プロ野球に関することを中心に勝手気ままに感想・意見・思い出話などを綴るサイトです。
オフィシャルサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
プロ野球の話は一休みして、今日は子供の頃の思い出を。

僕が子供の頃(特に小学校3・4年生くらいまで)は玄関にカバンをブン投げては一目散に公園の場所取りに走り、雨の日だろうが風の強いだろうが、とにかく野球をやったものだ。

キャッチボールだと何だか欲求不満なもんだから試合形式で遊べる“三角ベース”をよくやった。人数がある程度いる時にゃ問題ないけど3、4人となるとさすがにちょっと厳しい。でも大丈夫、ランナーになる奴がいなくなっても必殺技「透明ランナー」がいるのだ。

透明ランナーでもこの「透明ランナー」、時にはものすごく都合の良いように大活躍するのがたまにキズで、何でもない内野ゴロでもマッハのスピードで一塁から一気にホームへ帰ってくる離れ業をやってのけたりする。

にも関わらず「あ~っ、やられたチッキショー」などとグラブを地面に叩きつけ、明らかに不正なジャッジにも文句一つ言わず納得していた奴がいたのだから今思えば実に微笑ましい。

最近、公園でそんな(バカっぽい)野球をやっている子供たちの姿をほとんど見かけなくなってしまった。「遊び場所がないなら仕方ないが、何が悲しくて公園に集まってまで、おまえ達はゲームボーイやDSで遊んでいるのだ?」

う~ん、なんだかさびしい。

人気blogランキングへ
スポンサーサイト
気がつけばWBC絡みの話が今回で6回目にもなってしまう。何となく自分の中ではこの大会への拘りがあり、何度も言うようだけど、やる以上はベストのメンバーで参加しなければ意味がない「バン!」(机を叩く音です)と思い続けている。

来年3月の開催に準備が着々と進む中、やはり危惧していた面が報道された。ジャイアンツ清武球団代表がコメントしたもので、WBCへの選手派遣に消極的な球団があるとし「阪神、中日は1人でしょ、出すと言っているのは。最強チームをつくることを全会一致で実行委員会で決めたはずなのに従わないでペナントレースを戦おうなんてのは姑息だ!」と痛烈に批判した。

苦渋の王監督珍しく正論を語っているのでビックリしたが、ジャイアンツの候補選手が8人と認めた上で各球団に最低4人以上候補者がいるにも関わらずドラゴンズとタイガースなどから辞退者が続出していることが背景にあるようだ。谷繁こそ代表入りは確実だが「王さんも怒りを抑えて編成している。プロ野球界の将来をどう思っているのか!」と捲くし立てたというから勇ましい。

当然、片方の意見だけで判断するのは乱暴だと思う。参加は任意によるもので、もちろん強制力はない。ただ、個々にも考えがあるのも解るが、国の威信をかけて戦おうとする大会を辞退するとはちょっと情けないように思う。「金にならない」だとか「ペナントレースに影響する」だとかそんなプロらしからぬ陳腐な気持ちからくるものではないと願いたい。

選手が出場を望んでいる姿勢を球団サイドで歯止めをしているならば、こりゃ許せん!それこそジャイアンツの清武球団代表が言うように何らかのペナルティーを科すに値する。なぜプロ野球界は横の繋がりが弱く連携した動きがとれないのだろうか? いつも自己主張がぶつかる醜い戦いばかりだ。サッカー日本代表のようにとは言わないが、「日本代表をもっと誇りに思いなさいよ、チミたち」。

人気blogランキングへ
昨日、ファィターズのファンフェスティバルに行ってきたことを書いたけど、ここ数日間の疲れがたまっていたせいか、帰ってきた時には大リーグボール3号を投げ続けた星飛雄馬のような(?)ひどい体のだるさがあり、頭が働かなかったので懲りずにまた同じネタを書くことにした。

今日、改めてスポーツ新聞やネットを見るってーとさすが新庄、話題不足の時期とは言えフェスティバルでの発言などが各媒体で取り上げられていた。彼がいなければ恐らくこれだけのメディアに載ることはなかったと思うと改めてチームにとっての存在感の大きさを思い知らされた。

新庄パフォーマンス健在札幌ドームでも生で聞いていた発言の数々。その言葉には誰よりもファンを大切にする強い意思が漲っていて、聞く側もどこかでそれを感じるためか益々新庄の虜になって行く。見るからに少ないと思ったとおり去年より17,000人減の来場者。優勝よりも札幌ドームを満員にすることを目標にする新庄にとっては大いに危機感を抱く光景に映ったはずだ。

「一緒にごはんに行ったり、飲みたいとか、泊まりたいとかでもいい。かぶりもの?もう飽きたでしょ。レベルアップしないと」。来季のパフォーマンスを「アンケートの公募」で決定する案などに言及し最後までファンを楽しませることに徹していた。以前いくつかのTV番組で全ての発言は計算のうえだと語っていたが、ファンを魅了し常に視聴率や客入りを気にしていたミスターのパフォーマンスと何処か相通ずる。

ゲーム中のプレーだけじゃなくファンやマスコミに対してのリップサービスも仕事のうちと捉える“プロ意識”みたいなものを感じずにはいられない。「シーズン中の成績もパッとしないくせにチャラチャラして」などと辛口な意見もありましょうが、間違いなくこれもプロフェッショナルな姿だとボクは思う。

