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先日、東京六大学野球の立大監督を務め、ミスターら名選手を数々育てたことで知られる砂押邦信氏が腎臓がんで亡くなられた。87歳だった。ボクが敬愛するミスターが言う「大きな野球の師」であり、夜間になってからも硬球に石灰をまぶし、選手を鍛え上げたという「月夜の1000本ノック」でも有名な方である。

砂押氏を囲むミスターと杉浦水戸商業から立大に進み、1950年(昭和25年)に27歳の若さで監督に就任。「鬼の砂押」と恐れられるスパルタ指導で3年後の春にチームを20年ぶりとなるリーグ優勝に導くと、翌年のちにプロ野球で活躍した長嶋、杉浦、本屋敷の入学を機に黄金時代の礎を築き上げた。

しかし、あまりに厳し過ぎたためか部員による“監督排斥運動”が起き退任を余儀なくされ、その後日鉱日立の監督を務め都市対抗野球大会に出場。1961、62年(昭和36、37年)には国鉄スワローズの監督に就き160勝220敗11分というプロでの成績を残し、以後球界を離れ実業界で活躍されていたと云う。

リアルタイムでその勇姿を見たことがないけど、ミスター関連の書籍や再現VTR等に度々登場していたせいでボクの中では大きな存在だった。まったく世代が違うと言うのに杉浦氏の訃報が届いた時と同じくらい寂しい。選手育成の「名伯楽」とも呼ばれていた砂押氏の最高傑作が長嶋茂雄であることに異論を唱える人はいないだろう。また伝説となる人が生まれてしまった。

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折に触れ何度も書いているけど、ボクはミスターの大ファンだ。いや、ファンという領域を遥かに超越した筋金入りの信者と言っても過言ではないだろう。記憶のない幼少の頃に「3」を背負ったパジャマや服を着せられている写真を見れば一目瞭然なのだが、親父に刷り込まれて出来上がった信仰心に他ならない。

昭和49年発刊、栄光の軌跡得意先の方と時間があれば仕事を他所に野球談議で盛り上がる事もしばしばで、ファイターズの話題から始まり、気が付けばミスターの話に引きずり込むという勝利の方程式(?)を確立している。おかげでボクがミスター信者である事は友人・知人の間で結構有名だったりするのだ。

つい先日、時間を頂戴したいとU社のHさんがやって「打ち合わせに入る前にちょっとプレゼントしたい物がありまして」などと思わせぶりに鞄の中から一冊の本を取り出しボクに差し出した。「ゲッ!」それはミスターが引退した昭和49年の11月に発刊された『栄光の軌跡』というタイトルの記念誌だったのである。

何でも実家の物置を整理していたら出てきたらしくHさんは若いため父上かお兄さんの物であるようだが、「長嶋ファンの方が持っていてくれた方がこの本も幸せです」と温かい言葉を添えてくれた。中に水原、三原、鶴岡、村山、杉浦ら各氏がミスターへコメントを寄せるページがあるのだが、どなたも既に亡くなった方ばかり。33年という歳月の重みをズシリと感じてしまった。

ボクにとっては何よりのプレゼント。Hさん、ホント感謝です。

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いやいや、お元気そうで何よりだ。敬愛してやまないミスターが脳梗塞で倒れて以来、実に1102日ぶりにジャイアンツの宮崎キャンプを訪問した。「だからなんなのだっ」と突っ込まれると大変困ってしまうが、左手を挙げファンの声援に応える姿などを見ていると、ほんの一瞬ながら至福の時を味わう事ができた。

ミスターキャンプ視察ミスターの登場によって球場全体のボルテージが一気に上る様がTVからでも充分伝わる。いささか取り上げ方が過剰気味だが、老若男女に問わず相変わらずの騒がれっぷりだ。言わずと知れた日本球界最大の功労者、国民の英雄の人気は正に“永遠に不滅”なのである。

原監督に促され選手の元へ歩み寄ると「勝つ!勝つ!勝つ!OK? 」と激励。ヒゲのない小笠原に「すっきりしたねぇ」と笑顔を見せ、午後の紅白戦ではワンプレーごとに身を乗り出して観戦、5時間余に及び忙しく、温かく、選手を見守り続けた。やっぱ、グラウンドにいるミスターは輝いているなぁ、ホント。

今のジャイアンツが“正しい方向”で強くなってもらいたいのは、実力、人気とも下降線をたどる現状を誰より危惧し、常勝復活を望んでいるミスターの笑顔が見たいからでもある。生え抜きスターの発掘と併せ、「勝つことが一番の薬になると思うので…」と口にする選手たちよ、しかと実行するように、OK?

