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道内各地から「初雪便り」が届けられる。札幌市内に降ることはなかったけど、どーりで朝から寒い訳である。「そろそろ子供たちの冬物買い揃えなくっちゃ」というかみさんの言葉を尻目に、天気の悪さにカッコつけて家に閉じこもり、プレーオフ1stステージ第1戦、ライオンズvsホークスの戦況をじっくり見つめた。

松坂に軍配

松坂・斉藤和の投げ合いは、やはり予想通り1点をめぐる投手戦に。しかし、7回のワンチャンスに和田の適時打で均衡を破ると、松坂が6安打13奪三振の快投で1点を守り抜き完封勝利。回を追うごとに良くなるあんなピッチングをされれば、そうそう簡単に打てるもんじゃないが、王獲得が危惧していたようにホークスの打撃不振が改めて露呈するゲームになってしまった。

間違ってもこんな光景を札幌ドームで観たくないという思いからか、気がつけば自然にホークスサイドに偏った応援を続けていた。試合終了の瞬間、「だから、頑張ってって言ったじゃん」てな心境でふてくされてベソをかく子供のように軽くうな垂れる。ファイターズの天敵は相変わらず憎たらしいほど頼もしい。

リーグ規定では、プレーオフで五分の勝敗となった場合はレギュラーシーズンの上位チームが勝者と定められているため、明日の第2戦で勝利はもちろん、引き分けてもライオンズの2ndステージ進出が決まる。先発予告は、ライオンズが新人の松永、ホークスは和田の両左腕。なんとか、がっぷり四つで第3戦までもつれ込む展開になるよう期待したいものである。

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意中の球団 ベイスターズではなく交渉権を得たのはライオンズ、当時の東尾監督から渡された200勝の記念ボールを手に入団して早8年、今や誰もが認める球界を代表するエースになった。「平成の怪物」と称され、プロの世界に入ってからも大舞台に強く、その怪物ぶりをいかんなく発揮し続けている。

松坂に追い風ライオンズが今オフ、その松坂のポスティングシステム(入札制度)によるメジャー移籍を容認する考えを明らかにした。今まで球団側の意向を最優先としていたが、今後については「ファンの声」を一番の判断材料にするという粋でカッチョイイ柔軟な姿勢を見せる。来季のメジャー移籍を目指す松坂にとっては願ってもいない追い風になりそうだ。

昨オフ、豊田・森が退団しても首位を走るライオンズ。若手も伸び、そんな自信の表れか。当然、球団経営・戦略のうえで、利益が生まれる内に手放す方が得策と考える側面もあるだろう。FAを取得してお世話になりましたでは「そりゃーないぜ、セニョリータ」と腰をクネクネさせるのが落ちである。基本的にはメジャーにチャレンジすることに関しては賛成派だけど 正直、ちと寂しいなぁ。

この流れだと、脂の乗り切った26歳でのメジャー移籍が実現する。峠を越えてチャレンジしては中途半端な活躍でアメリカを後にした選手も少なくないので、そういった点でも楽しみだ。快投を演じたWBCのような活躍を来年はTVを通じて観られるかもしれない。こりゃ、シーズンオフの動向から目が離せない。

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『平成の怪物』松坂が江川の持つ193試合を超えドラフト制導入後最速となる191試合目での100勝を達成した。制度以前を含めてもスタルヒン(165試合)、藤本英雄(177試合)、杉浦忠(188試合)、野口二郎(191試合)と並ぶ歴代4位のスピード。また、達成したこの試合で通算41度目となる2ケタ奪三振を記録し40度の米田、伊良部を抜いて歴代単独6位となった。

松坂、100勝達成やっぱり、松坂はすごいなぁ。入団時から未だ衰えない150キロ台のストレート、WBCなど大舞台になればなるほど結果を残すメンタリティ、故障の少ない体、どれを取っても超一流。次のステップである200勝は日本の球界では達成していない可能性が高いけどクリアすることは間違いだろう。球史に残る選手をこうしてリアルタイムで見続けられるのはプロ野球ファンとしてホント嬉しい限りだ。

稲田、1軍昇格さて、話はコロッと変ってファイターズの話題。あまり知られていない選手かもしれないが、2004年ドラフト5位でJFE西日本から入団し即戦力として高い評価を受けていた3年目の稲田の1軍昇格が初めて決まった。今季2軍で打率.349と好調をキープしており大いに期待してしまう。昨日書いたように、もしかするとチームにとってラッキーボーイ的な存在になるかもしれないしこりゃ注目だ。「持ち前の明るさで、頑張れ 稲田!」

若手に動きがある中、昨年オフに事実上戦力外通告となる50%のダウンの年棒を受け入れ残留していた奈良原が金銭トレードでドラゴンズへ移籍することになった。何だかベテラン整理の一環に思えてちょっと残念だ。田中賢介のセカンド定着などもあって、ここまで1軍の出場がない状態だったが堅実な守備は今も健在、新天地でもう一花咲かせて欲しいものである。