人気blogランキングへ
他の球団から遅れること数日、ファイターズのファンフェスティバルが今日開催され息子と札幌ドームまで行ってきた。シーズンさながらにレプリカユニホームを着込んで詰掛けた大勢のファンやファンクラブの申し込みブースにできる長蛇の列などを見ていると、着実にまた一歩地域に根付いてきていると実感することができ嬉しくなった。

ファンフェスティバル2005選手の紹介コーナーや各種イベントが色々あり、それなりに楽しい時間を過ごすことができた。

いつ見ても新庄、小笠原はさすがに存在感があるなぁ。年棒50%ダウンの提示を飲み込んでチームの優勝のためにと残留した奈良原や来季選手会長を勤めることになった金子、今年ルーキーイヤーにしてそこそこの活躍をしたダルビッシュあたりにも多くの温かい声援が送られていた。

来年も今年のドラフトで入団する陽や八木の顔を見に行こうと今から思っている。スタンドのファンに対するシーズン終了の報告が「詫び」ではなく「感謝」の言葉になることを期待して。

人気blogランキングへ
ジャイアンツがFA宣言している豊田と明日にでも都内で2度目の入団交渉を行うようだ。原監督も同席するらしく交渉終了後にはジャイアンツへの入団を表明すると見られており、V奪回のための待望の守護神が晴れて誕生する予定だ。

日本一となった02年に原監督が抑えに転向させた河原が28セーブを上げて以来、「抑え不在」が長年のアキレス腱になっていただけに貴重な戦力になることは間違いない。ただ、以前も書いたけど残念ながら、ジャイアンツのお家芸(?)「その場しのぎ大作戦」に見えてしまう。現有戦力では無理と判断してのことだろうか? 個人的には、若手の中から将来長く存在するストッパーの育成に努めて欲しかった。

豊田・森また、豊田に続き森が今オフ、ポスティング・システムで大リーグ移籍を目指しライオンズの退団が濃厚になったようだ。森は01年オフから大リーグへの移籍希望を球団に伝えており、来オフに取得するFAを前に承認されることになった。チームにとっての必要性の問題があるにせよ松坂にとっては複雑な心境だろうなぁ。

獲得に手を上げるメジャー球団があるかは解らないけど、このまま行けばライオンズはセットアッパーと守護神の2投手を手放すことになる。「いゃ~っ、これは痛すぎる」。よそのチームのことと言え心配になってしまう程の損失だ。リリーフ陣の補強や育成が急務だろうがこれは簡単に埋められそうにないぞぉ。

人気blogランキングへ
掛布 雅之 (かけふ まさゆき)

つい先日、春季のバファローズ宮古島キャンプに臨時コーチとして招へいされることが報道された。これを機に近い将来、指導者の立場でユニホームを着てくれることを期待してやまない。サードの守備位置で絶えず右手をなめる仕草やバッターボックスでバットをくるくる回す独特のポーズが絵になった。ヤンキース松井秀が子供の頃から憧れていた選手としても有名。

1955年(昭和30年) 5月9日新潟県市生まれの千葉県育ち。習志野高から1973年(昭和48年)タイガースの入団テストを受けて合格し、ドラフト6位で入団した苦労人(カタチばかりの指名で扱いはドラフト外と同等。だからドラフトに関する意見にも凄く重みがあるように感じる)。翌年の春季キャンプで天性のバッティングセンスを買われ高卒1年目にしていきなりオープン戦で活躍し1軍定着を果たす。その後、当時の金田監督が二度と2軍に落とすことなく使い続けたこともあって順調に成長、3年目には主軸を打つようになる。

掛布雅之1979年(昭和54年)の48本を始め3度の本塁打王を獲得。特に1982年(昭和57年)には打点王にも輝く二冠の働きを見るなど、田淵が移籍したチームで「ミスタータイガース」として人気を博し、1985年には四番として打率.300、40本、108打点の活躍でタイガースのリーグ優勝・日本一に大きく貢献した。

しかし、翌年の1986年(昭和58年)、ドラゴンズ戦で左手に死球を受けて骨折。これをきっかけにその後も相次ぐ故障に泣き、完全復活を目指しながらも、満足な成績を残せないまま33歳という若さで1988年(昭和63年)引退した。現在は解説者として時にはタレントとして幅広い人気を得ている。 

【 生涯通算成績 】(実働15年) 1625試合出場、1656安打、349本塁打、1019打点、打率.292、本塁打王3回、打点王1回

人気blogランキングへ
来年3月に開催されるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本代表チームの指揮を執る王監督が「井口は“出たい”ということを言っているみたいだし、イチローからも“出てもいい”と個人的に聞いている」と両者から出場の内諾を得ていることを明かにしたようだ。

さらに松井秀に関しても、当初ヤンキースのスタインブレナー・オーナーが選手派遣に反対していたが、契約延長会見の際にキャッシュマンGMから「球団に拘束力はない。選手が決めること」との明言があり出場への支障がない状況になっており、12月初旬に行われる雑誌の対談の席で王監督から直接要請されれば参加の方向に進む見通しだ。

両雄WBC参加へ「よぉーし、よし」。国別対抗戦なのだからベストメンバーで戦わずにして「真の世界一決定戦とは言えねぇだろ!」と思っていたので嬉しい限りだ。国内選手のベストメンバーと日本人メジャーリーガーの融合がにわかに現実味を帯びてきた。

