年)に西鉄に入団し、1967年(昭和42年)まで14年間二塁手として活躍。近鉄時代の西本監督のもとコーチを務め1988年(昭和63年)に監督に昇格し2年目には優勝を果たす。1994年(平成6年)オリックスの監督に就任しイチローを発掘するなど手腕を発揮し、翌年から2連覇を達成。昨年、野球殿堂入りし今シーズン三度監督に就任するも、体調不良を理由に勇退。監督通算成績は1856試合988勝815敗53分、勝率.548(歴代12位)。

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不確定とは言え松井秀のWBC不参加などという洒落にならない記事もあったけど、やはりファイターズファンのボクとしてはこちらのニュースを取り上げたい。今日、ボクが住む札幌市内のホテルでファイターズの新人9選手の入団発表が行われた。高校生ドラフト1巡目の陽は「1軍に入り、新人王を狙う」とコメント、なかなかどーして頼もしい。[ 新入団選手は下記のとおり ]

入団発表

【大学・社会人】
希望枠 八木智哉投手(22)創価大 181 75 左投左打〈29〉
3巡目 川島慶三内野手(22)九州国大 172 72 右投右打〈39〉
4巡目 武田勝投手(27)シダックス 176 70 左投左打〈38〉
5巡目 小山桂司捕手(25)シダックス 175 80 右投両打〈37〉
6巡目 高口隆行内野手(22)創価大 180 80 右投右打〈58〉
7巡目 星野八千穂投手(25)JR北海道 180 71 右投右打〈43〉

【高校生】
1巡目 陽仲寿内野手(18)福岡一高 182 78 右投げ右打〈24〉
3巡目 木下達生投手(18)東邦高 183 88 右投右打〈35〉
4巡目 今成亮太捕手(18)浦和学院高 178 72 右投左打〈62〉


結局すったもんだの末、めでたくみーんな揃っての入団発表となった。「良かった、良かった」。大量解雇に代わるだけの補強とは言えないけれど将来のファィターズを背負って立つ選手がこの中から一人でも多く出でくることを期待したい。特に八木にはすぐに手薄な投手陣の一角に入って欲しいし、陽も1年目から先発メンバーに名を連ねるくらいの活躍を1軍で見せて欲しいなぁ、「くれぐれも頼むよ、チミたち」。

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各球団で新戦力の補強を着々と進めているが、チーム内の底上げを図る前から通年行事のごとく今オフも助っ人(外人)選手獲得に動き出している。大枚を叩き来日させては「ああっ、今回もハズレだった」と凝りもせずまた同じ事を繰り返す光景が目につく。そんな金があったら何人の有望選手を雇用・発掘できることか…。

主軸打者や勝ち頭がFAで抜けたりした場合など、その穴埋めのために探しに走るのは善しである(実際はそれでは遅いけど)。 ただ悪戯に4人、5人とかき集めては「これだけいれば中には活躍する奴もいるだろう」的な囲い込みで満足しているフロントもあるように思えてしまう。最近1軍にさえ上がらずそのまま帰ってしまう無意味なケースが増えているからだ。

お金がかかる助っ人「おいおい、本当に必要か?」と疑問を感じたことも一度や二度ではない。「他がそう補強するなら、うちだって負けてませんよぉ」と鼻息荒く、自軍の不安材料をかき消す作業に奔走しているようにも映る。特にマスコミの露出が多く何かと注目されるジャイアンツの「これでもかぁ!補強大作戦」の動向には正直首を傾げてしまう。近年の依存体質は特に目に余るものがある。

助っ人の存在そのものを否定している訳ではない、ましてや国際交流を拒絶している訳でもない。「ただ必要な場所に必要な選手だけを連れてきましょうよ」と思うだけである。もしかするとその影響で可能性を秘めた新しい戦力の芽を摘んでしまっているかもしれないのだから、ホント。

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ユニホームフェチ(野球だけですよ、と断ること4回目)のボクにとって気になるニュースがあったので触れておこうとPCに向かった。気づけば今日もジャイアンツの話題だ。

