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1分をはさむ5連勝で今シーズンを終えたファイターズ、さあ、来季に向け新戦力の補強だ。いよいよ来週10月3日(月)まずは、「高校生ドラフト会議」が開催される。「おおっ、もう3日後じゃないか!」と一人盛り上がる。中でも特に高校球界No.1内野手の呼び声も高い福岡第一の陽内野手、夏の甲子園で快投を演じた大阪桐蔭の辻内投手、同じく清原以来3打席連続本塁打を記録した平田外野手の行方が気になるところだ。

現状の情報を集約するってーと、陽に関してはうち(ファィターズ)の他に地元のホークスとカープも指名する予定で抽選は必至の状況。一昨日、北海道のローカル番組で福岡第一高校の監督が同校OBの藤本(タイガース)よりも走・攻・守、全ての部分で陽の方が上だと答えていたのを観て、尚「欲しい!」と思ってしまった。辻内もジャイアンツ、ライオンズ、バファローズの3球団が競合する予定でこちらも抽選になること間違いなし。平田はドラゴンズとマリーンズの争奪戦になりそう。

夏の甲子園3選手の中で一番1軍レベルに近いのは辻内だろうなぁ。故障がない限り松坂を思わせる地肩の強さですぐに頭角を表すと思う。終盤に150キロを超える球を投げられるスタミナも資質充分だ。

1987年(昭和62年)亨栄からドラゴンズに入団し初先発でいきなりジャイアンツ相手にノーヒットノーランの快挙を成し遂げた近藤など期待の大きな投手も多くいたけど、その後は故障などで泣かず飛ばず。残念ながら過去高卒ルーキーの本格派左腕が大成した例が意外に少ない。辻内なら1年目からローテーション入りし活躍する可能性が充分にあるように思うが、さて、どうでしょう。

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タイガースファンの皆様、セリーグ制覇おめでとうございます

強いジャイアンツとしのぎを削り戦っていた1962年(昭和37年)・1964年(昭和39年)以来の1年はさんでの頂点、2年ぶり5度目のリーグ優勝だ!

一時は竜にしっぽをかじられていたものの気がつけば最後は独走V、「いゃっ、お見事!」。打ってよし、投げてよし、守って・走ってよし、史上最速マジック点灯に沸いた一昨年のチームよりも今年の方が全体のバランスも良く強く感じる。選手の自信と経験が確実にチームの力をひとまわり大きくしているように思う。若手の成長・活躍も多く目に付いたし優勝するチームってこうなんだよなぁ。

優勝花火48,500人のファンに埋め尽くされた満員の甲子園、押せ押せムードで進む試合展開、ボルテージが上がりっぱなしのスタンド、いつ見ても優勝の瞬間は良いものだ。最後の最後まで勝利の方程式に拘ったJFK投入で締め、タイガース第30代監督岡田彰布の体が宙に舞った。ファイターズファンのボクだけど何だか嬉しかったなぁ。藤川の涙も良かった。

いざ、日本シリーズへ。相手がどこであろうと今年のタイガースは一味違う。さて、TVリモコン片手にビールかけ映像のハシゴだ、「あ~ぁ、忙し」。

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ダルビッシュが完封勝利を挙げて以来だから、ひさしぶりになるファイターズの話。

須永が遅ればせながら今季1軍のマウンドで初めて9回を無失点で投げきる好投を演じた。しかし残念ながらチームの援護なく勝ち星には恵まれなかった(ガックリ)。一昨年、ドラフト2位で浦和学院から入団、本格的左腕と期待されたルーキーイヤーの昨季はイースタンリーグで10勝をマークしいきなり最多勝を獲得した。1軍では5試合に登板したものの0勝2敗、防御率9・24とプロの洗礼を浴びてしまったけど。今季はイースタンでも1勝9敗と振るわず厳しいシーズンを送っていた。

須永「須永はどうしたのだ!?」とヤキモキしていたので少し安堵した。ファィターズファンの誰もが左の須永に右のダルビッシュと若いこの2人に将来大きな期待をかけているに違いない。来季はまず1勝、キレも球速もまだまだレベルアップ出来るはず、ローテーションの一角に入るような活躍、頼んます。

昨日の試合でも田中賢、鶴岡、工藤と若手が起用されていた中、その影でベテラン勢の一人島田が引退することになった(世代交代つうやつですね)。ファイターズカレンダーを壁に貼っている方ならお解かりでしょうが今月(9月)は奇しくも島田がその半分を飾っている(もう半分の芝草は大丈夫か?)。気のせいか寂しげに見えてしまうなぁ。今後は2軍のコーチに就任する予定らしい「ホント、ご苦労さんでした」。

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清原を獲得すべくここに来て俄かに争奪戦の様相を呈してきた、う~ん、慌しくなってきたぞ。ライオンズ、イーグルスに続いて今度バファローズまでが「ハイ、うちも欲しいです!」と手を上げてきた。