国内組以上に強行日程になるメジャー組、それでも先輩格であるイチローの参加が決まれば、松井秀、井口だけでなく、他の選手も代表入りする可能性もあり、そうなればチーム全体の士気が高まるのは容易に想像できる。まるでサッカー日本代表のようで、理想的な流れになってきた。

アメリカ人に限らず他国籍の大物メジャーリーガーからも参加表明が相次いでいるようで、少しづつ状勢が変り始めている。言いだしっぺのアメリカがベストのメンバーで参戦してくれるか未だ不安が残るけどWBCの結果によってはIOCに対しても五輪競技に復帰の道を開く強力なアピールになるはず。

年明け1月17日に決定する1次選考メンバー60人の中にイチロー、松井秀らの名が連なっていることを大いに期待してしまう。

人気blogランキングへ
ファイターズの北海道移転が決定した時、少し期待したことがあった。それは球団名の変更である。ところがそんな動きは特になく準備室設立時 仮称とされていた北海道日本ハムファィターズがそのまま正式名になってしまった。“日本”の上に“北海道”って「なんて安易でカッチョ悪い!」。今では慣れてしまったが個人的には、“札幌ファイターズ”のような企業名を取ったカタチで生まれ変わってほしかった。

一昔前、ニューヨークの名コラムニスト ボブ・グリーンが「日本にハムファイターズ(ケンカするハムたち)というワケの解らんプロ野球チームがあると聞くので早速日本へ飛んで調べてみたい」とコラムの中で書いたという笑い話がある。アメリカ人にとっては、企業がチームを私物化しているように映り理解できないということを物語っている例の一つだ。

私企業名反対その点から考えると今何かと問題の渦中にいる横浜ベイスターズがプロ12球団の中で唯一企業名がなくて大変よろしい。横浜を象徴するベイブリッジをもじったニックネームに変更すると共に企業名をはずし、より地域に根ざそうという姿勢を感じた。

球団の運営上、親会社側から見ればチームを広告塔にするメリットはもちろん、チーム側も広告費の名目で出資してもらいやすい面など何かと有利に働く点があるのは理解できるけど、大リーグや近くはJリーグを見習って改善することはできないのだろうか。企業名を撤廃すれば“Jの理念”じゃないけどより地元意識が高まり少なからずプラスに働くような気がするけど…。

んなことで前も触れたけど、ボクはブログ内で親会社名を書かないことにしている。情けないほどささやかな抵抗ではあるが。経営努力は充分認めるけど、ボクはファィターズのファンであって残念ながら日本ハムという企業のファンではない。多くのプロ野球ファンがそう思っていないだろうか?

人気blogランキングへ
予てから大リーグの挑戦を公言し渡米のうえ行き先を模索していた城島がマリナーズの提示条件に納得し入団を決めたようだ。これで晴れて日本人捕手では初めてとなる大リーガーが誕生することになった。

契約は3年総額で最大1900万ドル(約22億6000万円)とみられているらしいが、AP通信によると、3年間で年俸分は1650万ドル(19億6400万円)で、残りは出来高払いになるようだ。「う~ん、それにしても高待遇」。イチローとチームメートになることで大リーグの1球団に日本人野手が2人所属するのは初めてのこととなる。

城島マ軍入団決定「厳しいからこそチャレンジしたい」と言いつつも「レギュラーが確約される球団がなければホークスに残る」という何ともチグハグなコメントを残しイーグルスの野村監督あたりからもトゲある小言もこぼれた。自分の置かれる立場・環境など、その辺は当然ある程度クリアになっての入団なのだろうが、さすがに正捕手が確約されているほどの甘い条件ではないはず。

来年3月に初めて開催される野球の国別対抗戦WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)には参加しない意向をすでに明らかにしているようだが、まっ大事な時期だけにしょーがないか。言葉の壁でうまくコミュニケショーンが図れない部分もあって大変だろうけど、後は実力をもって年棒に見合うだけの存在感をアピールできる活躍を期待してやまない。

人気blogランキングへ

ここ2年の結果をもって何かと物議を醸したパ・リーグのプレーオフ制度。ホークス等からの提案を受け3年目の検討がなされ、今季まで第2ステージでレギュラーシーズン勝率1位チームに5ゲーム差以上で与えられていた1勝のアドバンテージを来季から無条件で与えることにし、第2ステージについて1位チームが全試合持っていた興行権を第3、4戦は下位チームが持つことに改正されたようだ。

理事会サイドでレギュラーシーズン勝率1位だったホークスが2年連続プレーオフで敗退したことを重視し、様々な意見を精査し最終的に落ち着いた案らしい。やはりテコ入れをしたかと思うけど、長いペナントレースを戦いきってようやく1位になって僅か1勝のアドバンテージとは…。以前も書いたけど個人的にはもう少し優位性があっても良いように思うが、かと言って現行の制度で“2勝”を与えては、余りにも偏りすぎの感があるし「う~ん、こいつぁ難しい」。

改正会談2007年にはセ・リーグもプレーオフを導入予定。小池パ・リーグ会長が「再来年以降は共同歩調。柔軟に対応したい」と述べているように更なる改善がまた必要となるに違いない。そもそも消化試合をなくし最後まで観客動員に繋げるいわば人気獲得・興行収入増を目的に始めたはずのプレーオフ制度。パとの歩調合せとは言えセ・リーグまでもかぁ…。