既にアディダス社とオフィシャルパートナー契約を結ぶのを機にホーム、ビジターともにユニホームを来季から一新するとしているジャイアンツが、日曜、祝日のホームゲーム限定で使用する特別バージョン“ホリデーユニホーム”を採用するようだ。

ホリデーユニホームこの“ホリデーユニホーム”、イラスト画像のように全体的に白を基調とし、上着・パンツの側面に“相手を斬り伏せる”という意味を込めた日本刀の刃先をモチーフにしたという黒のラインが入っている。

どっかで聞いたことがあると思ったら、ジーコジャパンのユニホームとコンセプトが一緒である、「う~ん、アディダスさん引き出しが少なすぎ」。左袖にYGのマーク、胸文字の「GIANTS」は以前キャンプや練習用に使用していたユニホームの筆記体をそのまま使い背番号の数字には丸みを持たせている。

ボク自身、特にジャイアンツファンという訳ではないけど、来年2月のキャンプで披露される予定の肝心なホームとビジター用新ユニホームを楽しみにしている。その球団の歴史と時代を象徴するユニホーム、贔屓にしているチームに限らず、真新しいデザインはいつ見ても良いもんだ。

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ジャイアンツの10連覇の偉業が達成できなかったこの年、1974年(昭和49年)10月14日、ミスターの引退試合が行われた。TVを見ながら涙が止まらず、何気に横を見ると何のことかさっぱり理解できていないはずの妹までが泣いていた。引退セレモニーを観た後、小学生のくせに、しばらく立つ事さえおっくうに思える程の虚脱感に襲われたことを思い出す。

長嶋引退の挨拶耳にタコが出来るほど、あまりにも有名なフレーズなので読むまでもないといった方が大多数でしょうが、今日はあえてブログ開始100回目の節目を記念(?)してボクの敬愛するミスターの引退挨拶を書いてみることにした。今思えばミスターの涙もさることながら満員のファンの悲鳴にも似た叫び声が心に痛く染みたっけ。「う~ん、我ながら感受性が高い子供だったなぁ」(笑)。

夕闇せまる後楽園球場のマウンドでスポットライトを浴びながら

『昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来、今日まで17年間、巨人並びに長嶋茂雄のために絶大なるご支援をいただきまして誠にありがとうございました。皆さんから絶大なるご支援、熱烈なる応援をいただきまして、今日まで私なりに一生懸命野球生活を続けて参りましたが、今ここに体力の限界を知るにいたり、引退を決意いたしました。振り顧みますれば、17年間の現役生活、いろいろなことがございました。試合をひとつひとつ思い起こす時に、好調時には、皆様の激しい大きな拍手をいただき、この背番号3の闘志をさらにかりたて、また不調の時には皆様の温かいご声援が今日まで私を支えてきました。不運にも、我が巨人軍はV10を目ざして監督以下選手一丸となり、死力を尽くして最後の最後までベストを尽くして戦いました。しかし、力ここに及ばず、10連覇の夢は破れ去りました』。

『私は今日ここに引退いたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です』。

『今後、微力ではありますが、巨人軍の新しい歴史の発展のために、栄光ある巨人軍の明日の勝利のために、今日まで皆さまがたからいただいたご支援、ご声援を糧としまして、さらに前進して行く覚悟でございます。長い間、皆さん、本当にありがとうございました』。

これ以上の引退セレモニーはもうないだろうなぁ…。

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ついに態度を保留しているヤンキースの松井秀除くWBCの日本代表29選手が決まった。30選手で編成されるはずの代表メンバーに、一つだけ空席を用意し「必ず、一緒に戦ってくれると確信している。代わりの選手は考えていません」とコメントした王監督。松井秀に対する参加を改めて強く求めた。

当の松井は慎重な態度をとり続けているけど、要請の熱意も充分に伝わっているだろうしヤンキースの同僚たちもアメリカ代表などに手を上げている状況からも弊害が少ないと判断でき、参加してくれるとボクも確信している。

記者発表バファローズとイーグルスを除く国内10球団とメジャー3球団から選ばれた今回の29選手。最後まで参加辞退の選手がいたのは残念だけど、なかなかの顔ぶれではないだろうか。イチロー、井口、青木、西岡、今江などのメジャーと勢いのある若手との融合、アテネメンバー以上の戦力であることは間違いない。(城島がいないのはちょっと痛いかな)