去年の騒動以来あまり顔を見たくない小泉球団社長と中村GMらが検討を重ね獲得方針を決めたようだ。チーム本塁打数も乏しく長打力のある選手を必要とし興業的にも苦戦しているバファローズにとって不振の今シーズンでさえ22本もの本塁打を記録している清原の長打力と関西出身の絶大な人気は魅力のはずだ。

三つ巴一説には中村ノリに対して獲得する働きがけをしているというバファローズ。清原との3、4番が仮に実現すればこれ以上の戦力アップと人気効果はないだろうなぁ。

野村がライオンズで張本がオリオンズで、過去多くのスタープレイヤーが本人の意思とは違う場所で現役生活の幕を閉じたけど、どこか窓際的で寂し気な印象がある。今度の行き先が最後(?)のチームになるはずなので清原には今一度パッと一花咲かせてほしい。いずれの選択もボクが応援するファイターズが所属するパリーグ、どこに収まるのか興味津々だ。

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田尾監督の解任が三木谷オーナー個人による決断だと思い込んでいたので意外だった。真相はチーム内からの意見が最終的に反映されたものらしい。「ある意味こちらの流れの方が本人にとっては手厳しいなぁ」。

早速、後任監督に野村の名前が挙げられている。「ちょっとジミだけど、いいんじゃない」が率直な感想。息子カツノリを含め1軍半選手とベテラン選手が多く「野村再生工場」と呼ばれた手腕を発揮するにはもってこいのチーム事情だし、愚痴は大いにこぼすけど現有戦力でやりくりする術も持っている。何より初めは還暦祝いにしか見えなかった赤いユニホーム姿がシダックスの数年でたいぶ馴染んできているのが大きい(すいません、冗談すぎました)。

野村・清原合わせて「楽天・清原獲得」の文字も躍る。とある写真週間誌を先日立ち読み(買わずにすいません)したところ、清原本人もイーグルス入りに前向きで関係者を通じて自ら打診していると書かれていた。三木谷オーナーも今季の高額年俸を減額できれば観客動員増などの「清原効果」が見込めると踏んで獲得に前向きらしい。ただ、この手の報道は日によって内容が微妙に変化したりするので信憑性があるのかないのか判断に困ってしまうけど。

ところで、戦力外通告をしたとは言え、原がジャイアンツの監督に復帰した影響は全くないだろうか? 「キヨ、オレに力を貸してくれないか!(握手)」てなことで僅かだけど急転する可能性もあるように思えるけど。フロントが決めたことだもんなぁ「今更、そりゃないか」。

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「う~ん、やっぱりかぁ」という感じだけど成績不振を理由にイーグルスが田尾監督を今季限りで解任する方針を固めたようだ。約半世紀ぶりの新規参入球団を率いて船出したものの4月と8月に2度の11連敗を喫し、パ・リーグでは40年ぶりとなる90敗を超える敗戦数を記録、最下位も早々に決定する状況だった。

今回、球団譲渡というカタチではなく母体なしの状態からチームができるサマを初めて見てきた。「どんなチームになるのだ、エ~ッ、オイ?」などとワクワクしていたけど、フタを開けば充分な戦力補強もできずパッチワークのように集められた選手だとやはり厳しいということを露呈した。助っ人も不振、何よりチームとして戦う経験のなさが最後まで響いたように思う。

田尾監督既にベテラン選手の大量解雇が進み、来シーズンに向け大幅な予算を投じ積極的に補強すると三木谷オーナーの鼻息も荒い。3年契約にも関わらず志半ばで退任する田尾監督としては何とも悔しい思いだろうけど成績が成績だけにチームが変わるためには致しかたない。

さて、次は誰を監督に招き入れ、どんな補強をしてチームの建て直しを図って行くのか注目したい。充分な戦力整備の動きもとらず再び監督や現場にしわ寄せが行く結果になることだけは避けてもらいたい。

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昨日の原監督決定の報道を機に、いつもながら全く個人的な意見だけど、将来のプロ野球12球団の監督をOB並びに在籍選手に限定し勝手に考えてみた。

ざっとこんな感じ。◆我らがファイターズ:田中 幸雄◆ホークス:工藤 公康◆ライオンズ:清原 和博◆バファローズ:金村 義明◆マリーンズ:初芝 清◆イーグルス:磯部 公一◆ジャイアンツ:桑田 真澄◆タイガース:八木 裕◆ドラゴンズ:立浪 和義◆スワローズ:古田 敦也◆ベイスターズ:佐々木 主浩◆カープ:野村 謙二郎。

12球団マーク深く考えもせず思いつきで書いたメンツなので「いやっ、それはない」もあるけど中には将来的に充分可能性のある人もいるように思う。全員が入団時から、あるいは引退まで見届けたボクとほぼ同世代の人物ばかりだ。