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折角シーズンが始まったというのに、ここに来て何かと忙しく更新がままならない状態に陥っている今日この頃。おけがで金本が元オリオールズのカル・リプケンJr. を抜く904試合連続フルイニング出場世界記録を樹立したという大きなニュースがあったにも関わらずすっかり話題に乗り遅れてしまった。

炭谷漫画化?それにしても7年間皆勤賞とは凄い、いつ何時でも交代を告げられないというのが「攻・走・守」全てにおいてバランスが取れている選手であることの証だ。次に迫るのは、ジャイアンツ時代に松井が残した415試合まであと123試合とする4番打者としての連続出場記録。順調に行けば今シーズン中に突破でき、また新たな勲章を得ることになる。引退を迎えるその日までずーっと走り続けて欲しいなぁ。

さて、話はコロッと変って気になったニュースをもう一つ。

ライオンズの快進撃を支える一人に高卒ルーキーのキャッチャーとして51年ぶりに開幕先発出場を果たした炭谷の名前が挙げられる。その炭谷、字画を考慮して「銀仁朗」としているが、元々お父さんが愛読していた漫画「硬派 銀次郎」にあやかってつけられた名前らしく、今後のこのまま活躍が続けば球団側から対談や自伝漫画などを名づけ親とも言える作者“本宮ひろ志”氏に依頼する計画があるという。

以前も触れたけど、ボクはどえらい漫画好きでもある。この作品は1974年(昭和49年)に発行された少年ジャンプの第18号に知る人ぞ知る“愛読者チャレンジ作品”の一つとして読みきり掲載され人気を博し、後に連載されたもので、もちろんリアルタイムで読んでいる。「良いじゃないのぉ、新人でも漫画化大いに結構」、漫画のキャラクターに負けない男気ある強いハートで今後のプロ野球を牽引して行く選手になる可能性があるだけに、そのオファー大作戦へぜひ一票を投じたい。

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パの開幕前夜だというのに、昨日の「スワローズ新ユニホーム発表」記事に続いて今日も大好きなユニホーム話しなのだ。以前一度書いたことがあるけど、先月アップした日拓ホームフライヤーズのレインボーユニホームと同様、小学生の頃の記憶に深く残る前代未聞とも呼ぶべき一品について触れてみたい。

太平洋胸番号ユニホームあまりにも奇抜だったそのユニホームは太平洋クラブライオンズのものである。同球団は1972年(昭和47年)西鉄から岸信介元首相の筆頭秘書でロッテのオーナー経験もある中村長芳氏が自己資産を投じて買収した球団で、球団名になっていた“太平洋クラブ”は実際には親会社ではなく当時の金額で年間2億円の広告料を払うだけの一スポンサーに過ぎなかったという何とも複雑な内情を持ったチームだった。

1976年(昭和51年)、元々アストロ球団を彷彿させる派手なユニホームを、よせば良いのにこの年の前期から「今までの低迷したイメージを払拭し新たなスタートを切ろうじゃないかぁ!」と声高らかにデザインの一新を図ったのだった。結果誕生したのが当時、巷で人気を博していたアメリカンフットボールを意識したと思われる写真のユニホームである。

こんなデザインになったのは、先に書いた“太平洋クラブ”が一時スポンサーから降りてしまったことも背景にあるようで「なーんも付けんと番号だけ入れとこ」という発想に尚、拍車がかかったのかもしれない。当時滅多に放送されないパの試合を偶然一緒に観た友人が「コ、コイツ首が180度回転しとる」と真顔で冗談を飛ばしたことを昨日のことのように思い出す。

選手たちには至って評判が悪かったようで、後期からは普通にLionsというロゴが胸に復活したのだから物凄い短命なユニホームだ。その後メインスポンサーがクラウンライターに代わった事で球団名が変更され、太平洋クラブライオンズは消滅することになる。後にも先にもこれ程突拍子もないデザインを目にすることはできない。交流戦用にどっかの球団でこのアイディアを復刻してくれないだろうか? 

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「プロ野球球団ライオンズの球団名に地元『所沢』の名前を冠するように推進して頂きたき件」と題する何とも堅苦しい請願書を所沢商工会議所、同市内の野球チームや商店街などの代表の連名で所沢市議会に提出しているようで、西武鉄道・後藤社長もTV番組内で「例えば埼玉ライオンズとか所沢ライオンズなどの名前で、地元にチームをアピールしていきたい考えはある」と前向きな発言をしている。

これを受けて、先日の「東京ヤクルトスワローズ」報道に続き“「所沢ライオンズ」誕生へ”という記事がスポーツ紙に掲載された。地域密着を全面に押し出そうとするその姿勢は大変よろしい、嬉しい限りだ。

地域名入新ユニホーム?「千葉」「福岡」「北海道」など、地域名を乗せているチームが日々の運営努力もあって図らずも地域に根付くことに成功しており、今後益々その傾向が強くなって行くことが予想される。真のフランチャイズ性を全く重視しなかった一昔前に比べれば飛躍的な進歩だ。

ただ、欲を言えば以前も書いたように地域密着を本気で進めようとし、スポーツ文化の社会的繁栄に陰ながら貢献しようとする志が少しでもあるならば、親会社が球団を広告塔にするという古臭いシステムを捨てた方が良いように思う。