まっ、やる前からあれこれ気を揉んでもしょーがない、まずは実行あるのみ。あんばいが悪けりゃ、都度改善を重ねて行けば良い。頭の固いおっさんたち(ボクもですけど)も全ては野球界の繁栄を目的に試行錯誤している(?)訳だし。一プロ野球ファンとして今後の動向を暖かく見守ることにしよう。

人気blogランキングへ

今年、全てのタイトルを獲得する強さを見せたマリーンズ。そのマリーンズがオリオンズからニックネームを変更し新たに生まれ変わった頃の話。

1978年(昭和53年)から使用続けていた川崎球場から千葉マリンスタジアムにフランチャイズを変更すると1991年(平成3年)球団から発表された。それを機に新たなニックネームの公募が行われ結果、20万通を超える応募の中から9000通と3番目に多く寄せられた“マリーンズ”が選ばれた。

ピンクユニ翌年の1992年(平成4年)のシーズンから採用されたのが写真のユニホームである。色々なご意見もありましょうが、ボクの第一印象は「ピ、ピンクって、カッチョ悪っ」だった。胸の書体や帽子のマークなど「何てセンスがないのだ」とファンでもないのにガッカリした覚えがある。

この新ユニホームで八木沢監督のもと船出したもののチーム成績は当時の定位置Bクラスをキープ。1995年(平成7年)にはチーム再建のためGMに広岡達朗、監督にボビー・バレンタインを招き体制を一新し、ついでにユニホームも現在も使用されている縦縞のユニホームに変更されることで、結局3年間という短い期間で“ピンクユニホーム”は姿を消してしまった。

今年、10年ぶりに帽子のつばの部分とユニホームの一部にピンクが復活した。「ピ、ピンクって、カッチョ悪っ」とまた同じ感想をもったのも束の間、いつにない快進撃で「悪くないかな?」と思えてしまったからホント不思議だ。

人気blogランキングへ
4日間更新しないだけで、すっかりご無沙汰といった感じがする。コメントやトラバをいただいたみなさん、なんのリアクションもできず「失礼しました」。新聞さえ読む時間がなかったため、軽い浦島太郎状態。ここ数日間の話題を触れることができないので昨日の大学・社会人対象ドラフト会議について。

我がファイターズは、希望入団枠で獲得が内定していた八木投手(創価大)に続いて、3巡目で走攻守そろった逸材と評価の高い川島内野手(九州国際大)、4巡目と5巡目で武田投手と小山捕手のシダックスコンビ、6巡目で高口内野手(創価大)、7巡目で星野投手(JR北海道)をそれぞれ指名。先の高校生ドラフトに続き思惑どおりの補強ができ100点とも言える結果に終わることができた。来季、どの選手がいち早く1軍に昇格し、チームに貢献してくれるか今から楽しみだ。

ただ、手放しで喜んでばかりもいられない。今回の変則ドラフトを見ると、以前から指摘されていたとおり戦力均等には至らず、相変わらず契約金高騰に歯止めをかけることもできていない部分が浮き彫りになった。ジャイアンツの辻内と福田、共に高校・大学のNo.1投手の呼び声が高い選手の“両取り”に成功した例や、上位指名の高校生選手に対しても7000万~1億円の契約金が乱れ飛ぶ現状などがそれを物語っている。

八木・高口・川島2年間実施した上で検証するとしている今回の制度、来年から見直した方がいいんじゃないかなぁ。資金・人気がある球団の優位性、球団経営の金銭的圧迫など全体のことを考えるとやはり選手会などが主張する完全ウエーバー制を軸にした抜本的な改革が必要だと思う。

奇麗事ではなく、贔屓にしているチームのことだけ考えてもいられない。今年のような理想的な補強ができなくてもそれはそれでしょーがない。球界の繁栄があってはじめてプロ野球を楽しめる訳だから。

人気blogランキングへ
最後はピリッとしなかったけど、強いマリーンズ。サムソンを5-3で降し大方の予想どおり初代アジアチャンピオンに輝いた。

今シーズンのマリーンズは、交流戦のチャンピオンから始まり、ファームの初優勝、リーグ制覇に日本一、そしてアジア一とこれで完全制覇の5冠を達成した事になる。特に日本シリーズ、アジアシリーズ共に無傷の4連勝、トータル8連勝に今季を締めくくるとこなんざ、「お見事!」の一言に尽きる。ファンにとっては堪らない一年になっただろうなぁ、「羨ましい」。

アジアシリーズ制覇今回のシリーズは、日本での開催の優位性はあるにせよ実力的に頭一つマリーンズが抜き出ていた感がある。

野球界の歴史の違いもあって当たり前だけど、日本の野球がアジアの中では一番レベルが高いことは誰の目から見ても明らかだ。でも、他国の成長も著しくこの調子だと力が拮抗してしまうことが危惧される、気が抜けない。

来年3月にはWBCが開催され、ベースボールもいよいよ本格的な国際交流が始まろうとしている。選手の負担が問題だけど、近い将来、真の世界一のチームを決定するシリーズなんざ計画されるような気がする。国際ルールの二段モーションも重要だろうけど、世界で統一したボールを使用することの方が先決のような気がする…。国によってボールが違うって変じゃない?