初めは「え~っ、あいつは監督の器じゃないよぉ」てな感想を抱く人も1年もすればしっくりくるという例が結構あったりする。ボクにとって現ドラゴンズ監督の落合がそうだった。現役時代、一匹狼的存在でマイペースな振る舞いが多く、指導者になるなんて全くイメージできなかったもんなぁ。

「こうして監督人事にも世代交代が進みボクも確実にじじいの域に入って行くのだ」と改めて感じる。「三原・水原は良い監督だったなぁ」と目を細める年配のプロ野球愛好家たちのように。

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すったもんだの末、シーズン終了後の10月5日、正式にジャイアンツ原監督が誕生する。

阪神星野SDに残留を表明されてから一本に絞り込み交渉を進めていたようで、予想どおり「まっ、落ち着くところに落ち着いたかぁ」という感じだ。既に原と球団との間で首脳陣の人事に着手していて、近藤(昭仁)と村田の入閣が確実らしい。その他にも篠塚、岡崎に前スタッフの斎藤、吉村も候補として挙がっているようだ。

原監督そもそも前政権時はにコーチ陣の処遇をめぐってフロントと対立した結果退任しただけで、成績だけ見れば原が続投するのが当たり前な状況だった。にも関わらず後任監督に堀内が決まった時「ほ、堀内ってアンタ!」と感じた人も少なくないはずだ。申し訳ないけど采配以前にファンを惹きつける“華”が堀内にはない。

コーチ陣にしても人脈のなさが影響してかハッキリ言ってしょぼいスタッフで構成されていた。チームの成績・選手の活躍だけで人気を得られた一昔前ならまだしも特に視聴率低下が危惧されている時の人選ではなかったように思う。

何はともあれ第2次原政権がスタートする。人気回復面、注目度だけ考えても今年のジャイアンツよりは数段明るい。生え抜きの若手を育て新しいジャイアンツを築き上げて行かなければならない時期だけに以前より厳しい道のりにあるのは確かだけど「ジャイアンツ愛」でひとつがんばってほしい。

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予てより9月中にはハッキリとした結論を出すとしていた若松監督が報道陣に向かって辞任の意向を正式にコメントした。球団側の来期の方針を察しての決断とも言え、去り際にも誠実な人柄が見えた。以前も書いたけど、どさんこの数少ないヒーローなのでこの結果はやはり寂しい(涙)。

若松監督北海道は留萌市出身。北海高校卒業後、電電北海道(現NTT北海道)を経て1970年(昭和45年)ヤクルトアトムズにドラフト3位で入団。入団時の背番号57も名将三原監督に認められその年すぐにレギュラーを獲得、.303の高打率をマークしシーズンオフには1に変更された。

その後も「小さな大打者」と言われ長打力を兼ね備えたアベレージヒッターとして活躍しセリーグMVP1回、首位打者2回などを獲得、ヤクルトに一筋に19年間プレーし1989年(平成元年)現役を引退した。生涯通算打率.319は未だ破られない日本人選手の最高記録だ。監督就任後は日本一に輝いた2001年(平成13年)以来4年連続Aクラス入りに導く手腕も発揮した。

後任人事として今日、球団から来季の新監督就任を正式に要請された古田だが、まだ15試合残っておりプレイに集中したいとの理由で結論はシーズン終了後に持ち越すカタチで返答を保留した。一部では前向きに検討しているとの話もあるが本人がベストだと思う結論を出せば良いと思う。今後の古田の去就に注目だ。

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また思い出話を一つ。1970年代中盤から、パリーグの中で最も強かったのは何と言っても阪急ブレーブスだ。 西本阪急の記憶がないボクにとっての黄金時代とは1974年(昭和49年)から後を引き継いだ上田阪急のことである。

上田監督は就任1年目こそ2位に終わるが翌1975年(昭和50年)からV4を達成する。特に前任の西本監督が果たせなかった悲願の打倒巨人も1976年(昭和51年) 、1977年(昭和52年)と2年連続長嶋巨人を相手に果したことが印象深い。長嶋ファンのボクにとってはえらい高く厚い壁だった。

山口高志エース山田、足立らの投手陣に福本、加藤、長池、マルカーノなどの打撃陣、鉄壁な守備を誇った大橋、代打男高井などちょっとジミだけど顔ぶれも豪華、中でも山口高志のバネのような躍動感あるフォームからくりだされるストレートの速さは圧巻だった。(昨日書いた松坂よりもずーっと速かったイメージがある) 何度かマネて投げてみたことがあるけど球は真っ直ぐいかないわ「あんた、こりゃ体こわすよ」と思えるほど肩や肘、腰に負荷のかかるものだった。思ったとおり太く短い選手生命に終わっちゃったけど。

その頃は、リーグ優勝はもちろん日本シリーズでもしばらく敵なしと思うくらいの風格さえ感じた。決して明るいチームカラーじゃなかったけど職人気質の選手が数多くいるクロウト受けする集団だった。