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ミスターの笑顔はいつ見ても良い。周囲はおろかTV画面を通して見ている人でさえ明るくしてしまうようなオーラは歳を重ねた今でも変らず健在だ。熱狂的なファンであるがためにそれにはホント癒される。ボクにとって何よりの「萌え~っ」なのだ。見る限り顔ツヤも良さそうだし、元気そうでホッと一安心である。

ミスター、OB会出席往年の名プレーヤーが集う巨人OB会総会が開かれ、ミスターが3年ぶりに出席した。何もこんな事で各紙揃って取り上げなくっても、と思いつつボクもしっかり書いている。記事にすれば目を惹くという打算もあるだろうが、結局 新聞社サイドにも長嶋ファンが多いという事だろう。

注目の挨拶こそなかったが来季に賭ける思いを原監督が発表すると、すかさず「頑張りなさい。自分のやり方でやりなさい」と激励したらしい。僅か1時間程の出席に留まり直ぐに帰路についたが、出席者は一様に「お元気でした」と口を揃え、脳梗塞からのリハビリが順調に進んでいることを感じ取ったようだ。

その場の勢いとは云え、「元気ならぜひ」と前置きしながら席上で広岡副会長を始めOB会の重鎮らも2008年北京五輪でミスターが日本代表の指揮を執ることを支持したと言うが、現場への意欲を掻き立てたうえで完全復調してもらおうと願うパフォーマンスと捉えれば、なかなかどーして温かい仲間達である。

こりゃ、ちょいと良いように考えすぎかな…?

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『全ての長嶋ファンとプロ野球ファンに贈る、長嶋フィギュアの最高傑作が完成です!長嶋茂雄氏本人の監修のもと、エポック社が総力をかけて作り上げたその造型は、細部にまでこだわりを持って再現!この満足感はフィギュアの領域を超えた、真の永久保存版です。』 ( 宣伝コピーの一部より )

ミスターのフィギュアなーんていう鮮やかな謳い文句が心に響く“~魂のフルスイング~” フィギュアが以前からずーっと気になっている。「何でそういうのを買うのだ!」と冷ややかに秋葉系のフィギュア愛好家たちを見ていたが、どーやらボクも大して変らないようである。

衝動買いを重ねては、かみさんにしょっちゅう呆れられてるボクではあるが今回は慎重だ。価格が25,200円(税込)もするうえに顔が「ど根性ガエル」に出で来る南先生を思わせ、微妙な違和感を感じるせいもある。長年、フィギュアと同じポーズを決め込んだ荒々しい表情のポスターを見続けているから尚そう思うにに違いない。

誰かお中元に贈ってくれないだろうか。はたまた、もう少し辛抱するのでサンタのおじさんが持ってきてくれないだろうか。いくらファンのボクでも、もう一歩を踏み込むことができず、家族が頭を抱える姿を思い浮かべては気持ちがだんだん萎えて行く。そうそう、いつもの一時的な高ぶりだ、ここは我慢 我慢。

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セ・リーグのペナントレースも、もうすぐ。野球しか遊ぶ術を知らなかった子供の頃は、毎年プロ野球の開幕が楽しみでならなかった。当時は4月に入ってから行われるのが普通で3月に入り雪溶けが始まるとモー大変、待ち遠しくてヤキモキした気持を静めるのに苦労したものである。

ミスター開幕に強し先日、ファイターズの開幕戦を観にドームへ足を運んでいる最中、見事にその時に似た気持が甦ってきた。幾ら歳を重ねても変らないこの感覚が嬉しくなり、一緒に行った息子にもこのワクワク感を少しでも感じ取って、いつまでも記憶しておいて欲しいと一方的に願った。