※ 明日から4日間程、仕事の都合で休みます。79日間連続更新し80連勝を目の前にしていただけに大変悔しいけど(なんのこっちゃ)、またアップしたら見てやってください。

人気blogランキングへ
高田 繁 (たかだ しげる)

ファイターズファンであるからにして順序から言ってもやはり早い段階でGMに触れておかなければなるまい。以前も書いたけど高校時代に学際の講演にやって来たことや、一昔前ボクが日本ハムに勤めていた頃ちょうど監督だったことなどあって、どこか親近感のある方である。

1945年(昭和20年)7月24日大阪市生まれ。明治大学で主将を努める中心選手で1968年(昭和43年)ジャイアンツに入団。1年目から規定打席に達しなかったものの打率.301、本塁打9本、23盗塁をマークするなど俊足好打の活躍を見せ新人王に輝き、その年の日本シリーズでもMVPを獲得する。絶妙の守備を魅せる外野手として「塀際の魔術師」と呼ばれ、また、頻繁にサード側に放たれる独特のファウルボールは「高田ファウル」と名づけられていた。

高田繁1976年(昭和51年)にチーム再建のため、ファイターズより張本をトレードで獲得したことで三塁手にコンバートされる。

キャンプ当初から徹底的に長嶋監督が放つ打球を追い続け「この野郎!」と思えるほどのしごきを受けたという。ミスターならではのパフォーマンスでシーズン終了後「良くやったな」と肩を組まれ労いの言葉をかけられたと本人が講演で語っていたのを思い出す。

1980年(昭和55年)引退。引退後、解説者・評論家を経て1985年(昭和55年)ファイターズの監督に就任。その後もジャイアンツの1軍コーチ、2軍監督を歴任。今年からファィターズのゼネラルマネージャーに就任。 明治大学の先輩でもあり、星野仙一氏が逆らえない数少ない人物だとも言われている。

【 生涯通算成績 】(実働13年) 1512試合出場、1384安打、139本塁打、499打点、打率.273、新人王、盗塁王1回

人気blogランキングへ

古田新監督が誕生以来、秋期キャンプでも今まで以上に注目度が高いスワローズ。そのスワローズの歴史の一端を少し。

ヤクルトにはアトムズというニックネームの時代があった。個人的には、侍ジャイアンツの番場蛮のライバル眉月光が所属していた球団ということで記憶に残ってたりする。

1965年(昭和40年)この年、シーズン途中にして球団経営権が国鉄からサンケイ新聞に譲渡された。暫定的にスワローズの名で戦いぬいたシーズン終了後、サンケイスワローズは球団イメージの一新を図るべく新しいニックネームの募集を自社の新聞紙上で発表した。結果、応募総数が14万通近くもあった中で、投票数が300通足らずにすぎなかった“アトムズ”という案が選ばれた。当時、系列のフジテレビで『鉄腕アトム』放送されていたこともあって少年野球ファン獲得に繋がると判断しての採用だったようだ。

ヤクルトアトムズユニホームの左袖には勇ましく空を飛ぶアトムが付けられた。しかし心機一転して望んだものの成績は万年Bクラス。その後1970年(昭和45年)にヤクルトに譲渡されてからも状況は変わらず、鉄腕アトムはその力を充分に発揮することなく1973年(昭和48年)、虫プロダクションの倒産に伴い「縁起悪っ」と使用が中止され、元のスワローズに戻り今日に至っている。

もし今も使用し続けていたらアトムズvsライオンズと手塚治虫キャラが描かれたチームが対戦していたことになる。なんだか子供たちに夢を与えるようで良いんじゃない。マンガの主人公が球団のニックネームになることは、この先もうないだろうなぁ。

人気blogランキングへ
今程じゃないけどボクの子供の頃も世間のお父さん達は休日重たい体を引きずりながらそれなりに家族サービスに奔走していた。幸いボクの親父は畳職人だったため仕事が終わって家に帰ってくるのが毎日夕方の4~5時ごろと早く、土・日と言わず好きな時にキャッチボールをすることができた。その代わり仕事がら休日どこかへ出かけたりした記憶が全くないけど…。

畳を縫う糸であちこち補強されたボロボロのグラブとミットでよく親父と真剣勝負に興じた。(今思うと「3丁目の夕日」さながらの光景だなぁ) 全力投球しているにも関わらずたまに素手で補られる時があり、「おっ、すげーっ」「くぬやろう、悔しい」と複雑な思いを味わうとともにそんな些細な力を発揮した親父のことを尊敬したもんだ。

キャッチボール小学生の高学年になる頃にはのけぞらせて捕球させるほど球威もつき「ちぇっ、相手にならないぜ」と優越感に浸る機会が増えて行った。この時期、親父がいなくなったせいもあり尚良い思い出として残っている。

きっとその頃親父は子供の成長を肌で感じることができて嬉しかったに違いない。今ボクが逆の立場にあるから良く解る。親子のキャッチボール待望論が聞かれて久しいがやはりキャッチボールは最高だと思う。技術向上はもちろんだけど、下手な会話より伝えられるものがあるし、伝わるものもあるし。

人気blogランキングへ
過去再三書いてきた、先の高校生ドラフト会議の1巡目でファイターズが指名した福岡第一・陽とジャイアンツが指名した大阪桐蔭・辻内の入団が共に決まった。陽はファイターズが指名した高校生野手では史上最高額となる契約金1億円、年俸1000万円で仮契約、背番号は24に決定。辻内は契約金1億円、年俸900万円、背番号は15になる見込みだ。

台北市内の会見会場で陽は「入団しようと思ったのは、札幌の施設を見学してから。プロに入っていなかったら、大学に進んだと思います」と気持ちが揺れていたことを明かした。やはり札幌の施設やファン歓迎に触れて気持ちが固まったようだ。