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昨日、ライオンズの松坂がよりによってファイターズ戦で好投してくれた。「まっ、しょーがない、松坂が良すぎた」。それにしてもナイスピッチング、これで14勝目、今季9度目の2ケタ奪三振で今シーズン通算224奪三振の自己新をマーク、更には31イニング連続無失点を記録するなど手におえん程の好調ぶりだ。

松坂大輔1998年(平成10年) 第80回夏の全国高校野球選手権記念大会の決勝で京都成章高校を相手にノーヒットノーランで大会を締めくくる快投を演じ“平成の怪物”と言われるままにプロの道に進み、その後も全く期待を裏切らない活躍、ホントーにお見事。

バックネット裏などに陣取るメジャーのスカウトの中では「Oh!コイツハ、ウワサイジョウニ イイピッチャーダゼ ホシイ!」と評価もうなぎのぼりだろう。本人は大リーグを視野にいれているらしいが、ボクの本音を言えば日本の球界で永いこと観ていたい気持ちがちょっとある。でもその反面、強打者相手にバッタバッタと三振を奪う“大リーガー松坂”も観たい気もするしオヤジ心は複雑だ。

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今日は、ちょっと横道にそれた話を。とは言っても無理やりだけどちゃんとプロ野球と関係ある内容なのだ。

今思うと、なぜあんなことに夢中になったのかということが誰にでも一つや二つあると思うけど、ボクにとってのその一つが小学生の時に流行った牛乳のフタ集めである。(これって全国的に流行ったものなのだろうか?) 給食に出る牛乳のフタをグチャグチャにならないように細心の注意をはらって取り、要らないという女子から半ば無理やり奪い取るようにして一生懸命に集めたものだ。他には銭湯や牛乳屋のおばちゃんに直接頼むという極秘ルートもあった。

中休みや放課後、そのフタをメンコ代わりにして数を増やしたり、軍資金代わりにして賭け事のような遊びに興じたりしていた。その賭け事(?)の対象がプロ野球だった。「オレ、今日の試合はドラゴンズに5枚!」「甘いな、じゃオレはタイガースに10枚だ!」などとエキサイティングなやりとりを繰り返していた。

牛乳瓶しばらく経って軍資金(フタですけど)も豊富になり、強気になっていたボクはシリーズも終盤に差し掛かった頃のタイガース戦で思い切って手持ちフタのほとんどをジャイアンツの勝利に投じたことがある。結果は1点差の惜敗に終わり、みごとに手持ちのフタをスッテンテン状態にしてしまった。後にも先にもあんな大胆なバクチ(?)をしたことがない。

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今日、ダルビッシュが楽天を相手に2安打で抑え込むプロ初完封勝利を飾った。高校出のルーキーでは1999年(平成11年)のライオンズ松坂以来の快投だ。

入団時から悪い面で何かと騒がれた。個人的にも「高卒ルーキーの分際でアゴ髭たくわえたうえ、タバコを吸いながらパチンコだぁ!」「10年はえーんだよ!おとといきやがれ!」てな感情を抱いた。その反面「プロの世界は実績が大きくものをいう、とにかく結果を出しなさい」と聖母マリア(?)のような温かい気持ちで応援もして来た。

同じ白星でもプロの世界で完封は“まぐれ”でできるものじゃない。この1勝がきっと大きな自信になって今後益々飛躍するに違いない。(期待をこめて) 1年でも早くまずは2ケタ勝てるピッチャーになってファイターズを引っ張って行ってほしい。

ダルビッシュその頃ボクはどうしていたかと言うと、ホント久々にコンサドーレ札幌の試合(vsアビスパ福岡)を観に行っていた。J1昇格を目指すうえで大事に試合だったけど、結果は1-3で敗れ今ひとつ気分が晴れない状態で競技場を後にした。やっば札幌ドームへ行ってそのナイスゲームを観るべきだっただろうか。「判断ミスだったか? う~ん」。

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術後このまま引退に追いやられるかと心配していたジャイアンツ清原に対し古巣・ライオンズが獲得に前向きな姿勢を示しているらしい。「いくら実力の世界だとはいえ、これだけ実績のある選手になんちゅー処遇だ!」「“バン!”」(机を叩く音です)と思っていたので少し安堵した。前にも書いたように第1次政権時代の長嶋監督解任劇以来、トラウマのごとく、どーもジャイアンツやり方だけが目についてしまう。

スポーツ紙によると、ある球団関係者も「本人の気持ち次第では、まだまだ数年は十分にプレーできる。それに、あの人気はやはり凄い。それぞれ高く評価しています」と明言しているようだ。