とは言ってもアメリカ、ドミニカなどの他国も今まで以上の戦力になることは必至なだけに世界一を目標にする以上、道のりは容易ではない。松井を加えたこのメンバーでアジア戦以降、どこまで戦えるか楽しみだ。

◆ 日本代表メンバー ◆ 【投手】清水、渡辺、小林、藤田、薮田(以上M) 和田、杉内(H) 松坂(L) 上原(G) 黒田(C) 藤川(T) 石井(S) 大塚(P) 【捕手】里崎(M) 谷繁(D) 阿部(G) 【内野手】西岡、今江(M) 松中、川崎(H) 小笠原(F) 岩村(S) 新井(C) 井口(W) 【外野手】和田(L) 金城、多村(B) 青木(S) イチロー(M)
  
◆ 予想スタメン ◆ 1.(右)イチロー 2.(二)井口 3.(DH)松中 4.(中)松井  5.(左) 和田 6.(一)小笠原 7.(三)岩村 8.(捕)谷繋 9.(投手) ―― 

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しばらくドラゴンズに関することを書いていないので、ユニホームフェチ(何度も言いますが、野球だけですよ、ホントに)の視点から、ちょっと触れてみよーと思う。

ボクの印象に残るドラゴンズのユニホームと言えば、ジャイアンツのV10を阻んだ年から使用され始めた肩やスボンに太くブルーのラインが引かれていたユニホームである。ビジター用はそのラインが赤になり、当時はなかなかカッチョイイと思っていた。その前に使用されていた巨人の星のオズマが着ていたモデルのユニホームはあまり記憶にない。

Dノースリーブユニホームその後、変更された紛れもなくドジャーズ“パクリ”のシンプルなものなど、一度デザインを変えると10年以上に亘って長く使用するというイメージがあるが、その昔は1~3年周期でやたらコロコロと変えていた。しかも、今ではドラゴンズのイメージカラーになっているブルーも、赤やエビ茶色を使用していた時代があったのだから意外だ。

その“落ち着きない時代”の代表とも言えるのが1968年(昭和43年)の夏用として登場した写真のノースリーブユニホームである。決して工事現場で使われていたランニングシャツではない。この年は2度目の就任となった杉下政権でスタートするが、成績低迷で開幕から僅か80日で監督が休業、急遽後任に本多2軍コーチが代理監督として昇格し悪戦苦闘するも、結局最下位に甘んじたシーズンだった。

おまけに球団創設以来初めて全球団に負け越しを喫してしまう “縁起の悪さ”と「ムダ毛の処理が大変だ」(もちろんウソです)と選手にウケも悪く、この年限りでこのユニホームは廃止となった。それから30年後の1998年(平成10年)に日曜のホームゲーム限定のユニフォームとしてノースリーブタイプが再度登場するがこれまたこの年限りとなったのは記憶に新しい。

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取り上げる程の話題ではないと解っていても、ミスターの事となると無視することはできない。姿を観ることが出来るのは嬉しいけど、くれぐれも無理をなさらぬように。でも、ちょっと行動しただけで報道陣に追われてしまうのは宿命なんだろうなぁ…。

今朝の各媒体でミスターがアメリカ大使館に招かれ、トーマス・シーファー駐日大使と会談したことが報道された。大使側から根来コミッショナーを通じ「日本プロ野球の顔であるミスター・ナガシマに会いたいデス」と要望があって実現したもののようだ。紺のスーツに、「3」の文字が付いたリハビリ用の黒い革靴を履いたいでたちで訪問し約20分間監督や選手時代の思い出話に花を咲かせたらしい。

ミスター・米国駐日大使WBCの話題も上り、大使からの「現役時代、アメリカでプレーしたいと思いましたか?」の問いに「今は若い選手がどんどんアメリカに行っていますが、僕は最後までひとつのチームで、と思って全力でプレーしていました」とジャイアンツ一筋の気持ちを打ち明け、会談後には大使館員全員にジャイアンツの球団マーク入りのネクタイを贈ったそうだ。