陽・辻内入団台湾で縁起が良いとされている数字「9」にあやかって9日に仮契約できて云々という記事も目にしたし、個人的には空きの背番号「9」を陽に与えても良かったような気がするけど…。本人もコメントしているように2年以内には1軍でプレーできる選手になることを期待してやまない。

一方、最速156キロの剛速球で甲子園を沸かせた辻内は、幼い頃から憧れだったチームへの入団が決まり「やっと巨人の一員になれたと思う。とても嬉しい」と語った。

近い将来、交流戦や日本シリーズなどで対戦する可能性がある二人。今後のプロ野球界を背負って立つ器だけに怪我することなく順調にスキルアップして欲しい。さて、どちらが先に1軍昇格し結果を残すのか? やっぱり辻内かなぁ。ボク的には札幌ドームで一日も早い陽の活躍を見たい。

人気blogランキングへ
今日も“甲子園繋がり”の話しを。一昔前、その時代を象徴するように多くのマンガにミスターが決まってヒゲを青くして登場していた。何度も書いているように長嶋バカなボクにとってそれらは当然気になるものだった。

ボクのブログのタイトルは知る人ぞ知る水島新司先生の「野球狂の詩」をパクったものだ。(ごめんなさい) 子供の頃からドカベンを始め、多くの水島マンガに触れてきたけど中でも長嶋絡みで印象深いのが佐々木守原作「男ドアホウ甲子園」である。

虎キチのじっちゃまに日本一の球場「甲子園」にあやかって名前を付けられ育った藤村甲子園の野球人生を描いたもので1970年(昭和45年)には日本テレビ系列でアニメとしても放映されるほどの人気マンガだった。幼少の頃(3~4才くらい?) 長嶋を前に「きりきりまいさしたんねん!」と宣言してから持ち前の剛速球で高校・大学で活躍、長嶋と対戦することに拘りその後タイガースへ入団する。

男ドアホウ甲子園 最終話最終話、その長嶋との名場面が登場。引退が近い長嶋相手に女房役の豆タンは甲子園の性格を知ったうえであえて変化球のサインを出すが、もちろん甲子園が最後に投じたのは渾身のストレート。球は長嶋のバットを砕きそのままミットへ。この瞬間幼少の頃吐いた「きりきりまいさしたんねん」の言葉が具現化される。

当時最終回掲載の少年サンデーを読んで子供心に感動した覚えがある。このマンガでもプロの頂点として描かれたのは長嶋である。マンガの世界でもにくいほどホント絵になる人だったなぁミスターは…。

人気blogランキングへ

1924年(大正13年) 開業、“野球の聖地”甲子園球場が老朽化のため2007年10月より200億円をかけて大規模改修に着手し生まれ変ることになった。

特に取り上げる程の情報ではないかもしれないけど、他ならぬ甲子園となれば話は別である。タイガースファンでなくても特別な思い入れがある人も少なくないはず、そんなボクも高校野球好きのせいもあってか「甲子園球場ファン」である。

甲子園改修札幌に住んでいるので足蹴に通うことは当然できず、過去たったの2回しか行ったことがないけど、その印象は強烈に今でも残っている。伝統の風格とも言うべきか、とにかく他の球場にはない独特の雰囲気を持っている。屋根がない開放感と幾多の勝負を飾ってきた個性的なスコアボードが誠によろしい。

内野席全体が覆わさる程に大きく架け替えられる予定の銀傘は初年度で解体されるものの2008年のシーズンには間に合わず、約半世紀ぶりに1シーズン屋根のない状態になるようだ。その後も外壁を覆うツタもいったん伐採して再度苗木を植樹し、収容人数が若干減ってしまうが内野席の前後間隔を拡大。銀傘の下には室内から観戦できるスイート席と、ファウルグラウンドにせり出す「砂かぶり席」を新設するらしく、シーズンオフの3年間を使用した工事になる。

全体の造形をそのままにいつまでも甲子園は甲子園らしくそのままであって欲しいと思う。こうして度重なる改修を続けて、いったいどこまでその歴史を刻んで行くのかなぁ。「もしかすると歴史の瞬間を垣間見ることになるんじゃないの、これって」。 
なんだか得した気分になる。

人気blogランキングへ
高木 守道 (たかぎ もりみち)

子供心に「うめーなぁ、この人」と羨望のまなざしで見ていた選手の一人。何かとミスターと縁があった選手で華麗なバックトスが冴える守備は“いぶし銀”と呼ばれた。高木を真似てグラフに白いテーピングを巻いていた友人が何人かいたっけ。

岐阜商業高1年の時、当時立教大4年の長嶋にコーチを受けプレーに自信をつけたという。1年の夏、3年の春には主将で甲子園に出場しその素質を買われ、1960年(昭和35年)ドラゴンズに入団。同年5月7日対ホエールズ戦で初打席初本塁打の鮮烈なデビューを果たす。入団4年目、井上に代わり二塁のレギュラーを奪取しこの年50盗塁を記録し盗塁王に輝く。

高木守道1974年(昭和49年)にはチームの20年ぶりの優勝に大きく貢献。同年長嶋の引退試合となる最終戦と自軍の優勝パレードが同じ日だったため、球団に日程の変更と出場を直訴。しかしながら願いは受け入れられず、高校生の頃からの恩義を忘れない律儀さから長嶋邸に電話を入れ非礼を詫びるというエピソードが残されている。

