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高木 守道 (たかぎ もりみち)

子供心に「うめーなぁ、この人」と羨望のまなざしで見ていた選手の一人。何かとミスターと縁があった選手で華麗なバックトスが冴える守備は“いぶし銀”と呼ばれた。高木を真似てグラフに白いテーピングを巻いていた友人が何人かいたっけ。

岐阜商業高1年の時、当時立教大4年の長嶋にコーチを受けプレーに自信をつけたという。1年の夏、3年の春には主将で甲子園に出場しその素質を買われ、1960年(昭和35年)ドラゴンズに入団。同年5月7日対ホエールズ戦で初打席初本塁打の鮮烈なデビューを果たす。入団4年目、井上に代わり二塁のレギュラーを奪取しこの年50盗塁を記録し盗塁王に輝く。

高木守道1974年(昭和49年)にはチームの20年ぶりの優勝に大きく貢献。同年長嶋の引退試合となる最終戦と自軍の優勝パレードが同じ日だったため、球団に日程の変更と出場を直訴。しかしながら願いは受け入れられず、高校生の頃からの恩義を忘れない律儀さから長嶋邸に電話を入れ非礼を詫びるというエピソードが残されている。

1980年に引退。コーチ、2軍監督を歴任し1992年(平成4年)監督に就任。3年目を迎えたシーズンでは最終戦で勝利した方が優勝というプロ野球史上に残るジャイアンツとの“10.8決戦”の指揮を執る。その時対峙した監督が長嶋だった。

【 生涯通算成績 】(実働21年) 2282試合出場、2274安打、236本塁打、813打点、打率.272、盗塁王3回、ベストナイン7回

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