有名な話だけど、現役時代ミスターはドジャーズからオファーを受けている。当時ドジャーズキャンプに参加した時のミスターの力量に惚れ込みメジャーでも充分通用すると判断したうえでの獲得行動だったとされている。球団の宝であるミスターを幾らお金を積まれても、おいそれと手放す訳がなく決裂したの言-までもない。

日米の力の差が年々縮まってきていると言われて久しいが、当時ミスターがメジャーリーガーになっていたら活躍できていたのだろうか? と考える。天性の感で柔軟に対応しそこそこの成績を残したように思うが、今となっては想像することも難しい。

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ジャイアンツのナベツネくんが「良くないよ、あれは不平等条約だよ。廃止は当たり前だ!」とポスティング・システム(入札制度)の廃止を訴えたようだ。サッカーの世界では当り前だが、そもそも「金もうけの手段として優秀な選手を海外に出すなんて」と入札制度には否定的だったナベツネくん。昨年オフの上原の件や今オフの各球団の動きを見て選手流出に対する強い危機感もあってか、ついに廃止にまで言及した。

ナベツネ「何がなんでも、絶対にダメッ!」とするジャイアンツのような球団もあれば「良いんじゃないですかぁ、選手放出の痛みの代償としてまとまったお金が入るんですから」と肯定的な球団もあり、球団間でかなりの温度差がある状態だ。ある意味、赤字経営の球団にとっては助け舟になっている利用価値の高い制度なのかもしれない。

大リーグ機構が日本人選手の獲得機会を平等にするように設けられたものだけに、日米間の協議でクリアにしなければならない課題も残される。廃止となれば「でぇーっ」と仰向けにヒックリ返るほどの落胆ぶりを見せる入札制度希望選手がいることだろう。上原も廃止、FA一本化について「そっちの方がいい」と賛同する考えを示したというから、ジャイアンツを中心に見直しの協議が進められそうだ。

「どーなんだろう?この制度」、確かに行使しても選手によっては受け入れられないケースが多く、元々“制度があっても権利がない”中途半端なものだからなぁ。FA取得期間の見直しを視野に入れ再検討するのも必要かもしれない。ナベツネくんの意見に同調している訳ではないけれど。

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またまた個人的な昔話を書くけれど、これが意外に書いている間結構楽しかったりする。ぼんやりその時の情景や友人の顔が浮かんでくるから不思議だ。歳をとったせいだなぁ、こりゃ。

以前も書いたけど小学生で野球を始めた時は誰がいったいどこから持ってきたか解らないボロボロのグラブを使っていた。周りの友人も似たようなレベルだったので大した気にもならなかったけど、次から次へとみんなが新品に変えて行く度に、マジックで長嶋の背番号“3”とこきたねー字で書かれたツギハギ状態のグラブがひどく恥ずかしくなって行ったことを思い出す。

NEWグラブ当時親父がいなくなったことで家計が厳しいことくらい子供心に理解できていたので決してねだったりはしなかったが、ある日さすがに見かねたのか「ノートを買ってやる」と言われてお袋について文房具店に行くと、そこで新しいバットとグラブを買ってくれた。

スポーツショップなどという洒落たものは存在しない時代だ、嬉しさのあまり腰を抜かしそうになったのは言-までもない。

見せびらかしたい気持ちも手伝って、それからというもの毎日野球をして遊んだ。今になってはどこのメーカーのものだった知る由もないけど文房具店で売られているぐらいの商品だ、何やら意味不明なメーカーだったに違いない。それでも布団に入れて寝るほどの宝物だったなぁ、あのグラブは。

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ポスティングシステムによる第1回入札でメジャー球団から申し入れのなかった入来に対して、ファイターズは今後独自にトライアウトなどに参加できるように自由契約選手とする方針のようだ。ただ、来年1月31日までに移籍が実現しなかった場合は2年2億円の条件で再契約することが既に合意しているというから球団もなかなか柔軟な対応を見せたものである。

球団サイドでは入来がメジャーへ移籍できることを前提に2年8億円規模でメッツ石井の獲得に乗り出そうとしていただけに入来のメジャー移籍が叶わなかった場合は資金面で石井を諦めざるを得ない状態になると高田GMの口からも公言された。