清原 背番号10年ぶりの復帰となれば清原・松坂、投打の二枚看板で伸び悩む観客動員増の効果も期待できるだろうし、球団だけじゃなくパリーグ全体も話題性で盛り上がること間違いなしだ。ファイターズファンのボクとしても数多く対戦するライオンズ戦をより一層楽しむことができる。関係者のコメントだけの報道で終わってしまうケースがたまにあるので、何とか実現の方向に進んで欲しいと思う。

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開催時期やMLB主導の大会運営に反発し7月の総会で「現状なら不参加だもんね!」と発表していた労組・日本プロ野球選手会が来年3月開催予定の「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」への参加を決断したようだ。今後は日本代表監督就任予定のホークス王監督を中心に代表選手の選考が始まる。アテネメンバーがベースになるのか? 少し楽しみだ。

色々な意見もあるだろうけど、一番負担がかかる選手会が決めたのであればボクは賛成だ。サッカーとは一緒にならないけど、そもそも野球は世界的に見て表舞台に出る国際試合が少ないスポーツだ。もっと積極的にした方が良いと思う。

オールジャパン開催がオープン戦の時期ということもあり、調整に支障を来たすなどの理由で本人の判断ならまだしも球団がNGを出すことだけは止めてほしい。アテネの時もそうだったけど協力姿勢が見られないフロントの対応に「あぁっ、情けな」とガックリうなだれてしまったことが度々あった。

中心となるべきMLBサイドのヤンキースあたりも参加に消極的だと聞く。中途半端な状態での開催ではなく各国ベストメンバーでぶつかりあうことを期待したい。

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今年の6月、2000本安打を達成した野村が今季限りで引退することを決めたようだ。世代交代とはいえ良いプレイヤーがまた一人球界を去ってしまう「う~ん残念だ」。そこで今日は初めてカープの話。

1年目の長嶋巨人が球団史上初の最下位を独走(?)した年、1975年(昭和50年)に優勝したのがカープだった。3年連続で最下位に沈んだ球団はこのシーズンから闘争心を出すという意味でヘルメットとキャップを赤に変更、現状打破の切り札として日本球界初の大リーグ出身監督ジョー・ルーツを迎えるも、ある試合のジャッジを巡りフロントと対立し開幕から僅か15試合で辞任してしまう。(早っ)

古葉 初Vその後急きょ引き継いだのが「巨人の星」の明子姉ちゃんを彷彿させる体勢で采配を振るい続けた古葉監督である。この初優勝を機に着実にチームは成長し続け緻密で手堅い広島野球を確立、万年Bクラスのお荷物球団と言われたチームがその後変貌して行く。豪快さに欠けお世辞にも面白い野球とは言えなかったけど強かった印象が残る。

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強いね、タイガース。昨日も打ちも打ったり球団史上53年ぶりとなる3試合連続の2ケタ得点、16点をたたき出しての大勝。この日で今シーズ今岡と金本2人合わせての打点が244打点となって1985年(昭和60年)記録したバースと掛布の242打点を抜いてしまった。特に今岡の131打点は藤村富美男の持つ球団記録146打点をも越す勢いだ。ホントすごい。

今岡・金本今年は、一昨年の優勝時よりも安定した強さを感じる。今岡がホットコーナーにまわり鳥谷が成長し、藤川らの若手投手が台頭するなど将来も楽しみだ。記録を見る限り、ボクが生まれた頃は頻繁に優勝争いにくい込む状況にあったようだけど一時はダメ虎と言われ「たのむで!」とボヤキたくなるくらい弱かった。今、野球をやっている子供たちの目に映っている強いタイガースをこのままずーっと続けてほしい。

ゴールも目の前、いよいよカウントダウンが始まる。タイガースファンの友人から飲みに誘われる日も近い。

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またまた、太平洋クラブライオンズの話。以前も書いた日拓ホームフライヤーズの“レインボーユニホーム”に勝るとも劣らない印象的なユニホームが過去にまだあった。1976年(昭和51年)に低迷するチームのイメージを払拭するためメインカラーを薄紫色(ワインカラー)に変更し、チーム名の代わりに背番号を大きく胸に付けた“アメフト”スタイルに変更したライオンズのユニホームである。

胸番号ユニホームはじめ見た時「あの~、すいません、後ろ前ですよ」と親切心で忠告してあげたい気分にかられたが、背中にもちゃーんと番号が付いてた。まったく摩訶不思議なデザインだ。例外なくこのような奇抜なユニホームは長く続くことなく1年間の短命で終わる。そしてこれが太平洋クラブライオンズとしての最後のユニホームになった。

中には「カッコイイ!」を連発しワインカラーのキャップをかぶって一人悦に入ってる新し物好きな友人もいた。これから先もこんな斬新なデザインのユニホームはもう出でこないだろうなぁ、きっと。

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昨日、何気なくテレビを点けてみるとテレ朝の「サンデープロジェクト」で“プロ野球再生への提言”というテーマの特集をやっていた。その中で、本当なら野球協約上絶対的権限を持つにも関わらず大リーグとは対極的にお飾りになっている日本のコミッショナーの情けない現状が映し出されていた。