1980年に引退。コーチ、2軍監督を歴任し1992年(平成4年)監督に就任。3年目を迎えたシーズンでは最終戦で勝利した方が優勝というプロ野球史上に残るジャイアンツとの“10.8決戦”の指揮を執る。その時対峙した監督が長嶋だった。

【 生涯通算成績 】(実働21年) 2282試合出場、2274安打、236本塁打、813打点、打率.272、盗塁王3回、ベストナイン7回

人気blogランキングへ
今年の高校生ドラフトでジャイアンツから4巡目指名され喜びに胴上げされていた済美高の福井投手がここに来て入団を辞退した。なんでも指名順を含めた評価が低く、球団からの指名後の対応に誠意が見られなかったことに反発したとか。

「実際7、8巡目にあたる指名では、入団してもやっていけるかどうか自信がない」と指名順を入団辞退の理由の一つに挙げたようだけど、何を今更という感じがする。確かにその後の交渉ごとにおいてジャイアンツの説明・誠意が足りなかったにせよ、どーして下位だと自信がなくなってしまうのだろうか?

「甲子園の成績はそれほどではない投手が高い評価を得ているのに、何のために息子が高校で頑張ってきたのか…」と父親がコメントしているが、なんでそんなつまらないプライドを子供と一緒に持ってしまうのだろうか? 高いプライドを持っているようでなければプロの道では通用しないという考えもあるだろうけど、この場合は全く違う。

済美高・福井プロに憧れて野球をする選手は子供達も含めれば全国に何百万人といる。その中のほんの一握りの選ばれた選手しかプロの道に進むことができない事実を考えれば、そもそも指名されるだけでも非常に名誉な事、なぜ真摯に受け止められないのだろう? と、この手の話になるといつもそう思ってしまう。

大学に進学後、指名されたとして「あの選手より実績を積んだはずなのに、また評価が低い」と言ってプロへの道を諦めるのだろうか? 仮に自分の息子が同じ立場に置かれたら「それをバネに入ってから、実績で見返してやれ!」とボクなら叱咤激励する。手前の拘りよりも入団してからのプライドの方が大事だと思うけどなぁ…。残念なニュースだ。

人気blogランキングへ

球界改革を掲げて参入したはずの男がやらかした事で紛糾したオーナー会議。ルール見直しも必要だが、ルールを知っていた上で違反するのはいかがなものか。まぁ、今日はその事にはあえて触れず、同じルールでも全く個人的な話を。

ボクには息子がいるのだが、これが野球にあまり興味がなく以前は大変困っていた(別に困ることはないのか?)。数年前から強制的に札幌ドームへ連れて行ったり、野球マンガを読ませたり、キャッチボールに連れ出したりと英才教育(?)のかいあってか、よーやく野球の楽しさを理解したようだ。

以前、TVでサッカーを観ては「ワーッ、ワーッ」騒いでいるくせに、何で野球に興味がないのだ、エッ?と聞いてみたところ「ルールが解らないから、つまんない」という答えが返ってきた。古くからサッカーはルールが単純だからこそ世界中の老若男女問わず広く普及し浸透したという話を改めてその時思い知らされた。唯一のルールとも言えるオフサイドでさえ、つい最近できた近代サッカーのルールである。

スコアブック「そうかぁ、野球のルールって難しく感じるのか」。何で走者にタッチしなければアウトにできない時とそうでない場合があるのだ? 3度目のバントがファールだとなぜにアウトになるのだ? タッチアップってなんだ? インフィールドフライってどんな食べ物だ?~などなど、野球を知らない人にとってこれほど複雑なスポーツはないのだろう。

息子には一つ一つの質問に丁寧に答えて教えたつもりだけど、実際にそのプレーを見なければ伝わらないケースが多々あったし、説明しずらいったらありゃしない。ボクの場合は幼い頃から野球をやっていた事もあって、誰に教わるでもなく自然にルールが身に付いていたけど…。特に野球は頭より体で理解する方が断然近道なスポーツのように思える。


人気blogランキングへ
来季イーグルスの監督に就任する野村が、ファンの関心を高めるため実施され来季で13年目を迎える『予告先発』に対し「知らない間におかしな規則ができた。個人的には大反対。勝負事というのは読み合いなんですから」と批判したようだ。

この意見に関しては、個人的に大賛成だ。「明日の先発は誰だろう?」と予想するのプロ野球観戦の楽しみの一つだと思っている。なのにワザワザご丁寧に「明日はこいつが先発なのでヨロシクどーぞ!」と手の内を見せる必要がどこにあるのかと、ずーっと疑問に思っていた。

確かに札幌ドームへ観戦に行く時など、事前に情報があると便利だけど、誰が先発であろうと足を運ぶ意思に変りはない(そうじゃない人もいるのかなぁ?)。一時は偵察メンバーなる攻防があったけど、それも一つの駆け引きとして楽しめたけどなぁ。

野村苦言を呈すもう一つ、不正行為をなくすためにメガホンの持ち込みが禁止されベンチから選手への声かけが制限されていることに関しても「サインをのぞくのは感心しないが、クセを盗むことも駆け引き。腕と頭を使ってやるのが野球だ」と現状の“ルール”をこれまた否定した。全くその通―り。

良かれと思って改革しているのだろうけど、野球を全然解ってない爺さんたちで運営されている高野連のごとくお子様レベルの決まりごとが無駄に多いように感じる。勝負事から“前哨戦や駆け引き”を省いて良い筈がない。ファン獲得、人気回復の意識が完全に空回りしている。