石井・入来ボクはファイターズファンなので当然応援したい気持ちもあるし、チームからメジャー選手が誕生するとなればそれは嬉しく思うけど、ジャイアンツ時代の全盛期の力があればまだしも今の実力じゃ入来のメジャー移籍はかなり難しいだろうと客観的に観ている。

左で2桁勝利の期待がもてる石井は実力もさることながら人気の面でも、ものすごーく魅力的な選手だ。でも現実的に「来て欲しい」「はい、解りました」てなことにはならんだろうし、資金面以前の問題に思える。 残念ながら両投手が揃ってファイターズの一員になることだけは間違ってもなさそうだ。「ああっ、左に限ったことではないけど計算できるピッチャーがほしいなぁ、ホント」。

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門田 博光 (かどた ひろみつ)

昨日、仕事で仙台へ。仙台市内のホテルで開かれた野村のイーグルス監督就任会見の模様を震度3の地震に揺られながらTVで観た。そこで南海ホークスのファンだった頃を思い出し、万年Bクラスのチームにあって孤軍奮闘していた主軸バッター門田のことを書こうと、戻ってすぐPCに向かった。

門田博光1948年(昭和23年)2月26日 山口県生まれ、奈良県育ち。天理高校から社会人野球チームクラレ岡山を経て、1969年(昭和44年)ドラフト2位で南海ホークスに入団する。(前年のドラフトでは阪急ブレーブスから12位で指名を受けているがプライドもあってか下位指名のため(?)入団を拒否している)。

1年目から頭角を現し2年目の1971年(昭和46年)にはレギュラー定着、打率.300、31本塁打、120打点を残し打点王に輝く。この年、野村監督の勧めもあって王を参考にした打撃フォーム(一本足打法)に改造、その後も主力選手として順調な成績を残していたが、1979年(昭和54年)2月のキャンプで右足のアキレス腱を断裂するも翌年には完全復活する。この年からほぼDHに専念し41本塁打を放つとさらに翌年44本塁打で初の本塁打王に輝く。

“南海”最後のシーズンになった1983年(昭和58年)にも40本塁打で本塁打王、1988年(昭和63年)には40歳にして打率.311、44本塁打、125打点で本塁打王、打点王、MVPを獲得。翌年、ダイエーに買収され移転となったが福岡行きを拒否、球団に残留トレードを希望しオリックス・ブレーブスに移籍する。移籍後も変わらぬ活躍をみせたが結局1991年(平成3年)無償トレードで古巣のホークスに戻り、翌年体力の限界を理由に44歳で現役を引退する。現在は朝日放送の解説者。

【 生涯通算成績 】(実働23年) 2571試合出場、2566安打、567本塁打、1678打点、打率.289、本塁打王3回、打点王2回、MVP 1回

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早いもので今日から12月、今年も残り1ヶ月となった。年内の大きな球界ニュースの一つになると思われる清原の去就があと数日で解決しそう。保留選手名簿から外れて明日、自由契約選手として公示されるがバファローズはその手続きを待って正式に交渉するようで、よーやく入団の運びになる見通しだ。

8月下旬に来季の戦力外通告を受けて3ヶ月近く移籍先を模索、家族の問題や同リーグ内に踏みとどまりジャイアンツへ“リベンジ”を誓う気持ちもあって本人は在京球団を希望、スワローズに売り込みをかけたようだが獲得の動きはなく、古巣のライオンズも報道だけで本格的化することはなく、そんでもってイーグルスもお騒がわせミッキーこと三木谷くんが関心を示したものの野村監督の意向もあって撤退してしまった。

Bu清原誕生へ当初争奪戦も予想されていたが、結局、最も早い段階から獲得の意思を表明していたバファローズだけが残り、入団を決めざるを得ない状況になった結果とも言える。今季年俸3億6000万円も本人が大幅ダウンを了承しているようで1億円に満たない額になるらしい。

人気低迷、長距離打者手薄のチーム事情からもバファローズにとって清原の存在は大きいかもしれない。引退の2文字がちらつく年齢だけどもう一花パッと咲かせてほしいものである。「まだまだ老け込む歳じゃないぞぉ!」と清原にエールを贈ると共についでに自分にも言い聞かせている。

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