プロ野球界の改革を本気でするのであればオーナー中心のゴリ押しで進む運営に待ったをかける強力な指導者が必要だと思う。その最たる例として番組で取り上げられたのが日本のスポーツ界において最高リーダーだと呼べるサッカー協会の川淵キャプテンだった。

改革本Jリーグ創設間もない頃、川淵キャプテンはこの日出演していたスポーツジャーナリストの二宮清純氏にこう語ったらしい。「時期尚早と言う者は100年たっても時期尚早と言う。前例がないと言う者は200年たっても前例がないと言う」と。その言葉に強い改革意志を感じたとコメントしていた。

あまりにもすばらしい言葉だったので「男だねー!」と独り言をもらし膝をバシバシ叩いてしまった。球団という小さな器ではなく、JリーグのようにOBがコミッショナーや幹部に就任して球界全体を引っ張って行く体制にするのは無理なのものだろうか?

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やはり“ジャイアンツの星野監督”は誕生しなかった。就任した場合、タイガースファンの反感を買う上ジャイアンツファンが益々離れるだとか視聴率のアップには繋がらないだとか色々な意見もあったけど個人的にはホント受けてほしかった。星野であれば勘違いしているジャイアンツの旧態依然とした思考を変えることができるかもしれないし、長い目で見れば球界全体にとってもプラスになると思ったからだ。今のジャイアンツには外様の力が必要だと思う。

巨人・阪神球団旗じゃあ誰が後任監督?てなことになるけど仮にOBの中から選ぶのであれば江川にやってほしい。「で~っ!」という意見というか声もあろうが、日頃ちょっと偉そうに吹聴している野球論が現場でどれだけ発揮できるのか見てみたい気がする。ついでに現状のスタッフ編成が余りにもジミなので中畑や大久保などベンチのムードを明るくできる人がほしい。

何はともあれ若手を育成し面白い試合を見せてくれる監督の人選を期待したい。

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変則な今年のドラフト会議。まず10月3日(月)、高校生を対象にしたドラフト会議が開催される。ファイターズは昨日都内でスカウト会議を開き福岡第一高校の陽仲寿(よう・ちょんそ)内野手を1巡目で指名する方針を固めたようだ。名前は聞いたことがあるけど恥ずかしながら陽選手を“よう”解らない(寒)。台湾からの留学生で、走攻守揃った高校NO.1遊撃手の呼び声が高い。地元のホークスをはじめそんな逸材を黙ってほっておくはずがなく複数球団の抽選は必至だ。夏の大会優勝した地元駒大苫小牧高校の主将、林内野手は進学希望のため指名を回避するらしい。

ドラフトと言えばやはりホークスを見習いたい。城島・新垣・馬原・寺原・杉内などなど中心選手に地元九州出身者が多い。地域により深く根づくには自分たちの住む町の選手が地元の球団へ入団し一流プレイヤーになるという構図が一番理想的だ。

ドラフト抽選箱ファイターズが北海道に移転した年から駒大苫小牧高校が全国制覇(2連覇)するなど野球環境のムードはひと頃に比べ格段に良くなっている。将来、北海道の高校野球のレベルが更にアップし、ファィターズに憧れ入団した地元の選手たちが札幌ドームで大活躍するという光景を観る日もそう遠くはないように思う。

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東映から日拓ホームが球団経営権を買い取り、1973年(昭和48年) 日拓ホームフライヤーズが誕生した。この頃パリーグは人気獲得のため前後期制を導入しており、前期5位の成績で終わった球団は何を思ったか、後期に奇策とも言える“レインボーユニホーム”を採用した。名付けて「カラー作戦」なるものだ。当時の記事には〈7種類のハデなユニホームで対戦相手を翻弄しようという新アイデア〉とある。(下の写真は5種類しかないけど) うわさでは「今日、どのユニホーム着るんだっけ?」などと確認する会話が選手間であったようだ。

日拓 七色ユニホーム「フフッ、まんまと翻弄されやがって」てなこともないだろうけど後期はこの「カラー作戦」の効果(?)もあってか土橋監督のもと一応3位をキープした。

しかし、そこそこの成績を修めたにも関わらず「球団をオモチャにした」などの理由もあってたった1年で現在の日本ハムへ身売りとなってしまう。それにしても、発想はユニークだけど突飛なことを考えたものだ。ユニホーム代も高くついただろうに。

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西鉄時代のライオンズの記憶が殆どない。もちろん、黄金期など知る由もなくライオンズに対する記憶の入り口は太平洋クラブライオンズからである。持っていたイメージは「ユニホームが派手なところだなぁ」だった。チームの状況はパッとせず万年Bクラス状態。1977年(昭和52年) 太平洋クラブからクラウンライターにスポンサーが交代したものの、球団の資金難も相変わらずで、チーム成績も最後まで冴えることなく前年から連続最下位、シーズンオフにはドラフト会議で法政大の江川を指名するも入団を拒否されてしまった。(無理もないか)