当時の開幕ゲームと言えば、やはりボクが敬愛して止まないミスターの活躍が上げられる。当の本人も我々ファンと同じ心理で開幕を待ちわびていたようで「厳しいトレーニングとキャンプの成果をですねぇ、お見せしましょう!」てな感じで17年間の現役生活で実に10本の開幕ホームランを放っている。

本塁打世界記録868本の王でさえ、現役生活22年間で6本という実績である。いかにミスターが開幕戦へ強い想いで挑んでいたのかが窺える。「すげーっ、また打ったぁ」、子供たちの憧れのスターはシーズン初戦からキラキラ輝いていた。記憶に残る本塁打を数多く放っているのところも、さすがミスターである。

◆1本目 : S34. 4/11、vs国鉄 (金田) ◆2本目 : S35. 4/2、vs国鉄 (村田) ◆3・4本目 : S38. 4/13、vs阪神 (小山) ◆5本目 : S43. 4/6、vs大洋 (平松) ◆6本目 : S45. 4/12、vs中日 (小川) ◆7本目 : S46. 4/10、vs広島 (大石) ◆8本目 : S47. 4/12、阪神 (江夏) ◆9本目 : S48. 4/14、vsヤクルト (松岡) ◆10本目 : S49. 4/6、vsヤクルト (松岡)

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2日間また東京へ出張してきた。とあるセミナーに参加すべく新宿に出たけど見上げれば首が痛くなるような高層な建物ばかりで、すっかり威圧されてしまった。札幌に住めど所詮地方都市、田舎者丸出しである。でも、この時期の東京は実に良い、人が多くて疲れるものの雪がないのが誠にすばらしい。

長嶋父子競演さて、何度も書くけど“ミスターバカ一代”のボクにとっては気になるニュースがあった。何でもミスターが息子の一茂と三菱UFJ信託銀行のテレビCMで初共演するらしい。

スティービー・ワンダーの『STAY GOLD』がBGMで流れる中でキャッチボールをする様子や昔の微笑ましい写真が何点か登場する内容で、あさって(10日)から全国でオンエアされるようだ。

もちろん永久保存版としてダビングしてストックしてあるけど、使用されるキャッチボールのシーンは入院する前の2003年11月10日(月)にアテネオリンピック出場までの軌跡を追った日本テレビ系列番組「スーパーテレビ」内で放送されたものである。

互いに少し照れながら昔を懐かしむ会話や姿にはホント心温まったなぁ。「全国父子キャッチボール推進委員会会長」のボクとしては、ぜひお子さんと一緒に見て欲しいお勧め映像である。

とは言っても、たった15秒のうえ、ましてや見たくったってタイミングってもんありまさーネ、CMだから 。

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どのスポーツニュースを観てもミスター、殆どのスポーツ新聞の一面がこれまたミスター、相変わらずの注目度だ。何度も書くけどボクにとってミスターは野球の神様である。胸毛がユニホームの首元から除くバイタリティー溢れる現役時代から一度もその気持ちは変らない。

ミスター熱血指導王監督が言うようにみんなから注目されることは良い事だと思う。気を張ることがある意味リハビリになるだろうし、公の場に出ることなく自宅に籠もったまま老け込むのはミスターらしくない。自らの意志で行動する分には大歓迎だけど、「読売さん、くれぐれも無理をさせないように」。

昨日、有明コロシアムで行われた「長嶋JAPANドリームプロジェクト2006」に出席した模様はもちろんTVでチェックした。大勢の小学生が参加した野球教室でつえを持たずにティー打撃や投球練習のコーナーを勢力的に歩き回る姿を見る事ができた。

「よおし、スゴいな」「OK!ナイスだ」「もう1回!!」、色艶が良い顔はいつもの笑顔で溢れていた。「みんな、とにかく野球を楽しんでやりなさい。プロ野球選手になれる素質はみんなにあるんだから、頑張りなさい」と例の甲高い声でエールを送る。そうなのだ、ボクも子供の頃に読んだ本にあった「努力する人でも楽しんでいる人には敵わない」というミスターの言葉を今でも折に触れて噛みしめている。