ライオンズの球団関係者の皆さん、球団名を変えるなら思い切って企業名である“西武”を取ってみてはどーでしょう。ボク的には大歓迎である。中には埼玉も所沢もダサイとお嘆きのファンもいるでしょうが…。

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ジャイアンツがFA宣言している豊田と明日にでも都内で2度目の入団交渉を行うようだ。原監督も同席するらしく交渉終了後にはジャイアンツへの入団を表明すると見られており、V奪回のための待望の守護神が晴れて誕生する予定だ。

日本一となった02年に原監督が抑えに転向させた河原が28セーブを上げて以来、「抑え不在」が長年のアキレス腱になっていただけに貴重な戦力になることは間違いない。ただ、以前も書いたけど残念ながら、ジャイアンツのお家芸(?)「その場しのぎ大作戦」に見えてしまう。現有戦力では無理と判断してのことだろうか? 個人的には、若手の中から将来長く存在するストッパーの育成に努めて欲しかった。

豊田・森また、豊田に続き森が今オフ、ポスティング・システムで大リーグ移籍を目指しライオンズの退団が濃厚になったようだ。森は01年オフから大リーグへの移籍希望を球団に伝えており、来オフに取得するFAを前に承認されることになった。チームにとっての必要性の問題があるにせよ松坂にとっては複雑な心境だろうなぁ。

獲得に手を上げるメジャー球団があるかは解らないけど、このまま行けばライオンズはセットアッパーと守護神の2投手を手放すことになる。「いゃ~っ、これは痛すぎる」。よそのチームのことと言え心配になってしまう程の損失だ。リリーフ陣の補強や育成が急務だろうがこれは簡単に埋められそうにないぞぉ。

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昨日、ライオンズの松坂がよりによってファイターズ戦で好投してくれた。「まっ、しょーがない、松坂が良すぎた」。それにしてもナイスピッチング、これで14勝目、今季9度目の2ケタ奪三振で今シーズン通算224奪三振の自己新をマーク、更には31イニング連続無失点を記録するなど手におえん程の好調ぶりだ。

松坂大輔1998年(平成10年) 第80回夏の全国高校野球選手権記念大会の決勝で京都成章高校を相手にノーヒットノーランで大会を締めくくる快投を演じ“平成の怪物”と言われるままにプロの道に進み、その後も全く期待を裏切らない活躍、ホントーにお見事。

バックネット裏などに陣取るメジャーのスカウトの中では「Oh!コイツハ、ウワサイジョウニ イイピッチャーダゼ ホシイ!」と評価もうなぎのぼりだろう。本人は大リーグを視野にいれているらしいが、ボクの本音を言えば日本の球界で永いこと観ていたい気持ちがちょっとある。でもその反面、強打者相手にバッタバッタと三振を奪う“大リーガー松坂”も観たい気もするしオヤジ心は複雑だ。

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またまた、太平洋クラブライオンズの話。以前も書いた日拓ホームフライヤーズの“レインボーユニホーム”に勝るとも劣らない印象的なユニホームが過去にまだあった。1976年(昭和51年)に低迷するチームのイメージを払拭するためメインカラーを薄紫色(ワインカラー)に変更し、チーム名の代わりに背番号を大きく胸に付けた“アメフト”スタイルに変更したライオンズのユニホームである。

胸番号ユニホームはじめ見た時「あの~、すいません、後ろ前ですよ」と親切心で忠告してあげたい気分にかられたが、背中にもちゃーんと番号が付いてた。まったく摩訶不思議なデザインだ。例外なくこのような奇抜なユニホームは長く続くことなく1年間の短命で終わる。そしてこれが太平洋クラブライオンズとしての最後のユニホームになった。

中には「カッコイイ!」を連発しワインカラーのキャップをかぶって一人悦に入ってる新し物好きな友人もいた。これから先もこんな斬新なデザインのユニホームはもう出でこないだろうなぁ、きっと。

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西鉄時代のライオンズの記憶が殆どない。もちろん、黄金期など知る由もなくライオンズに対する記憶の入り口は太平洋クラブライオンズからである。持っていたイメージは「ユニホームが派手なところだなぁ」だった。チームの状況はパッとせず万年Bクラス状態。1977年(昭和52年) 太平洋クラブからクラウンライターにスポンサーが交代したものの、球団の資金難も相変わらずで、チーム成績も最後まで冴えることなく前年から連続最下位、シーズンオフにはドラフト会議で法政大の江川を指名するも入団を拒否されてしまった。(無理もないか)

翌年を最後に2年で西武に身売り。その後は資金力を活かし、田淵を阪神から獲得するなどチームカラーを一身する大改革に打って出て、それから数年で常勝軍団になったのは余りにも有名だ。

太平洋クラブライオンズ今、復刻版キャップやユニホームを注文できるところもあるけど、当時、太平洋クラブもクラウンもすごくマイナーだったので作ってみたら、かえって新鮮で結構カッコイイかもしれない。かぶって外を歩けるかと聞かれると言葉につまるが…。





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