翌年を最後に2年で西武に身売り。その後は資金力を活かし、田淵を阪神から獲得するなどチームカラーを一身する大改革に打って出て、それから数年で常勝軍団になったのは余りにも有名だ。

太平洋クラブライオンズ今、復刻版キャップやユニホームを注文できるところもあるけど、当時、太平洋クラブもクラウンもすごくマイナーだったので作ってみたら、かえって新鮮で結構カッコイイかもしれない。かぶって外を歩けるかと聞かれると言葉につまるが…。





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顔のニキビと挌闘していた高校2年生の秋、学祭の特別公演ゲストとして元ジャイアンツのV9戦士高田繁がやってきた。思ったよりも小柄だったけど体からオーラが出ているようで「なまら(北海道弁)かっこよかった!」 当時はNHKの解説者をしている時期で現役時代よりかなり体の線が細くなってしまったと嘆いていたのを思い出す。

明治大学から入団後すぐにレギュラーの座を獲得、オープン戦・ペナントレースともに成績も残し天狗になりかけていたところ将来を見据えあえて2軍行きを命じられたエピソードや、川上監督の管理野球の徹底ぶり、長嶋・王の裏話、V9戦士の交遊録など興味深い話がテンコ盛で時間も忘れ聞き入った。

講演の終盤「夢があるなら、諦めてはいけない」「できるという信念が結果に繋がる」的なことを話していた。当時(今もです)は心がピュアだったので、ものすごくストレートに響き感動した。やはり一流プレイヤーが言う言葉には重みと説得力がある。塀際の魔術師と言われ現役時代から好きな選手の一人だったけどすっかりファンになってしまった。

高田監督後に高田がファイターズの監督に就任した当時、偶然にもボクは日○ハムに勤めており、札幌遠征時には何度も応援に足を運んだ。それから十数年後ファイターズが北海道に移転して来ることを小躍りして喜んでいた時、今度はGMに就任して戻ってきた。そんな運命的(?)なこともあって尚更ファィターズの応援に力が入る訳である。

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家族みんながくる日もくる日もうちわ片手にテレビに釘付けになった。1980年(昭和55年) の第62回夏の全国高校野球選手権大会に北北海道代表として旭川大学高校、通称旭大(きょくだい)高が出場した。そのチームでキャプテンを務めていたのがボクの親戚で4番を打っていたのが2年の鈴木さんだった。後に北海道電力から近鉄バファローズに入団し「いてまえ打線」の中軸を担っていたその人だ。

大会の結果はと言うと順調に勝ち進み3回戦、阪神で活躍したマイク仲田の興南高校に破れたけど、一緒に出場した南北海道代表の札幌商業高校も同じく3回戦まで勝ち進んだとあって“北海道旋風”などと言われた。(ちなみに札商は荒大輔擁する早実に敗れた)

鈴木さんそんなことがあって俄然鈴木さんが入団したバファローズの情報を意識するようになった。プロの世界で大活躍し引退後は2軍のバッティングコーチを務めているのは知っていたけど去年の5月、突然の悲報が飛び込んで来てショックのあまりややしばらくボーゼンとしたものだ。鈴木さんを介して少し身近な存在に感じていた近鉄も去年で姿を消してしまった、ホントさびしい限りだ。

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昨日、マリーンズに勝利しファイターズがプレイオフ進出圏内の3位ゲットまでいよいよ2.5ゲーム差となった。直接対決3タテでひっくり返せるゲーム差となったことで俄然可能性が出できたと言える。

ただ、うれしい反面正直な話、チョット複雑な心境にある。仮にファイターズが3位にくい込んだ結果が貯金なしの借金状態だったとする、挙句 貯金30のマリーズと貯金40のホークスに勝利しトントン拍子でリーグ優勝してしまった場合「これで良いのか現行のプレイオフ制度は?」と問いたい気分にならざるを得ない。(それでも嬉しいけど…) そんな風になった時には「この一年の努力はなんだったんだ!」とホークスファンは拳を上げるに違いない。

プレイヤーマーク確かに人気獲得という側面では大成功。来期からセリーグも導入なんて話も上がっているくらいだけど今一度、郵政民営化並みに意見をぶつけ合い(あれっ、ぶつけ合ってない?)見直さなければならないと思う。

スポーツジャーナリスト二宮清純氏も語っているように、将来的にセ・パ2球団ずつ増やしたうえで両リーグ4チームずつ東西に分けその上位2チームが争うメジャー流のプレイオフが誠にもって望ましいとボクも思う。新潟・松山など全国に球団設立に興味を示しているところもあると聞くし、どんなもんでしょう。