野球に対する情熱は全く冷めることはない。老いてもやはりミスターはミスターである。肉声を久しぶりに聞けたのが嬉しかったとは言え、こんな些細なニュースで目頭が熱くなるのだからホント困ってしまう。

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豊田のFA獲得に対する人的補償で江藤のライオンズ移籍が決まったが、同じジャイアンツネタでもマイペースに昨日に続き今日も“千葉茂”絡みの話である。

20年程前に購入した特集号に千葉茂のインタビューが掲載されている。結構有名な話だけど、その証言によるとミスターの入団にあたり川上自ら、ジャイアンツの歴史に残る並び番号にしたいという願いから自分の付ける「16」番と沢村の「14」番の間の背番号「15」を新人長嶋に勧めていたという。

栄光の背番号3しかし当然背番号は球団の決めるもので一プレーヤーの川上には権限がなく、当時の品川球団社長、宇野球団代表らが「次に有望な選手が入ってきたら渡そう」と日本初の三冠王中島から千葉へ継承された後 “球団預かり”になっていた「3」をミスターの背番号に決めたようだ。

ミスターの入団が正式に決まった時、球団代表から「長嶋という有望な選手に渡そうと思うがいいか?」と千葉に確認の電話があったようで、『 「私の半分くらいは活躍ができそうか?」と問うと球団代表から「半分以上は間違いなく働く!」と断言され快諾した 』とコメントしている。

ルーキーのミスターに会いにキャンプ地に足を運んだ時の事を千葉はこう振り返っている。『 中島さんから言われた「栄光の3番を傷つけないようにやってくれ!」の言葉をそのまま伝えたんだ。そしたら長島は「解りました。3番を汚さないよう一生懸命やます!光輝く活躍をするつもりです」と返してきたよ。そう、3番のサンは大きな太陽になったわけだよ。実際はワシの倍くらい活躍しよった。(笑) 』

南海に入団せずジャイアンツを選び、「15」にならず「3」になったのも全て必然だったのかもしれない。スターになるべき人の運命ちゅーやつだろうか。

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ジャイアンツの10連覇の偉業が達成できなかったこの年、1974年(昭和49年)10月14日、ミスターの引退試合が行われた。TVを見ながら涙が止まらず、何気に横を見ると何のことかさっぱり理解できていないはずの妹までが泣いていた。引退セレモニーを観た後、小学生のくせに、しばらく立つ事さえおっくうに思える程の虚脱感に襲われたことを思い出す。

長嶋引退の挨拶耳にタコが出来るほど、あまりにも有名なフレーズなので読むまでもないといった方が大多数でしょうが、今日はあえてブログ開始100回目の節目を記念(?)してボクの敬愛するミスターの引退挨拶を書いてみることにした。今思えばミスターの涙もさることながら満員のファンの悲鳴にも似た叫び声が心に痛く染みたっけ。「う~ん、我ながら感受性が高い子供だったなぁ」(笑)。

夕闇せまる後楽園球場のマウンドでスポットライトを浴びながら

『昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来、今日まで17年間、巨人並びに長嶋茂雄のために絶大なるご支援をいただきまして誠にありがとうございました。皆さんから絶大なるご支援、熱烈なる応援をいただきまして、今日まで私なりに一生懸命野球生活を続けて参りましたが、今ここに体力の限界を知るにいたり、引退を決意いたしました。振り顧みますれば、17年間の現役生活、いろいろなことがございました。試合をひとつひとつ思い起こす時に、好調時には、皆様の激しい大きな拍手をいただき、この背番号3の闘志をさらにかりたて、また不調の時には皆様の温かいご声援が今日まで私を支えてきました。不運にも、我が巨人軍はV10を目ざして監督以下選手一丸となり、死力を尽くして最後の最後までベストを尽くして戦いました。しかし、力ここに及ばず、10連覇の夢は破れ去りました』。

『私は今日ここに引退いたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です』。

『今後、微力ではありますが、巨人軍の新しい歴史の発展のために、栄光ある巨人軍の明日の勝利のために、今日まで皆さまがたからいただいたご支援、ご声援を糧としまして、さらに前進して行く覚悟でございます。長い間、皆さん、本当にありがとうございました』。

これ以上の引退セレモニーはもうないだろうなぁ…。

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