インドの山奥で~♪修行して~♪ 1972年(昭和47年)から全104話、2年強に亘って放送されていた正義のヒーロー「レインボーマン」の主題歌だ。これを解る人はボクも含め立派な中年である。さて、以前も書いたけど現ファイターズの前身、日拓ホームフライヤーズ時代のユニホームについてまたまた触れてみたい。(決してネタに苦しんだための使いまわしではない(汗))

1972年(昭和47年)のジーズンオフ、東映から日拓ホームが球団経営権を買い取り日拓ホームフライヤーズが誕生した。翌年新たにスタートするも当時前後期制を導入するペナントレースにあって前期は5位と低迷してしまう。そこで球団は後期巻き返し策として「フフッ、これで頂きだぜ」と思ったのか名付けて「カラー作戦」なるものに打って出る。
奇しくも「レインボーマン」が放送されていた時期であり、そこからヒントを得たのかと疑いたくなる “レインボーユニホーム”を採用し、ハデな7種類のユニホームで対戦相手を翻弄しようと考えたのである。(それにしても、物凄いアイディアだなぁ)
写真の渡辺、大下、中原らをじーっと見ると、口々から「オイオイ簡便しちくれョ、見世物じゃないんだぜ!」てな吹き出しが出ているように思えてしまう。噂では「今日、どのユニホーム着るんだっけ?」などという会話が選手間であったようで評判はすこぶる良くなかったようだ。
意外なことに「七変化」の効果(?)もあってか土橋監督のもと後期はみごと3位をキープしたが、“球団をオモチャにした”などの理由もあって、僅か1年で日本ハムへ身売りすることになってしまった。過去色々なユニホームが存在するけど発想とデザインはチャンピオン級、呆れるほど愉快なエピソードである。
人気blogランキングへ FC2 Blog Ranking

1972年(昭和47年)のジーズンオフ、東映から日拓ホームが球団経営権を買い取り日拓ホームフライヤーズが誕生した。翌年新たにスタートするも当時前後期制を導入するペナントレースにあって前期は5位と低迷してしまう。そこで球団は後期巻き返し策として「フフッ、これで頂きだぜ」と思ったのか名付けて「カラー作戦」なるものに打って出る。
奇しくも「レインボーマン」が放送されていた時期であり、そこからヒントを得たのかと疑いたくなる “レインボーユニホーム”を採用し、ハデな7種類のユニホームで対戦相手を翻弄しようと考えたのである。(それにしても、物凄いアイディアだなぁ)
写真の渡辺、大下、中原らをじーっと見ると、口々から「オイオイ簡便しちくれョ、見世物じゃないんだぜ!」てな吹き出しが出ているように思えてしまう。噂では「今日、どのユニホーム着るんだっけ?」などという会話が選手間であったようで評判はすこぶる良くなかったようだ。
意外なことに「七変化」の効果(?)もあってか土橋監督のもと後期はみごと3位をキープしたが、“球団をオモチャにした”などの理由もあって、僅か1年で日本ハムへ身売りすることになってしまった。過去色々なユニホームが存在するけど発想とデザインはチャンピオン級、呆れるほど愉快なエピソードである。
人気blogランキングへ FC2 Blog Ranking
この記事へのコメント
2006.02/05(日)
[さよならんなー]2006.02/06(月) [HiRO@zetton05]
2006.02/06(月) これはおもしろい![ごえもん]
2006.02/06(月) [健の母]
2006.02/07(火) toさよならんなーさんへ[kane]
2006.02/07(火) HiROさんへ[kane]
2006.02/07(火) toごえもんさんへ[kane]
2006.02/07(火) to健の母さんへ[kane]
この記事のトラックバックURL
http://allsport.blog21.fc2.com/tb.php/148-fdb1e3ba
この記事へのトラックバック
2006.02/05(日)
セドリック・バワーズ投手帰国。関係各所の対応を評価。