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1980年(昭和55年)に取り壊されてしまったが、その昔、札幌中島球場という今にも倒壊しそうな小さくてボロッチー球場があった。何でも資料によると大正7年に造り何度かの増改築の末、維持していた球場らしい。確か小学4年の夏、そこにプロ野球ではなく高校野球の地区予選を見に行ったことがある。友人と2人でそれぞれ入場料50円を払って外野席へ。

札幌中島球場ボクにとって、これが初めての野球観戦だった。試合は北海高校VS札幌商業高校、道内では古豪同士の屈指の好カードだ。試合を観に行ったのは、一緒に行った友人が将来北海高校の野球部に入ることをその頃から決めており、「先輩たちの試合を見にいかな!」などと関西弁風に偉そうな事を言い出したからだった。結局、その後彼は北海高校ではなく対戦相手側の札幌商業高校の方に進み、野球もせず普通に3年間の高校生活を送った。

試合結果は残念ながら覚えていないけど、北海高校のメンバーの中に後にロッテオリオンズに入団した佐藤健一選手がいたことハッキリ覚えている。プロに進む選手は違う、小学生ですら解るほどの光るセンスを持っていたのだから。

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以前もチラっと触れたけど、パリーグでは南海ホークスが好きだった、それも全く強くない時期の南海が。どうして好きだったと聞かれると具体的な理由が思い浮かばないが、ファンになったきっかけは覚えている。当時大リーグのアスレチックスを意識したライトグリーンの基本カラーに黄色いアンダーソックスを履くという見事な(?)までにコーディネートされたユニホームを採用していた。野村がプレイングマネージャーを務めていた時代で、優勝した1973年(昭和48年)から確か4年後の1977年(昭和52年)の1年間だけ使用したものだったと思う。

そのひと際目立つユニホームを身にまといオールスター戦で野村、藤原、桜井、片平(こんなに出でたかな?)が大活躍していたのを観て「カックイ~」と思ってしまったのが始まりだ。野村が去り、門田や新井が去り、ダイエーに身売りする間際のメンバーを見て「PL学園にも勝てんかもしれん」と真剣に思ったこともあった。ドラこと山本が主軸を担い佐々木や湯上谷が一軍に定着してまもない頃だ。毎試合観客もパラパラ、話題性も特になく、スター選手もいない。でも、それがかえって親近感があって良かった。

南海グ゛ッズ金持ち企業(当時はネ)ダイエーが親会社になり、歴史に残るであろう鷹をデザインしたヘルメットをかぶったガッチャマン風なカッチョ悪いいでたちの選手たちが、広くマスコミに取り上げられるのを観て何だか気持ちが萎えてしまった。


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ヤンキースの松井秀らを育てた石川県 星稜高校の山下監督が勇退することを発表した。春11度、夏14度、合計25度も甲子園に導き、1995年(平成10年)の夏の大会には準優勝するなど強豪校に育て上げた監督だ。山下監督の教え子として松井秀以外にも小松(中日)、湯上谷(南海・ダイエー)、村松(ダイエー→オリックス)、山本(近鉄・オリックス)など、多くの選手がプロの道に進んでいる。

星稜高校と言えば、明徳義塾戦の松井秀の5打席連続敬遠はもちろんだけど、個人的にはやはり、1979年(昭和54年)第61回夏の大会で尾藤監督率いる箕島高校(和歌山)との延長18回にもつれ込んだ激闘が印象に強い。

この試合を観ていて「おおっ、甲子園には魔物がおる!」「なんてこったい、本当に野球は筋書きのないドラマだ!」とやたら興奮した記憶がある。また一人、高校野球界の名将が姿を消してしまう、すごく残念だ。

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小学生の頃、金やんこと金田が率いるロッテオリオンズが優勝した。相手はジャイアンツのV10を阻んだ与那嶺 中日ドラゴンズ。友人の家に集まりカルピス片手に観戦した日本シリーズの盛り上がりのなさにがっかりした記憶がある。全くもってジミだった。結果は4勝2敗でロッテが日本一に。その結果を受けてじゃないけど、当時のロッテはすごく強いイメージがあった。

なぜなら、宇野球一、伊集院球三郎などの超人達を擁するアストロ球団(少年ジャンプ連載)と対等に戦ったチームだからだ。漫画の見すぎと言えばそれまでだけど、ある程度の力がある球団でなければ対戦相手として描かれたりはしないだろうと勝手に思っていた。ジャイアンツ戦ばかり中継されパリーグの試合などほとんど観ることができない情報不足の時代だったから尚更だ。弘田、有藤、山崎、成田など今思えば個性的で豪華なメンバーで構成されていたと思う。

オリオンズ球団旗それ以降、今まで優勝から随分遠のいているがプレイオフ出場権も獲得し今年は期待が持てる。最終的には3位圏内にファイターズが入り争われるのが個人的な希望だけど…。



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