「パ・リーグには理解できない規則がいっぱいある。監督会議で言うつもりです」。来季26年ぶりにパ復帰を果たす野村監督の言動にその点は大いに期待したいと思っている。

人気blogランキングへ
「さて、何を書こうかなぁ」とぼんやり考えながら過去のカテゴリーを見てみるってーと「あれっ、ドラゴンズに関することだけ一度も触れてないじゃん」と気がついたので今更無理やり一本。

1974年(昭和49年)、9年間続いていたジャイアンツの優勝が途絶えた。そのV10達成の偉業を阻んだのが与那嶺監督率いるドラゴンズだった。 物心ついた時からジャイアンツの優勝以外見たことがなかったボクにとってこのことは、どえらい大きな事件に感じたものだ。

与那嶺監督にとってこの年は名将水原の後を引き継いだ3年目にあたる。開幕10試合を7勝3敗で乗り切るスタートダッシュに成功し、一時は3位に後退するものの新外国人マーチンや高木、谷沢、若手の鈴木孝政、星野・松本の左右両エースなどの活躍で終始安定した力を発揮する。

V1与那嶺ドラゴンズ最後は、2位ジャイアンツとのゲーム差なし、勝率で1厘しか違わない僅差の優勝を果たした。1954年(昭和29年)天知監督時依頼、実に20年ぶりの快挙だった。最後の打者が放ったライナーをサード島谷が捕球した歓喜のシーンを今でも鮮明に覚えている。

ドラゴンズが優勝した次の日、「やっぱオレが言ったとおり中日が優勝しただろ」と一度もそんなことを言ったことがないジャイアンツファンであるはずの友人はみんなから絶交を言い渡された。一番高木が塁に出で~♪の歌詞から始まる「元祖、燃えよドラゴンズ」をやけくそで歌う友人もいた。それぞれ想い想いにジャイアンツが優勝できなかったことを悔しがっていた。

人気blogランキングへ
今季で2年契約が切れる新庄が都内で開かれた「ベストフォーマリスト賞」の授賞式に出席し、詰め掛けた報道陣に対して来季の残留を正式に発表した。「(札幌ドームの)ロッカーが携帯の入りが悪かったんだよね。でも~、アンテナつけてくれるっていうから残留を決めましたぁ」と相変わらず訳の解らん新庄節(笑)で残留理由を明らかにしたもの。ファイターズファンのボクとしては嬉しい限りだ。

一部では、今季の年俸8000万円(プラス出来高5000万円)から275%UPの3億円(各紙で違う)で合意したとされている。今季は右手痛の故障が響き、成績だけ見ると出場108試合、打率・239と本来ならばダウンすべき内容だけど数字以上に貢献度が高いのは誰もが認めるところ。新庄がいなければチームもこの2年でここまで北海道に根付くこともなかったように思うし、個人的には決して年棒が高すぎると思わない。

新庄残留発表気がつけば新庄も来季はもう34歳になるんだなぁ。近しい人には「来年が最後かな」と現役引退をほのめかしているようで、本人はファイターズで終止符を打つつもりらしい。でも新庄のことだから先はどーなるか解らない。

「もう一度、自分の夢だった“スタンドを満員にする”という気持ちがさらに強くなった」ともコメント。だだ、来年の目標を聞かれ「その質問は一番ダメ。優勝は目指してません!」とキッパリ言い切ったのには、「お~いっ」と突っ込みの一つも入れたくなったけどご愛嬌だ。

札幌ドームを満員にする手っ取り早い方法は「なんやかんや言っても優勝争いをすること。有終の美(?)を飾る活躍を期待してまっせ、新庄はん!」。

人気blogランキングへ
大杉 勝男 (おおすぎ かつお)

ブログを始めてすぐに「球史に残る名選手たち」というカテゴリーを作っておきながら手をつけずに今日に至ってしまったけど何度か書いてみることにした。第1回目は一昨日の流れでファィターズの前身フライヤーズ時代からの中心選手、闘志剥き出しのプレーが記憶に残る大杉勝男氏について。この選手なくして今のニックネーム“ファイターズ”が誕生していないのだからある意味偉大な功績を残した選手である。

1945年(昭和20年)3月5日 岡山県生まれ。1965年(昭和40年)、テスト生として東映フライヤーズに入団。飯島コーチが発した名言「月に向かって打て」をヒントに本塁打を打つコツをつかみ、その翌年から6年連続30本以上の本塁打を記録するなど、当時の中心選手 張本と共にチームを牽引した。

大杉勝男1975年(昭和50年)に内田・小田との2対1のトレードでスワローズに移籍。一度スランプに陥るものの、1977年(昭和52年)には打率.329、31本塁打、104打点を上げ復活。翌年も同じような活躍を見せ球団初優勝に大きく貢献し、ブレーブス相手の日本シリーズでは4本塁打しMVPに輝いた。

後に落合も達成することになるが、1983年(昭和58年)現役を引退する年には両リーグで初めて1000本安打を達成。引退後、フジテレビ解説者・ホエールズのコーチを務め、1992年(平成4年)、肝臓ガンで急逝。1997年(平成9年)に野球殿堂入りする。

【 生涯通算成績 】(実働19年) 2235試合出場、2228安打、486本塁打、1507打点、打率.287、本塁打王2回、打点王2回

人気blogランキングへ